医学講座
脳死_看取りの医療
平成22年7月7日、北海道新聞夕刊の記事です。
大きな写真が何枚もついていて、
とても良い内容でした。
現在(いま)を撮る
脳死_看取りの医療
市立札幌病院では、脳死患者が心停止するまでの限られた期間を家族らと有意義に過ごすため、積極的に時間と場所を提供する「看取りの医療」を行っている。
札幌市内の宅配使運転手宗盛勲(むねもりいさお)さん(37)は6月12日、くも膜下出血で同病院に運ばれた。意識が戻らないまま14目、脳死状態と診断され、家族に告げられた。
息子の死を覚悟した母美津子さん(66)は、看護師の助けを借り、ベッドの上の勲さんの髪を洗った。「洗うのは、子どもの時以来」とほほ笑みながら。看護師は「よかったね」と勲さんに優しい声を掛けた。
同日夜、なじみの理容師谷明光(たにあきみつ)さん(37)が病室を訪問、勲さんの髪を切った。「男前になった」という友人の言葉に、家族らは涙をぬぐった。
勲さんが帰らぬ人となったのは21日。父寿太郎(じゅたろう)さん(68)は「たくさんの人たちが、勲のために何度も会いに来てくれた」と感謝した。成人の場合、脳死から1、2週間ほどで心停止するといわれる。同病院の鹿野恒医師は「どんなに頑張っても救えない命がある。だからこそ、人間の尊厳を最期まで大切にする医療が重要だ」と話す。
(写真部 西村昌晃)、以上、北海道新聞より引用。
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今日は休診日だったので…
理容福原へ伺って…
散髪をしていただきました。
オーナーの福原宏伺さんに、
私が脳死になったら…
市立札幌病院まで来て散髪をしてください、
とお願いしてきました。
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私はドナーカードを持っています。
脳死になったら…
組織すべてを提供します。
火葬場で灰になる前に…
使えるものはすべて使ってください!
という考えです。
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市立札幌病院救命救急センターの
鹿野恒(かの ひとし)先生のことは…
2007年7月26日の日記に書いてあります。
素晴らしい先生だと思います。
看取りの医療は、
私も是非受けたいです。
できることなら…
散髪とお風呂も…
お願いしたいです。
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私が勤務していた頃には…
熱傷患者さん用に…
熱傷浴室がありました。
耐性菌の問題で、
熱傷浴室を廃止した病院もあります。
お風呂が無理ならシャワーか清拭をお願いします。
私は脳死状態で…
キレイにしていただき、
お別れをして、
ドナーとなって他人の役に立ちたいです。
北海道新聞社、写真部、西村昌晃
“脳死_看取りの医療”へのコメント
コメントをどうぞ
谷さんの写真は私の携帯では見れませんでしたが、心を込めて綺麗に散髪してくださっているのだと思います。
昨年の7月10日 私たちの一番若い仲間がバギー式草刈り機械の下敷きになり 目の前で 亡くなりました。明後日は命日なので お線香をあげてきます。私は息子が人工呼吸している間ずっと頭を押さえていたので 毎日 その時の 顔が思い出されます。脈はすでになく ・・自分の無力さを感じました。たぶんその方の両親は今もその時の記憶が飛んでいて ドナーとか考える余裕というか、何が起きたのかもわからない状態でした。
私は以前から 長男と二人ドナーカードを持ち お互い署名しています。だれかの役に立ち、誰かの体を借りて自分が生き続けられると思うからです。家族でも意見は様々です。
【札幌美容形成外科です】
コメントありがとうございました。写真をしっかり見ていただこうと小細工をしたばかりに、見れなくて申し訳ございませんでした。修正したので携帯でもご覧いただけると思います。ご指摘いただき感謝しております。ありがとうございました。
谷さんは思ったより若い方ですね。ばっちし見えます。ありがとうございます。
新聞の記事の内容と、さくらんぼさんの辛い出来事を読んで
胸が苦しくなりました・・・。
2月に母親が頚椎に3箇所チタンを入れる手術をし、自宅でリハビリを続けていますが、本人は手術もリハビリも頑張ってきたのに、思っていたほど回復しない事に焦りと苛立ちが日に日に増して、笑顔は消え、何をするのも辛いのか暴言や吐き捨てるような話し方が多くなりました。
冷たい水や金属に触ると電気が走ったように痛くなる事や思ったように歩けず、よろけてしまうので家族は出来るだけサポートしてますが、周りの家族への心ない言葉や態度は増してます。
病人だからこっちがガマンするしかないと思っていたら
父も私も母との会話を無意識に拒絶してました。
もう少し、心に余裕を持たないとダメだなと・・・
そして、ドナーカードの事もちゃんと考えようと思いました。
本間先生、昨年の今頃、眼瞼下垂の手術をしていただいた者です。その節はありがとうございました。
お蔭様で快適に過ごしています。
久しぶりにHPを拝見してこの日記を読みました。
昨年手術を検討していた際、入退院を繰り返していた実家の父のことが気がかりで手術のタイミングをいろいろと考えていましたが、その父もこの4月に旅立ちました。COPDと15年闘った末、ついに肺炎に勝つ力が残っていなかったみたいです。
徐々に血中の二酸化炭素濃度が上がり、肺炎の発熱もあって最期の三日くらいは朦朧とした状態で汗をかいて一生懸命に呼吸をしているだけでした。病院のスタッフの方から見れば、あとどれくらいの命かわかっていたのだと思います。それでも看護師さんは父のひげを剃って下さったり、シャンプーをして下さったり、父が普通に入院生活をしていたときと変わらずお世話をして下さいました。今も時々思い出しては感謝しています。
あの最期の三日間を思い出すと本当に切なくて涙が止まらなくなります。「看取る」というのは本当に辛い時間でした。それでも少しでも心の準備をするのにとても大切な、必要な時間だったと思っています。
今日から新しいカードが配布になっているのですよね。
父の死以来、いろいろなことを考えています。こんなにもいろいろな感情が湧いてくるものか・・と驚いています。私自身のことも考えなければならない年齢にきたのかなぁと思ったりしています。
お蔭様で眼瞼下垂の手術後は肩こりもかなりよくなり快適です。父も「お前、目が大きくなったなぁ。手術受けてよかったな!」と言っていました。術前は親からもらった顔が変わるのでは・・・と心配もありましたが、父はもともと二重だったので、術後も父似のままでよかったです(笑)