医学講座
未熟児だった私医師に
平成22年7月21日、朝日新聞夕刊の記事です。
小さく生まれて
はぐ_Hug【育(はぐく)む】
未熟児だった私医師に
東京都内の大学付属病院の小児科病棟で、女性医師(29)が、忙しいながらも生き生きと子どもを診ている。おもちゃを手に子どもと一緒に遊びながら、体の具合を聞き出すこともある。
彼女自身、未熟児だった。
都内の日本赤十字病院で1980年8月30日、妊娠27週、1050㌘で産まれた。当時の主治医によると約50%の生存率だったという。肺が未熟で体重が増えず、母親(66)は不安が募った。医師になって2年目の主治医は重圧の中、夢中で治療した。
半年後に退院。順調に育っていった彼女に、産まれた時の周囲の苦労を知っている母親は「あなたは、みんなに支えられて育ってきたのよ」と何度も諭した。
高校3年の5月12日の「看護の日」。病院で看護体験をするという学校行事があった。彼女が選んだのは、自分が産まれた日赤病院だった。新生児集中治療室(NICU)で自分と同じ千㌘の新生児を見て、実際の小ささに驚いた。医師や看護師は24時間体制で新生児の命をつなぎとめる。その中には、生まれた時の彼女を覚えている看護師もいた。どれだけ周囲に支えられてきたのかを実感した。「恩返しをしたい」。小児科を目指すと決めた。
都内の医科大学に進んだ。研修医時代には、急患が途絶えることのない小児科の当直業務を経験するなど厳しい面を実感したが、信念を貢いて小児科を選んだ。
2年前のある日、母親から主治医の名前を初めて教えられ、30年も前のことで覚えていないかも知れないと思いながら手紙を出した。「未熟児の時はお世話になりました」。しかし「詳細に記憶している」と返事があり、会いに行った。「みんなに支えてもらったんだから、今度は君の番だね」と励まされた。
半年間のNICU勤務も経験した。担当した女児の母親に、自分も未熟児だったことを伝えると「うちの子もお医者さんになれるかも」と喜んでくれた。
昨春、病院からの帰り道にある女児の家を訪ねた。「何歳?]と聞くと、指を立てて1歳と教えてくれた。大きくなった姿を見て恩返しを少しでもできたかな、とうれしくなった。(沢伸也)
シリーズ「小さく生まれて」はこれで終わります。
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(以上、朝日新聞より引用)
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私の後輩で、
自分の父親が盲人なので…
入学した時から眼科医になると言っていた先生がいます。
写真の腕前はプロ級で…
毎年、富良野や美瑛(びえい)の写真を…
年賀状で送ってくれました。
アレルギー性鼻炎に悩んでいたので…
耳鼻科医になった先生もいます。
医師を目指す理由はさまざまです。
■ ■
私もはじめて…
1000㌘以下の赤ちゃんを見た時には…
こんなに小さくて生きられるのだろうか…?
と思いました。
市立札幌病院のNICUで育てていただいた…
知人の子どもさんも大きくなりました。
500㌘の赤ちゃん㊤
500㌘の赤ちゃん㊥
500㌘の赤ちゃん㊦
の院長日記を読んでください。
■ ■
未熟児だった赤ちゃんを、
卒後2年目で懸命に助けた、
元主治医の先生は、
立派な女医さんになって訪ねてくれた先生を見て、
どんなに嬉しかったことでしょうか。
医者冥利(みょうり)に尽きる…
と思います。
未熟児だった子を…
立派に育てたお母さんにも拍手です。
“未熟児だった私医師に”へのコメント
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今日テレビでダウン症の天才書道家のお嬢様とお母様、52歳で亡くなられたお父様の話しを聞き、今日のお題と重なりました。
自分が 診た赤ちゃんが小児科医になった姿を見てどんなにか嬉しかったと思います。同じ病気や未熟児として産まれた方や親御さんの励みとなると思いました。