医学講座
ソ連の分割占領と北海道
今日は2025年8月17日(日)です。
札幌美容形成外科の夏季休暇は終わり、
今日から診療をはじめます。
休みの間に戦後80年の終戦記念日がありました。
北海道新聞の復刻版がとても参考になりました。
本間家では永久保存します。
今日の北海道新聞、卓上四季です。
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<卓上四季>分割占領と北海道
ソ連が日本に宣戦布告したのは1945年(昭和20年)8月8日だった。独裁者スターリンは日本が無条件降伏した後も攻撃を続ける。そして16日には米大統領トルーマンに、満州や38度線以北の朝鮮半島、サハリンに加えて千島列島と北海道の北半分を要求した。
▼道内の境界線は釧路から留萌を結ぶ線だった。「二つの良港を定規で結んだだけだ。地理を無視しており、よく練られた案とは思えない」と麻田雅文氏は「日ソ戦争」(中公新書)で指摘する。狙いは陸地ではなく、宗谷海峡と千島列島を支配下に置くことだった。
▼ソ連軍の留萌上陸は24日午前5時と定められた。しかしトルーマンが北海道分割を拒否したため、スターリンも22日に上陸を諦めた。対米関係の悪化を恐れたためだとされるが、真相は不明である。
▼北方領土には侵攻して四島を奪った。もし北海道が分割占領されていたら、数限りない悲劇に見舞われたに違いない。朝鮮半島の過酷な現実にも改めて思いが至る。
▼いまロシアは力ずくでウクライナの領土を奪おうとしている。ところが米大統領は当初、領土割譲を容認するような姿勢も見せた。昨日の会談も強い態度では臨まなかった。
▼分割こそ免れたものの、四島が占領された私たちにとってウクライナの苦境は人ごとではない。大国の横暴に、ノーと言い続ける。
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北海道で生まれて70年、
北海道新聞の記事を読むまで知りませんでした。
ソ連が北海道の北半分(釧路から留萌を結ぶ線から北側)を要求したことは、
社会科でも習いませんでした。
北海道が半分ソ連になっていたら、
とんでもないことになっていたと思います。
北海道新聞を購読していてよかったです。
この企画を担当してくださった、
北海道新聞社報道センターの伴野昭人記者、野口洸記者、菊池真理子記者に感謝いたします。
“ソ連の分割占領と北海道”へのコメント
コメントをどうぞ
記事のご紹介を
ありがとうございました。
全く知りませんでした。
半分ソ連になっていたら
どうなっていたことでしょう。
怖いです。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。ソ連が北海道の北半分を要求したことはまったく知りませんでした。留萌と釧路を結んだ線で分割はどうやってするのだろうと思います。ウクライナの人たちが気の毒です。ロシアに領土なんて渡せません。日本も同じ立場になっていた可能性があります。
ソ連が釧路から留萌を結ぶ線から北側を
要求したことは、私も初めて知りました。
戦後80年として新聞等で戦争に
対しての、たくさんの記事を目に
するたびに、本当に悲惨でおそろしい
ことだと思います。
今日、真駒内滝野霊園で
「シベリア抑留関係者 北海道慰霊祭」
が行われて知人が参加しました。
先人たちの命のかけた様々なことが
あって、今日の日本があることに、
感謝したいと思います。
戦争はしてほしくないです。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。ウクライナの報道を見るたびにロシアが憎くなります。勝手に戦争を仕かけられて罪のない人たちがたくさん亡くなっています。このまま領土をロシアに取られるなんてひどすぎます。北海道の北半分がソ連になっていたら……と思うとゾッとします。戦争が早く終わってほしいです。
社会科でも習いませんでした。
今日から診察お疲れ様です。
私も暑い中クラクラしながらハウス剥がししてました。
北海道の一部がソ連になっていたらどうなっていたでしょうか?
脱ソ者が撃たれたりしたかもしれません。
貴重なお話ありがとうございます。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。私は北海道新聞の終戦記念日別刷を読むまで知りませんでした。社会科でも政治経済でも習いませんでした。きっと文部科学省が教科書検定で外していたのでは?と想像します。北海道に住む者にとって、ロシアは脅威です。ウクライナの次に北海道がねらわれるのでは?とすら思います。戦争を早く終わらせてほしいです。