昔の記憶
この10年…
明日は私の55歳の誕生日です。
昔でしたら…
定年退職の日です。
今でも…
公務員には、
勧奨退職という制度があり、
55歳で退職すると…
退職金が15%割増しされるそうです。
民間企業に勤務する友人にも、
役職定年というのがあるそうです。
■ ■
10年前は、
1999年(平成11年)でした。
私は…
札幌医大形成外科講師として勤務していました。
『英文論文を2編書いたら助教授』
という…
上司の言葉を信じて…
英語と悪戦苦闘して…
IBMのノートPCで…
毎晩、論文を書いていました。
■ ■
函館の病院へ当直のアルバイトに行っては、
当直室でノートPCに向かっていました。
函館の看護師さんにも、
病棟の師長さんにも、
薬局の先生にも、
臨床検査室の技師さんにも、
売店のおばちゃんにも、
お掃除をしてくださる女性の方にも、
給食を運んでくださる方にも、
事務の方にも、
同僚の先生にも、
経営者の理事長ご夫妻にも、
大変お世話になりました。
■ ■
私は函館の病院が好きでした。
療養型の老人病院でしたが、
若いスタッフが、
毎日、お年寄りのお世話をしていました。
残念なことに…
当直の夜も論文を書いて…
英文論文は2編以上書きましたが…
助教授にはしてもらえませんでした。
4年間講師のままで、
大学を追い出されました。
私の前任者である、
旭川赤十字病院の阿部清秀先生も、
私以上にひどいやり方で、
大学を追われました。
■ ■
私は、大学を追われた時に、
計画を立てました。
札幌医大に形成外科をつくろう。
私は大学を追い出されましたが、
形成外科に興味を持ってくれた学生はいました。
学問として、
臨床科目として、
独立した形成外科をつくろうと思いました。
私のような思いは、
もう他の人にはさせたくないと思いました。
■ ■
形成外科を自分の支配下に置き、
私を騙(だま)した教授を、
医学部長の席から引きずり下ろそうと考えました。
やり方は簡単でした。
悪いことをたくさんしていたので、
ちょっと内部告発をしただけです。
その医学部長は野心家で、
次は学長を狙うと噂されていました。
学長にだけは…
絶対にさせない!
私の執念で阻止しようと考えました。
■ ■
大学の教員なんて…
弱いものです。
一番弱いのは、
マスコミです。
新聞によく出ている…
研究費の不正など…
そこら中でしていました。
私が内部告発した‘事件’は、
朝日新聞とNHKにより、
私が退職した翌年の1月に、
大々的に報道されました。
■ ■
予想外だったのは…
全国の他大学への波及でした。
どこも同じようなことをしていたようです。
朝日新聞社とNHKのおかげで、
新聞、TVは…
連日、札幌医大の不正を報道してくれました。
私を得意気に追い出した医学部長は、
処分を受けました。
札幌医大はようやく、
形成外科の教授を公募して、
現在の形成外科教授が就任しました。
■ ■
私の手法は、
少し手荒かったのですが、
こうでもしないと、
札幌医大には、
形成外科はできませんでした。
私の人生の中で、
この10年間の…
一番大きな出来事は、
この内部告発でした。
■ ■
私は今、小さなクリニックの院長です。
治療方針も自分で決められるし、
好きな手術を毎日しています。
自分が窮地に陥(おちい)った時に、
助けていただいた恩は忘れません。
これからの10年は、
少しでも自分の力で、
困っている方の、
力になるような仕事をしたいと思っています。
健康に注意して、
元気で働きたいと思っています。