昔の記憶
今から26年前…
今から26年前。
昭和58年(1983年)9月20日。
函館市本町33-2、
社会福祉法人函館厚生院函館中央病院で、
長女が生まれました。
その日は今日のように天気が良く、
私が出勤する時に、
家内を車に乗せて、
病院へ向かいました。
■ ■
当時、
私29歳、家内27歳。
函館中央病院形成外科に勤務していました。
4年目の形成外科医でした。
住んでいたのは、
函館市富岡町の、
キャッスル富岡という…
賃貸マンションでした。
病院が借り上げてくれた、
住宅でした。
■ ■
私は富岡町から、
車で通勤していました。
その日は、家内の定期健診の日でした。
家内は、
午前中に産婦人科で健診を済ませて…
中央病院の近くにある、
丸井今井デパートへ寄って…
自宅へ帰りました。
デパートにいる時に…
ちょっとお腹が痛くなったそうです。
そのままバスで自宅へ帰りました。
■ ■
私が形成外科の医局で、
お昼休みを取っていた時でした。
家内から電話がありました。
『ちょっとお腹が痛くて変なので…』
『病院へ行った方が良いか…?』
という内容でした。
先輩の石川先生が、
奥さんを迎えに行ったら…?
と言ってくださいました。
医局には製薬会社のMRさんがいらしていて…
僕の車で行きましょう
と言ってくださいました。
■ ■
MRさんに乗せていただき、
私は家内を迎えに行きました。
お腹が痛かったのは、
陣痛(じんつう)でした。
車の中でも、
そんなに苦しそうでもなく、
家内を産婦人科へ連れて行きました。
生まれそうになったら呼んでください。
そうお願いして、
私は形成外科外来で診察をしていました。
■ ■
外来をはじめて間もなく、
分娩室から電話がありました。
先生、もうすぐ生まれます。
分娩室へいらしてください。
助産婦さんからの連絡でした。
え~っ?
もう生まれるんですかぁ~?
私が分娩室へ着くと、
家内は苦しそうな顔をして、
分娩台の上にいました。
■ ■
初産は、
時間がかかるんじゃなかったかなぁ~?
と考える余裕もなく、
産婦人科の松浦敏章先生に取り上げていただき、
無事に長女は生まれました。
助産婦さんから、
安産でよかったですね
と褒めていただきました。
当時はビデオはなく、
カメラとテープレコーダーで、
分娩の様子を記録しました。
■ ■
私の両親も、
家内の両親も、
初孫の誕生を喜んでくれました。
私の両親は、
札幌から車で飛んで来ました。
家内の両親には、
まず、母親に来てもらい…
約1ヶ月の間、
函館に滞在してもらって、
お世話になりました。
義父は一ヶ月後に、
母親を迎えに来て会ってくれました。
■ ■
今のように携帯もなく。
もちろんメールで画像を送ることもできません。
まだ青函連絡船があった時代でした。
26年前に生まれた娘は、
親の元を離れて…
自由に生活しているようです。
信頼の絆(きずな)を切られて…
もうすぐ3年になります。
親の私は、
悪いことをしないで…
他人の役に立つことをしていて欲しいと、
願っています。