昔の記憶
ラベンダー一筋
平成27年7月7日、北海道新聞朝刊の続きです。
昨日の院長日記と今日の院長日記は、
どうしん電子版からの引用です。
今朝の朝日新聞朝刊の全国版にも、
冨田忠雄さんの訃報が掲載されていました。
偉大な方でした。
北海道新聞に掲載された、
富田忠雄さんの生涯です。
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ラベンダー一筋
「花の町」けん引
【中富良野、富良野】ラベンダー観光の先駆者として知られる富田忠雄さんが亡くなった。壊滅寸前のラベンダー栽培を守り抜き、花畑の観光地化に加えて、香水などの製造にも取り組んだ83年の生涯。早咲きのラベンダーの花が満開を迎えた時期に息を引き取ったことに、生前を知る人たちから「忠雄さんらしい最期」との声が上がっている。
富良野市内でコミュニティーカフェを営む浦田吉(よし)さん(62)は、富田さんが庭園や香水づくりの構想を話す姿に心を打たれ、設立時にファーム富田の専務に就き、資金集めにも尽力。「ロマンチストで夢をかなえようとする姿に共感しました」と、当時を振り返る。
長男均さん(53)によると、富田さんは3年ほど前から入退院を繰り返していたが、体調の良い日には花畑に出て、自らが「花人(はなびと)」と呼んだ観光客との交流を続けたという。均さんは「夢を追い続ける少年のような人でした」と話す。
上川管内中富良野町の木佐剛三(たけぞう)町長は「6次産業化農家の先駆け的な存在。中富良野が花の町として有名になったのは、富田さんあってこそ」。かつては富良野スキー学校長を務めたこともある富田さんの訃報に、ふらの観光協会の黒岩岳雄前会長(69)は夏はラベンダー、冬はスキーという富良野観光の原型をつくってくれた」と感謝した。
(以上、北海道新聞より引用)
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ラベンダー一筋に83年、
富田忠雄さんの業績は偉大です。
首都圏に行っても、
アジア圏でも、
夏の北海道といえば、
富良野のラベンダーです。
ファーム富田だけではなく、
周辺地域への貢献も莫大なものです。
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私は、
天皇皇后両陛下がファーム富田にいらした時、
富田忠雄さんが、
嬉しそうにご案内されていたのを、
とてもよく覚えています。
ファーム富田の歴史でも、
一番の思い出だと思います。
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富田さんのすごいところは、
金儲け主義ではないところです。
入園料も無料、
駐車場も無料です。
金儲け主義の物品販売もありません。
あるのは美しい花、
ラベンダーのよい香り、
ラベンダーを使ったドライフラワーなどの販売だけです。
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ラベンダーの良さを、
広く世界の人に知ってもらいたいという、
富田忠雄さんの強い思いが伝わってきます。
私は北海道新聞に載っていた、
浦田専務とお話ししたこともあります。
あれだけのお花畑を維持するのは、
とて大変なのだそうです。
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彩りの畑は、
紫のラベンダー、
白のカスミソウ、
赤のポピー、
ピンクのコマチソウ、
オレンジのカリフォルニアポピーが、
とてもきれいに咲いています。
花の開花時期を合わせること、
白の花畑に、
一本でも赤が混じると大変です。
今年も富良野へ行きます。
富田忠雄さんのご冥福を祈ってきます。
ほんとうにありがとうございました。