昔の記憶

佐野力さんと小樽商大

 平成27年7月26日、北海道新聞朝刊に掲載された、
 小樽商科大学の全面広告です。
 この広告に、
 私が尊敬する日本オラクル元社長の、
 佐野力さんと学長の対談が掲載されていました。
 大学の宣伝ですが、
 とてもよいことが書いてあります。
 若い方にも読んでいただきたいです。
 医師にも簿記の知識が必要だと私は思います。
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 小樽商科大学の挑戦
 世界を視野に地域発信。
 今、時代が求める人材とは
 日本全国に多くの財界人を輩出する小樽商科大学。中でも異才を放つのが元日本オラクル会長の佐野力(さの・ちから)氏。和田健夫小樽商科大学学長を交えて、学生時代の思い出や世界的企業での体験、今の学生に期待することなどをお伺いした。

 子どものころから「海外』に思いをはせる
 和田 佐野さんは日本オラクルの会長として、世界を舞台にご活躍されましたが、子ども のころは外国への憧れはお持ちでしたか?
 佐野 父は19歳のとき、新聞配達でためたお金で、シンガポール行きの貨物船の片道切符を購入し室蘭港を出発しました。シンガポールでは、英国人から写真技術を学び、帰国後は写真館を開業しました。私は父が持ち帰った多くの写真の中で育ちました。そしていつかは自分も父のように海外で働くのだと思っていました。
 和田 その思いは、後につながっていくのですね。
 佐野 高校2年生の時です。母に頼んで修学旅行の積立金で短波ラジオを買ってもらいました。英語講座を聞くためです。ラジオから流れる素晴らしい英 語に触れとてもうれしかったのですが、その反面、修学旅行に行かなかったことを一生悔いています。IBMに入社して6年目、スイスで行われた英語によるプレゼンテドションの審査において、審査員40人全員から満点をもらったときは、英語を勉強したことが報われた瞬間でした。それからは「英語と世界は怖くない」と思うようになりました。

 先輩との絆や恩師が、次の道を開いた
 和田 佐野さんの商大時代のお話をお聞きしたいのですが。
 佐野 かなり蛮カラな学生でした。応援団としてげたを履いて今も続く北大との対面式に臨んだり、柔道部員として北大の定期戦に出場していました。先輩が便宜を図り東京の講道館で練習をさせていただいたことも。「後輩に対する思い」や「絆の強さ」を感じ、いつか私も後輩に対して同じ思いを味わってもらいたいと思ったものです。
 和田 商大は創立以来100年を超える歴史があり、経済界を中心に有為な人材を輩出しています。卒業生の方々の結束力、母校を応援する気概を本当に強く感じます。卒業生が組織する公益社団法人緑丘会・公益財団法人小樽商科大学後援会(島崎憲明理事長)には募金活動や学生に対する支援などをいただき、またお膝元の小樽支部(庄司俊雄支部長)、札幌支部(山田二郎支部長)をはじめ、全国26支部の支援体制が整備されていることから、大学としても大変心強く感じています。
 和田 学業についての思い出はいかがでしょうか?
 佐野 何といっても経営学の伊藤森右衛門教授(後に第4代学長)との出会いです。また先生がテキストとして用いたピータードラッカーの『会社という概念』という原書ですね。伊藤教授は「経営学は社長の学問」が持論で「社長と副社長では天と地の差がある。どうせならトップを目指せ」と。その後の私の生き方に大きな影響を与えました。また、より確かなビジネスを遂行するためには、簿記会計の知識は社長から新人社員まで必要な基本的知識です。一方、文学、芸術、歴史といった一般教養はとても重要であり、世界共通の話題として身につける必要があると考えています。英語のみならず第2外国語を用いて相手に感動を与えるような対話をしなければこれからの競争には勝てません。
 和田 簿記の重要性は今の学生も感じているのでしょう。現在1年生から履修できる科目の「簿記原理」は必修ではありませんが履修率はほぼ100%となっています。

 実学・語学を進化させ「世界」を学ぶ
 和田 ご存じの通り本学は「実学、語学、品格」を教育のモットーとしてきました。とりわけ外国語教育は「北の外国語学校」とも称されるほど力を入れてきました。今は対面型の学習とオンラインによる学習を組み合わせたブレンデッド・ラーニングという新しい授業形態を取り入れ、さらに充実を図っているところです。
 佐野 大学として学生に求める将来像をお聞かせいただけますか?
 和田 本学の伝統は「実学」教育ですが、これは深い専門知識と教養としての幅広い分野の 知識を合わせもち、現実問題への解決に取り組む意欲と能力を備えた人材、それに加えて実 践的な語学能力と異文化理解能力を身につけて世界でも活躍できる人材を育成することにあります。そして今挑戦しているのが、アクティブ・ラーニング(学生の主体的・能動的な学び)や先に述べたブレンデッド・ラーニングの開発です。最新のICT機器を備えた教室やラーニング・コモンズ(自由な学習スペース)を整備しました。この点では、本学は一歩進んでいると自負しています。さらに今年度、グローバルな視点をもって北海道の発展に貢献できる人材を育成するために「グローカルマネジメント副専攻プログラム」をスタートさせました。佐野さんにはプログラムの骨幹である「留学」に関する費用支援をしていただく「佐野力海外留学奨励金」を創設いただきました。心からお礼申しあげます。

 佐野力海外留学奨励金、創設への思い
 和田 このたび、佐野さんには10年間で600名にも上る留学支援のための奨学金を創設 いただきましたが、その意図を教えていただけますか?
 佐野 それはごく単純な発想からです。先輩が後輩に「きっかけ」を作り、与えられた「きっかけ」を「チャンス」に変えることができる人材に対して援助をしたかったからです。海外留学を経験した学生が帰国後にその経験を生かし、周りの人間にも刺激を与える存在になってほしい。
 私は、たった5人で日本オラクルを立ち上げ、わずか10年で一時はあの世界のソニーを時価総額で抜く企業としました。なぜそのようなことが成し遂げられたかを振り返ると、いつか来るチャンスに対して常に準備を怠らなかったからだと思います。ここぞの際には先手を打つ。今、私が創設した奨励金により、学生が早くから海外を経験し、何かを感じ、学んだ上で、日本という国を考え、いつか必ず訪れるチャンスをつかみ取ってくれたら、先輩としてこんなうれしいことはないと考えました。

 言葉、環境、伝統を跳び越える力を
 和田 世界的企業を育て上げ、海外での実績も豊富な佐野さんですが、最後に、企業経営 における「グローバル」について、どうお考えですか?
 佐野 今振り返ると子会社が親会社にはっきりと「NO」をいうことが「グローバル」の始まりだったかもしれません。当時、日本で販売を開始するにあたり、米国オラクルの会長であるラリー・エリソンは「代理店」を通して販売することに反対しました。
 私は日本には日本のやり方があるとして「NO」を突き付け、結果、代理店を通じた「日本方式」により業績を圧倒的に向上させました。「グローバル」という考え方は、各国々の風習や文化の違いなどをお互いに理解した上で初めて成り立つものです。そして10年後、日本オラクルは東証一部上場を果たしましたが、それは名実共に日本企業になった証しでした。「グローバル」はあらゆる垣根を跳び越えて、その地の環境の中で独自のビジョンを深め広めていくことだと思います。
 経営者にはもうひとつ必要なことがあります。私が2000年にドラッカーとお会いした際「自分の能力を公共や社会的弱者のために使うという使命感を持った人間」がりーダーになるべきだと語り熱い握手をしてくれました。さらに私の持論を付け加えるなら、その企業で誰よりも、一番クリエイティブでなければならないと思います。
 和田 本学は2013年8月8日に「№1グローカル大学宣言」を行いました。グローバル時代における地域(北海道)の教育研究拠点として、グローバルな視野のもとで、ローカルな視点から考え行動できを能力の育成を目指すことを「宣言」として発信したのですが、佐野さんのおっしゃる通り、クリエイティブな感覚と行動はまさしく「グローカル」な人材育成に最も必要なファクターだと思います。
 佐野 力(さの・ちから) 
 1941年タ張郡栗山町生まれ。1963年小樽商科大学卒業後、日本IBM札幌営業所入社。米IBM(ニューヨーク)出向、中国(北京)事業開発部長、西部営業本部長などを歴任。1990年IBM退社、日本オラクル社長就任。社員5人でスタートし、その後業績を急伸させ10年目で売上657億円、社員1421人に。 2000年東証一部上場。会長就任後60歳で経営を退く。
 2001年千葉県我孫子市に白樺文学館を自費で設立、館長に就任。また、母校の先輩である小林多喜二の研究者としても知られ、白樺文学館に小林多喜ニライブラリーを併設。後に日本の若年労働者のワーキング・プア問題が重なり「蟹工船」ブームの火付け役となる。
 (以上、北海道新聞より引用)

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 高校生の時に、
 短波放送でCNNを聴き、
 英語を勉強なさった佐野社長です。
 ラジオを買ったために修学旅行に行けなかった。
 その佐野力さんが、
 日本を代表する資産家になり、
 母校のために留学奨励金を創設されました。
 すごいことだと思います。
 北海道が生んだ日本の社長です。
20150726

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