昔の記憶
親父の人生に学ぶ①
私の父にお悔やみのお言葉をいただきありがとうございました。
いい人生だったと思います。
大正15年生まれの男性は、
第二次世界大戦でたくさんの方が命をなくしました。
うちの親父は徴兵されるのが嫌で、
札幌工業高校木材工芸科から、
東北薬学専門学校に進学しました。
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戦争が無ければ、
家具職人にでもなっていたのでしょうか?
札幌工業高校の卒業制作では、
茶箪笥ちゃだんす(今の食器棚)を制作したそうです。
私が子供の頃には、
家に親父が作ったという茶箪笥がありました。
薬剤師を選んだのは、
父親の姉が薬剤師になったことも影響していると思います。
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私が医師になったのは、
小さい頃から周囲にお医者さんの家族が多かったこと、
父親が病院勤務をしていたことも影響しています。
でも、
小さい頃の私は注射が大嫌い。
血を見るのはこわく、
死とか、
お墓とかは、
背筋がぞっとしていました。
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それが今では、
毎日注射をして、
毎日血を見て、
親父の火葬場では、
折れた大腿骨の部位や、
骨折の固定に使った金属を親戚に説明しました。
子供の頃からは想像もできませんでした。
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親父の90年の人生は、
♡いい人生♡だったと思います。
薬剤師は定年を過ぎてからもやっていました。
私の記憶が正しければ、
80歳を過ぎてからも、
調剤薬局のピンチヒッターとして、
北見まで出張していたこともありました。
親父は薬剤師が好きでした。
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下の写真は、
定年後に働かせていただいた病院です。
薬局の本間先生は、
病院の職員から頼りにされていたようです。
昔の人なので、
若い薬剤師さんができないことも、
ひょひょいとやっていたようです。
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内科の先生から、
肝臓に注射する、
無水エタノールを滅菌してほしいと頼まれた。
作ったらたいした喜ばれた(北海道弁でとてもよろこばれたの意)。
私が想像するに、
製品として滅菌された無水エタノールが販売される前のことだと思います。
肝臓癌にエタノールを注射して治療する方法です。
私が学生の頃にはありませんでした。
昔の知恵が生きたのだと思います。
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今年1月に市立札幌病院に入院させていただいた時に、
看護師さんから、
今日の治療薬という本をお借りして、
病室で読んでいたのには驚きました。
眼鏡なしで、
小さな字を読んでいました。
私も親父を見習って、
70歳を過ぎても、
診療を続けたいと思います。
親父がお世話になったみなさま、
ほんとうにありがとうございました。
故人に免じて無断で掲載させていただくことをお許しください