昔の記憶

荻野利彦先生への追悼文 

 荻野利彦先生のことを検索していて
 次の文章を見つけました。
 荻野先生のお人柄をとてもよく表現されています。
 信州大学整形外科教授の加藤博之先生は、
 荻野先生のお弟子さんのお一人です。
 謹んで追悼文を引用させていただきます。
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 追悼文 
 一般社団法人日本手外科学会広報誌
 JSSH NEWS 日手会ニュース
 2016年3月14日 第45号
 故_荻野利彦先生を偲んで
 信州大学整形外科 加藤博之
 2015年5月、日本手外科学会名誉会員の荻野利彦先生が逝去されました。荻野利彦先生は北海道大学医学部助教授、札幌医科大学保健医療学部教授、山形大学医学部整形外科学教室主任教授として、また日本手外科学会の理事、第50 回日本手外科学会学術集会長をお務めになるなど、本学会を長年牽引されて参りました。特に、手の先天異常の分類、手術方法の開発においては世界に大きな足跡を残されました。
 荻野利彦先生は、1971年北海道大学医学部を卒業後直ちに整形外科に入局され、1975年に石井清一先生の率いる上肢班に入られました。当時の上肢班は荻野先生の4年先輩の薄井正道先生、1年後輩に三浪明男先生がおられ、それぞれに精力的に活動を開始されておられたと聞いております。その中で、石井先生より「手の先天異常」の診療、研究を勧められ、「最初は戸惑ったが古今の論文を読んでみると未開拓な分野だから、面白そうだと思って始めたんだよ」と荻野先生から聞いたように覚えております。石井先生の先見の明もさることながら、荻野先生の特筆すべき先進性は、手術手技の開発が主体であった当時の手外科医としては異色の基礎研究の知見を土台とした手外科学を始められた点であります。荻野先生は、実験奇形学の手法を取り入れて、それまで臨床的に推測されていた裂手症と多指症の関連性を鮮やかに証明されました(日整会誌、53:535-543,1979)。さらに一連の研究として、尺側列形成不全、橈側列形成不全、指列誘導障害などの成立過程や分類法へと発展していきました。現在用いられている日本手外科学会の先天異常分類マニュアルは、国際分類に荻野先生の研究成果などで修飾を加えた分類法です。1981年から1年間オーストリアのウイーン大学Millesi教授の下で腕神経叢の外科、ハンブルグのBuck-Gramcko教授に手の先天異常の研修を受けられました。その後の1985年からの10年間に、屈指症、小指外転筋による母指対立再建術、先天性橈尺骨癒合症に対する回旋骨切り術、指延長術、合短指症の分類、日本の手先天異常の統計など、ご自身の研究成果を欧米雑誌に毎年数編発表されました。 
 私は北大整形外科医員、助手として1985年-1991年に、荻野先生の先天異常外来、手術を手伝わせてもらう機会に恵まれました。加えて橈側列形成障害の成因に関する学位研究、米国留学もお世話を頂きました。私の30歳代は、荻野先生と一緒にいる時間の方が家族といる時間より長かったかもしれません。同時に私の家族も、荻野先生の奥様やご家族に大変にお世話になりました。
 荻野先生の診療や学問への情熱は人一倍であり、研究や診療ではわずかのごまかしも厳しく指摘されました。一方で、宴席では陽気にお酒を嗜まれ、オフタイムでは常に笑顔を絶やさず、ユーモアがありました。スキーが好きで、“3金会”と称して毎年3月第1週金曜日に札幌近郊のスキー宿に国内外の手外科医をお招きし、昼はスキー、夜は勉強会を通じて、交友を広められました。また、先天異常のご家族や患者さんへの診療、対応は大変に丁寧で、先天異常父母の会という患者支援団体の会員になられ、同会での講演やキャンプに参加されるなど社会への啓蒙活動もされておられました。
 1990年から札幌医科大学保健医療学部教授として異動され、さらに1996 年からは山形大学医学部整形外科主任教授となられる中で、国際手の先天異常研究会の創立会員、米国と英国手外科学会会員、英文雑誌の編集と査読などを通じて、海外の多くの手外科医の友人を作られ、“Toshi”と呼ばれ親しまれました。愛妻家で、海外での学会発表、講演会にはいつも奥様とご一緒でした。第50回日本手外科学会学術集会を開催された際には、山形に23人もの海外の著名な手外科医が集まり、50回記念大会が大いに盛り上がりました。この度の突然のご訃報に際して、米国手外科学会、韓国手外科学会をはじめ海外においても追悼文や黙祷が捧げられたと聞いております。
 荻野先生は実直な臨床家、曲がったことが嫌いな教育者でした。その真っ直ぐな性格ゆえにしばしば上司と正論で渡り合うこともあったように思いますが、一方ではその気骨ゆえに北大、札幌医大、山形大学とどこに行かれても教室員、患者、メデイカルスタッフからは篤い信頼を得ていました。2011 年に山形大学を惜しまれて退職された後は、札幌市内の病院で手の先天異常患者をマイペースで診療され、手術の教えを請う医師には大学の学閥に関係なく指導されていたと聞いております。
 2015年の日本手外科学会学術集会にはお元気なお姿でございましたが、その1月後の急逝ということで、奥様、ご家族の方々はもとより荻野先生にとりましても大変に無念と思います。荻野利彦先生のこれまでの手外科学と本学会への多大な貢献に改めて感謝申し上げますと共に、荻野先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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 私の知り合いの息子さんが、
 加藤先生に腕を手術していただきました。
 北大整形外科に加藤先生がいらした時です。
 その後、加藤先生は信州大学整形外科教授にご就任されました。
 加藤先生が追悼文に書かれた通り、
 荻野先生は、
 実直な臨床家、
 曲がったことが嫌いな教育者でした。
 その真っ直ぐな性格ゆえに
 しばしば上司と正論で渡り合うこともあったように思います

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 山形大学の事件
 形成外科医としてとても残念な事件でした。
 患者さんは今でも悩んでいらっしゃると思います
 荻野先生は、
 山形大学を退職後も、
 手の患者さんを
 やさしく
 しっかり
 診療していらっしゃいました。
 先生のご冥福を心からお祈りしています。

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