昔の記憶
地下歩行空間
平成29年3月13日、北海道新聞朝刊、卓上四季です。
地下歩行空間
多くの人々が行き交っていたのは確かだから、ざわめきはあったに違いない。当時の新聞によると、にぎわいは終日続き、特産品のワゴン販売を楽しむ人も多かったそうだ。
▼ところが、なぜかそうした記憶は残っていない。どこか現実感を欠いたような静けさに包まれていたという印象が、いまも拭えない。
▼札幌の中心部、JR札幌駅前地区と大通地区を結ぶ地下歩行空間が開通したのは、 東日本大震災 発生翌日の2011年3月12日である。当然ながら、開通記念行事は中止された。そのせいもあったのだろう。真新しい地下道と、報道で伝えられる被災地の惨状のギャップが、頭の中で埋められなかった。
▼開通からきのうで6年になった。地下歩行空間は札幌市民にすっかり定着。地下街と合わせ、札幌駅前から ススキノ 地区まで雪や雨風、交差点の赤信号に煩わされることなく歩けるのは快適である。各種イベントの開催も増えた。
▼それでも、開通が3月12日だったからこそ、この地下空間の便利さを享受しつつ、ときには震災に思いを致したい。「3・11」が原発を含めた現代の「安全神話」が崩れ去った日だとすれば、「3・12」は新たな時代へと歩み出した最初の日―と考えることもできるのではないか。
▼この場所で10、11の両日、「7年目の3・11」と題した震災の体験を語り継ぐイベントがあった。新たな時代への歩みは続いていく。2017・3・13
(以上、北海道新聞より引用)
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私の2011年3月11日の院長日記は、
札幌駅前通2011年3月
翌日に開通予定の地下歩行空間のことを書きました。
下の写真は当日の朝に撮ったものです。
まさか原発が爆発するとは、
考えてもみませんでした。
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この地下通路は、
2004年(平成16年)に計画されました。
ちょうど札幌美容形成外科が開院した年です。
こんなところに、
入口ができるなんて考えもしませんでした。
2009年(平成21年)に完成予定でしたが、
遅れて…
2011年(平成23年)3月12日に開通となりました。
感慨深いものがあります。
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その6年後に立退きで裁判になるとは、
考えてもみませんでした。
人生いろいろなことがあります。
今は裁判所が選任した不動産鑑定士さんが、
立退料を算定してくれています。
4月には雪印パーラーが移転します。
裁判の判決が出るのはまだ先です。
札幌美容形成外科は移転先がないので、
この場所で診療を続けます。