昔の記憶
激動の20年
今日は休診日です。
札幌は晴れのいい天気です。
気候はすっかり秋です。
半袖はもう無理です。
20年前の埋没法で、
20年前を思い出してみました。
私は43歳でJA帯広厚生病院形成外科主任部長でした。
■ ■
私が美容外科医を志したのが、
1997年(平成9年)でした。
大学病院と総合病院の
形成外科に勤務していても、
美容外科的な手術は、
ワキガの手術程度でした。
それも多くて月に数件。
二重埋没法なんてゼロ件、
眼瞼下垂症手術も多くありませんでした。
■ ■
1997年11月17日に、
拓銀(北海道拓殖銀行)が破綻しました。
その時、私は43歳でした。
下の子どもが、
帯広市立開西小学校6年生でした。
サッカーと魚釣りが大好きな小学生でした。
北海道経済にとって、
拓銀破綻は大変大きな影響がありました。
■ ■
私と同年代の人は、
43歳で拓銀が破綻し、
転職を余儀なくされた人もいます。
たくぎんという言葉を、
知らない世代も増えています。
20年も経つと、
世の中が変わります。
私の20年も激動の人生でした。
■ ■
美容外科医になって、
脂肪吸引や豊胸手術をしたこともありましたが、
やはり、
私は美容外科より形成外科が好きなんだと思います。
自分の手で手術をして、
自分の手で縫って、
形をつくる手術が好きです。
元気なうちはがんばって続けます。
帯広でお借りした家
1995年4月16日
1995年4月16日
札幌中央形成外科副院長時代
武藤靖夫先生撮影
武藤靖夫先生撮影