医学講座

高須克弥先生、がんは夢の大きい病気

 今日は2025年10月14日(火)です。
 寒いです。
 今朝の最低気温は5℃でした。
 家でもストーブをつけています。
 昨日のYahoo!ニュースに、
 私が尊敬する高須克弥先生が掲載されていました。
 高須克弥氏 がんは夢の大きい病気」 6年ぶり著書発売生きているうちに出せて良かった
 全身がんで闘病中の美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長(80)が10日、都内で6年ぶりの著書「高須の遺言」(講談社)の発売記念会見を行い「生きているうちに出せて良かった」と出版を喜んだ。売り上げは台湾の地震被災者に全額寄付する。
 体調について聞かれると「今の体調は最悪です。凄い頻尿ですし、体はだるい。昨日も眠れなくて睡眠薬を2時間置きに飲みました」と説明。一方で「突然死と違って、がんは死ぬことが計画できて、終活もできる。いろいろなことができる上に大事にされる。楽しい余生が送れる。夢の大きい病気です」と持論を語った。
 高須氏は14年に尿管がんとなり、18年には全身に転移を公表。今年7月には大量の血尿で緊急手術を受けたことを明かしていた。「実際の遺言状は10年以上前に書いてあります。すぐに死ぬつもりでした」とも語った。会場には漫画家でパートナーの西原理恵子氏(60)も駆けつけ、会見終盤には2人で写真撮影に応じた。
 会場に登場したパートナーの西原理恵子氏と肩を寄せる高須克弥氏(スポーツニッポン新聞社)

(以上、Yahoo!ニュース、スポーツニッポン新聞社より引用)

      ■         ■
 高須克弥先生のことをずっと心配しています。
 最近は学会でお会いすることも少なくなりました。
 今の体調は最悪です。
 体はだるい
 昨日も眠れなくて睡眠薬を2時間置きに飲みました。

 こんな状態なのに笑顔で会見をなさるのがすごいです。
 高須先生はたくさんのがん患者さんに元気をくださっています。
      ■         ■
 突然死と違って、
 がんは死ぬことが計画できて、
 終活もできる。
 いろいろなことができる上に大事にされる。
 楽しい余生が送れる。
 夢の大きい病気です。

 こんな発想ができるのが高須先生です。
      ■         ■
 もっともっとがんばって長生きしていただきたいです。
 そのうち夢の新薬ができて、
 増えていた悪い細胞がいなくなると思いたいです。
 2014年に尿管がんとなり、
 2018年には全身に転移、
 どんなに辛くても元気に生きていらっしゃる高須克弥先生が素敵です。
 もっともっと長生きしていただきたいです。

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次の総理は?

 今日は2025年10月13日(月)スポーツの日です。
 自民党新総裁_高市早苗が、
 日本初の女性内閣総理大臣になれるのか?
 明日以降に何かが起こるようです。
 今日のYahoo!ニュースです。
 次の総理は? 立憲が国民&維新に党首会談呼びかけへ玉木氏今こそ立憲変わるべき
 女性初の自民党総裁となった高市氏、ほぼ座りかけていた総理大臣のイスがわずか数日で、少しわからなくなってきました。国民民主党の玉木代表も総理候補として注目を浴びはじめる中、立憲民主党の安住幹事長が、「あす国民と維新に党首会談を呼びかける」と番組の取材に答えました。
立憲月曜に国民&維新に党首会談呼びかけ
 (テレビ朝日千々岩森生記者)「幹事長、よろしくお願いします」
 (立憲民主党安住淳幹事長)「よろしくお願いします」
 総理大臣指名選挙に向け“野党候補の一本化”を目指している立憲民主党の安住幹事長。
 12日午後、番組の単独インタビューにこう明かしました。
 (立憲民主党安住淳幹事長)「週明けに、正式に、初めて申し上げますけど、日本維新の会と国民民主党に、党首会談を呼びかけたいと思います。首班指名に向けて、基本政策を含めて、しっかりとした話し合いをさせていただくということで、これはもう党首会談をぜひ呼びかけるので、ご参加願って、ご懸念があれば言っていただければと思っています」
 Q.3党で?
 「3党です」
 Q.立憲・国民・維新?
 「この3党で本当にまず塊が作れれば、今の状況だと、当選確率かなり高いんですね」
 安住幹事長は9日、総理候補について「野田にはこだわりません」「玉木代表も有力候補と考えます」と述べています。
 公明党の連立離脱によって、仮に野党3党がまとまれば、自民党を議席数で上回り政権交代の可能性が高まります。
■“総理候補玉木氏意中の相手は?
 (テレビ朝日千々岩森生記者)「玉木さんですね、玉木さんが来られました、おはようございます」
 “次期総理”として名前があがる国民民主党の玉木代表。
 (国民民主党玉木雄一郎代表)「まぁ何十年ぶりの政局ですよ」
 (テレビ朝日千々岩森生記者)「本当ですよね」
 Q.玉木さん(初当選)は2009年から?
 「2009年。そうですね」
 Q.そこから見ると相当大きな政局ですよね
 「あれの時(2009年の政権交代)に匹敵するっていうか、かつて、モデルのない政局ですよね」
 野党がひとつにまとまることはできるのでしょうか?
 (テレビ朝日千々岩森生記者)「立憲・安住幹事長は玉木さんと、つまり国民民主党とも組んでもいいんだと、(総理指名選挙で)玉木さんと書いてもいいんだという趣旨の発信をされました」
 (国民民主党玉木雄一郎代表)「これまでも言ってきていますけど、内閣総理大臣を務める覚悟はあります。それは当然あります。ただだからこそね、総理大臣というのはこの国に起こる全てのことに責任を負うという地位ですから、政権を共にするパートナー・政党はですね、やはり安全保障政策などについてはきちんとした一致がないと、いざというとき大変になると思います。(立憲の)安住さんも『期間限定で良いじゃないか』ということをおっしゃるんですけど、物価高騰対策はするけど安全保障はお休みですよっていうことを国家運営は許されないわけですよね。今こそ、私は立憲も変わるべき時じゃないかなと思いますけどね」
■“野党一本化キーマン”「喜んで協議
 これに対し、立憲・安住幹事長は…
 (テレビ朝日千々岩森生記者)「2つ、エネルギーと安全保障、ここが一致できないと言っている。これは幹事長からすると?」
 (立憲民主党安住淳幹事長)「もう喜んで協議します。政権運営するのに、そもそも原子力の再稼働を全く否定なんかしてませんから。将来的にはゼロを目指そうっていうのはありますよ、理念としては。だけど今のね、こんな原子力の再稼働だって、私はそれはちゃんと条件満たしてれば容認してるんですから」
 「平和安全法制については、一部容認した集団的自衛権についてどうするかっていうのは議論はあります。これはだって、私たちは公明党と全く多分同じスタンスなんですよ。公明党も全く同じ。これでも政権運営できたでしょ。だからそういう点じゃね、1つ2つの政策取り上げて、一致できないなんて言ってるうちは、実はまだ覚悟はないってことなんですね」
 Q.それは玉木さんのことを言っている?
 (立憲民主党安住淳幹事長)「いやいや。まあ、誰とは言わなくて一般論ですよ。ただ、かなり核心に近いですね、この論理は。実は首班指名選挙って、1票でも多く勝った人が総理になるんですよ。本当になりたい議員は、あの政策が違うからお前らと一緒にやれないなって言うわけがないんだ。だからそういう意味では、執念と情熱で、みんな総理大臣を目指してくるんですよ。その本物の人しか担がないです、私は」
■“総理候補玉木氏維新と良好?
 きのう11日、万博会場で講演を行っていた玉木代表。日本維新の会との関係は良好なようです。
 (国民民主党玉木雄一郎代表)「さっき吉村さんに電話して、『吉村さんいる?』って言ったら『今日はいないんだよ』って。吉村さんと会談したってなったら、それがニュースだからね」
 (テレビ朝日千々岩森生記者)「そうですね、小泉さんと吉村さんの話はよく出ますけど、玉木さんも?」
 「私もね」
 玉木代表は万博会場で「たまたま会った」という維新の藤田共同代表とも記念撮影しています。
 立憲民主党による野党一本化の提案について維新は…
 (日本維新の会藤田文武共同代表)「他党の代表でも良いから一本化したいということはかなり党内向けにもリスクを負う話だし、勇気を持ってのご発言、それぐらいの執念っていうのがあられるんだろうというふうに思いますから、私たちは真摯に向き合いたいとは思います」
■“総理候補”玉木氏自公とは親和性
 一方、玉木代表は、野党ではなく「自民党と連立」を組む可能性についても…
 (テレビ朝日千々岩森生記者)「(国民民主は)自民党、例えば公明党というのは親和性があるように外からは見える」
 (国民民主党玉木雄一郎代表)「その意味ではね、正直申し上げると、安全保障やエネルギー政策はむしろ現与党の方が近いですよね」
 仮に、自民党と国民民主党が連立すれば、この2党が推す候補が総理大臣になる可能性が出てきます。
 (テレビ朝日千々岩森生記者)「高市自民党の方から、いまわざと財務大臣のポストを開けているんだというような言い方もちょっと聞こえてくるんですけども」
 (国民民主党玉木雄一郎代表)「決まらないだけでしょう。そもそも組閣できるのかっていう、まず前段階にいますよね。今までは『高市総裁=高市内閣』だったんですけど、高市総裁だけど高市内閣じゃないかもしれないっていう可能性が出てきているからこそ、そこはちょっと慎重なんじゃないですか」
連立離脱の公明数合わせに疑問
 (公明党斉藤鉄夫代表)「首班指名で高市早苗と書くことはできない」
 自民党との連立離脱という重大な決断をした公明党。
 総理大臣指名選挙で斉藤代表の名前を書くとしています。
 では、自民党と野党候補の決選投票になった場合、どちらに投票するのでしょうか?
 (公明党西田実仁幹事長)「2回目についても斉藤鉄夫、ないしは白票になるのが基本だということは申していますが、今後いろんな情勢、これからよく鑑みて2回目にどうするかを党内でしっかり結論を出したいと思います」
 (下村彩里アナウンサー)「2回目、決選投票も斉藤代表と書くということは、無効票になるわけですよね。これは無責任ではないかというような見方もできると思いますが、いかがですか?」
 (公明党西田実仁幹事長)「そういうことも、ご批判は当然おありでしょうから、それも含めてよく考えるということだと思います。今の段階で決めているわけではありません」
 一方、野党がまとまる可能性について聞くと、自民党との調整役を担ってきた西田氏は“連立の難しさ”を指摘します。
 (公明党西田実仁幹事長)「お互いに主張していたらまとまりませんので、譲るべきところは、自民党さんも譲ってこられました。我々も譲っていくという。その積み重ねの中で政策が作られていきます。その政策の調整をどうやっていくのかとか、人間関係ももちろんあるし、ツーカーでこうやらないと、やっぱりうまくいかないんですよ。表だけで協議してまとまるものじゃありません。そういう政権交代といっても、受け皿の政権がどういうものかを示して、選挙は少なくともやってませんよね。ですから単なる数だけは、それは上に行くのかもしれませんけども、その中身が伴わないのではないか」
 仮に、与党も野党もまとまらない場合、最も議席数の多い自民党の高市氏が総理大臣となり、単独少数与党の政権が誕生します。
 (自民党高市早苗総裁)「一方的に連立政権からの離脱を伝えられました」
 公明党の連立離脱で総理就任に不透明さが増してきた高市総裁。
 きょう12日、4日ぶりにXに投稿しました。組閣人事について触れる中で…。
 「少数与党ですから、仮に総理になれたら…ですが」
 自民党はあさって両院議員懇談会を開き、高市総裁が公明党離脱の経緯を説明する予定です。
 10月12日『有働Times』より

(以上、Yahoo!ニュース、テレビ朝日NEWSより引用)

      ■         ■
 明日、何が起こるのか?
 私にはまったく予想できません。
 うちの奥さんは、
 野党がまとまるのは無理と言ってます。
 立憲民主党の安住淳幹事長に、
 秘策があるように見えます。
 どうなるのかなぁ~?
 日本の将来を心配しています。

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公明党離脱_決裂の背景

 今日は2025年10月12日(日)です。
 寒いです。
 昨日の公明_連立離脱、自民_政権継続見通せずの続きです。
 今日のYahoo!ニュースです。
 公明が離脱に傾斜もパイプ役だった菅氏が動ける余地なく…「決められない政治打開の責任は自民に
 四半世紀に及ぶ自民、公明両党の連立の歴史に終止符が打たれることになった。決裂の背景を検証し、混迷する政治情勢の行方を探る。
 「今日は、公明党の地方組織の声を聞く場だと思って来ました」
 10日の自公党首会談。自民の高市総裁は公明の斉藤代表と向き合うと、こう切り出した。公明が連立継続の条件として提示していた企業・団体献金の規制強化案への回答をもらう会談と位置づけていた斉藤氏は戸惑いを隠せなかった。
 党内議論を経て、一任を取り付けていた斉藤氏は「回答してもらえないと帰れない。『一切妥協するな』とも言われている」と迫ったが、高市氏は党内での検討時間を確保したいとして協議継続を繰り返し求めた。「私が決めて帰ったら独裁だ」とも訴えた。政治資金に関する規制強化を含む与野党の政治改革議論を「担当でなかったから、よく知らない」と打ち明け、代替案を示すことはなかった。
 会談後、高市氏は動揺を隠せず、記者団に「一方的に離脱を伝えられた」と強調した。高市氏は4日に総裁に選出され、執行部を決定したのは7日だ。高市氏の保守的な政治信条に対する警戒を強めていた公明はこの間、離脱に傾斜していったが、高市氏側が対応策を練る時間は限られていた。
 自公に自由党を加えた自自公連立政権が誕生したのは1999年10月だった。自公の連立は、政治の安定を実現するために先達が築き上げ、維持に心血を注いできたものだ。
 自民は1998年7月の参院選で大敗した。参院で過半数割れが続くなか、小渕内閣の官房長官だった野中広務氏が公明との連立が必要と判断し、協議を主導した。野中氏はまず敵対していた小沢一郎氏が率いる自由党を引き込んで、1999年1月に自自連立政権を発足させ、その後の自自公連立政権につなげた。
 長期政権となった2012年からの安倍内閣では、官房長官だった菅義偉・元首相が主に公明と支持母体の創価学会とのパイプ役を担った。
 今月7日の執行部人事で高市氏は、菅氏を副総裁から外し、対公明強硬派の麻生太郎・元首相を充てた。党首会談を翌日に控えた9日になって、高市氏は菅氏に協力を求めたが、公明と創価学会の幹部内では方向性が固まりつつあり、菅氏が動ける余地はほとんどなかった。離脱決定を聞いた菅氏は周囲に「なんでこんなことになったのか」と悔やんだ。
 高市氏が首相に指名されても、自民単独の少数与党では不安定な政権となる公算が大きい。総裁選で高市氏は「(自公以外の党に)最初の組閣から加わってもらう」と強気だったが、状況は一変した。公明の離脱表明を受け、国民民主党は自民との連立協議にいっそう慎重となったためだ。
 1993年に非自民の細川内閣が発足して以降、この30年余で連立の枠組みを持たない単独政権だったのは、橋本、小渕両内閣の7か月半しかない。
 連立は政治理念・基本政策の一致が前提になるとはいえ、「自公」という安定装置が失われた代償は大きい。「決められない政治」に陥らないための打開策を見いだす責任は、比較第1党の自民党にある。(政治部次長 海谷道隆)

公明党の斉藤代表(左)と会談する自民党の高市総裁(10日午後、国会で)(読売新聞)
(以上、Yahoo!ニュース、読売新聞より引用)

      ■         ■
 下の写真では笑顔の高市早苗総裁が、
 厳しい表情になっていました。
 公明党の主張はよく理解できます。
 それでは…
 日本初の女性内閣総理大臣は、
 このまま消えてしまうのかなぁ~?
 日本はどうなるのかなぁ~?
 野党がまとまるのは無理では?
 …と 71歳の私は心配しています。

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公明_連立離脱、自民_政権継続見通せず

 今日は2025年10月11日(土)です。
 大変なことになりました。
 今日の北海道新聞です。
 公明連立政権離脱へ 協力26年に幕「政治とカネ」で不満 自民、政権継続見通せず 選挙協力は白紙
 <卓上四季>下駄の雪
 ずいぶんうまく言ったものである。<どこまでもついてゆきます下駄(げた)の雪>。二つの歯のすきまに挟まった雪はぎゅっと固まり、ちょっとやそっとでは離れない。公明党を皮肉交じりに指すのによく使われてきた。
▼自民党と連立を組んで四半世紀ほど。平和と福祉を掲げ、右寄りの政策へのブレーキ役を自任する。与党内で対立が生じても最後はいつも矛を収めた。自らの政策を実現する代わりに選挙協力で相手を支える。まさに持ちつ持たれつだった。
▼打算ずくの関係にも耐用年数という限界があったのか。公明がついに連立からの離脱を表明した。政治とカネの問題にけりをつけるどころか、解決を先送りする自民であった。別れを告げた斉藤鉄夫代表はどこかさばさばした表情に見えた。
▼自民は高をくくっていたに違いない。どうせついてくるだろうと。新総裁の高市早苗氏は公明より先に国民民主党に接触したと伝わる。裏金関与の議員も党の要職に据えた。弁解のしようがあるまい。
▼憲政史上初の女性首相が誕生するかもしれない―。見通しは1週間ほどで揺らぐ。「試合の行方が分からなくなってきました」。野球の実況が聞こえてきそう。
▼問題はこれからであろう。参院選以降、国政の混迷が深まる。下駄の雪を返上した公明だけでなく、どの政党も政治を前に進める責任がある。


      ■         ■
 今回も私は予想できませんでした。
 女性初の内閣総理大臣はどうなるのでしょうか?
 誰が総理大臣になるのでしょうか?
 卓上四季に書いてあるように、
 どの政党も政治を前に進める責任がある
 …と思います。
 これから寒くなるのに早くなんとかしてほしいです。

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旭岳初冠雪2025

 今日は2025年10月10日(金)です。
 寒くなりました。
 今日の北海道新聞に旭岳の初冠雪が載っていました。
 白と緑のコントラスト鮮やか 旭岳初冠雪
 【旭岳温泉】平年より14日遅く9日、初冠雪を観測した大雪山系旭岳(2291メートル、東川町)では、うっすらと山肌を覆った新雪の白とハイマツ帯の緑が美しいコントラストを描き、観光客らを魅了した。この日は上富良野町周辺の山々でも初冠雪がみられた。
 大雪山旭岳ロープウェイの姿見駅では、スタッフが午前7時ごろ、山頂付近の積雪を確認。散策を楽しんでいた栃木県の谷口恵子さん(62)は「(山肌は)お砂糖をまぶしたよう。10月に雪が見られるなんて北海道を感じた」と話した。
 同町の温泉宿「凌雲閣」(1280メートル)周辺でも、宿から望める十勝岳連峰の上ホロカメットク山(1920メートル)や富良野岳(1912メートル)の中腹から山頂付近にかけて雪がみられ、女将(おかみ)の青野範子さん(59)は「昨日の夕方は積もっていなかったが、朝5時ごろ白く染まっているのが見えた」。
 旭川地方気象台によると、旭岳の初冠雪が10月にずれ込んだのは5年連続。上空に11月上旬並みの寒気が入り込んだ影響で上川管内は冷え込み、最低気温は上川町1.1度、幌加内町朱鞠内1.4度、旭川市5.2度などとなった。(熊谷洸太 、鹿野海人 、安倍諒)

初冠雪が観測された旭岳(手前)と大雪山系の山々=9日午前10時45分(本社機から、井上浩明撮影)
(以上、北海道新聞電子版より引用)

      ■         ■
 札幌の最低気温は7℃です。
 道新に書かれている「凌雲閣」は、
 旭岳温泉ではなく、
 十勝岳温泉の間違いだと思います。
 毎年10月になると初冠雪があり、
 タイヤ交換の季節になります。
 寒いのは嫌だなぁ~です。

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北川進先生_ノーベル化学賞

 今日は2025年10月9日(木)です。
 北川進先生がノーベル化学賞を受賞されました。
 2025年は坂口志文先生と日本人2人目です。
 日本人として30人目だそうです。
 すごいなぁ~と思いますが、
 受賞内容は私にはわかりません。
 北海道新聞の卓上四季にわかりやすい解説がありました。
      ■         ■
 卓上四季>雑草のように強く
 <疾風に勁草(けいそう)を知る>。激しい風が吹くことで強い草が見分けられるように、苦難のときこそ人の本当の強さがわかる。中国の後漢書(ごかんじょ)にあることばだ。ノーベル化学賞に輝いた北川進さんの座右の銘である。雑草のようにへこたれない研究姿勢と重なる。
▼開発したのは、内部に無数のちいさな空間がある新しい素材だった。例えるなら極小のジャングルジムのイメージだ。狙った物質をためたり分離したり精製したり。無限の応用可能性を秘め、現代の錬金術ともいわれる画期的な発見だった。
▼順風満帆だったわけではない。むしろ光が当たらないことが多かった。当初の発見は学会でなかなか認められない。勤務先で実験の装置に恵まれず、電車で2時間かけて母校の京大に通った時期も。その不便さをバネに考察を深めていった。
▼生理学・医学賞を受ける坂口志文(しもん)さんの軌跡と二重写しにみえる。2人とも自分の信念を曲げずに地道な研究を続けた。海外を含め拠点を移すことをいとわず外の風に身をさらした。それが研究者としてのスケールを大きくしたのであろう。
▼栄冠を得るまでに要した歳月も忘れてはならない。初期の業績からノーベル賞に選ばれるまで20年、30年の蓄積がある。
▼成果を問わず安心して研究できる環境を整える。将来も日本から受賞者を出すためのポイントだろう。

(以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 ノーベル生理学・医学賞の坂口志文先生も、
 ノーベル化学賞の北川進先生も、
 学会でなかなか認められなかったそうです。
 それでも雑草のように強く研究を続けられました。
 卓上四季に書かれているように、
 自分の信念を曲げずに地道な研究を続けたことが、
 今日の受賞につながったと思います。
 おめでとうございます。

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ドングリ不作_ヒグマの出没増

 今日は2025年10月8日(水)です。
 寒くなりました。
 今日の最低気温は14℃、
 朝の通勤時間帯は18℃でした。
 冬の準備をしなくてはと思いました。
 ヒグマも冬眠前に餌を食べるそうです。
 餌のドングリが不作です。
      ■         ■
 今日の北海道新聞の記事です。
 北海道内全域でドングリ不作 「凶作は最多9振興局管内 クマの人里出没増の要因か
 北海道は7日、ヒグマの餌となる木の実4種の生育状況を発表した。全道的に実のなり具合が悪く、ミズナラのドングリは2020年度以降で最多の9振興局管内で最低評価の凶作だった。道は木の実の不作がクマの人里への出没が増えている要因の一つとみている。
 調査は全道の標本木の実のなり具合から豊作、並作、不作、凶作の4段階で評価する。ミズナラのドングリは空知、石狩、後志、胆振、日高、上川、留萌、十勝、オホーツクの9管内が凶作で、5管内が不作。20年度は6管内で凶作だった。
 道南に分布するブナのドングリは後志管内で凶作、檜山・渡島両管内は不作。ヤマブドウとコクワは広範囲で並作または不作だった。
 ヒグマは10月以降に多くの餌を食べて冬眠に備えるため、木の実が不作だと餌を求めて人里に近づく恐れがある。道ヒグマ対策室によると、本年度のヒグマによる人身被害は5件で、うち死亡事案は2件発生している。今年は市街地への出没も相次いでおり、同室は注意を呼びかけている。(吉川幸佑)

(以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 ヒグマはシカを襲って食べるイメージです。
 ドングリやクルミなど木の実を食べるのは、
 クマよりもリスだと思っていました。
 近年の異常気象でドングリも凶作らしいです。
 私は春グマ駆除を止めたのが悪いと思っています。
 昔はこんなにクマが出ませんでした。
 大夕張の山奥でもクマを見たことがありませんでした。
 クマの駆除をしっかりしてほしいです。

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坂口志文先生_ノーベル生理学・医学賞

 今日は2025年10月7日(火)です。
 寒いです。
 道新によると道内17地点で今季初の「冬日」、
 稚内は氷点下2度だそうです。
 今朝の札幌は最低気温が7℃でした。
 寒暖差が激しすぎます。
      ■         ■
 坂口志文先生(74)がノーベル生理学・医学賞を受賞されました。
 おめでとうございます。
 今日の北海道新聞です。
 卓上四季>坂口志文さんの「運鈍根」
 少年は琵琶湖に近い自然豊かな土地でのびのび育った。やがて進んだ京大医学部で免疫というテーマに興味を持つ。異物から体を守る仕組みなのに自分を攻撃することがある。自分と他者をどう区別しているのか? 坂口志文(しもん)さんの出発点となる哲学的な問いだった。
▼リウマチなどの自己免疫疾患の研究に取り組み、免疫のブレーキ役となる細胞が存在することを突き止める。がんをはじめ、さまざまな病気の治療に役立つと期待される大発見だった。
▼最初は学会の主流から異端視され、研究資金が限られた。自らマウスの世話をした時期もあったが、自分の信じる道を歩んだ。学会での地位を確立した論文の発表から30年。ついにノーベル生理学・医学賞に輝いた。
▼うどんのようにずぶとい神経を持つ―。粘り強く考え続ける自らの姿勢をユーモアたっぷりに分析する。大切にしているのは「運・鈍・根」の精神。幸運と愚直と根気があってこそ困難も乗り越えられる。その思いが研究人生を支えてきた。
▼「興味のあることを大切にすると、新しいものが見えてきます。ずっと続けると面白い境地に達する」。子どもたちへのメッセージから謙虚な人柄が伝わった。
▼日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹。少年期の坂口さんは仰ぎ見た。同じように背中を追う未来の科学者がきっと出てくる。

(以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 恥ずかしながら、
 私は坂口志文先生のお名前を知りませんでした。
 免疫学の進歩も知りませんでした。
 受賞内容を読んでもピンときません。
 『すごいなぁ~』と思うだけです。
 卓上四季に書いてあった、
 大切にしているのは「」の精神。
 うどんのようにずぶとい神経を持つ―
 これはよく理解できます。
 坂口志文しもん先生おめでとうございます。

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倉本聰さんの思い「北の国から」

 今日は2025年10月6日(月)です。
 北の国から再放送がはじまります。
 北海道新聞に倉本聰さんの記事が掲載されていました。
 北の国から地上波で初再放送 倉本聰さんが込めた思い今だからこそ
 【富良野】富良野市を舞台にした連続ドラマ「北の国から」全24話が、6日からUHBで再放送される。1981年の放送開始以来、地上波での再放送は初。脚本を手掛けた同市在住の倉本聰さん(90)は「40年ぶりに世の中に帰ってくる。とてもうれしいね」と語った。
 「北の国から」は、東京から故郷の富良野に戻った黒板五郎(故田中邦衛さん)と、東京生まれの子どもの純(吉岡秀隆さん)、蛍(中嶋朋子さん)らの物語。子どもたちが電気も水道もない家に戸惑い、失敗を重ねながらもたくましく成長する姿や、社会問題を織り交ぜたストーリーが視聴者の心をつかんだ。
 フジテレビ系で81年10月~82年3月に全国放送され、続編のドラマスペシャルは2002年まで計8作制作された。
 倉本さんは「『生きる』とか『暮らす』ということを問いただしたかった。(ドラマは今も)全然古びていないと思う」と話した。
■「雪に埋まるシーンは実話」「五郎の最期書きたかった倉本聰さん語る
 【富良野】6日にUHBで始まる連続ドラマ「北の国から」の再放送を前に、富良野市在住の脚本家・倉本聰さん(90)が北海道新聞などの取材に応じ、作品に込めた思いを語った。
 ―初めて地上波で再放送されます。
 「40年ぶりに世の中に帰ってくるわけです。再放送されるなんて思ってもみなかった。とてもうれしいですね」
 ―あらためて「北の国から」で伝えたかったことは。
 「『生きる』とか『暮らす』ということを問いただしたかった。都会で育った子どもたちを主役にして、自然の中でどのような反応を見せるか、その化学反応を知りたかったんです」
 ―舞台を富良野にした理由は。
 「自分が住んでいる場所でなければ書かないでしょう。気温だって分かりません。(1977年に移り住んだ富良野は)当時、冬にマイナス34度まで下がりました。樹液が凍って木が裂けるピーンという音が夜中に響いた。肌で感じて書きました。ドラマのネタなんていくらでもありました。雪に埋まってしまうなんていうシーンは実話ですし」
 ―ロケ地の富良野市には多くのドラマファンが訪れ、道内屈指の観光地となりました。
 「予感はしました。地元の方に相談した上で、(富良野市内の)麓郷(ろくごう)の地名を使ったのですが、放送開始直後から過疎だった麓郷にどんどん車が来るようになり、渋滞が起きていると連絡を受けました」
 ―いま全国でオーバーツーリズムが問題になっています。
 「自然は、人間が過度に入り込むとどうしても汚れます。だから、あまり宣伝したくないけれど、この景色を見てほしいとも思う。そのバランスですね」
 ―「北の国から」の続編を望む声も多いです。
 「一時期、だいぶ考えました。(2021年に亡くなった田中邦衛さんが演じた)五郎が亡くなるドラマを書きたかったし、(中嶋朋子さんが演じた)蛍の子どもの成長も描いてみたかった」
 ― 放送開始から40年以上たった今、再放送される意義をどう感じますか。
 「今のほうが鋭く、意味があるのではないでしょうか。都会が舞台のドラマでは、人と会う時にすぐ電話で『どこそこの喫茶店で会おう』となるでしょう。『北の国から』だと『電話はどこにあるの?』『喫茶店はどこ?』となります。当時の社会や忘れていたものを発見してくださるのも面白いと思います」

 再放送は23日までの平日午後1時50分から2話分(金曜は1話分)ずつ。
 <略歴>くらもと・そう 1935年東京生まれ。東京大学文学部卒。ニッポン放送を経て脚本家・劇作家として独立。77年に富良野市に移住し、私財を投じて「富良野塾」を開設、役者やシナリオライターを育てた。代表作に「北の国から」「優しい時間」「風のガーデン」など。(川上舞)


「北の国から」の再放送に合わせ、作品に込めた思いを語る倉本聰さん=富良野市内で

「北の国から」の一場面。東京から故郷の富良野に戻った黒板五郎(中央・田中邦衛さん)と子どもたち(吉岡秀隆さん、中嶋朋子さん)=UHB提供

「北の国から」の再放送に合わせ、作品に込めた思いを語る倉本聰さん
(以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 71歳の私は、
 90歳の倉本聰さんを尊敬しています。
 すごい方だなぁ~
 道新に書いてあるように、
 44年前のドラマは、
 今も全然古びていません。
 ゴミ問題、環境問題、
 将来を見通したようなドラマです。
 今日からの再放送を楽しみにしています。
 いい記事を書いてくださった北海道新聞社の川上舞さんに感謝いたします。

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北の国から再放送

 今日は2025年10月5日(日)です。
 なっちゅんさんから教えていただきました。
 北の国からの再放送が明日からはじまります。
 北海道はUHB北海道文化放送で2025年10月6日から全24話を
 午後1時50分から2話分(金曜日は1話分)ずつ、
 10月23日まで再放送されます。
      ■         ■
 山形はSAYさくらんぼテレビで、
 月~金 14:50~15:45
 1話ずつ放送予定だそうです。
 さくらんぼさんはお仕事ですね。
 私は奥さんに頼んで、
 録画してもらいました。
 楽しみにしています。
      ■         ■
 田中邦衛たなかくにえさんは、
 2021年3月24日にご逝去されました。
 TVで久しぶりに見たくん(吉岡秀隆さん)は、
 白髪が目立っていました。
 44年前、
 私が人生で一番しあわせだった新婚時代です。
 勤務していた釧路労災病院には形成外科が無くなってしまいました。
 昔を思い出して、
 明日からの再放送を楽しみにしています。
 なっちゅんさん、教えていただきありがとうございました。

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