院長の休日

北大のイチョウ並木2022

 今日は2022年10月29日(土)です。
 すっかり秋です。
 寒いです。
 2022年10月もあと3日です。
 自転車通勤も残り1ヵ月です。
 あっという間に一年が過ぎて行きます。
 今朝の北海道新聞に北大のイチョウ並木が出ていました。
      ■         ■
 光に照らされ、北大イチョウ並木鮮やか 4年ぶり金葉祭、29、30日に
 黄色く染まったイチョウ並木を楽しむ「北大金葉祭(こんようさい)」(実行委主催)が29、30日の両日、札幌市北区北13西5の北大北13条門付近で4年ぶりに開かれる。開幕前の28日夜はライトアップの試験が行われ、夜空に鮮やかな黄色が浮かび上がった。
 同祭は2019年、脅迫メールが届いて中止、20、21年は新型コロナウイルスの影響で動画配信に限定した。試験点灯では北13条門から西へ380メートルの道路に並ぶ約70本のイチョウが、白熱灯や発光ダイオード(LED)照明で照らされた。
 見ごろを迎えており、実行委代表の法学部2年の能登谷結衣さん(19)は「地元の方にようやく直接見てもらえる。イベントもあるので楽しんでほしい」と話している。
 各日午前10時~午後9時は道路を歩行者天国にし、ライトアップは午後6~9時。感染防止のため、夜間の観賞は10分間とする。特に混雑する午後6時から10分間の観賞は整理券が必要で、各日午前10時から配布する。詳しくは公式ツイッター(@konyousai)へ。(光嶋るい)

ライトアップされて鮮やかな黄色が際立つ、北大北13条門付近のイチョウ並木=28日午後6時55分(星野雄飛撮影)
(以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 北大のイチョウ並木の季節になりました。
 北大金葉祭こんようさいが、
 4年ぶりに開催されるのはうれしいです。
 私の記録によると2012年からはじまっています
 私が好きな並木道です。
 北大病院の研修医の時は毎日通ってました。
 病棟チーフの時は毎日6階の形成外科病棟から見ていました
 今日と明日の2日間です。
 お時間があればぜひ行ってみてください。

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医学講座

シカで3人死傷_北海道・標茶町

 今日は2022年10月28日(金)です。
 とても残念が事故が起こりました。
 道東の標茶町しべちゃちょうで、
 シカと衝突した車の事故がありました。
 2人が亡くなり、
 1人が意識不明の重体です。
 ほんとうに残念な事故です。
      ■         ■
 HTB北海道のニュースです。
 事故直後の映像には横たわる1頭のシカが…シカがきっかけか 3人が死傷する事故 北海道・標茶町
 北海道・標茶町の国道で車同士が正面衝突し3人が死傷しました。シカとの衝突が事故のきっかけとみられています。
 フロント部分が大きく壊れた2台の車。事故直後に撮影された映像には1頭のシカが横たわっているのが確認できます。
 10月26日午後4時半すぎ、標茶町の国道272号でワンボックスカーとトラックが正面衝突しました。この事故で3人が病院に運ばれ、ワンボックスカーに乗っていた男性2人が死亡、トラックを運転していた男性は意識不明の重体です。
 事故を目撃した人:「白い乗用車(ワンボックスカー)が対向車線にはみ出してトラックと正面衝突する形、鹿をはねてハンドル切って正面衝突したんだなと思った」
 警察はワンボックスカーがシカと衝突したとみて対向車線にはみ出した経緯なども含め、当時の状況を調べています。

(以上、HTB北海道ニュースより引用)

      ■         ■
 今朝の北海道新聞には、 
 詳しい内容が出ていました。
 ワゴン車がシカと接触か 標茶3人死傷事故
 【標茶】釧路管内標茶町の国道で26日午後、ワゴン車とトラックが衝突して2人が死亡した事故で、ワゴン車がシカとぶつかった後、トラックと正面衝突したとみられることが27日、道警への取材で分かった。弟子屈署は詳しい事故原因を調べている。
 死亡したのは、ワゴン車の釧路市材木町、会社員佐藤弘幸さん(51)と、同乗していた同市鳥取北4、会社員藤田寛一さん(72)。トラックの標茶町中チャンベツ、会社員高橋祐太朗さん(70)も病院に運ばれ、意識不明の重体。
 事故は26日午後4時45分ごろ、標茶町雷別の国道で発生した。ワゴン車の後方を走っていた別の車の運転手から「シカと車が衝突した」と110番があった。
 同署が調べたところ、ワゴン車が走っていた車線の道路脇にシカの死骸があった。シカは雌の成獣。同署はワゴン車が道路上でシカとぶつかった後、対向車線のトラックに衝突したとみている。同署はワゴン車のドライブレコーダーを回収し、現場の状況を調べている。
 亡くなった佐藤さんと藤田さんは同じ会社の同僚で、根室管内中標津町などで交通誘導の業務などを担当しており、事故があった国道を通ることが多かったという。藤田さんの妻(72)は「誰が同じ目に遭ってもおかしくない。シカが増えているのだから、行政は駆除や事故の防止対策を進めてほしい」と声を詰まらせた。

シカが絡んだ交通事故で2人が死亡した現場=27日午後3時20分、標茶町雷別(小川正成撮影)

(以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 標茶しべちゃと読みます。
 釧路市の北に位置します。
 私が釧路労災病院に勤務していた時には、
 よく標茶町から患者さんがいらしてくださいました。
 標茶出身の看護師さんもいらっしゃいました。
 この道は私も通ったことがあります。
 片側一車線です。
      ■         ■
 事故が起きた10月26日午後4時45分は、
 もう暗くなっています。
 鹿が飛び出してきたら避けられません。
 私が運転していても衝突したと思います。
 釧路にはドクターヘリがありますが、
 日没後は飛べません。
 ほんとうに残念です。
 うちの奥さんは鹿を減らすべきだと言っています。
 私もその通りだと思います。
 亡くなられたお二人のご冥福をお祈りいたします。

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医学講座

札幌駅南口_創成川横断デッキ計画

 今日は2022年10月27日(木)です。
 札幌は曇りの一日でした。
 今日の北海道新聞朝刊に、
 新幹線の駅ができる、
 札幌駅南口再開発について載っていました。
 あと6年です。
 それまで元気で働いていたいです。
      ■         ■
 2022年10月27日、北海道新聞朝刊の記事です。
 札幌市、創成川横断デッキ計画 札幌駅南口再開発効果の波及狙う
 札幌市は、2028年度完成予定のJR札幌駅南口の再開発ビル(中央区北5西1、西2)と、中央区北5東1地区を結ぶデッキの整備を計画している。両者の間を流れる創成川の上を東西に横断する歩道とし、2030年度末の北海道新幹線札幌延伸で創出される駅前のにぎわいを創成川東地区に波及させる。
 デッキは、再開発ビルのメインフロアとなる2階から東側に延びる60メートル程度の空中歩廊を想定。屋根や壁の有無、幅員などは未定だが、新幹線の駅舎や車両を見られるようにする。
 再開発ビルは、市やJR北海道などでつくる再開発準備組合が建設を計画。43階建ての複合ビルでオフィスやホテル、商業施設、バスターミナルを備え、4階で新幹線改札口と接続し、2階に商業施設やアトリウム(吹き抜けの交流空間)を配置して人を呼び込む。
 市は創成川東地区をまちづくりの重点エリアと位置づけており、デッキを設けることで駅南側との歩行者の往来を増やす考えだ。
 市によると、北5東1地区は現在、駐車場などに使われており、地権者による再開発は具体化していないという。このため同地区側とデッキの接続点の形などは固まっていない。
 市は昨年10月時点で、屋根や壁のある幅6メートルの横断デッキを整備する場合、事業費を約8億円と試算した。今後、デッキの形態や費用対効果などを精査し、実施の可否を判断する。(工藤雄高)


札幌市が創成川を横断するデッキの整備を計画しているJR札幌駅の東側周辺(本社ヘリから)
(以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 私はよくここを通ります。
 札幌中央郵便局に行くためです。
 横断デッキが計画されている場所は、
 今は橋がないので通れません。
 一番下の道新ヘリから撮った写真のように、
 広い駐車場になっています。
 ここに米マリオットが来る計画になっています。
 あと6年でどんな街ができるのか?
 元気で働いていたいです。

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医学講座

野田佳彦元首相の追悼演説

 今日は2022年10月26日(水)です。
 昨日の国会で、
 野田佳彦元首相の追悼演説が行われました。
 私はYouTubeで視聴しました。
 涙が出ました。
 ほんとうに心がこもった、
 歴史に残る追悼演説でした。
      ■         ■
 Yahoo!ニュースに全文が出ていました。
 野田佳彦元首相の追悼演説
 本院議員、安倍晋三元内閣総理大臣は、去る7月8日、参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。
 享年67歳。あまりにも突然の悲劇でした。
 政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった思い。そして、いつか引退後に昭恵夫人と共に過ごすはずだった穏やかな日々。
 全ては、一瞬にして奪われました。
 政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えている時に、後ろから襲われた無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。
 私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。
 わが国の憲政史には、101代、64人の内閣総理大臣が名を連ねます。先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」をわが身に体したことのある1人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠をささげたい。
 そうした一念の下に、ここに、皆さまのご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。
 安倍晋三さん。あなたは、昭和29年9月、後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子様ご夫妻の次男として、東京都に生まれました。
 父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。
 成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務した後、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。そして、父晋太郎氏の急逝後、平成5年、当時の山口1区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。38歳の青年政治家の誕生であります。
 私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。そこには、フラッシュの閃光(せんこう)を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。
 その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。
 内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任した後、あなたは、平成18年9月、第90代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初。齢52、最年少でした。
 大きな期待を受けて船出した第1次安倍政権でしたが、翌年9月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、1年余りで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。
 しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆さまの温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土(けんど)重来を期します。挫折から学ぶ力とどん底からはい上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。
 かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。あなたは、「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力をもって語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。
 5年の雌伏を経て平成24年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時内閣総理大臣の職にあった私と、以降、国会で対峙(たいじ)することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成24年11月14日の党首討論でした。
 私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それらは、与党と野党第1党の党首同士が、互いの持てる全てを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです。
 安倍さん。あなたは、いつの時も、手ごわい論敵でした。いや、私にとってはかたきのような政敵でした。
 攻守を代えて、第96代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第1委員室でした。
 少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは、一対一の「果たし合い」の場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。
 残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。
 安倍さん。あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたびかぶとを脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。
 それは、忘れもしない、平成24年12月26日のことです。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの任命式に、前総理として立ち会いました。
 同じ党内での引き継ぎであれば談笑が絶えないであろう控室は、勝者と敗者の2人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れさまでした」と明るい声で話しかけてこられたのです。
 「野田さんは安定感がありましたよ」
 「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」
 「自分は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやって来ますよ」
 温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。
 その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。
 残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。
 第1次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさにむち打って、福田康夫新総理の任命式に駆けつけました。わずか1年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。
 あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。
 安倍さん。あなたには、謝らなければならないことがあります。
 それは、平成24年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。
 「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でおなかが痛くなっては駄目だ」
 私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさをやゆすることは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。
 謝罪の機会を持てぬまま時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くおわびを申し上げます。
 私からバトンを引き継いだあなたは、7年8カ月余り、内閣総理大臣の職責を果たし続けました。
 あなたの仕事がどれだけの激務であったか。私には、よく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃を投げつけられます。在任中、真の意味で心休まる時などなかったはずです。
 第1次政権から数え、通算在職日数3188日。延べ196の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は1187回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。
 首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる2人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。
 あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。
 安倍さん。あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、ひそかにお会いしたことがありましたね。平成29年1月20日、通常国会が召集され政府四演説が行われた夜でした。
 前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。
 2人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、1時間余り、語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。
 そして、「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。
 私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、のみ込むべきことはのみ込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。
 あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じ合っていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見いだせるのではないか。
 以来、私はそうした期待をずっと胸に秘めてきました。
 憲政の神様、尾崎咢堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で失いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。
 「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」
 安倍さん。
 あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来にあったはずではなかったのですか。
 再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。
 勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。
 耐え難き寂寞(せきばく)の念だけが胸を締め付けます。
 この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙(くうげき)となってとどまり続けています。
 その上で、申し上げたい。
 長く国家のかじ取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない定め(運命)です。
 安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺(のこ)したものは何だったのか。そうした「問い」だけが、いまだ中ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。
 その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。
 そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。
 国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちと共に言葉の限りを尽くして問い続けたい。
 問い続けなければならないのです。
 なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。
 暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。
 あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでもより良きものへと鍛え続けていくしかないのです。
 最後に、議員各位に訴えます。
 政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。
 暴力にひるまず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。
 民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。
 真摯(しんし)な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱(きょうじん)なものへと育てあげていこうではありませんか。
 こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾に斃(たお)れた故人へ、私たち国会議員がささげられる、何よりの追悼の誠である。
 私はそう信じます。
 この国のために、「重圧」と「孤独」を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三元内閣総理大臣。
 闘い続けた心優しき1人の政治家の御霊(みたま)に、この決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます。
 安倍さん、どうか安らかにお眠りください。

(以上、Yahoo!ニュースより引用)

      ■         ■
 内閣総理大臣は激務で、
 休む暇もなく日本のためにがんばらなくてはなりません。
 野田佳彦元首相の演説は、
 同じ内閣総理大臣経験者でなければできなかったと思います。
 「野田さんは安定感がありましたよ」
 「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」
 「自分は5年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやって来ますよ」
 温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。
 その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。

 私は安倍晋三元首相のお人柄がよくわかりました
 心からご冥福をお祈りいたします。
 心に残る演説をしてくださった野田佳彦元首相に感謝いたします。

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医学講座

国税庁からの偽メール

 今日は2022年10月25日(火)です。
 札幌の朝は快晴です。
 とても寒いです。
 遠くの山に白く雪が積もっています。
 自転車で通勤できるのも、
 あと1ヵ月です。
 私は北国育ちですが寒いのはイヤです。
      ■         ■
 私は毎日PCでメールをチェックしたり、
 院長日記を書いています。
 困るのが迷惑メールです。
 国にデジタル庁ができて、
 健康保険証や運転免許証までマイナカードにするなら、
 まず迷惑メールを撲滅してほしいです。
      ■         ■
 アマゾンえきネットから来るのはまだ仕方がないとしても、
 国税庁からは取り締まってほしいです。
 毎日何通も来ます。
 e-Taxをご利用いただきありがとうございます。
 あなたの納税すべき宝税等きまはまる納めっれていません。以下のリンクをアクャスし 記裁されてる方法で直ちに全額を納税の上、御連絡ください。
 また既に金融機関等で納税された場合も必ずご連絡くださ。期限までに納税の確認できな場合、(国税通則法条)により産を差し押さえます。なお、指定期限にかかわらず、緊急を要する場合等には差押えを執行することがあります。
 納稅確認番号:****8160
 滯納金合計:40000円
 納付期限: 2022/10/25
 最終期限: 2022/10/25(支払期日の延長不可)

      ■         ■
 できそこないのメールです。
 納税すべき宝税等きままる納めっれていません
 以下のリンクをアクャス

 日本人が書いたのでないことは明白です。
 
      ■         ■
 ほんものの税務署からのメールには
 画面に色がついていません。
 税務署からのお知らせ【ダイレクト納付完了に関するお知らせ】
 e-Taxをご利用いただきありがとうございます。
 ダイレクト納付が完了しましたので、ご連絡します。
 詳細については、メッセージボックスに格納しましたので、内容をご確認ください。
 e-Taxの利用可能時間内に、以下の手順で確認することができます。
 ■パソコンから確認する場合
 ●受付システムをご利用の場合
 1「受付システム ログイン」画面からログインします。
 2「メッセージボックス一覧」から該当のお知らせを選択すると、内容が表示されます。

 ↑これがほんもののメールです。
 毎日迷惑メールを削除するだけで大変です
 国税庁とデジタル庁に何とかしてほしいです。

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医学講座

奥さんにありがとう2022

 今日は2022年10月24日(月)です。
 札幌はとても寒いです。
 予想最高気温は9℃、
 最低気温は5℃です。
 山形も予想最高気温は14℃、
 最低気温は5℃です。
 さくらんぼさんは収穫作業で大忙しです。
      ■         ■
 昨日の院長日記、
 今までありがとう 船が沈みよるけんの続きです。
 飛行機が墜落しそうになった時、
 船が沈みそうになった時、
 奥さんにありがとうを言えるかなぁ~?
 …と考えてみました。
 飛行機は圏外になることが多く通話はできないと思います。
      ■         ■
 知床遊覧船の事故でも、
 携帯電話が通じたのはドコモだけでした
 私のはUQモバイルなので通じません。
 ドコモのガラケーも持っていますが、
 電話を転送で受けるためだけです。
 ふだんは使っていません。
 さくらんぼさんのお宅はauだけつながるそうです。
      ■         ■
 問題なのは、
 うちの奥さんが電話に出るかどうかです。
 携帯に電話をしても、
 すぐに出ないことが多いです。
 LINEもなかなか【既読】にならないことがあります。
 私は携帯に出られないことはありますが、
 LINEはなるべくすぐに返信するようにしています。
 飛行機が墜落しそうになったり
 船が沈みそうになったりしたら、
 私ならLINEで『今までありがとう』と送るかも?です。
      ■         ■
 北海道民の一人として、
 とても残念で悲しい事故です。
 私も知床で遊覧船に乗ったことがあります。
 残る6人の方が一日も早く見つかることを願っています。
 二度とこんな事故が起きないようにしてほしいです。
 お亡くなられた方たちのご冥福をお祈りいたします。

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医学講座

今までありがとう 船が沈みよるけん

 今日は2022年10月23日(日)です。
 今朝の北海道新聞朝刊に、
 知床遊覧船の事故が載っています。
 Yahoo!ニュースにも取り上げられています。
 道新を読んで涙がでました。
 船上から奥さんに、
 最後の通話をなさったそうです。
      ■         ■
 観光船カズワン20分で沈没か 1管が通信記録を解析 知床事故から半年
 【斜里】オホーツク管内斜里町の知床半島沖で小型観光船「KAZUⅠ(カズワン)」が沈没した事故で、第1管区海上保安本部(小樽)が、乗客の携帯電話の通信記録などを解析した結果、船の沈み始めから沈没までの時間が20分程度だったとみられることが、捜査関係者への取材で分かった。1管本部は、カズワンが高波を受けて船内に浸水した後、短時間で沈没したとみて調べている。
 事故発生から23日で半年となった。乗客乗員26人のうち、これまでに20人の死亡が確認され、6人が行方不明となっている。
 捜査関係者などによると、乗客の女性が事故当日の4月23日午後1時2、3分ごろ、携帯電話で家族に船上から連絡していたことが分かった。会話の内容から連絡した当初は船体に異常はなかったとみられ、1管本部は午後1時2分以降に船が沈み始めたとみている。
 一方、同1時20分ごろ、乗客の男性が妻に携帯電話で「今までありがとう」「船が沈みよるけん」などと連絡していた。また、1管本部の捜査で、乗客の携帯電話などの電子機器の大半は同1時21分ごろ、通信記録などのデータが途絶えていたことも判明した。このため、1管本部は午後1時21分ごろには船内への浸水が深刻な状況となり、間もなく沈没したとみている。
 このほか、豊田徳幸船長=当時(54)=とみられる男性が同1時18分、乗客の携帯電話を借りて「船首が浸水した」などと118番した地点が、船体が海底に沈んでいた地点と約200メートルしか離れていなかったことも判明した。現場海域では当時、高さ3メートル前後の波があったとみられることから、1管本部は高波を受けて船内に浸水後、カズワンの航行が困難となっていた可能性があるとみて調べている。
 1管本部は、荒天が予想される中で出航を決めた判断に問題があったとみて、カズワンの運航会社「知床遊覧船」の桂田精一社長(59)について、業務上過失致死容疑での立件を視野に捜査を進めている。
腹の据わった父
 カズワンにはゴルフ仲間2人と一緒に来ていた道外の70代男性も乗っていた。「今までありがとう。だいぶ世話になったね」。あの日の午後1時20分ごろ、男性は長年連れ添った妻に電話をかけた。慌てる風ではないが、いつもよりやや早口で突然お礼を言われた妻が「何で冗談言おうと」と返すと、男性は「船が沈みよるけん。だめみたいだ」と告げ、自ら電話を切った。通話時間は20秒ほど。人の声か何かは分からないが、男性の背後はざわついた雰囲気だったという。
 男性は翌日、知床岬近くで見つかり、死亡が確認された。電話のやりとりを教えてくれた長男は「父は亭主関白で腹の据わった人だった。最後は慌てずに感謝を伝えたのだと思う。今まで本当に母がいたからやってこられただろうから、母に電話をかけてくれて良かった」と静かに語った。(長堀笙乃)

(以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 知床遊覧船KAZU Iカズワンの事故は、
 2022年4月23日に起こりました。
 北海道の4月はまだ寒いです
 知床は札幌よりももっと寒いです。
 約20分で沈没するまで、
 ほんとうにつらかったと思います。
 奥さんに『今までありがとう』と電話をなさった男性、
 他の方のご冥福をお祈りいたします。
 二度と起こしてはならない事故です。

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昔の記憶

院長日記16周年

 今日は2022年10月22日(土)です。
 私が院長日記をはじめて16年になりました。
 2006年10月22日からはじめました
 16年間はあっという間でした。
 私は52歳から68歳になりました。
 院長日記を続けられたのは、
 コメントをいただいたおかげです。
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 さくらんぼさん
 なっちゅんさん
 えりーさん
 毎日ほんとうにありがとうございます
 ご声援がなければ続けられませんでした。
 これからも微力ながら続けます。
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 院長日記を書いているおかげで、
 新聞をよく読むようになりました。
 ネットのニュースもよくチェックしています。
 16年間の院長日記で、
 ここにしか残っていないと思われる、
 私が一番気に入っている院長日記のひとつをご紹介します。
 産科医冥利
 2007年10月29日のものです。
      ■         ■
 メディカルトリビューンという医師向けの新聞に、日本産婦人科医会会長、浜松医科大学長の寺尾俊彦先生のエッセイが掲載されていました。
 産科医冥利(みょうり)という心に残る文章です。少し長いですが、一部をご紹介します。
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 今、日本の産科医療の崩壊が始まったと言われている。毎年数千人単位で医師数が増加していくというのに、産婦人科の人気は低迷していて、残念なことに、産婦人科の医師数はむしろ減少傾向にある。
 産科に携わる医師数が少なければ安心・安全な産科医療ができない。その増加が喫緊の課題になっている。
 産科医には昼夜の区別がなく、宿命的とも言える宿日直がある。宿日直明けにも激務が待っている。
 我々はこんな生活を当たり前として受け止めていたが、今の学生には耐えられないことと映るらしい。
      ■         ■
 一旦、産科医になってしまうと、「こんなに楽しい診療科は無い」と異口同音に産科医は言う。私もこれを実感してきた一人である。産科医になって50年近くになるが、年を重ねるにつれ、産科医になって良かったとしみじみ思う。
 赤ちゃん誕生の感激は勿論、その赤ちゃんの成長も楽しみである。
 成長ぶりを写真で知らせていただいたり、その子の結婚式に招いて下さることもある。年賀状には孫ができたとの便りも多くなった。
      ■         ■
 産科医の楽しさ、良さを、私たちはもっと学生に伝える必要があると思っている。そこで、その二、三の例を紹介したい。
 先ず、産科医冥利につきると思ったこと、話は40年前に遡る。当時、私は名古屋大学医学部附属病院に勤務していた。
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 ある日、浜松から患者さんが診察にみえた。幼いころ、脊柱が湾曲する病気にかかり、身長が中学生位の方だった。
 大学で福祉の勉強をしたという、とてもかわいらしい女性である。卒業後、高校教諭と結婚したが、出産はあきらめていた。どの産婦人科医に尋ねても無理とのこと。
 しかし、愛する夫の子がどうしても欲しいと遂に名古屋まで来たという。
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 正直、私も無理かと思った。子宮が大きくなるにつれ腸の行き場がなくなり食事ができない、また、背骨が痛むのではないかと心配した。
 しかし、話をしているうちに、この方の明るさと前向きな姿勢なら、ひょっとしていけるかもしれないと思うようになった。
 結局、浜松から名古屋まで通っていただき、帝王切開で無事、男の子が誕生した。更に数年後には女の子が誕生した。
      ■         ■
 ある日、「私のことが新聞に載っているから見て下さい」との便りをいただいた。
 読売新聞社の「心に残る医療」体験記コンクールで、この方の「大丈夫。頑張りましょう」が厚生大臣賞に選ばれたという記事であった。
 また、数日後、その新聞の一面コラム欄(読売手帳)に、この体験記と私のことが紹介され、最後に「長男は医学部に進んだが、患者思いの医師になることだろう」とあった。
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 連絡したところ、長男は名古屋大学医学部、妹は南山大学の学生であるという。
 この長男が卒業後2年間の研修医期間を終え、私たちの産婦人科教室に入ってくれた。さらにまた、結婚し、私たち夫婦が仲人をさせていただいた。
 最近、この夫婦にも赤ちゃんが誕生したが、将来きっと素晴らしい医師になってくれるに違いない。
(以上、メディカルトリビューンより引用)

      ■         ■
 当直が多い、訴訟が多いと、産婦人科は医学生や臨床研修医から嫌われているようです。
 このお話しを読んで、一人でも多くの産婦人科医が誕生してくれたらと思います。美容外科では絶対に経験できないことです。
 残念なことに寺尾俊彦先生は2012年10月21日にお亡くなりになりました
 寺尾先生の思いを、
 一人でも多くの医学生に伝えられたと思っています。
 私も学生時代に産婦人科医になろうと思ったことがありました。

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医学講座

1ドル=150円台に突入 約32年ぶり

 今日は2022年10月21日(金)です。
 昨日ついに一ドル150円になりました。
 2022年10月20日のYahoo!ニュースです。
 速報1ドル=150円台に突入 約32年ぶりの円安水準
 20日の東京外国為替市場の円相場は、午前中から150円に迫る勢いで円安が進んでいたが、さきほど150円台をつけ32年ぶりの円安ドル高水準を更新した。
 政府・日銀は、9月22日に円買いドル売りの為替介入に踏み切ったが、日本とアメリカの金利差拡大を意識した円売りに歯止めがかからない状況が続いていた。

(以上、Yahoo!ニュース、FNNプライムオンラインより引用)

      ■         ■
 1ドル150円になると言われてましたが
 実際になってしまうと、
 次はいくらまで円安になるのだろう?と思います。
 1ヵ月ちょっとで140円→150円になりました。
 私はこれから寒くなるのに、
 灯油が値上がりすると困るなぁ~
 輸入材料を使った商品は値上げされるだろうなぁ~?
 …と心配しています。
 誰か何とかしてくれないかなぁ~?
 …と思っています。

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医学講座

日医会長、現行保険証廃止で混乱生じる可能性

 今日は2022年10月20日(木)です。
 Yahoo!ニュースの記事です。
 日医会長混乱生じる可能性」 現行保険証廃止検討で
 日本医師会の松本吉郎会長は19日の定例記者会見で、政府が現行の健康保険証を2024年秋ごろをめどに原則廃止し、マイナンバーカードと一体化した「マイナ保険証」に切り替える方向で検討していることに関し、「医療現場でも混乱が生じる可能性がある」と述べた。
 廃止後もカードを取得しない人への対応などを課題に挙げ、「しっかりと手当てをしてもらいたい」と政府に求めた。
 マイナ保険証は、医療機関や薬局に設置された機器で簡単に本人確認ができ、専用サイトで過去に処方された薬の履歴などが閲覧できる。ただ、対応可能な医療機関などは3割程度にとどまっている。
 松本氏は「保険証を廃止するのであれば、国民にしっかり理解してもらうことが重要だ」と強調した。

(以上、Yahoo!ニュース、JIJI.COMより引用)

      ■         ■
 松本吉郎まつもときちろう先生は形成外科医です
 しかも私と同じ1954年生まれです。
 私とは大違いの偉い先生です。
 やはりマイナ保険証を心配しています。
 現場のことをよくご存じだと当然の心配です。
 国はカードを取得しない人への対応など、
 「しっかりと手当てをしてもらいたい」と思います。

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