医学講座

第94回日本美容外科学会

 平成20年5月11日、東京お台場で開催された、 
 第94回日本美容外科学会に参加して来ました。
 今回の学会長は、銀座みゆき通り美容外科の水谷和則先生です。
      ■         ■
 何回か書いていますが、
 日本美容外科学会は、同姓同名の2つの学会があります。
 今回の学会は、十仁学会と呼ばれている学会です。
 今年は、
 今まで参加していなかった形成外科の先生が多数参加していました。
 水谷会長が形成外科の先生に声をかけて、
 有名な先生の教育講演や
 パネルディスカッションを企画して下さったからです。
      ■         ■
 学会を開催するのは、
 大学医局ですら大変なことです。
 開業医が日常診療の合間に、
 企画・交渉をして、準備をするのは、
 肉体的にも精神的にも経済的にも大変です。
 今回の日本美容外科学会は、参加人数も多く、
 韓国や中国からの参加者もありました。
 内容も充実していました。
 水谷和則会長に、心から感謝します。
 本当にご苦労様でした。
      ■         ■
 今回の学会で、
 ノエル銀座クリニックの保志名先生、
 シエル美容クリニックの小田先生など、
 十仁病院OBの先生のご発表をお聞きしました。
 保志名先生が出された、
 十仁病院の古い美容外科のスライドを拝見して、
 改めて十仁学会の歴史を感じました。
      ■         ■
 形成外科系美容外科は、どちらかというと技術や理論を重視。
 十仁病院の美容外科は、顧客ニーズを重視。
 お客様が、切る手術がイヤと言えば、
 多少無理でも、できる限り切らずにやるのが、
 十仁スピリットと感じました。
      ■         ■
 発表内容では、
 日本人を外人の顔にしてしまう、
 ヴェリテクリニック銀座院の、 福田慶三先生。
 顔面骨を見事に切って、
 小顔の美人を作る、
 リッツ美容外科東京院の広比利次先生。
 どちらの手術も私はしておりません。
 見事な仕上りでした。
      ■         ■
 高須クリニックの高須克弥先生は、
 糸を使った顔面若返り手術の歴史を、
 ご自身が海外へ行かれて撮影されたビデオ。
 また、高須先生ご自身が、
 海外の学会で金の糸を入れられたビデオなど、
 ふだんわれわれが見ることができない、
 貴重な映像をみせてくださいました。
      ■         ■
 学会に参加して、他の先生の手術を見たり、
 旧知の先生とお話しするのは楽しいことです。
 韓国の先生ともお話ししました。
 最後の講演で、東海大学病院長を務められた、
 谷野隆三郎先生から
 美容外科にとって必要な医療安全と医事法制について、
 ご自身のご経験を踏まえた講義がありました。
 身の引き締まる思いでお聞きしました。
 また、明日から頑張って診療を続けます。
 水谷先生ありがとうございました!

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医学講座

焼身自殺の悲惨さ

 平成20年5月10日の北海道新聞朝刊で、
 私の日記(ブログ)のことを取り上げていただきました。
 平成20年5月1日に書いた硫化水素自殺についてです。
 記事を書いてくださった、記者さんに感謝します。
 これで少しでも、硫化水素自殺が減ることを願っています。
      ■         ■
 硫化水素自殺よりもっと悲惨なのが…
 焼身自殺です。
 平成19年5月29日の日記に書いてあります。
 もう一度繰り返します。
 焼身自殺は簡単に死ねると思うかもしれません。
 ところが自殺法の中で、
 一番最後まで意識があって苦しむのが焼身自殺です。
      ■         ■
 人間や動物が死ぬ時は心臓や呼吸が止まり、
 脳や臓器に酸素が行かなくなって死にます。
 熱傷を受傷しても簡単に心臓は止まらず、
 意識もあります。
 自分の体が黒焦げになって、
 手も指も炭のようになっているのが見えます。
      ■         ■
 何度もなんども手術を繰り返しても、
 ‘絶対’に元のキレイな皮膚には戻れません。
 指もなくなってしまいます。
 さらに、自殺は自己の重大な過失による外傷なので
 原則的に健康保険は使えません。
 救命救急センターに入院すると、
 入院費が最高で一ヵ月に1,000万円にもなることがあります。
      ■         ■
 私が治療を担当させていただいた患者さんで
 数ヵ月に及ぶ治療費が2,000万円にもなって、
 両親が家を売って支払った症例もありました。
 残念なことに結局その方は亡くなりました。
 医療従事者にとって…
 懸命に治療したけれど命を救えなくて、
 治療費の借金だけが残った症例はとても悲しくつらいものです。
 (ここまでが、昨年の日記の内容です。一部改変)

      ■         ■
 平成20年5月10日、朝日新聞朝刊には、
 自殺で死に切れなかったので、
 人を殺して死刑にしてもらうために…
 殺人を犯したという、記事が掲載されていました。
 自殺者は増えており、避けては通れない問題です。
 自分が死にたいから、他人を殺して死刑にしてもらう…
 考えただけでも、ぞっとします。
      ■         ■
 われわれ医療従事者、
 特に救急医療に携わった者は、
 自殺の悲惨さをよく知っています。
 自殺したら…
 こんなになっちゃうょ!
 こんな屍(シカバネ)になっちゃうょ!
 それでも、そんな死に方を選ぶの?
 という情報が少ない気がします。
      ■         ■
 医学部6年間の教育の中で…
 焼身自殺をしたら、
 こんなになってしまうという授業はありません。
 熱傷(ヤケド)についての講義はありますが、
 どんな自殺法で…
 どんな状態になるか…?
 法医学の講義を真面目に聴いていると、
 少し出てくる程度でしょうか?
 それでも、救命救急センターで行われている…
 広範囲熱傷(重症のヤケド)の実態はわかりません。
      ■         ■
 焼身自殺をすると…
 自分の体が、
 動物の丸焼き(トリとかウシ・ヒツジなど)と同じになります。
 激しく焼けると、顔かたちもわからなくなります。
 一部だけ激しく焼けて、
 両下肢の切断になってしまった方もいらっしゃいました。
 とにかく、身体の損傷が一番激しい死に方の一つです。
      ■         ■
 また、焼身自殺を自宅や建物の中ですると…
 火災になります。
 自殺による火災には、保険がおりません。
 そればかりか、高額の損害賠償請求が待っています。
 つまり、残された家族は高額の治療費の他に
 自殺の巻き添えで火災に遭った人から…
 莫大な金額を請求されます。
 火災で他人を殺してしまったり…
 消火作業に当たった消防士さんが殉職なんてこともあります。
      ■         ■
 それだけ焼身自殺は悲惨です。
 自殺が未遂に終わり…
 全身大ヤケドで生き残ると… 
 生涯そのキズは元には戻せません。
 硫化水素自殺も
 焼身自殺も
 決して楽な死に方ではありません。
 人殺しをして死刑になろうと思っても…
 簡単に死刑にはしてくれません。
 長い裁判が待っています。
 国や厚生労働省は、
 自殺予防をもっと積極的に取り上げて欲しいです。
 マスコミの方も、よろしくお願いいたします。

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院長の休日

日記を続ける理由

 私が夫婦喧嘩までして、
 日記を書き続けるのには理由があります。
 まず、私という一人の人間が生きた証(アカシ)
 として残したいという思いです。
 自分の考えを誰にも邪魔されずに、
 発信することができます。
 また、自分の治療方針とか医療に関する考えも
 ストレートに伝えられます。
 誰にも検閲されず、修正もされません。
      ■         ■
 治療方針について何度も書いているので、
 日記を読んで受診してくださる方は、
 まず、トラブルになることはありません。
 逆に、私のような偏屈オヤジが嫌いな方は受診されません。
 私には、形成外科医としてキズに対するこだわりがあります。
 手術をしたら、キズをキレイに治すために禁煙していただきます。
 こんなウルサイのが嫌いな方は受診されません。
      ■         ■
 たまにしか書かない日記でしたら、適当にウソも書けますが…
 毎日まいにち、ウソは書けません。
 日記に書いてあることは、すべて私の本音です。
 私は自分で手先は器用だと思いますが、
 生き方は不器用です。
 ウソをついて、他人を騙す(ダマス)ことは大嫌いです。
 そんな私の生き方を、日記に書いています。
      ■         ■
 もう一つは、自分自身のために書いています。
 年をとったのでしょう。
 昔のことはよく覚えていますが、
 最近のことはすぐに忘れます。
 あれアレが多くなりました。
 札幌美容形成外科の職員や看護師は…
 アレでわかってくれます。
 ありがたいことです。
 メガネを置き忘れても、すぐに見つけてくれます。
      ■         ■
 日記を読み返すと…
 自分で言ったことや書いたことが記載してあり
 備忘録(ビボウロク)になります。
 いつ何をしていたかもわかります。
 また、書く前には、かなり考えます。
 新聞を読んだり、ネットで調べたりします。
 自分の勉強にもなります。
 最高のボケ防止だと思っています。
      ■         ■
 自分の子どもを含めて、
 今の若い人は新聞を読みません。
 新聞には、
 ネットでは得られないたくさんの情報があります。
 新聞を読まない、若い人に…
 自分が知ってためになったことを、
 伝えたいという思いがあります。
 私が、日記で新聞記事をよく取り上げるのはこのためです。
 若い方に…
 もっと新聞を読んで欲しいという思いがあります。
      ■         ■
 最初は、新聞社にリンクを貼るだけでした。
 ところが、新聞社HPの記事は、
 一部を除いて…
 時間が経つと読めなくなることに気づきました。
 そのため、手入力で新聞記事を拾います。
 手間はかかりますが、
 自分で読み返す時も楽です。
      ■         ■
 新聞の情報ですら、間違っていることがあります。
 特に、新聞の折り込み広告には、
 胡散臭い(ウサンクサイ)広告がたくさんあります。
 北海道新聞に広告が出ていたから…
 TVで宣伝していたから…
 と信用して…
 手術を受けて可哀想な結果になった方が、
 受診されることもあります。
      ■         ■
 同業者の嫌がらせと思われる…
 仕打ちを受けることもあります。
 私は、何をされても…
 一人の医師として許せないことは摘発し続けます。
 それも、この日記の一つの目的です。
 私が好きなのは、
 この道一筋何十年という、頑固オヤジです。
 偏屈な頑固オヤジの日記を今日も読んでいただき、
 ありがとうございました。

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院長の休日

デュオ・リサイタル

 今日は札幌コンサートホールKitaraに行ってきました。
 デュオ・リサイタル
 松本佳奈子&松本瑠衣子
 2008年5月8日(木)
 7:00PM開演
      ■         ■
 松本佳奈子 ヴァイオリン
 1981年 札幌生まれ。4歳よりヴァイオリンを始める。
 桐朋学園大学音楽学部を経て
 2007年3月ドイツのロストック音楽大学を卒業。
 現在、兵庫芸術文化センター管弦楽団団員
 (ヴァイオリン フォアシュピーラー)として在籍。
      ■         ■
 松本瑠衣子 チェロ
 1986年 札幌生まれ。3歳よりヴァイオリンを始める。
 桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコースを経て
 現在、ベルリン音楽大学“ハンスアイスラー”にて留学中。 
 このお二人は姉妹です。
      ■         ■
 私はクラシックファンではありません。
 ヴァイオリンもチェロもめったに聴きません。
 普段は、葉加瀬太郎さんとか…
 アンドレギャニオンとか…
 ヒーリング、または
 癒し系の音楽を好んで聴いています。
      ■         ■
 この松本姉妹のリサイタルに行ったのは、
 姉妹のお父さんが、
 札幌スキンケアクリニックの
 松本敏明先生だからです。
 平成20年4月11日の日記に書いたように、
 松本先生は私の札幌医大の先輩であり、
 北大形成外科の先輩です。
      ■         ■
 私が、北大形成外科に入局したのも、
 松本敏明先生にお電話をいただいたからです。
 2008年1月5日の日記に書いた、新年家族会の写真で、
 前から3列目、左から4人目の
 お母さんに抱かれた子どもが、松本佳奈子ちゃんです。
 今日は、
 元北大形成外科の先生、奥様、看護婦さんが、
 たくさんいらしてました。
 ある看護婦さんが、同窓会みたいだと言われてました。
      ■         ■
 私に、注射の仕方やガーゼのたたみ方、
 包帯の巻き方を教えてくださった、
 元北大形成外科外来の看護婦さんもいらしていました。
 とても懐かしい時間でした。
 私は、シュトラウスもブラームスもラヴェルもわかりません。
 松本先生は学生時代から、音楽を趣味にされていました。
 奥様も藤女子大学で、
 音楽関係のクラブに所属なさっていたとお聞きしました。
      ■         ■
 二人のお嬢様が、
 晴れて音楽家になられたのは…
 ご両親からの血筋と教育の賜物です。
 いつも学会で元気のよい松本先生の背中が…
 今日は少し小さく見えました。
      ■         ■
 お二人のお嬢さんが立派になられて…
 感無量の想いで聴いていらっしゃるように見えました。
 私はあらためて、
 北大形成外科という
 とても家庭的な医局で修行ができたことを感謝しました。
 今日は懐かしい先輩にお会いできてとてもよい日でした。
 もちろん仲良く家内と聴きに行きました。
 


 佳奈子さん&瑠衣子さん

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院長の休日

苦労しています

平成20年5月から日記にコメントをいただけるようになりました。
美容の杜にいただいたコメントです。
気で気を病む者さん(平成20年5月5日)
夫婦に温度差が出来たり
背中合わせに成ってしまった時
夫婦は修復の手段として
どんな前向きな行動が安穏により近づけられるのだろうか?
      ■         ■
優しい言葉を選んでみたり
こうすれば喜んでくれるのではなかろうか 等
模索して早10年以上が過ぎて
辛抱と忍耐?の生活が進行形です
世間的には?離婚は留まっていますが
勿論
皆様はこんな苦労はして居ないとお察ししておりますが〔苦笑〕
      ■         ■
さくらんぼさん(平成20年5月6日)
何回もcommentしてすみませんm(_ _)m
先生の日記は美容形成に関しては
もちろん 親切・丁寧に説明されているのですが
私が一番好きなのは 先生の姿が 古いアルバムのように見える 内容です
(Blog内で先生の写真を拝見しただけで お会いした事も電話で声を聞いた事もありません)
      ■         ■
炭鉱町の様子は何か 癒されるような記述で情景が目に浮かびました。
また 遠距離恋愛で奥様を見送る姿は
遠くなる飛行機をいつまでもみている先生の姿が目に浮かび、
と、同時に若かりし頃の熱い思いが思い出され、
そんな気持ちもう 忘れてしまっていたっけ、
なんて 思いました。
ここまではセピア色の白黒写真で目に浮かびました。
      ■         ■
カラーで目に浮かぶ姿は
ホワイトデーの白い恋人を買いに札幌の町を歩く先生の姿です。
先生は 国文科?と間違えるほど 情景が浮かぶ記述で、
それがとても ほのぼのとしていて 大好きです。
これからも 無理しないで 楽しませてくださいね。
      ■         ■
私は平成20年2月4日にも書いたように、よく夫婦喧嘩をします。
喧嘩をしなかったのは、結婚してから2年間程度?
あの頃は、幸せでした…。
今、考えても人生で最良の日々だったように思います。
子供が生まれてからは、よく喧嘩になりました。
他愛もないことが原因です。
開業してからは、
医師としての診療や手術以外で困ることが多く、
よく喧嘩になります。
      ■         ■
この日記も苦労して書いています。
ほぼ毎日、何を書こうか構想を練っています。
新聞もよく読むようになりました。
朝、草稿をPCに下書きします。
内容に不安がある時は、時々職員にチェックしてもらいます。
(女性の目で見てどうだろうか…?など)
夜、自宅でもう一度チェックしてからUPしています。
先日のサーバートラブルのようなアクシデントがあると…
草稿の準備ができないことがあります。
      ■         ■
また、毎日まいにちスラスラと書けるのではありません。
途中まで書いて行き詰まることもよくあります。
そんな時に、嫁さんに横でガタガタされたり…
TVの音量が大きいと、イライラが爆発します。
『ドッカーン』と原子爆弾が落ちたようになります。
      ■         ■
私に八つ当たりしないでよ!
少しはオレのことも考えろよ!
そんなに言うなら、代わりに院長日記書いてよ!
院長婦人の日記なら、みんな見たがってるょ!
私にはそんなことはできません。
できないって言う前にやってみたら…
ボクだって最初から書けた訳じゃない。
最初の日記は短いよ!
      ■         ■
ご期待を裏切るようで…
大変申し訳ございません。
私は手術は丁寧で、診療も手を抜いたりしませんが…
決して良い夫ではありません。
気で気を病む者さんの、
温度差とか背中合わせはよくあります。
これはどこの夫婦でも同じではないでしょうか?
完璧な人間なんていませんょ!
私だって苦労して、努力して生きています。

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院長の休日

こいのぼり

 私が小さい頃、家に鯉のぼりはありませんでした。
 家内もお雛様を持っていなかったそうです。
 今から23年前に、長男が生まれました。
 家内の両親が、こいのぼりを贈ってくれました。
 当時、私は北大形成外科のチーフレジデントをしていました。
 以前にも書いたように…
 長男が生まれた時刻に、
 私は北大病院で、患者様の病理解剖に立ち会っていました。
      ■         ■
 当時住んでいたのは、札幌市北区新琴似のマンションの1階でした。
 3LDKで、家賃が管理費込みで6万円でした。
 北大病院のお給料では、マンションを購入する余裕はありませんでした。
 転勤も多かったので、賃貸マンションをお借りして住んでいました。
 JR新琴似駅からすぐで、
 近くにフレッティーというスーパーもあり便利なところでした。
 私はこのマンションが気に入っていました。
      ■         ■
 家内の両親が贈ってくれた鯉のぼり。
 マンションの1階だったので、ベランダ外側の、
 敷地内に立てました。
 今でしたら、管理規約でダメと言われるかも知れません。
 そこのマンションでは、特にお咎め(オトガメ)もなく、
 鯉のぼりを黙認してくれました。
      ■         ■
 鯉のぼりを上げるのは、家内の役目でした。
 雨の日は上げられません。
 朝、上げて…
 夜、しまいます。
 私は休日程度しか、上げませんでした。
 鯉のぼりは、この上げ下げが結構面倒だと知りました。
      ■         ■
 新琴似から、釧路労災病院へ転勤しました。
 釧路労災病院でも官舎の敷地内に立てた記憶があります。
 ただ、釧路の5月は寒くて、霧も出ました。
 あまり、鯉のぼりの出番がなかった記憶があります。
      ■         ■
 釧路の次は、函館中央病院に一年間勤務しました。
 函館の住宅は、五稜郭公園のお堀の前でした。
 自宅の窓から、
 五稜郭公園の桜が見える最高の場所でした。
 ただ、そこは3階建のアパートだったので、
 鯉のぼりを立てる場所がありませんでした。
      ■         ■
 札幌へ帰って来たのが、平成元年でした。
 私が35歳。
 長男が4歳でした。
 まだ、鯉のぼりを喜ぶ年齢だったので、
 西区山の手に新築した自宅で、
 久しぶりに鯉のぼりを立てました。
 住宅ローンで、家計は火の車でしたが、
 久々に空を泳いで、鯉のぼりも楽しそうでした。
      ■         ■
 ただ、山の手の家は川のそばにあり…
 風が強い場所でした。
 家内いわく、鯉のぼりを上げても…
 ポールに絡まって(カラマッテ)しまい…
 鯉が上手に泳がない。
 山の手には、
 平成元年から平成6年まで住んで、
 帯広厚生病院に転勤となりました。
      ■         ■
 帯広で、鯉のぼりを上げたかどうか…?
 記憶が定かではありません。
 帯広では、西帯広の住宅地に、
 一軒家をお借りして住んでいました。
 とても快適な家でした。
 私の記憶では、最後に鯉のぼりを上げたのは…
 子供が小学生だった、山の手の家だったと思います。
      ■         ■
 さくらんぼさんが、
 昨日の日記でコメントしてくださったように…
 子供が大きくなると、
 鯉のぼりより、
 部活のサッカーや友人との釣りが楽しくなり、
 家で鯉のぼりを上げても喜ばなくなったためでしょう。
 鯉のぼりは…
 男の子が生まれて喜んだ、
 親と祖父母のためにあったのか?
 と考える年齢になりました。

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医学講座

こどもの日

 今日はこどもの日です。
 わが家には、
 もう、こどもと呼べるような、小さな子はいません。
 こどもは交通機関の料金体系を見ても、
 せいぜい小学生まででしょう。
      ■         ■
 こどもの定義は、はっきりしていません。
 小児科は従来は中学生までを診療していました。
 高校生になると、小児科は卒業でした。
 現在、日本小児科学会ではHPに次のように書いています。
 ■■小児科医は子ども達が成人するまで見守ります ■■
 日本小児科学会では、小児科が診療する対象年齢を、
 現在の「中学生まで」から「成人するまで」に引き上げること、
 そして、その運動を全国的に展開することを、
 平成18年4月に決定しました。
 これまで小児科に通院していた15~20歳の方はもちろん、
 これまで小児科に通院していなかった15~20歳の方も、
 どうぞ、気軽に小児科医に御相談下さい。
 小児科医は、積極的に診察して参ります。
      ■         ■
 私たち形成外科医も、こどもの病気を治療します。
 今は入院施設がないので、小児の手術はしていません。
 私が総合病院や大学病院の形成外科医だった時は、
 唇顎口蓋裂などの手術をよくしていました。
 生まれつき口唇が割れている唇裂の手術は、
 私が得意とする分野でした。
 口唇を治すだけではなく、鼻の形を整えたり、
 矯正歯科の先生と歯並びのために骨を移植したりしました。
      ■         ■
 今でも、昔、手術をさせていただいた方をたまに診察しています。
 もう、すっかり大きくなっていて、
 こどもとは言っては失礼な年齢になっています。
 それでも、赤ちゃんの時から診ている
 ○○くん、
 ○○ちゃん、
 は自分の子供のように可愛いものです。
      ■         ■
 私自身も市立札幌病院に勤務していた時に、
 小児科を受診しました。
 おたふくかぜ(正式には流行性耳下腺炎)が流行しました。
 私は、おたふくかぜに罹った記憶があいまいでした。
 小児科の先生に相談したところ、
 ワクチンを接種した方がよいと言われました。
 ワクチンは小児科にしかなく、自費だったので、
 小児科のカルテをつくり、
 小児科でワクチンを注射してもらいました。
      ■         ■
 市立札幌病院では、小児科学会の決定以前から、
 中学生以上の方も小児科で治療していました。
 小児糖尿病や喘息など、
 高校生になったからといって、
 すぐに小児科を卒業できない病気もあります。
 私は、こどもの時から診てくださった先生が
 ‘大人’になってからも診察してくれるのはよいことだと思います。
      ■         ■
 元気なこどもさんばかりではありません。
 病気で苦しんでいるこどももたくさんいます。
 中には、こどもなのに亡くなってしまう、
 とても可哀想な病気もあります。
 立派な先生の子どもさんも、ガンで亡くなってしまいました。
 こどもも親もかわいそうです。
 医療者にできることには限りがあります。
 医学も万能ではありません。
 医学が進歩して、
 不幸な病気が一日も早く根絶されることを願っています。

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医学講座

階段男

 平成20年5月4日、朝日新聞日曜版の記事です。
 元気の秘密
 常に鍛えるそれがプロ
 喜劇役者
 伊東四朗(いとうしろう)さん
      ■         ■ 
 5階までなら、必ず階段を使うように心掛けている。
 1階だけでもエレベーターに乗るのを見ると
 「もったいない」と思う。
 「人に見てもらう仕事をしている。
 鍛えておかなければいけない。
 それがプロだろう」。
 そう語る厳しい表情が一転、ほほ笑みに。
      ■         ■
 「階段男ですね」
 自宅に戻ると、
 都内などの街の様子が映し出されるウォーキングマシンで4~8㌔歩く。
 その後、風呂に入りながら、百人一首などを声に出して覚える。
 覚えるものは大リーグの全球団名だったり、全米の州名だったり。
 その日によって変えている。
      ■         ■
 5、6年前、「脳の細胞は毎日死滅している」
 と聞いたことがきっかけで始めた。
 「脳を休ませちゃだめだと、
 時間があれば台本の脇に暗記したい数字を書き連ねることも。
 「つまらないだろうと言われるけど、そんなことはない。
 仕事のためにやっているんだから。せりふの入りもよくなった」
      ■         ■
 テレビ番組の司会のほか、映画、ドラマでシリアスな役もこなす。
 ただ、あくまでも自らのことは「喜劇役者」と呼ぶ。
 「世の中、普通の生活の中に喜劇的なことがいっぱいある。
 それを見過ごしているだけですからね。
 刑事役を演じていても
 『こう言ったら和むだろう』なんて、
 喜劇の視点で考えたりしている」
 いつでも仕事を活力にしているようだ。
 文・本多昭彦 写真・安藤由華
      ■         ■
 1937年、東京生まれ。
 1962年、三波伸介、戸塚睦夫と
 「てんぶくトリオ」を結成し人気に。
 テレビ番組の司会やコント、
 「おしん」(NHHK)など
 多数のドラマ・映画の役者と、幅広い分野で活躍。
 6月7日公開の
 映画「築地魚河岸三代目」(松原信吾監督)で
 2代目店主役を演じている。
 「伊東四朗一座」を作り、舞台喜劇も続ける。
 (以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 私も平成18年11月6日の日記に書いたように…
 ‘階段男’です。
 きっかけは、健康診断で中性脂肪が正常値の3倍だったことでした。
 内科の友人に相談し、運動をすすめられました。
 当時は今よりもっと働いていました。
 休日もありませんでした。
 もちろんスポーツクラブに行く時間もありませんでした。
      ■         ■
 日常生活の中で、できる運動法を探しました。
 以前にも書いたように…
 整形外科教授の石井清一先生が、
 朝、エレベーターを使わずに…
 1階から10階まで、
 歩いて上がられるのを見てチャレンジしました。
      ■         ■
 私の形成外科医局は13階にありました。
 札幌医大の最上階でした。
 最初は、5階まで上がっただけで…
 息が切れました。
 その後、8階、10階と少しずつ休まずに上がれるようになりました。
 退職する頃には、
 地下一階の外来から13階まで…
 ヒョコヒョコ上がれるようになりました。
      ■         ■
 大学時代には学生実習も担当していました。
 臨床実習に来た学生さんに言いました。
 『エレベーター来ないから、階段で上がろう!』
 『先生、マジっすかぁ?』
 『13階っすよ!』
 勇気ある学生さんが、私に着いてきました。
 全員、8~10階付近で、
 『もう、ダメっす!』
      ■         ■
 私は今でも…
 毎朝、札幌美容形成外科のスノー会舘ビルの階段を上がります。
 6階建ですが、屋上の7階まで階段があります。
 たまに、下の雪印パーラーの店員さんと会います。
 変なおじさんと思われていることだと思います。
 階段のおかげで、中性脂肪は下がったままです。
 これからも、階段を愛用したいと考えています。

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サーバー移転と不具合

 平成20年5月1日から、
 札幌美容形成外科HPのサーバーを移転しました。
 開院時から、NTT関連会社のサーバーを使用しています。
 以前は容量の関係で、
 日記のコメントも入れられませんでした。
      ■         ■
 新しいサーバーは、容量が大幅にUPしたので、
 日記のコメントも入るようになりました。
 サーバーの移転は、簡単な作業ではありませんでした。
 日記で使用しているプログラム。
 セキュリティの設定など、
 私には無理な部分がたくさんありました。
      ■         ■
 今回も、オフィスクロスロードの須崎克之さんにお世話になりました。
 4月上旬から準備をはじめました。
 何回かテストをして、万全の体制で臨みました。
 須崎さんに設定していただいた、プログラムは問題ありませんでした。
 ところが、昨夜からメールの送受信ができなくなりました。
      ■         ■
 NTTの関連会社は連休でお休みです。
 途方に暮れて、自分でいろいろ設定を変更してみました。
 それでもつながりません。
 困りました。
 連休中に病気になったり、ケガをして困るのと一緒です。
 原因はサーバーの基幹ソフトウェアの動作異常でした。
      ■         ■
 こちらからNTTの関連会社に連絡しようにも、
 連絡はできませんでした。
 インターネットは便利ですが、
 サーバーに不具合があると困ります。
 一番、信頼できそうな会社を選んだのですが、
 それでもこの状態です。
      ■         ■
 須崎さんには電話でも、メールでもすぐに連絡がつきました。
 NTTには電話は通じません。
 連休でお休みです。
 HPの工事・障害情報の項に
 お知らせ
 メールサービス動作不安定
 原因
 基幹ソフトウェアの動作異常
 お客さまにはご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ございませんでした。
 現在は復旧しておりますので、お客さまにおかれましても動作のご確認をお願い申し上げます。

 と記載されただけでした。
      ■         ■
 こっちは、昨夜から自分のPCの不具合だと思って…
 何度も、あっちをいじったり、こっちをいじったりして、
 どうしてもダメで須崎さんに電話をしました。
 NTTにもメールをしましたが、返信はなし。
 大企業なんてこんなもんでしょうか?
 札幌美容形成外科は中小企業ですが、
 何かトラブルがあった時には対応できるようにしております。
 でも、その根幹であるメールが使用できないと困ります。
 NTTさん、もっとサービスをよくしてください!

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千の風になって

 平成20年5月2日、北海道新聞朝刊に掲載された、
 千の風になっての特集記事から、一部を引用しました。
 この記事は平成20年4月25日に七飯町文化センターで開催された、
 「ななえ講演会とシンポジウム」の要旨をまとめたものです。
 訳詩・作曲 新井満氏の基調講演要旨
 死は命の再生 風は地球の呼吸
      ■         ■
 なぜ七飯町大沼で暮らすようになったのか。
 二十年前に芥川賞を頂き、
 函館の文学サークルから講演会に招かれました。
 終わって帰ろうとすると、
 主催者が「いい所へ連れていく」。
 車で四十分、そこが大沼でした。
      ■         ■
 森の中の崩れそうな一軒家を紹介され、
 売りに出ているから買いなさいという。
 安くはない買い物です。
 駒ケ岳から飛び降りるつもりで買いました。
 購入を決めた第一の理由は、風景が美しいこと。
 取材や講演で日本中を訪ねた経験から自信を持って言いますが、
 七飯は最高です。
 人工的な騒音がなく、
 訪ねてくる人もいない。
 来るのはキタキツネやタヌキ。
 リスもエサをくれと扉をノックします。
 美しい自然は表現活動を変えました。
      ■         ■
 もう一つの理由は人情です。
 自然は美しいだけでなく残酷です。
 四年前の九月、
 台風18号で別荘の周辺は壊滅状態になりました。
 倒木で道路が寸断され、
 家の外には一歩も出られません。
 三日聞飲まず食わずで絶望のどん底にいると、
 木を切りながら誰かが近づいてくる音がします。
 地元の方がチェーンソーで避難路を切り開いてくれて、
 私と妻、娘二人、犬は辛くも脱出できました。
      ■         ■
 助けてくれたのは七飯でできた友人の画家
 木村訓丈さんたち。
 木村さん以外は初対面です。
 自分たちも大変なのに、
 私を助けてくれた。
 涙があふれ、
 この恩は忘れないと誓いました。
      ■         ■
 その翌月、故郷の新潟で中越地震がありました。
 救援物資はすぐに届きますが、
 何もすることのない一ヵ月すぎが被災者には一番つらい。
 家族会議で、今こそ花だ、
 七飯特産のカーネーションを送ろうと決め、
 千本を送りました。
 被災者の方々は、
 けなげに咲く花の姿に涙したそうです。
      ♪         ♪ 
 「千の風」の話をさせてください。
 故郷に弁護士の友人がいます。
 奥さんと子どもが3人。
 その奥さんが、
 がんの転移で48歳で亡くなりました。
 何と声を掛ければいいのか。
 「ご愁傷さま」はしらじらしい。
 「力を落とすな」は酷です。
      ■         ■
 奥さんの追悼文集で変わった詩を目にしました。
 12行、作者不詳の英文詩です。
 作者は死者に違いないと思いました。
 「元気でいるから泣かないで」
 と死者が生者を慰めている。
 不思議な力があり、
 読む人の魂をぐいぐい揺さぶる。
      ■         ■
 訳してみよう。
 メロディーを付けて歌にしたら、
 友人の家族を少しでも癒やせるのでは、
 と思いました。
 簡単だと思って訳し始めましたが、難航しました。
 最後の最後、詩を叫ぶように朗読しました。
 七年前の夏、
 誰もいない湖畔の森の真ん中で。
 目を閉じてしばらくすると、
 遠くからザーッという音が聞こえました。
 目を開けると、
 風で森全体の木々が揺れているのを見ました。
 そうか、この詩の根幹は風なんだと気付きました。
      ■         ■
 風は至る所にあり、すぐにやむ。
 しばらくすると息を吹き返す。
 風は地球の呼吸なんだ。
 死んだけど本当は死んでない。
 人間以外の姿に生まれ変わった―。
 死と再生の歌だと分かり、
 スラスラと翻訳できました。
      ■         ■
 ギターでメロディーを付け、
 録音したCDを友人に送りました。
 奥さんをしのぶ会で披露されて、
 聴いた人が皆泣いたそうです。
 既に百人以上の歌手がこの曲を歌っています。
 一昨年、秋川雅史さんが紅白歌合戦で歌うと話題になり、
 CDの売り上げは百万枚を突破しました。
 ヒットによる心境の変化をよく聞かれます。
 「すっかりいい人になりました」
 と答えています。
      ■         ■
 それまでは欲深かった。
 地位、名誉、お金。
 この曲を歌うようになって、
 それらがばかばかしく思えるようになりました。
 人間、生まれる時は無一物。
 死んで風になる時、
 そういったものは荷物になるだけです。
               
 七飯という町は十分に魅力的です。
 では、なぜ観光客が減ったのでしょうか。
 魅力的な町が全国に増えたからです。
 どうすれば人の目が向くのでしょう。
 観光客がお金と時間を使って旅に出る動機は「物語」です。
 「千の風」は日本中が知っています。
 「どうやら七飯の大沼でできたらしいぞ」
 「じゃあ行ってみようか」
 となる。
      ■         ■
 大沼のモニュメントは、
 日本では珍しく、
 景観の邪魔にならない「マンホール型」です。
 今日見てきたら、既に観光客でにぎわっていました。
 「千の風」は大沼で生まれましたが、まだ赤ちゃん。
 七飯の皆さんに育ててもらう必要がある。
 丈夫で明るい子どもに育ててほしい。
      ■         ■
 私の母は助産師として何千人もの赤ん坊を取り上げ、
 91歳で亡くなりました。
 その母は自分の中で生きている。
 親から子、
 孫へ命はバトンタッチされるのです。
 命は不滅です。
 心が苦しい時、
 思い出していただきだい。
 大切な人は風や星になり見守ってくれている。
 だから勇気を出して生きていこう、と。
 死ぬ時は誰にも来ます。
 その時には風や星になって
 後に残した人を見守ってあげればいいんです。
 死は命の終わりではなく再生なのです。

 あらい・まん 作家。
 作詞・作曲のほか、写真、環境映像プロデューサーなど多彩に活動する。
 1946年新潟県生まれ。
 上智大法学部卒業。
 1988年「尋ね人の時間」で芥川賞。
 1998年の長野冬季五輪では開・閉会式のイメージ監督を務めた
 (以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 私は、自分のお葬式に、
 千の風になってを流して欲しいと家族に言っています。
 函館中央病院形成外科に勤務していた時、
 よく大沼に行っていました。
 七飯には美味しいイチゴも売っています。
 秋には、美味しいリンゴもできます。
 七飯のリンゴで作ったアップルパイは最高です。
      ■         ■
 この記事を読んで、
 「千の風になって」ができた経緯がわかりました。
 医者も弁護士も、
 家族の死には無力です。
 この「千の風になって」が、
 どれだけ多くの人の心を癒してくれたことでしょうか?
 歌には、医学でも法律でも解決できないことを…
 魔法のように解決してくれる不思議な力があります。

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