昔の記憶

形成外科から美容外科

 私はもともと形成外科を専攻していました。昭和55年に北大形成外科に入局し大浦武彦教授の下で修行を積みました。一番最初に担当させていただいた手術は、子供さんの頭部にある1㎝大の禿頭(ハゲ)の手術でした。上の先生についていただき手術を担当しましたので、手術は無事に成功しました。最初の手術はかなり緊張しました。
 恩師の大浦武彦教授は、形成外科と美容外科は車の両輪のようなもの。形成外科を専攻するからには美容外科も勉強しなければならない。と常におっしゃっていらっしゃいました。
 大浦先生の師匠は日本の形成外科の父と言われた、東京警察病院の大森清一先生でした。大森先生は、形成外科学会の時は必ず一番前の席に座られ、少ししゃがれた声で『警察病院の大森ですが…』とコメントを述べられていました。今でもよく覚えています。
 大森先生は、学会でたびたび札幌へいらしていただいていました。私の先輩が大森先生を千歳空港まで車でお送りした際に『将来君はどうする?』『これからは総合病院の形成外科で勤務医として生きるか、開業するなら美容外科だよ』と言われていたそうです。これが今から25年も前の話しです。当時は美容外科のチェーン店もなく、二重や豊胸の安売り美容外科もありませんでした。大森先生は実に先見の明があったといえます。
 当時の私は美容外科医になるとは夢にも思っていませんでした。北大病院に勤務して、先輩や同僚と楽しく仕事をしていました。ちょうど自分の子供が生まれ、自分の子供と同じ年齢の赤ちゃんの手術を担当させていただき、少しでもキレイに治したいと努力していました。
 私が美容外科に興味を持ったのは、3月2日に書いたコラーゲンの臨床試験の担当を命じられてからでした。教授からは、美容外科は形成外科以上に厳しい結果を求められる。患者様の対応にも十分留意するようにと指導を受けました。当時、担当させていただいたコラーゲンの患者様のことはよく覚えています。私の率直な印象は『こんなにキレイな方なのにどうしてコラーゲンでシワなんかとるの?』でした。

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日本形成外科学会

 今日、北大形成外科の先生から4月の日本形成外科学会の時に同門会をするという案内メールをいただきました。4月11日(水)~13日(金)まで、ホテル日航東京で開催されます。第50回日本形成外科学会学術集会というのが正式名称です。つまり今年で満50歳の誕生日です。私が52歳で形成外科医になってから丸27年です。学会の歴史の半分以上を生きてきたわけです。
 現在の日本形成外科学会理事長は杉原平樹(スギハラツネキ)先生。元北海道大学病院長で私の恩師です。私が札幌医大の最終学年だった頃、北大へ行こうかどうか迷っていました。杉原先生は当時講師で医局長でした。他大学から来た私を歓迎してくれ、あたたかく迎えてくれました。北大形成外科には札幌医大の先輩がすでに2人いらして、そのうちのお一人は私がよく知っていた先生だったので北大へ来ました。その先生が『私でもやっているのだから大丈夫だよ』と言ってくれたので北大に来たようなものです。最初は不安でした。
 北大の恩師や同僚のおかげで形成外科医として最高の教育とトレーニングを受けられたと思います。今、私がこうして札幌美容形成外科をやっていられるのは、北大のおかげです。
 今年の日本形成外科学会は東京慈恵会医科大学形成外科の栗原先生が会長です。こちらのページからは学会のプログラムも見ることができます。学会で発表したからといって必ずしもよい方法とは限りません。変な発表をすると徹底的に追及されます。これが学会の良いところです。中には、『あなたの手術は危険だ!』とまで言われた先生もいます(TVに出演している有名な先生です…)。一般の方にはわかりませんね。学会を通じて全国の先生と親しくなれます。私が自分が手術を受けるのだったらこの先生と決めたのも、学会に参加して発表を拝見し、その先生とお話ししたからです。残念ながら一般の方は参加することができません。4月に学会に参加したらご報告します。

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医学講座

チョコは毒

 唇裂(シンレツ)や口蓋裂(コウガイレツ)の患者様は、上顎骨(ジョウガクコツ)つまり上アゴの骨にも異常があることが多く、歯も曲がって生えたり、欠損したりします。普通の子供さん以上に、歯のケアーが必要になります。北大形成外科では、北大歯学部の予防歯科に赤ちゃんのうちから虫歯の予防とケアーをお願いしていました。
 私自身が小さい頃に受け口で、子供の頃に矯正治療をしました。ただ、札幌から離れてしまったため、矯正を最後まで行えませんでした。今でも、歯並びが悪く、何度歯磨きをしても歯石や歯垢が決まった部位にたまりイヤな思いをしています。自分の子供は小さい頃から歯科に通院し予防歯科の処置をしていただきました。
 子供が小さい頃は『チョコは真っ黒で毒が入っている!』とウソをついて、子供にチョコは食べさせていませんでした。幼稚園に入る頃になると、『お父さん、○○ちゃんはチョコを食べているけれど、何ともないよ』とウソがばれてしまいましたが、虫歯はなく、小学校で褒められていました。
 どこかへ出かける時も、水筒にお茶や水を入れて持ち歩き、ジュースは買いませんでした。私は自分が手術した患者様にも、同じように説明していました。数年前に私が手術を担当させていただいたお嬢様が、18歳になってクリニックへいらしてくださいました。口蓋裂だったのですが、口の中はまったく問題なく、歯もピカピカで一本の虫歯もありませんでした。そのお嬢さんから、小さい頃からお母さんに歯磨きを徹底的に指導されていたと伺い、とても嬉しく思いました。
 チョコやアイス、ケーキは甘くて美味しい食べ物です。これが嫌いな女性はマレです。ただ、チョコには毒が入っています。止められなくなる毒、食べ過ぎるとお肌に悪い毒、ニキビができやすくなる毒などなど…。疲れた時に、ちょっとだけ食べるチョコは悪くはありませんが、食べ過ぎると不要な脂肪がついたり、体重が増えたりします。ご自分のためにも、子供さんのためにもチョコや甘いものは毒であることを忘れないで下さい。

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病棟見学

 私が北海道大学医学部形成外科に在籍していた当時は、唇裂(シンレツ)や口蓋裂(コウガイレツ)の患者様がいらっしゃると、形成外科病棟を見学していただいていました。記憶は定かでありませんが、病棟の看護師さん(当時は看護婦さん)が院内研究で発表したスライドを使い、お母さんに説明をしてくれていました。
 手術前には手術後のキズを保護するために、スポイト式哺乳瓶でミルクを飲む練習をします。手術一週間前に入院して練習を開始します。母乳で育てている赤ちゃんもスポイト式乳首になります。お母さんのおっぱいが人工的な乳首になるので、赤ちゃんの機嫌は悪くなり哺乳量も減ります。また、術後に指しゃぶりなどをしないように、抑制帯という腕にはめる筒を製作していただき、それもつけます。
 病棟の看護師さんは忙しい業務の間に、外来からの患者様を案内して、必要物品や抑制帯の作製方法を説明してくださっていました。北大形成外科には、常時6人程度の唇裂や口蓋裂の赤ちゃんがおかあさんと一緒に入院していました。
 病棟見学へ行くと、看護師さんの説明の他に、この手術後の赤ちゃんや手術前の赤ちゃんに会うことができました。今なら個人情報保護などで難しいのかもしれませんが、どんなに私が口頭や図で説明するより、病棟で他のお母さんから『大丈夫よ。ウチも同じだったのよ』と言われ、実際に手術後の赤ちゃんを見ることが、お母さんの安心につながっていました。私が手術を担当させていただいた患者様同士が仲良くなり、ずっと交流を持っていらっしゃる家族もあります。
 美容外科ではなかなか体験談を直接聞くことはできません。私が患者様にお願いして、このHPでビデオや画像を使わせていただいているのは、この北大病院の病棟見学で得られた経験に基づいています。医師がどんなに説明するよりも、体験者の一言の方がよほど説得力があります。

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医学講座

生まれつきの病気

 形成外科では、生まれつき体表面に何らかの病気がある赤ちゃんや子供さんを治療します。生まれつき、黒、青、赤や茶色の痣(アザ)がある子供さんがいます。大きさも1~2㎜の小さなものから、体表面の1/2程度までとさまざまです。アザの治療はレーザー機器のめざましい進歩により驚くほどキレイに治るようになりました。
 生まれつき唇(くちびる)や口の中が割れている赤ちゃんもいます。口の中が割れて鼻と通じているとうまく母乳が飲めません。私は形成外科医時代に、唇(くちびる)や口の中が割れている赤ちゃんの手術が得意でした。最初の手術は生後3ヵ月目頃に行います。私が研修医をはじめた昭和55年当時は、北大形成外科にはたくさんの患者様がいらっしゃいました。当時は北海道内で手術ができる施設が少なかったことが原因だと思います。
 くちびるが割れる病気は唇裂(シンレツ)と呼ばれます。約600人に1人発現するとされ、比較的頻度の高い形態異常です。種々の環境要因と遺伝的要素が複雑に関与して発現する(多因子遺伝)といわれています。兄弟に唇裂があった場合にはその発生率は若干高くなりますが、必ずしも遺伝するというわけではありません。
 待望の赤ちゃんが生まれて、くちびるや口の中が割れていたり、鼻が曲がっていたりすると、お母さんは大きなショックを受けます。治療の第一歩は、お母さんに現在の医学でかなり快くなることを説明し、納得していただくことからはじまります。治療は長期間にわたり、必ずといっていいほど歯の矯正治療を必要とします。唇裂や口蓋裂(コウガイレツ)の方は矯正治療も健康保険でできます。
 お母さんを絶望の淵から救い、赤ちゃんと向き合って治療を開始します。くちびるの手術は生後3ヵ月、体重が6kgになってからはじめます。生まれた時から、お付き合いするので、患者様は自分の子供のように思えることもあります。

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昔の記憶

倒れた理由

 昨日、はじめて見た子供の司法解剖で倒れたことを書きました。おそらく私が19歳だった頃です。一浪して入学したので、一年生の秋までは19歳でした。
 解剖されていた子供は女の子でした。生まれつきの病気がありました。死ぬことはありませんが、染色体異常の病気なので治ることはありません。心臓疾患を合併することが多いので、普通の人に比べると短命だといわれています。
 その子を殺してしまったのはお母さんでした。障害をもって生まれた子でしたが、一生懸命育てていたと思います。年齢は小学校入学前位でした。お母さんが将来を悲観してその子の首を絞めて殺してしまいました。お母さんも自殺を図りましたが、一命をとりとめ助かりました。
 首を絞めて死ぬことを縊死(いし)と言います。頸部を圧迫されることにより、窒息状態となります。血液が脳に供給されなくなり、中枢機能が停止し亡くなります。ここまでは誰でも知っていることです。頚部を圧迫されると、圧迫されたところから上は鬱血(うっけつ)という状態になります。指を反対の手の指や輪ゴムで圧迫するとわかりますが、鬱血(うっけつ)すると紫色に変色します。
 その子供の首には、紐(ひも)のようなあとが残り、首から顔面は紫色に変色していました。この子は染色体異常さえなければ、お母さんが殺すこともなかっただろうに…と考え始めました。そんなことを考えながら解剖を見学していたので冷静さを失いました。脳を取り出すために、頭部の皮膚を後ろからはがし、頭蓋骨を出して電動ノコで切りはじめました。キーンという音と骨を削って出る臭いで、自分の血の気がなくなっていきました。
 殺された子供はかわいそうですが、殺してしまったお母さんのその後や、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃんはどんな気持ちだったのか想像もできません。形成外科では生まれつき、顔や手などの体表面に異常がある赤ちゃんの手術をします。私は形成外科医になってからも、いつもこの子供のことを想い出して、少しでも本人や親・兄弟・親戚が気にならなくなるように…と願って手術をしていました。

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医学講座

司法解剖

 札幌医大に入学して、一番最初に見学した解剖が司法解剖です。解剖には大きく3種類があります。医学部の学生が勉強のためにさせていただく解剖を系統解剖と言います。昭和49年当時は入学して3年目から始まりました。現在は、大学によって異なりますが、札幌医大では1年目の冬から実施しています。ちょうど今頃は、昨年4月に入学した学生が解剖実習をしていると思います。
 病気で亡くなった方の死因を調べるために行うのが病理解剖です。病理解剖は大学以外でも病理医の先生がいる病院で行われます。病理解剖は厚生労働省の臨床研修指定病院になるための条件でもありました。患者様や患者様のご家族とよい関係でなければ、解剖の承諾をいただけません。病理解剖が多いというのは、よい病院の一つの指標とも言われています。
 殺人事件で殺された。異常な状態で発見された死体などを捜査を担当する検察官や警察署長、海上保安庁などから嘱託を受けて執行するのが司法解剖です。医学部の法医学教室が担当します。札幌医大の八十島信之助先生は、中公新書から法医学入門という一般向けの本を出版されていました。私は大学に入学する前からこの本を読んでいました。高校生か予備校生の頃によく行っていた、地下鉄大通り駅近くにある‘リーブルなにわ’という本屋さんで見つけた記憶があります。
 はじめて司法解剖(法医解剖)を見学した時は、正直なところ驚きました。自分は殺されて解剖までされたくないと思いました。司法解剖は裁判所の許可があれば、本人や家族の承諾がなくても行われます。また脳を調べるために頭蓋骨を切られ脳を摘出されます。体も必要な部位はすべて解剖されます(通常は胸部から腹部までを切って内臓を出します)。
 医学生以外にも警察学校などから司法解剖の見学にいらしていました。柔道3段?いかにも強そうな警察学校の生徒さんが、解剖を見学して具合が悪くなって倒れるのを見ました。私は最初は少し怖かったですが、倒れることもなく見学していました。八十島先生が解剖なさる姿を見て法医学はすごいと思っていました。ところがある日、子供の法医解剖がありました。いつものように見学していたのですが、はじめて見る子供の解剖はダメでした。脳を取り出すために、電動ノコで頭蓋骨をキーンと切っている音を聞いていて、自分の血の気がなくなるのがわかりました。やっとの思いで解剖室を出て廊下を曲がって、売店の前にあるコーラの自動販売機の前まで来ました。ファンタグレープというグレープ飲料を買おうとしたところまで覚えていましたが、気が付くと売店のおばさんが『学生さん学生さん、大丈夫?』と私を助けてくれていました。これが私が倒れた第一回目でした。

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学生生活

 今日は一部の大学の後期日程の合格発表が行われました。今週中には大部分の受験生の進路が決まると思います。不幸にして第一志望や第二志望に合格できなかった方もいらっしゃると思います。
 私は人に自慢できるような大学に合格できなかった。とか、2浪も3浪もしたのに、こんな大学にしか合格できなかった。などと決して悲観しないでください。
 医学部を例にとってみると、私などどう逆立ちしたって入学できないのが東京大学理科Ⅲ類。通称リサンです。この東大医学部を卒業しても、医師国家試験に不合格になる人もいます。あの王選手が手術を受けた、慶応大学医学部でも医師国家試験合格率は100%ではありません。
 私が札幌医大に入学した昭和49年には、最高で8浪して入学した学友がいました。8年間予備校に通ったり、宅浪をしたりして、ついに合格したそうです。今ではとても流行っているクリニックの院長先生です。北大理学部や工学部、慶応大学経済学部、早稲田大学政治経済学部を卒業や中退して札幌医大に入学した学友もいました。
 長い人生の中で、学生時代ほど自由な時間があり、何にも拘束されない時期はありません。せいぜい試験が辛いだけです。私はどんな大学でも恥ずかしいことはないと思います。そこで自分がどれだけ努力して勉強するかです。どの学部に行かれても、英語とPCだけはマスターするべきです。語学は若いうちしか伸びません。私のように美人の先生に惹かれて勉強するのもよいと思います。
 女性の方は、2年も3年も遅れて入学したので、周囲に比べてオバさんになってしまった。と焦る方がいらっしゃるかもしれません。私から見ると18歳も20歳も22歳も同じです。30歳を過ぎていると、さすがに年齢の差は出ますが気にしないことです。50歳になって同窓会に出席してみると、自分より2歳も若かった人が自分より5歳も年上に見えることもあります。自分を磨いて、美容外科でシワや『たるみ』をとると10歳位すぐに若返れます。学生時代は夢を持って、勉強も恋愛もバイトもするべきです。それが将来の役に立ちます。

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大学の講義

 札幌医大に入学したものの、講義は予備校と比べて面白くなく、予備校のような緊張感もありませんでした。大学生は自分から進んで勉強するもの。というのが大学教員の共通した言葉でした。教員の仕事は学生を教育することですが、大学の教員には‘研究’という学生教育よりずっと大切な‘仕事’があります。教員の勤務評定は英文論文を何編書いたか?研究費をどの位もらったか?などにより文部科学省から評価され、大学全体の評価にもつながります。
 100人近い学生さんを相手に、90分間休みなく講義をするのは疲れます。学生さんが居眠りをしない講義をするのは大変です。講義の資料を作成するのにも時間がかかります。自分で講義を担当するようになって、はじめて教員の苦労がわかりました。
 私が看護学校や札幌医大で講義を担当した時は、できるだけわかりやすく形成外科を理解していただき、学生さんの記憶に残るように努力しました。医学部の学生や看護学生ですら形成外科と整形外科、形成外科と美容外科の違いを正確に言える人は多くはいません。ですから私は形成外科を宣伝するために、予備校の矢野先生の講義を頭に置きながらスライドや資料を準備しました。
 私が札幌医大で30年以上前に受けた講義で記憶に残っているものは多くありません。ただ、講師の熱意が伝わってきた講義は今でも覚えています。四半世紀前以上前のお話しですが、少しずつご紹介していきたいと思います。

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大学一年生

 一浪の末、札幌医大に入学したのが昭和49年です。当時は大学紛争が終わりかけていましたが、教室では毎日革マル派の先輩がアジ演説をしていました。入学してしばらくした頃です、6年生の先輩女子学生が白衣を着てヘルメットをかぶって教室に来て『キミタチワー!自己批判せヨ~!』と叫んで演説をはじめたのには驚きガッカリしました。
 革マル派と民生派の対立もまだありました。札幌医大の先輩には学生紛争で殺された人もいると聞き恐ろしくなりました。授業は予備校の方がずっと充実していました。唯一、興味深く聴講したのが英会話です。25歳の金髪米国人の女性講師が先生でした。私はNHKのおかげで英語が得意になっていたところに、美人の先生のおかげでますます英語が好きになりました。下賎な動機だと笑われそうですが、このクラーク先生のおかげで英語がずっと好きになったことは間違いありませんでした。
 大学に入るといろいろなクラブから勧誘がありました。最初は弓道部に入りました。アーチェリーのようなイメージを持って入部したのですが、古式豊かな日本の国技のようで私には合いませんでした。
 大学一年生の頃は、車の免許をとったり、家庭教師のアルバイトをしたり、友人とユースホステルを使って旅行に行ったりしていました。勉強は試験に通る最低限しかしませんでした。
 医学部らしい講義はなく、高校の延長のような講義を2年間聴いていました。唯一、医科大学らしいところは、司法解剖の見学でした。当時の八十島信之助教授は慶応大学から東京都監察医務院を経て札幌医大の教授になられた高名な先生でした。大学一年生が見学するのを許可され、一年生にも解剖しながら解説してくださいました。この時、法医学教室で助手をしていらしたのが、現在、公明党の参議院議員をなさっていらっしゃる、風間昶(かざま・ひさし)先生です。
 私はせっかく苦労して札幌医大に入学しましたが、最初の2年間はあまり勉強もせず、予備校の講義を懐かしく思っていました。

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