院長の休日

成人の日

 今日は成人の日です。
 私は1954年(昭和29年)生まれです。
 私の頃は、札幌市では19歳で成人式の案内状が来ました。
 20歳になる年の1月に成人式がありました。
 私は浪人中でした。
 1月15日が成人式で、札幌予備学院の医進クラスで、その日を迎えました。
      ■         ■
 当然、札幌市が主催した、成人式には参加しませんでした。
 記念品をいただいた記憶がありますが、何か?覚えていません。
 今も昔も、成人式には、晴れ着を着たお嬢さんが、白いショールを巻いて、晴れやかに街を歩いているのが目立ちます。
 私は、同世代のキレイな方を、横目で見ながら、最後の追い込みに懸命でした。
      ■         ■
 当時は、今のようなセンター試験はありませんでした。
 1月は、私立大学の入学試験が始まる頃でした。
 2月に、自治医大の一次試験がありました。
 国立大学は一期校と二期校に分かれていて、3月上旬と下旬に試験がありました。
 北海道では、北大と札幌医大(公立)が一期校。
 旭川医大が二期校でした。
      ■         ■
 来年も受験勉強はしたくないなぁ…というのが正直なところでした。
 私は、現役の時に受かったのが、同志社大学(法)。
 一期校。札幌医大→不合格。
 二期校。弘前大学(医)→不合格。
 11月試験の旭川医大→不合格。
 弁護士になりたいという、微かな希望もありましたが、医学部を目指し浪人しました。
      ■         ■
 当時から、男性は成人式にはあまり出席しませんでした。
 20歳になると、酒・タバコが解禁になるといったところが、‘大人’になった証(アカシ)でした。
 私は、昔からタバコは吸いませんでした。
 高校の友人と、居酒屋程度は行きましたが、アルコールには弱い方でした。
 ‘大人’になって、唯一、楽しみだったのが運転免許の取得でした。
 運転免許は大学に入学して、すぐに自動車学校に通いました。
      ■         ■
 運転免許は取得しましたが、自分の車はありませんでした。
 父親がようやく手にした、10万kmも走った中古車を、たまに運転させてもらっていました。
 わが家では、はじめての車で、とても立派とは言えませんでしたが、嬉しかったものです。
 暇さえあれば、洗車して、ピカピカにワックスをかけていました。
 自分で使ったガソリン代は、自分でアルバイトをして、稼いで入れていました。
 ちょうど、オイルショックがあって、今と同じくらい、ガソリンが高騰していました。
      ■         ■
 私にとって、成人の日は、あまり想い出もなく、写真もありません。
 高校時代も、予備校時代も‘彼女’はいませんでした。
 その頃の写真を探しましたが、見つかりません。
 写真を撮ることもなかったのでしょう。
      ■         ■
 昔の写真を探して出てきたのが、下の写真です。
 後列の真ん中が私です。
 大学時代に、臨床実習で胸部外科を回った時です。
 24歳でした。
 写っているのは、小松教授と安倍助教授(後の教授)。
 7人グループの仲間です。
 全員元気ですが、すっかりおじさんになっています。

札幌医大6年生の臨床実習
胸部外科

“成人の日”へのコメントを見る

医療問題

看護職の将来

 昨日の日記に、看護師さんが、この20年で飛躍的に昇進したと書きました。
 市立札幌病院の看護師で、初代の副院長になられた看護師さんは、とても素晴らしい方です。
 私が在職していた当時、内科病棟と手術部で、ご一緒に働きました。
 穏やかで、実に優しい婦長さんでした。
 怒ったことや、大きな声を出したのを見たことがありませんでした。
 私は、新聞で辞令を拝見した時に、本当によかったと思いました。
      ■         ■
 札幌市内の病院で、早くから看護婦さんを副院長に登用したのは民間病院でした。
 私の記憶が正しければ、東札幌病院と札幌麻生脳神経外科病院が早かったと思います。
 どちらの病院の副院長(看護部長)さんも、素晴らしい方でした。
 理由はわかりませんが、HPを見ると、両方の病院とも今は副院長ではないようです。
      ■         ■
 札幌麻生脳神経外科病院の副院長(看護部長)だったのは、紙屋克子さんでした。
 1992年にNHKスペシャルで取り上げられた「あなたの声が聞きたい~“植物人間”生還へのチャレンジ~」で有名になられました。
 看護の力で意識障害、いわゆる植物状態の患者さんを回復させる取り組みに成果をあげられました。
 紙屋さんは、その後、筑波大学の教授になられました。
 紙屋さんは、看護師でなければできない、‘リハビリ’を行って、患者さんを回復させました。
      ■         ■
 公立病院や大学病院での登用は、民間に遅れること、20年近く経ってからです。
 最近でこそ、看護師さんが副院長になるのは珍しいことではありません。
 20年前は、看護職の副院長は珍しかったものです。
 看護師さんが、副院長となって、病院経営に携わる(タズサワル)のは、よいことだと思います。
 経営者として、看護職をまとめるのは大変なことです。
      ■         ■
 経営の効率化とサービスの質を落とさないことは、相反することが多く大変です。
 国の医療制度改革で、公立病院を中心とした医療機関は倒産寸前です。
 地方の公立病院では、累積赤字が数億円から数十億円になって、民間であればとっくに倒産しているところもあります。
 看護職をまとめて、赤字を出さないように、病院を‘経営’するのは、並大抵のことではありません。
 偉くなると、‘病院経営’にかかわることを求められます。
 職位と、責任は平行して増加するものです。
 会社でも、役員になると経営責任を問われます。
      ■         ■
 私の父が、現役の薬剤師だったころは、薬価差益という‘利益’がありました。
 薬を安く購入することで、保険で支払ってもらう金額との差額が、病院の‘儲け’になっていました。
 薬局長の裁量で、病院の収益が左右されました。
 その頃は、院長→事務長→薬局長→看護部長というのが、暗黙の階級だったように思います。
 私が、子供の頃に住んでいた、手稲療養所の職員住宅が
 院長→事務長≒医師→薬局長という順番で立派でした。
 大卒という‘学歴’の他に、経営への‘貢献’があったからだと思います。
      ■         ■
 薬剤師は、国家試験受験資格を得るまでの修業年限が6年間になりました。
 病院での実習や、医薬分業での患者様への説明など、求められる業務が増えたからです。
 理学療法士や作業療法士も、4年制大学の卒業生が出てきています。
 医療機関で働く専門職が、どんどん高学歴になってきています。
      ■         ■
 私は、将来、
 医師
 歯科医師
 事務長
 看護師
 薬剤師
 臨床検査技師
 診療放射線技師
 理学療法士
 作業療法士
 管理栄養士など、
 医師(歯科医師)と医師以外のパラメディカルが一緒に病院経営を考える時代になると思います。
      ■         ■
 これからの日本社会は、少子高齢化社会へまっしぐらです。
 国は増える医療費を何とか削減しようと懸命です。
 今は‘病院’で、医師の指示のもとに、処置をするのが看護師さんです。
 将来は、病院や診療所ではない、介護施設で、看護師が高齢者をケアーする時代になると思います。
      ■         ■
 少子高齢化社会になり、看護師のニーズはますます増えると思います。
 施設では、看護師や保健師が入居者の健康管理をするようになると思います。
 どの段階で、医師に診察を求めるか?
 どこまで、看護師がケアーしていて大丈夫なのか?
 これを見極める能力を求められます。
 簡単なようで、実に難しいことです。
 当然、責任も重くなります。
 判断を誤ると、訴えられることも考えられます。
      ■         ■
 看護職は、社会的地位や職位の向上に伴い、職責も重くなります。
 経営手腕のある方は、自ら介護施設を経営するようにもなると思います。
 そこでは、必ず、‘責任’が求められます。
 当然、勉強も必要になります。
 私は、これからの高齢化社会で、看護職の役割が、ますます増えると考えています。
 看護職を目指す学生さんや、若い方に期待しています。

“看護職の将来”へのコメントを見る

医療問題

看護師の職位

 私は平成元年4月1日に札幌市に採用され、市立札幌病院皮膚科へ配属となりました。
 医師となって10年目で、34歳でした。
 私の職位は、係長職でした。
 当時、札幌市の規定で、医師は卒業後一定の年数が経つと、自動的に一般職→係長職→課長職と昇進できました。
      ■         ■
 私の記憶が正しければ、市立札幌病院では平成元年から看護係が→看護課になりました。
 それまで、看護職のトップが係長職だったのが、課長職になりました。
 病院で一番偉い看護婦さんを、総婦長と呼んでいました。
 総婦長の職位が係長職から課長職になったのが、約20年前です。
      ■         ■
 看護婦さんは、高校卒業後に3年間専門学校に通い、国家試験を受けて‘看護婦免許’をいただいていました。
 学歴は、専門学校卒。
 医師や薬剤師が、大卒だったのに対し、失礼な言い方ですが、一ランク低い学歴とみなされていたようです。
 公務員の給与は、‘学歴’によって、俸給表というランクが変わります。
 同じ医師でも、大卒と大学院卒では、少しだけランクが違ったようです。
      ■         ■
 この20年の間に、看護婦→看護師と名称が変わりました。
 さすがに、看護職の方を‘先生’と呼ぶ習慣はありませんが、大卒の看護師も登場しました。
 4年制大学を卒業すると、看護師の他に、保健師の国家試験受験資格も得られます。
 看護師・保健師、両方の免許を持ったナースも働いています。
      ■         ■
 実際のところは、大卒ナースだから…
 看護師・保健師の両方の免許を持っているから…
 という理由で、仕事ができる優秀なナースとは限りません。
 正直なところ、高校の衛生看護科を卒業して、准看護師の資格を取得し、
 働きながら、夜間の進学コースに通い、看護師免許を取得したナースが、
 免許取立ての看護師としては、一番戦力になります。
      ■         ■
 今でも、病院で‘先生’と呼ばれるのは、医師と薬剤師です。
 理由はよくわかりませんが、長い間の慣習でしょうか?
 従来は、病院での職位は、医師と事務長が高かったようです。
 平成元年は、院長、副院長と主任医長の一部の偉い先生が、札幌市の局長職に相当する‘理事’でした。
 医師以外の理事は、札幌市の本庁からいらっしゃる、事務局長だけでした。
 理事になれる先生は、5人くらいしかおらず、給与も退職金も多かったと聞いています。
 事務局長は、札幌市の中でもかなり優秀な方がいらっしゃいました。
 区役所の区長クラスの方だったと記憶しています。
      ■         ■
 薬局長も、医学博士の学位を取得した、偉い先生でしたが理事ではありませんでした。
 看護師は、理事どころか、ようやく課長職になったばかりでした。
 ところが、この20年間に、飛躍的に昇進したのが看護職です。
 課長職→部長職→理事(副院長)と…
 あっという間に、副院長にまで昇進しました。
      ■         ■
 このような、‘昇進’は、他の
 薬剤師
 臨床検査技師
 診療放射線技師
 理学療法士
 作業療法士
 などでは、考えられないことです。
 もちろん事務職の事務局長でも、副院長にはなれません。
 医事課の事務員さんは、20年前から、派遣の方が活躍なさっていました。
      ■         ■
 看護職の昇進は、市立札幌病院に限ったことではありません。
 大学病院や一般病院でも副院長として、看護師を登用しています。
 これは、国の方針が変わったからです。
 診療報酬にかかわる、看護料の比率が大きくなったからです。
 看護師を数多く確保しないと、病院の存続にかかわることになったからです。
      ■         ■
 病院というところは、マンパワーが必要なところです。
 一番、数が多いのが、看護職です。
 大病院になると、数百人単位の看護師さんがいます。
 数百人の部下を持つトップです。
 理事も副院長も当然だと私は思います。
 遅すぎたくらいです。
      ■         ■
 この20年で、看護職に求められる仕事も実に増えました。
 北大病院では、現在、看護部長を公募しています。
 HPを拝見すると、看護師としての実務経験の他に、研究業績が必要なことがわかります。
 著書,論文,学会発表など、従来は大学の講師・准教授・教授などに求められたことが、看護部長に要求されています。
      ■         ■
 数百人の部下を持つ、局長職(副院長)の職責は重いものです。
 もし、看護部看護課の看護師が不祥事を起こせば、副院長も当然、責任を問われます。
 教育・研修に対する責任も大きくなります。
 将来、大病院の看護職のトップは、
 看護学博士号を取得した‘先生’になるのでは…?
 と、私は考えています。
      ■         ■
 私たちのような、小さな診療所は、医師も看護師も同じサービス業です。
 医師も看護師も、高度の専門的知識と技術を持った‘接客業’だと考えています。
 私は、‘白衣の天使’ということばが好きです。
 看護職の基本は、他の方への愛情・奉仕・技術・サービスだと思います。
 笑顔や、優しい思いやりがなくてはできない職種です。
 どんなに偉くなっても、優しい看護婦さんであって欲しいと願っています。

“看護師の職位”へのコメントを見る

医療問題

酒気帯び手術

 平成20年1月11日、朝日新聞朝刊の社説に、医療事故調査委員会のことが掲載されていました。
 最後の方に、‘もちろん、酒を飲んで手術をしたり、カルテを改ざんしたりするのは論外だ。’と書かれていました。
 この‘酒を飲んで手術’が気になりました。
      ■         ■
 医師は急患の診察を求められた際に、‘酒を飲んでいる’ことを理由に断ることができます。
 誰が考えても、‘正当な理由’です。
 私は、25年以上医師をしていますが、緊急のために‘酒を飲んだ先生’が手術をしたことを何度か知っています。
      ■         ■
 私自身は酒は飲めませんし、飲んでもごく少量です。
 アルコールに弱い体質だと思います。
 医師の中には、大酒飲みやアルコール依存症?と思われる方もいらっしゃいます。
 朝、手術室で一緒に手術をはじめる時に、手術用マスク越しに、アルコールの臭いがした‘先生’もいました。
 問いただすと、朝方まで飲んでいて、数時間休んで、そのまま病院へ出てきたということでした。
      ■         ■
 病院では、航空会社やタクシー会社のような‘点呼’はありません。
 個々人の自覚に任されています。
 酒臭い息をして、外来診療をすると、すぐにバレますが、手術室ではわかりません。
 チェックする機構も機能もありません。
      ■         ■
 手術の前日に、朝方まで酒を飲んでいる先生はもちろん論外です。
 酒臭い息をして、手術室に入るなんて許せません。
 ただ、医師法には、呼気中・血液中のアルコール濃度が○%だったら診療をしてはいけないという規定はありません。
 自動車の運転と違って、酒気帯びで手術をしても、診療をしても、罰則規定はないはずです。
      ■         ■
 問題なのは、緊急手術で呼び出しを受けた時です。
 病院も、ふつうの会社と同じように、歓送迎会や忘年会をします。
 特に、忘年会は手術部、各病棟、医局、と所属部単位で行われます。
 年に一度の‘慰労会’です。
 楽しく、にぎやかな忘年会が多いです。
      ■         ■
 問題なのは、手術部の忘年会や救命救急センターの忘年会です。
 当直要員は、もちろん病院で通常通り勤務しています。
 手術部の当直で、準夜・深夜を合わせて看護師が5~6人。
 救命救急センターの医師が、多くても10人程度。
 その日の当番は、病院で仕事です。
      ■         ■
 忘年会の夜は、大事故が起こらないようにと祈って参加します。
 ところが、何年かに一度は、その日に限って大事故が起こります。
 病院から緊急の呼び出しを受けると、
 忘年会の2次会でカラオケにいても…
 宴会の最中で、ちょうど盛り上がったところでも…
 ただちに病院へ直行です。
      ■         ■
 大事故で大ケガの場合は、たとえ酒を飲んで‘酒気帯び’でも、緊急手術をしなければ、生命の危険がある場合があります。
 手術をできる先生が、一人しかいなくて、その先生が‘酒気帯び’だったら…
 もちろん、ベロベロに酔っ払って、手術ができない状況だったら別です。
 ビールを1~2杯飲んだ程度の、‘酒気帯び’だったどうでしょうか?
      ■         ■
 私が患者だったら、たとえ酒気帯びの先生でも
 『先生、お願いします、助けてください』と言います。
 僻地や、専門医が一人しかいないような地域でしたら、
 現実には、ちょっと位の‘酒気帯び’でも、診療を引き受けている先生はいらっしゃると思います。
      ■         ■
 医師だって人間です。
 お酒やワインが好きな先生もたくさんいます。
 お酒を飲んで、気分よく休んでいる時に、呼び出されて緊急手術なんかしたくはありません。
 夜間に、呼び出されて、‘酒気帯び’で緊急手術を引き受ける先生は、仕方がなく引き受けているだけです。
 航空機のパイロットのように、乗務○時間前から、一切飲酒は厳禁。
 違反した場合は、医業停止。
 なんて規定を作ったら、間違いなく、日本の僻地医療や救急医療は崩壊します。

“酒気帯び手術”へのコメントを見る

医学講座

小陰唇縮小手術

 包茎手術の女性版が小陰唇縮小手術です。
 神様は、どうして包皮や小陰唇を作られたのでしょうか?
 他人より、ちょっとだけ長かったり、大きかったりするだけなのです。
 この1㎝とか5㎜とかが気になるのです。
      ■         ■
 小陰唇縮小手術で受診なさる方は、真面目でしっかりした方です。
 ちょっとした他人との違いに、悩んでいらっしゃいます。
 どうってことはない、と思われててもご本人にとっては問題なのです。
 手術を受けられる方は、10代から40代までとさまざまです。
      ■         ■
 大部分の方は、『もっと早く手術を受ければよかった』とおっしゃいます。
 HPにも記載しましたが、婦人科の先生に勇気を出してご相談なさっても、『普通』ですと言われます。
 どこまでが‘普通’という定義はありません。
      ■         ■
 見えない部分だから、気にしなくてよいという人もいます。
 でも、一番気になる部分でもあるはずです。
 何もしていないのに、人より大きくて黒かったら…。
 手術で治るものなら、治してしまえば、一度で済むことです。
      ■         ■
 札幌美容形成外科では、小陰唇縮小手術を受けていただいた方に
 ビキニ奥の脱毛を、一回サービスでテスト照射することがあります。
 せっかく、キレイになったので、毛も無くなれば一石二鳥です。
 テスト照射の後で、脱毛に通われて無駄毛もなくする方もいらっしゃいます。
      ■         ■
 見た目は顔だけではありません。
 一重の目だって、しっかりものが見えれば、目としての機能には問題はありません(眼瞼下垂症は別です)。
 外科的に治せるものでしたら、治してしまえばわからなくなります。
 包茎手術も小陰唇縮小手術も、しっかり治せばキズはほとんど目立たなくなります。
 最初に勇気がいるだけです。
      ■         ■
 ナイロン糸という溶けない糸で縫合するのが、キレイに治すポイントです。
 抜糸が必要になりますが、10分程度で終わります。
 包茎手術も小陰唇縮小手術も、手術後の出血が一番問題になります。
 昨年、お一人だけ手術後の出血がありました。
      ■         ■
 幸い、適切に処置ができたため大事には至りませんでした。
 どんなに丁寧に手術をしても、手術後のトラブルはゼロではありません。
 札幌美容形成外科では、手術後2時間程度はお休みいただき、出血がないことを確認してからお帰りいただいています。
 それでも、ちょっとしたことで出血することがあります。
      ■         ■
 手術後の痛みは、2~3日こそ少し痛いものの、
 その後は痛み止めを内服する必要もないくらいになります。
 局所は生理食塩水で洗浄し、軟膏をつけてナプキンを当てるだけです。
 包茎手術も小陰唇縮小手術も、一生に一度手術を受けるだけです。
 悩んでいる方は、勇気を出してご相談ください。

“小陰唇縮小手術”へのコメントを見る

医学講座

チンの皮で気管を作る

 包茎手術についての日記が続いています。
 今日のお話しは、少し学問的な話しです。
 包茎手術から得たアイデアで、私が考えた独創的な手術法です。
      ■         ■
 タイトルは、チンの皮と書きましたが、包茎手術で切除した皮膚のことです。
 この余分な皮膚を使って、気管に穴が開いてしまった人の手術法を考案しました。
 この研究は、私が札幌医大に在籍していた時に考えたものです。
 日本形成外科学会でも発表しました。
 PRSという、米国の権威ある雑誌にも掲載されました。
 私が死んでも、後世に残る手術法だと考えています。
      ■         ■
 次の写真は、甲状腺ガンの手術で気管に穴が開いてしまった方です。
 手術が失敗したのではなく、気管にガンが浸潤(シンジュン:入り込むこと)していたので、気管も取る必要がありました。
 ガンは手術で治りましたが、首に穴が開いているため声が出ません。
 お風呂に入っても、水が入ってしまいます。

手術前です

手術後です

      ■         ■
 この穴をふさぐ手術は、一見簡単そうで、とても難しい手術です。
 なぜ?難しいかというと、気管という空気の通り道だからです。
 呼吸をする時は、肺に空気を吸い込みます。
 息を出す時には、肺から空気が出て、それが声帯を通る時に声が出ます。
      ■         ■
 気管は気管軟骨という軟骨と粘膜でできています。
 かなり頑丈に作らないと、圧で空気が漏れます。
 薄い皮膚だけでふさいでも、圧がかかると漏れたり破れたりします。
 気管の内面には、粘膜があります。
 すべすべの粘膜がついていないと、痰がうまく出ません。
      ■         ■
 ですから、気管を再建する時には、硬い骨と薄い粘膜を使う必要があります。
 もともと、この気管再建は耳鼻科の先生の分野でした。
 耳鼻科の先生は、気管再建につかう粘膜を鼻や口から採取していました。
 ちょっと口の中にキズができても痛いですね。
 風邪をひいて、鼻水が出るだけで具合が悪いものです。
      ■         ■
 気管を再建するのに、鼻や口をキズつけないでできないでしょうか?
 と耳鼻科の優しい女の先生から相談を受けたのがきっかけでした。
 気管粘膜の代わりに皮膚を使うと、毛が生える恐れがありました。
 皮膚を採取した部位にもキズが残ってしまいます。
      ■         ■
 たまたま、気管再建を予定していた方は男性でした。
 最初に私が考えたのは、どこかに毛が生えない皮膚はないか?
 ということでした。
 鼻や口の中を切ると、かなり辛いものです。
 毛の生えない皮膚として、私の頭に浮かんだのが、包茎の皮でした。
      ■         ■
 チンの皮で気管を再建するのは、私が世界ではじめてでした。
 私は、この話しを、主治医の優しい先生にお話ししました。
 その後、耳鼻咽喉科の氷見(ヒミ)教授にお話ししました。
 主治医の先生も氷見教授も賛成してくれました。
      ■         ■
 患者様とご家族にもお話しし、ご説明いたしました。
 世界ではじめての手術でしたが、十分に成功する見込みがありました。
 鼻や口を切らなくてもよいので、患者様にもメリットがありました。
 こうして、チンの皮を使って、気管に開いた穴をふさぐ手術は成功しました。
      ■         ■
 日本形成外科学会で発表した時に、女性はどうしますか?と質問されました。
 女性でしたら、小陰唇の皮膚を使うと毛が生えません。
 包茎手術も小陰唇縮小手術も美容外科医でなければ生まれない発想です。
 鼻や口にキズをつけるより、患者様はずっと快適に手術を受けられます。
 次の英文が、PRSに掲載されたタイトルと要約です。
 気管に穴が開くことはめったにないことです。
 今はもう自分ですることはありませんが、
 私の手術法は、後世に残る手術法だと思っています。
      ■         ■
 A Prefabricated Osteocutaneous Flap for Tracheal Reconstruction
Homma, Ken-ichi M.D.; Himi, Tetsuo M.D.; Shintani, Tomoko M.D.
Plastic and Reconstructive Surgery:Volume 111(5)15 April 2003pp 1688-1692
Sapporo, Japan
From the Chuoh Clinic of Cosmetic and Plastic Surgery, the Department of Otolaryngology, Sapporo Medical University.

Reconstruction of tracheal defects is a challenging problem for plastic surgeons and ear, nose, and throat surgeons. There should be a stable framework that is tolerant of negative pressure. The tracheal surface should be epithelialized to prevent granulation tissue growth and wound infection, and a stable and supportive framework is necessary to provide an airtight seal and normal phonation. We grafted penile skin on the periosteum of the clavicle to function as a tracheal surface epithelium. After a 4-week interval, the composite skin-periosteum-bone-muscle flap was used as the material of the tracheal reconstruction. The aim of this article is to present our operative procedures and the results.

“チンの皮で気管を作る”へのコメントを見る

医学講座

包茎手術のキズ

 昨日は、包茎手術の価格について記載しました。
 ネットで検索すると、包茎手術でキズが残り、被害に遭ったという情報があります。
 しっかりしたクリニックで、腕の良い‘先生’に手術を受けると、包茎手術のキズはほとんどわからなくなります。
      ■         ■
 ‘被害に遭った方’の状況をネットで拝見すると、
 通院不要
 溶ける糸で縫合
 キズが残らない手術法
 などという、広告に問題があると思います。
      ■         ■
 私が包茎手術をしても、トラブルになるリスクがある方はいらっしゃいます。
 一番、キズが治りにくいのが糖尿病です。
 一度も定期健康診断を受けたことがない方がいらっしゃいます。
 自分で気づかないうちに、糖尿病になっていて、包茎手術の血液検査で見つかった方もいらっしゃいました。
 その方は、手術後に糖尿病の治療もして、キズが問題なく治りました。
      ■         ■
 『急に包皮に炎症を起こし勃起できなくなった』
 と、受診された方が、何人かいらっしゃいました。
 手術をせずに検査をして糖尿病が見つかりました。
 糖尿病を治療しないと、治りません。
      ■         ■
 通院不要は手術を受ける側にとって、魅力的な言葉です。
 恥ずかしい思いをするのは、一度でたくさん。
 通院が不要なくらい、‘簡単’な手術だと考えてしまいます。
      ■         ■
 指をナイフで切ったことを考えてください。
 縫合しなければならないほど切ったら、必ず抜糸には通院します。
 溶ける糸で縫合し、通院もしないとは考えません。
 どんなに丁寧に手術をしても、軽度の出血はあります。
 指を切った時も、指を動かすと痛いですし、じっと安静にしています。
 自分の大切な部分を切るのです。
 手術の後は、安静にして半日くらいは休むべきです。
      ■         ■
 形成外科で顔のキズを縫う時に使うのが、ナイロン糸という溶けない糸です。
 このナイロン糸で縫合するのが、一番キレイに治る縫合法です。
 HPに記載したように、‘溶ける糸’で縫合しても、糸は溶けないものです。
 糸が溶けなかったところは、しこりになって固くなります。
      ■         ■
 ネットで見る、問題があるキズは、たいてい瘢痕(ハンコン)という状態です。
 縫い方がわるかったり、手術後の管理が悪いと瘢痕になります。
 手術後の局所処置は、ご自分でも可能です。
 ただ、手術事体が雑だったり、下手だったりすると、手術後に痛みも腫れも強くなります。
      ■         ■
 包茎手術は、上手に手術をすると、手術から2~3日こそ少し痛いものの、
 その後は痛み止めを内服する必要もないくらいになります。
 私は、本人が気になるなら、包茎手術を受けるべきだと思います。
 そして、どうせ手術を受けるなら早いうちに受けるべきだと思います。
 一生に一度手術を受ければ、世界中どこへ行っても恥ずかしくありません。
 ただ、慎重にクリニックを選んで手術を受けてください。

“包茎手術のキズ”へのコメントを見る

医療問題

包茎手術の価格

 昨年1月16日にも、包茎手術について書きました。
 同じことの繰り返しになりますが、女性にはわからない悩みが包茎です。
 スポーツクラブや温泉に行っても、包茎の男性は必ずタオルで隠しているものです。
 男同士でも、見られると恥ずかしいのです。
      ■         ■
 包茎には、仮性包茎と真性包茎があります。
 真性包茎の人が、無理に包皮をむいて、戻らなくなった状態を嵌頓(カントン)包茎といいます。
 日本人男性の半数以上が仮性包茎といわれています。
 半数以上が、仮性包茎なのだから、気にしなければそれでよいのです。
      ■         ■
 ただ、気にしなければよいと言っても、気になるものです。
 ネットで調べると、たくさんのサイトが出てきます。
 スポーツ新聞には包茎手術の広告が掲載されています。
 包茎手術○万円~
 ※軽微な仮性包茎に限ると小さな字で書かれています
 この○万円~の『~』が問題です。
      ■         ■
 ○万円だと思って、受診してみると…
 あなたは‘嵌頓包茎だから’と料金が倍になったりします。
 私も雇われ院長だった時代には、同じようなことをしていたので、偉そうなことは言えません。
 正直に申し上げると、本当に申し訳ないことをしたと反省しています。
 業界の内情曝露になりますが、この○万円~の○万円で済むことは、まずありません。
      ■         ■
 もともと、軽微な仮性包茎だったら手術を受ける必要もないのです。
 本当に手術が必要なのは、真性包茎や嵌頓包茎です。
 札幌美容形成外科では、開院して2年目までは、真性包茎や嵌頓包茎を保険診療で手術していました。
      ■         ■
 保険診療で包茎手術をすると、驚くほど安くできます。
 正直なところ、包茎手術は赤字でした。
 罪滅ぼしのつもりで、保険診療で手術をしていました。
 ところが、ここで問題が生じました。
 他院で、‘嵌頓包茎(カントンホウケイ)’と‘診断’された方の中に、かなり仮性包茎がありました。
      ■         ■
 一般的には、仮性包茎→真性包茎→嵌頓包茎と料金が高くなります。
 スポーツ新聞の包茎広告に、小さな字で※軽微な仮性包茎に限る
 と書いてあるのは、このためです。
 ちょっとでも‘くびれ’があると、皮がむけても‘嵌頓包茎’になってしまい、料金が高くなります。
 実際は、ちょっときつくても皮が剥ければ仮性包茎です。
 仮性包茎は保険で手術はできません。
      ■         ■
 このトラブルが増えたため、2006年8月で包茎手術の保険診療は中止いたしました。
 厚生労働省は、医療費の削減に躍起です。
 包茎手術の手術点数(手術料金)を上げると、医療費が増えるので、包茎手術の保険点数は上がりません。
 今後も、包茎手術を積極的に保険診療で手術する診療所や病院はないと思います。
      ■         ■
 包茎専門クリニックにもいろいろなところがあります。
 平日は閉院していて、手術のある日だけ、東京から‘先生’とスタッフが来る診療所。
 高いけれど、先生の腕や技術はあるところ。
 高いし、‘先生’もアルバイトの‘先生’が手術をするところ。
 広告や料金だけではわかりません。
 一生に一度の手術です。
 慎重にクリニックを選んで手術をうけてください。

“包茎手術の価格”へのコメントを見る

医療問題

博士号をお金で買う?

 平成20年1月6日、朝日新聞朝刊の記事です。
 ニセモノ社会5
 売られる博士号
      ■         ■
 文部科学省が昨年末、奇妙な調査結果を発表した。
 実態の伴わない博士号や修士号を発行する機関があり、
 そこから得た「ニセ学位」をもとに2004~2006年度に採用されたり昇進したりした教員が、全国4大学に4人いたという。
      ■         ■
 社会的に通用しない学位を発行するビジネスを「学位商法」と名付けて研究してきた静岡県立大の小島茂教授によると、
 発行機関は少なくとも数十ヵ所ある。
 一つの例はイオンド大学だという。
 その日本校のホームページには「文科省の所管する大学ではない」とある。
 総合学部や国際関係学部のほか、未知現象研究学部や催眠学部を置く。 
      ■         ■
 日本校を訪ねると、本部は、東京都杉並区の環状7号線沿いの雑居ビル内にあった。
 4階が事務所で、5階に応接室があった。
 「小島教授から誹謗中傷を浴びせられ、迷惑しているんだ」。
 高橋斎代表は激しい口調で切り出した。
 高橋代表らによると、日本校は1999年に株式会社として設立し、
 籍を置く学生約100人の大半は働きながら学ぶ社会人だという。
 「キヤリアアップを目指す社会人に門戸を開くのが狙いだ」
      ■         ■
 学生が社会で培った経験を査定評価し、単位に置き換える。
 名誉学士号や名誉修士号、名誉博士号を与えているという。
 「学位商法」との非難に対し、
 高橋代表は「非認定校と知ったうえで学位を受けて何が悪いのか。
 いろんな大学の形があっていい」と話した。
      ■         ■
 「非認定校」。この言葉には解説が必要だ。
 日本では、学位は基本的に文科省の認可した大学が発行する。
 米国では原則として、州当局から認証された民間団体が、学位を保証する。
 日米ともに、公式の認証を受けていない大学は「非認定校」として扱われ、
 学位に疑わしい点があるとされる。
 小島教授によると、非認定校は米国には300近くある。
 州が認証していない団体による「認定」をホンモノと信用させ、
 学位を売りさばくことが社会問題化した。
      ■         ■
 「ディプロマ・ミル」
 「ディグリー・ミル」
 などと呼ばれる。
 「学位工場」といった意味だ。 
      ■         ■
 日本の教育界では数年前から問題視されるようになった。
 たとえば九州産業大では昨年、博士号などを与える立場にある商学部の教授(64)が、非認定校のひとつで学位を取得していた疑いが浮上し、内部調査をした。
 大学の説明によると、この教授は、農協流通研究所主任研究員だった1989年、 雑誌広告で通信教育制の「クレイトン大学」を知った。
 3年間週1回程度、都内の日本人教官のもとへ通い、日本語で経営学の論文を書いた。
 授業料は年60万円。学位を得るまでに資料代を含め240万円かかった。
      ■         ■
 農協流通研の同僚の多くが博士号を持ち、大学などの教員に転職していた。
 この教授は「将来に備え自分も博士号を取っておいた方がよいと思った」と説明している。
 しかし、九州産業大が米国大使館などに確かめたところ、
 クレイトン大学は米国で非認定校として扱われていた。
      ■         ■
 考古学が専門の早大客員教授(64)の場合、
 同大の助教授だった1995年、パシフィック・ウエスタン大学」の博士号を取得した。
 長く非認定校と気づかなかったという。
 「当時は英語の論文力を試したかった。学費を30万円ほど納め、論文審査を受けた。インチキとか学位を金で買ったとか疑いもしなかった」
      ■         ■
 米国では、学位論文やリポート類に他人の書いたものを盗用する「ニセ論文」も横行している。
 盗用の有無を自動探知する事業を始めたジョン・ベリー氏によると、盗用かどうかの問い合わせは、
 日本を含む約90カ国から1日平均12万5千件寄せられる。
 全文の25%以上に「他人の文章」を含むものをニセ論文とすると、その数は約3割に上るという。
 「学位を勝手にプリントアウトしているようなものだよ」とベリー氏は話す。
      ■         ■
 学位は、中世ヨーロッパの大学における教授職の資格が起源とされる。
 「日本では90年代、大学院の充実を図ろうとしたことから、学位の氾濫が始まった。
 学位を持っていることが当然になり、学位を出す側の教員が博士号や修士号を持っていないと、周囲は認めてくれなくなった」
 札幌学院大の佐々木冠准教授は、学位商法の横行をそう分析する。
      ■         ■
 佐々木氏は昨年、この問題をゼミで取り上げた。
 安易に学位が取れることがどういうことか学生たちに考えてほしかった。
 「カタカナ名だと外国のちゃんとした大学と思われがちで、人物を見ない傾向がある」
 「ニセ学位は、何でもお金で買える風潮を反映している」。
 学生からはそんな反応が返ってきた。(松永住伸、田中久稔)
 (以上、朝日新聞から引用)
      ■         ■
 私は、平成6年3月に北海道大学から博士(医学)の学位をいただきました。
 私は大学院へは進学せず、北海道大学の研究生となりました。
 市立札幌病院の仕事が終わった後や、土日に北大に通い動物実験をしました。
      ■         ■
 私が使った実験動物はラット。
 体重が200~300g程度の白いネズミです。
 目が赤くて、真っ白でキレイなネズミでした 。
 そのネズミに麻酔をかけて、手術をして実験をしました。
      ■         ■
 大学の教授になろうと思っていたのはありません。
 私は頭が悪くて、北大医学部へ入学できなかったので、
 せめて博士号は北大からいただきたいと思ったのです。
 大学院へ進む道もありましたが、
 当時は私のように研究生となって働きながら勉強して、博士号を取得する人もいました。
      ■         ■
 私が知っている‘先生’でも、お金で博士号を取得した人がいます。
 自分なら、そこまでしなくても…と思います。
 しっかりとした研究をした人か、お金で買ったかは、意外とわかるものです。
 整形した二重よりも、バレやすいです。
      ■         ■
 その人の価値観の問題なので、
 お金で買った博士号で満足できるのでしたらそれもよいと思います。
 ただ、大学の教員となるのはどうかと思います。
 大学教員になるには、文科省の審査があったはずです。
      ■         ■
 私にとって、博士号を取得して一番よかったのは
 英語で論文を書くことを身につけたことでしょうか?
 博士号を持っていない‘先生’にも、立派な方はたくさんいらっしゃいます。
 肩書きや学位で惑わされないことも大切です。

“博士号をお金で買う?”へのコメントを見る

昔の記憶

新年家族会

 私が医師免許を取得したのが、昭和55年5月です。
 私は、北大形成外科に入局し、大浦武彦先生の門下に入りました。
 当時の北大形成外科は、まだ少人数で、実に家族的な医局でした。
      ■         ■
 教授が、一家の大黒柱。
 お父さんのような存在です。
 その下に、お父さんの弟レベルの先生が数人。
 私たちは、ちょうど息子くらいの年代でした。
      ■         ■
 毎年、お正月には医局の新年家族会がありました。
 医局員の奥さんや子供たちが全員ホテルに集合します。
 その前年に結婚した医局員は、奥さんを紹介するのが家族会でした。
      ■         ■
 昭和57年(1982年)1月4日、札幌グランドホテルで、
 第3回北大形成外科新年家族会が開かれました。
 私は、その前年に結婚したので、この時にはじめて家内を連れて参加しました。
      ■         ■
 私たちの仲人は、大浦武彦教授ご夫妻です。
 大浦教授婦人には、お会いしていますが、他の先生の奥様にお会いするのははじめてです。
 家内も、緊張して参加しました。
 写真で判別できるかどうかわかりませんが、
 最後列、左から2人目が私(当時27歳)。
 その、左下が家内(当時25歳)です。
      ■         ■
 最前列が、大浦武彦教授ご夫妻。
 その左が、皮膚科の三浦祐晶教授ご夫妻。
 右が、形成外科の濱本淳二助教授ご夫妻です。
      ■         ■
 最後列は、左から、現在、北海道がんセンター形成外科の皆川英彦 (みなかわ ひでひこ)先生
 私。
 元、北海道大学病院長の杉原平樹(すぎはらつねき)先生。
 蘇春堂形成外科、理事長の新冨芳尚(しんとみよしひさ)先生。
      ■         ■
 前から、2列目、左から、みなかわ眼科の皆川玲子先生(皆川英彦先生の奥様)。
 札幌市病院事業管理者、市立札幌病院長の吉田哲憲(よしだてつのり)先生と奥様。
 現在、北海道で有名な形成外科医はほとんどこの写真に写っています。
      ■         ■
 写真に写っている先生で、残念なことに故人となられてしまった先生もいらっしゃいます。
 最後列、右から5人目が、野崎敏彦先生です。
 野崎先生は、栃木県でお父様の病院を継いで、形成外科を開業していらっしゃいました。
 北大航空部に所属し、グライダーの名手でした。
 残念なことに、平成11年(1999年)にグライダーが墜落して亡くなってしまわれました。
 野崎敏彦先生が作られたHPは、亡くなってから10年近くも経つのに、まだ健在です。
      ■         ■
 大学病院の医局制度については、とかく悪い面ばかりが強調されています。
 私は、医療技術の継承。
 地域医療に対する貢献。
 など、良い面もたくさんあったと思います。
 私が、現在こうして開業医として生活できるのも諸先輩の教えのおかげです。
 もう一度、若い日に戻って、新年家族会に参加できたら…と思います。
      ■         ■

昭和57年1月4日
北大形成外科新年家族会

“新年家族会”へのコメントを見る

TEL 011-231-6666ご相談ご予約このページのトップへ