昔の記憶
麻酔科研修の想い出⑤
札幌医大麻酔科の高橋長雄教授は、
麻酔学の他に、
医学概論(いがくがいろん)という科目を
担当されていました。
医学概論は…
医学部へ入学した学生に、
お医者さんになるには…
とか
医師としての心構え…
を教える科目です。
■ ■
高校生や予備校生に…
毛の生えたような…
まだ解剖実習も始まらず…
医学生とは言えないような時期に授業がありました。
偉い先生が何人か交代で、
数回の講義がありました。
講義をしていただいた先生には、
大変申し訳ございませんが…
どんな内容だったか?
覚えていません。
ただ一つだけ覚えていることがあります。
高橋先生が麻酔科医を志(こころざ)した理由です。
■ ■
高橋先生は、
北大医学部をご卒業後に、
外科医を目指されました。
当時の北大で外科学を学ぶ傍(かたわ)ら、
薬理学教室で研究をされました。
外科医として…
北海道内のある町へ
出張された時のことだそうです。
その町の若い方が…
盲腸(急性虫垂炎)になりました。
■ ■
町の病院で…
盲腸の手術をしました。
ところが…
不幸にもその患者さんが、
亡くなってしまったそうです。
時代は昭和20年代のはじめ、
戦後の混乱期です。
十分な設備が無かったのかもしれません。
手術に問題があったのか?
麻酔の問題だったのか?
その辺のこともわかりません。
■ ■
町では、
『病院で盲腸の手術で死んだ』
と評判になったそうです。
当時でも、
盲腸で死ぬのは…
珍しいことだったのです。
小さな町です。
札幌から来た若いお医者さんは…
すぐにわかります。
■ ■
高橋先生は、
患者さんが亡くなってから、
町の食堂へ食事に行っても…
買い物へ行っても…
町の人の視線が…
ずっと気になった。
とお話しくださいました。
町の人が何か話していると、
すべて…
‘盲腸’とか
‘盲腸で死んだ’
に聞こえたそうです。
■ ■
6年間の医学部の講義で、
自分が体験した医療事故の話しを聞いたのは、
高橋先生の盲腸のことだけでした。
おそらく今でも…
自分の医療事故を講義で話す先生は、
どこにもいないと思います。
まだ19歳か20歳程度だった私は、
『ふ~ん、そんなことがあるのか?』
程度にしか思っていませんでした。
今、自分が50歳も半ばとなり、
そんな高橋先生をすごい!と思います。
■ ■
一人の患者さんの死をきっかけとして、
高橋先生は麻酔学をこころざし、
若くして渡米され、
ニューヨークで麻酔学を研鑽されました。
私が生まれた頃の話しです。
帰国後に、
先生は麻酔学教室を開設され、
多くの優秀な麻酔科医を育てられました。
私は高橋先生から麻酔学を学んだことを、
とても貴重な財産だと思っています。
高橋先生と、
高橋先生の下で研修することを許していただいた、
恩師の大浦武彦先生に心から感謝しています。
自分の失敗を職業に変える・・・なかなかできないことと思います。
ましてや麻酔科は知識だけでなく経験や、判断能力、周りへの観察力、などフルに要求されるので当時ニューヨークではかなりの御苦労をなさったことと思います。
人の痛みには個人差もありますよね。
術後の痛みやそのほかの疾患での疼痛は人それぞれ検査データで数字として出てくるものだけではないものですから、麻酔医はほんのさじ加減の調整や患者さんとの信頼関係も必要と思います。
本間先生は本当に医師として貴重な経験が今の安全な手術につながっているのですね。
恩師より得るものは医療従事者としては宝ですから・・・
高橋先生が麻酔科学を志された 理由は そのような事からだったのですね。昔の手術場面をテレビで見ると アルコールを吹き付けただけで 手術し あまりの痛さで 患者が失神する というのをみましたが、現在は、手術する患者にとり、麻酔はなくてはならないもので、手術を早く正確に行うためには無くてはならないものになりました。改めて 高橋先生の 偉大さを感じ、そのような 先生のもと で 勉強された 本間先生もすごいと思いました。
何回か commentしましたが、麻酔のお陰で 子宮全摘(盲腸癒着)も脊髄腫瘍(腰部馬尾腫瘍) も頸部脊柱管狭窄症の手術も 眠ったまま 術中は痛さも感じず 過ごせた事に麻酔に感謝しています。
自分のミスを話せる方はなかなかいませんよね。
たかが盲腸、されど盲腸です。この患者さんは腹膜炎を併発していたのでは?
そうだとしたら、手術は難しいものになると考えられます。
医学概論ですか。看護師にもありましたが、ほとんど授業を聞いてなかった覚えがあります。