昔の記憶

おっぱいチーム

 私が札幌医大の学生だった30年前…
 札幌医大第一外科に…
 おっぱいチームがありました。
 札幌医大第一外科は、
 臓器別にいくつかのチームに分かれていました。
 おっぱいチームのトップが、
 30台で講師に昇進された、
 浅石和昭先生でした。
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 浅石先生は、
 髪を短くして、
 ケーシーと呼ばれていた、
 半袖の白い白衣が似合う外科医でした。
 歯切れの良い講義は学生の人気でした。
 浅石先生に憧れて…
 浅石先生の人柄に惹かれて…
 乳腺外科医になった先輩がたくさんいました。
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 当時は、
 今のように診断機器が発達していませんでした。
 浅石先生の、
 慣れた外科医の手が、
 乳がんを一番よく見つけられる。
 という言葉が印象に残っています。
 乳腺と甲状腺を扱うのが、
 乳腺・甲状腺チームで、
 おっぱいチームと呼ばれていました。
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 浅石先生のチームに、
 兄弟3人で入られたのが、
 岡崎3兄弟と呼ばれる、
 岡崎稔先生[21期](札幌乳腺外科クリニック)、
 岡崎裕先生[24期](新札幌乳腺クリニック)、
 岡崎亮(あきら)先生[28期](札幌乳腺外科クリニック)、
 です。
 末弟の亮(あきら)先生には、
 私が札幌医大在職中にお世話になりました。
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 浅石先生が率(ひき)いた
 おっぱいチームは、
 札幌市内で
 札幌ことに乳腺クリニック(浅石和昭先生)
 札幌乳腺外科クリニック(岡崎稔先生)
 新札幌乳腺クリニック(岡崎裕先生)、
 として…
 札幌市内はもとより、
 北海道の乳がん治療に大きく貢献しています。
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 浅石先生は、
 2009年11月5日と6日に、
 京王プラザホテル札幌で、
 第19回日本乳癌検診学会を開催されました。
 約1,500人の参加者があり大成功で終了しました。
 浅石会長のお言葉です。
 日本女性の乳癌は1995年より年齢調整罹患率では女性の癌の第1位となっており、現在罹患数は年間5万人以上と推測されます。また死亡数も2006年には11,177人と漸増し、欧米では乳癌死亡数が減少しているのに、日本では受診率が低く、未だ死亡率が低下に至っておりません。
 本学会は検診によって早期の乳癌を発見し、乳癌による死亡の減少に寄与することを目的とした学会であり、本学会の役割は今後益々重要と成って参ります。(学会HPより引用)

“おっぱいチーム”へのコメント

  1. さくらんぼ より:

    おっぱいチームとは面白いネーミングですね。でも 乳癌をより早く発見できるように貢献されていらっしゃるのですね。
    乳癌のマンモもおっぱいを挟むだけなのでかんたんです。私はいつも甲状腺の腫れを指摘されます。 早期に発見されて元気に働いている方はいっぱいおりますので忘れずに恥ずかしがらずに 受けてください。
    ちなみに 本間先生のチームは 何チームと呼ばれていましたか?山大では脊髄チームにお世話になりました。
    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    形成外科は小さな所帯だったので、チームに分かれることはありませんでした。何でもやりました。
    研究では、吉田哲憲先生の抗生物質チームでした。

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