昔の記憶

西高の想い出(遅刻)

 札幌市中央区宮の森と
 西区山の手の境界にある通りを、
 通称、文化通りと言います。
 由来は…?
 文化人がたくさん住んでいたから…?
 理由はわかりません。
 私が昭和45年(1970年)に、
 北海道札幌西高等学校へ入学した時には、
 文化通りと呼ばれていました。
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 当時は、
 札幌に‘区’はありませんでした。
 札幌に‘区’ができたのは、
 1972年の札幌オリンピックの後です。
 文化通りは、
 何の変哲もない、
 ふつうの住宅街の通りです。
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 大夕張の山奥から、
 札幌へ出て来た、
 弱冠、15歳の私は、
 毎日、この文化通りを通って、
 札幌西高校へ通学しました。
 西区八軒にあった古い家から、
 バスで高校へ通っていました。
 今でしたら…
 自転車で通学したと思います。
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 毎日、満員の市営バスに乗り、
 慣れない札幌の生活でクタクタになって、
 必死に通学していました。
 私の家の近くに、
 函館本線の開かず踏切がありました。
 この踏切で待たされ…
 バスが遅れた時は、
 文化通りを、
 重い鞄(かばん)を持って、
 ダッシュしたものでした。
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 私がダッシュしていた時には、
 必ず、他にもダッシュしている生徒がいました。
 中には、悠々と歩いている人もいました。
 息切れがして、
 途中で休むと…
 無残な遅刻でした。
 たまに、あと一歩のところで…
 用務員のおじさんに、
 玄関のドアをガチャンと閉められました。
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 ドアが閉まった後は、
 ボイラー室横の入口から入り、
 外靴を持って…
 とぼとぼと、
 生徒玄関まで、
 床の冷たさを感じながら…
 惨(みじめ)めに歩いたものでした。
 毎回、私以外にも、
 遅刻組の生徒がいました。
 3年間で、
 数回遅刻しました。
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 毎日、同じ時刻のバスに乗っても、
 運悪く…遅刻することがありました。
 高校に慣れてくると、
 自転車通学をするようになりました。
 自転車通学になってからは、
 開かずの踏切を避けて通り、
 遅刻もなくなりました。
 遅刻も今となっては楽しい想い出の一つです。
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 私が一度も遅刻や欠席をしなかったのは、
 予備校時代でした。
 出席は無かったと思いますが、
 とにかく必死で勉強していました。
 今晩は西高の仲間が男ばかり集まり、
 クラス会をします。
 昔の仲間は楽しいものです。
 幹事は、
 学校であまり勉強しないのに
 東大に合格した有沢くんです。
 あいつの頭はどうなっているのか?
 と…よく思っていたものです。

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