昔の記憶

けんちゃん不登校の歴史

 私は小学校一年生の時に、
 不登校になりました。
 …というより、
 先生に『帰れ』と言われたので、
 素直に家に帰りました
 親がびっくりして、
 小学校へ行きました。
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 帰れと言われた日、
 私は鼻水が出ていました。
 当時はポケットティシュなどというのはなく、
 チリ紙という薄い紙を、
 何枚も重ねて持って行きました。
 チリ紙を忘れたのか、
 足りなくなったのか?までは覚えていません。
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 とにかく鼻水が出てくるので、
 授業中に鼻汁をすすっていました。
 口の中にたまるので、
 自分の席の横にあった、
 手洗い器の樋の部分に、
 口の中の鼻水を吐き出しました。
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 それを、
 担任の藤沢全先生が見つけました。
 たんなんて汚いものを
 そんなところに吐き出してはいけない

 小学校一年生のけんいち少年を叱りました。
 帰れが先だったか?
 先生が私を連れ出そうとして、
 私が暴れたのが先だったか忘れました。
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 私も先生の眼鏡を取って、
 床に落としました。
 先生はますます怒って、
 私は教室を出されました
 よほど印象に残ったのか?
 先生の名前も状況もよく覚えています。
 そんな状況でした。
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 親が学校に謝りに行って、
 先生の眼鏡も壊れなかったので、
 弁償もせずに済みました。
 当然、
 私の学業成績はふるわず、
 学校も好きではありませんでした。
 幼稚園は大好きだったのに、
 小学校は嫌いになっていました。
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 私はできの悪い子でした
 身体も弱く、
 小学校一年生の時には、
 よく学校を休んでいました。
 ひょっとすると、
 私がよく学校を休んだのは、
 こんな出来事が原因だったのかも?
 …と60歳になってから思います。
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 不登校だった、
 けんいち少年も、
 小学校2年生の担任だった、
 加藤先生のおかげで、
 私が学校好きになって、 
 成績が伸びました。
 加藤先生は字が上手な先生でした。
 よく家庭訪問に来てくれました。
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 私を家に帰した藤沢全先生も、
 よほど気になる子供だったのか、
 茶志内に引っ越してから
 一度、遊びに来てくれました。
 その時には、
 私が成長したことをよろこんでくれました。
 先生も気になっていたのでしょう。
 今になってネットで検索すると、
 藤澤全先生というお名前が見つかりました。
 同じ先生かどうかわかりませんが、
 なつかしい名前です。

幼稚園の時
左下肢に装具をつけています
ペルテスという病気でした

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