院長の休日

福島の心も診る_札幌の峯廻先生奮闘

 今日は2015年3月11日です。
 東日本大震災から4年です。
 今日の北海道新聞朝刊に、心を打つ記事が掲載されていました。
 深刻な医師不足
 「残リの人生を復興のために
 福島の心も診る 
 札幌の峯廻さん奮闘
 東京電力福島第1原発事故 により全町避難が続く福島県浪江町。隣接する二本松市内の仮設診療所で、札幌西円山病院名誉院長の峯廻攻守(みねまわりよしもり)医師(70)が常勤医として診察に当たっている。専門の内科だけでなく、 仮設住宅 で生活する被災者に寄り添い、悩みや苦しみの吐露に耳を傾ける。11日で東日本大震災から4年。峯廻さんは「福島の人たちは震災、原発事故、偏見の三重苦で今も大変な思いをしている。残された人生を復興支援にささげたい」と思いを新たにしている。
 震災前まではグラウンドだった二本松・安達運動場には240戸ほどの仮設住宅が並ぶ。その一角に峯廻さんが勤めるプレハブの「浪江町国保仮設津島診療所」がある。診察室は、札幌の院長室より格段に狭い。
 滝川市出身。札幌医大を卒業後、道内各地で勤務し、札幌西円山病院では2014年3月まで17年間、院長を務めた。
 2012年春、妻の雪枝さん(57)と福島、宮城を訪れ、前年の震災で大きな被害が出た沿岸部を見て衝撃を受けた。「がれきで通れない道路もある。1年たってもこんなにひどいのか…」。1993年の 北海道南西沖地震 、1995年の 阪神大震災 の時は被災地で活動したいと思いながらも勤務医の立場上、実現できなかった。「今度こそ」。周囲は反対したが、夫婦で福島への移住を決意。2014年10月から常勤医となった。
 診察時間の半分以上は被災者である患者の話を聞く。震災時の苦労や将来への不安、身内を失った悲しみ…。1時間を超えるときもある。峯廻さんは「福島県内の医師から『あんたたちが避難してきたおかげで仕事が増えた』と言われた患者もいる。県内でさえ差別や偏見が増幅している」と感じる。
 浪江町は2カ所に仮設診療所を設置しているが、常勤医は関根俊二医師(72)だけだった。外科が専門の関根医師は「循環器内科が専門の峯廻先生が来て、負担が非常に減った。できるだけ長くいてほしい」。月2回、峯廻さんの診察を受ける仮設住宅の女性(76)は「親身に話を聞いてくれるので、診察の後は心が楽になる」と感謝する。
 原発事故後、県内では医師不足が深刻化している。「小さな子どもを持つ医師が放射線の影響を気にして県外避難するのは仕方ない。私たちの世代が全国から集まって、福島を応援するべきだ」。峯廻さんはその先頭に立ち、町民の一部でも自宅で暮らせるようになるまで、福島を支える覚悟でいる。(東京報道 阿部浩二)

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プレハブの仮設診療所で看護師と談笑する峯廻先生

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(以上、北海道新聞電子版より引用)

      ■         ■
 峯廻先生は札幌医大の先輩です。
 直接お会いしたことはありませんが、
 私の祖母太田キヨがお世話になりました
 循環器内科がご専門です。
 札幌医大第2内科同門の先生です。
 手稲渓仁会病院にもいらっしゃいました。
 立派な先生です。
      ■         ■
 祖母がお世話になった時も、
 とってもいい先生と、
 感謝していました。
 札幌から福島へ赴任され、
 骨を埋めるつもりには、
 ほんとうに頭が下がる思いです。
 奥様のご英断にも感謝します。
      ■         ■
 周囲は反対したが
 夫婦で福島への移住を決意

 ほんとうにご立派なご夫妻です。
 札幌医大の後輩として、
 偉大な先輩に脱帽です。
 私も70歳を超えて元気だったら、
 福島へ行けるか?
 自信がありません。
 役に立つどころか迷惑をかけそうな気もします。
 福島で眼瞼下垂症の手術をするわけにもいかず、
 何かできることはないか考えます。
 峯廻先生のご健康とご活躍をお祈りしています。

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