昔の記憶

【訃報】荻野利彦先生

 私が尊敬する荻野利彦先生がご逝去されました。
 信じられない思いです。
 残念で、残念で、言葉もありません。
 心からご冥福をお祈りいたします。
 昨日、知人の先生からメールで知らせていただきました。
 急いで調べたところ、
 山形大学整形外科ホームページに次の文がありました。
      ■         ■
 荻野利彦先生が2015年5月22日、ご逝去されました
 謹んでお悔やみ申し上げます。
 荻野利彦先生は平成8年9月から平成23年3月まで山形大学整形外科第2代教授を務められておりました。手の外科の分野では世界をリードされ、特に先天異常の診療に大きな貢献をなされ、世界中の手外科医が荻野先生に相談し、その助言のもとに診療を行われておりました。また、温厚で親しみやすい性格から出会った全ての人に安心感と信頼感を与えて下さる先生であり、「明るく楽しい整形外科」をわれわれ教室員のみならず、日本、世界中の後進に優しく、丁寧にご教授くださいました。
 68歳というあまりにも早く、突然の訃報に驚きと悲しみしかありませんが、これまでの荻野先生のご功績に敬意を表し、山形大学整形外科のますますの発展に邁進して参りたいと思います。
 心よりご冥福をお祈りいたします。
 山形大学整形外科教室員一同

 (山形大学整形外科HPより引用)
      ■         ■
 山形県西置賜郡白鷹町の
 医療法人聰明会 理事長
 齋藤 聰先生の追悼のお言葉です
 荻野利彦先生への哀悼の辞
 本日、恩師の一人でもあり、私が尊敬してやまない荻野利彦先生(第2代山形大学医学部整形外科講座教授)の訃報に接しました。
 昨年11月山形県医師会の健康スポーツ医研修会に講師として来ていただいた時が、私が先生とお会いした最後になりました。その時、「今度、先生を慕っている山形の仲間を誘って飲み会しますのでよろしく。」と言ったのが、今となってはとてもむなしく感じます。
 荻野先生は、平成8年9月に山形大学医学部整形外科学講座第2代教授として山形大学に札幌医大より着任なさいました。まじめで正義感が強く、かつ気さくで誰とでも分け隔てなく付き合ってくれる方でした。 私は、当時山形県上山市にある蔵王みゆき病院(現在のみゆき会病院)に赴任しておりましたが、主に手の外科を専門としていたので、大学で毎週行われていた手の外科ミーティングに参加させていただき、先生にたくさんご指導を受けました。また、当時私は山形大学医学部柔道部OB会会長をしており、それまで医学部柔道部の顧問をしていただいた仙道富士郎先生が、平成13年に山形大学学長に就任なされて医学部柔道部の顧問を退任されたのを機に、荻野先生に医学部柔道部の顧問に就任していただきました。前任者の仙道先生もそうでしたが、荻野先生も医学部柔道部の会があると必ず出席してくれました。そして、2次会はご自分の自宅(官舎にお住まいだったので大勢の人間が入るのには狭すぎましたが)にOB、OG、学生を招いていただき、奥様が作ってくださったとてもおいしい手料理を酒の肴として腹いっぱいごちそうになりました。本当に、先生、奥様とも、とても素晴らしい方々でした。
 約10年位前には札幌にある荻野先生の大きくて立派な家に泊めていただき、翌日に札幌にやってきた私の妻と長男も含めて奥様の車に乗せていただき、荻野先生御夫妻の案内で北海道見学をさせていただきました。その前の日には、荻野先生と知り合って初めて荻野先生執刀の手術の助手に入らせていただきました。先生のご性格通りのまじめで確実な手術の仕方でした。
 荻野先生は日本のみならず、世界の手の外科学会では高名な先生であり、山形大学在職中は多くの教室員を海外留学させました。山形大学医学部整形外科の留学生たちは、海外でOgino’s studentsと呼ばれ、歓迎され大事にされたそうです。留学した教室員達はそのあまりの待遇の良さに、外国の学会でお互いに会うと「どうしたら日本に帰らなくてすむだろう。」と相談しあったと聞いています。私が約30年近く前にアメリカ合衆国に留学した時には、何の歓迎もされず、放っておかれました。とても苦労した思い出ばかりだったので、その話を聞いた当時は、山形大学医学部整形外科の教室員達は何と幸せなんだろうと羨ましくさえ思いました。それもひとえに荻野先生の力によるものです。
 また、荻野先生は、多くの学会も主催され、外国からの留学生も数多く受け入れて、とても活気のある教室を作っておられました。ほかの講座の教授達からも羨ましがられていたと思います。それも将来の災いの種にもなったのかもしれません。
 先生の正義感の強さを一番あらわしていたのが、仙道学長2期目の学長選挙の時だったと思います。振り返ってみるとそれが、先生を不運が襲うきっかけになってしまいました。この時、仙道先生は2期目となる学長選挙に立候補していたのですが、当時の医学部長が突然、医学部は工学部の立候補者を応援すると言い出し、強力な票の取りまとめを開始しました。荻野先生は「何の落ち度もない医学部から出した学長の応援をしないのは筋が通らない。」と、医学部の中で整形外科のみが学長に投票したのでした。それによってかろうじて仙道先生の2期目の学長が決定しました。
 平成19年の事でした。皮膚科に入院している患者が形成外科医に手術されて障害を残した事について、当時その形成外科医が所属していた整形外科の教授である荻野先生が隠蔽工作に走ったとの事で、責任を取らされ付属病院整形外科科長を解任され山形大学付属病院での診療ができなくなりました。荻野先生が医療ミスを知ったのは、手術が行われて一ヶ月以上経ってからで、自分の科の患者さんではないので、知りようがなかったはずです。医療事故で、責任を取るのは、その患者さんを預かっている科の教授、主治医、執刀医、そして、病院長、医学部長であり、執刀医が所属する科の教授ではないはず。いわば、直接関係のない科の教授を叱責して、責任を取るべき者達は何のお咎めもないという、きわめて異常な事が起こったのです。責任を取るべきは、医学部長、病院長であり、荻野先生ではありませんでした。いわば、トカゲのしっぽ切りをされたのです。これは、私に言わせれば学長選挙の時の恨みによるものとしか考えられませんでした。
 荻野先生はパワハラとして果敢に裁判に訴えて戦いました。私も何度か裁判の傍聴に行きました。しかし、結果として荻野先生の主張は通りませんでした。そして、失意のうちに平成21年3月31日で山形大学医学部を退職されました。この時から私も出身大学に対する愛着心を失いました。
 荻野先生に柔道部の顧問になってもらうのではなかった。今でも後悔しています。荻野先生は、私が医者になってから出会った医者の中でも最も尊敬すべき人の一人です。権力にしがみつき、自分の居場所を作るために人に無理な寄付を押し付けたり、いつまでも院長の椅子にしがみついているようなくだらない人間とは比べようもない、素晴らしい人でした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

医療法人社団聰明会みゆき整形外科クリニックのブログから引用

      ■         ■
 私と同じ思いの先生が山形にいらして、
 私以上に悲しんでいらっしゃいます。
 世界中の手の外科の医師が悲しんでいます。
 さくらんぼさんにもお知らせしました。
 とても驚いていらっしゃいました。
 荻野先生は診療中に倒れられたようです。
 心からご冥福をお祈りいたします。
dr_ogino

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