昔の記憶

【訃報】青柳俊先生

 今日は2025年8月19日(火)です。
 今朝は小雨でした。
 自転車で来たので少し濡れました。
 北海道新聞のおくやみ広告に青柳俊先生が載っていました。
 とても残念です。
 信頼できる素敵な先生でした。
 皮膚病理で何度もお世話になりました。
      ■         ■
 ご 挨 拶
 医療法人社団 青柳皮膚科医院名誉院長
 父 青柳 俊 儀、八月二日に八十二歳で膵臓癌のため永眠いたしました。
 ここに生前ひとかたならぬご厚誼に深謝し謹んでご通知申しあげます。
 癌の発覚から約三ヶ月、自宅で家族に囲まれての安らかな最期でした。最期までご尽力いただいた「巡る診療所」の皆様には深く感謝申しあげます。
 なお誠に勝手ながら故人の遺志により葬儀は近親者にて相済ませました。つきましては、ご弔問お香典などの儀はお心だけを頂戴し伏してご辞退申しあげます。
 令和七年八月十九日
 小樽市稲穂二丁目十三番十五号
 医療法人社団 青柳皮膚科医院
 理事長・院長 青柳 哲
 遺族一同


      ■         ■
 青柳俊あおやぎたかし先生は、
 北大医学部42期、
 教授候補と言われた優秀な先生でした。
 青柳先生を慕って皮膚科に入局した先生もたくさんいました。
 杉原平樹すぎはらつねき先生
 薄井正道先生
 …と同期です。
 82歳はまだお若いです。
      ■         ■
 1986年に小樽に青柳皮膚科医院を開院されました。
 開業医になられてからも皮膚病理をみてくださいました。
 今はご子息の青柳 哲あおやぎさとる先生が継承されています。
 青柳俊先生は開業医になられてから、
 日本医師会副会長を歴任されました。
 何度か講演会をお聞きしたことがありました。
 いつも精力的に仕事をなさる先生でした。
 ほんとうに残念です。
 心からご冥福をお祈りいたします。

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医学講座

消化器外科医の不足深刻

 今日は2025年8月18日(月)です。
 お盆明けなのに暑いです。
 札幌の最高気温29℃、
 山形の最高気温31℃です。
 さくらんぼさん
 暑いのでお身体に気をつけてください。
 今日のYahoo!ニュースです。
      ■         ■
 消化器外科医の不足深刻厳しい勤務で若手敬遠、「胃や腸のがん患者の命に関わる学会に危機感
 胃や腸などの手術にあたる消化器外科の医師不足が深刻だ。医師数は20年前より2割減った。長時間の手術や休日夜間の救急対応といった厳しい勤務状況を、若手医師が敬遠するためだ。人材確保に向け、大学病院では、業務負担の軽減や給与の増額などに取り組んでいる。厚生労働省も外科医の待遇改善策について、今年度から本格的な検討を始めた。
 日本消化器外科学会によると、医療機関に勤務する消化器・一般外科の医師は2022年時点で約1万9000人と、2002年からの20年で2割減った。麻酔科が7割増、内科が2割増と他の診療科が軒並み増えているのとは対照的だ。
 同学会理事長の調(しらべ)憲・群馬大教授は「執刀医が確保できず、夜間の救急診療が難しくなった病院もある。このままでは手術の待機期間が延びて、胃や大腸のがん患者の命にも関わる」と窮状を訴える。
 減少の背景には、若手医師が労働時間や対価を重視し、「割に合わない」と避けることがある。休日夜間に緊急手術の呼び出しがあるうえ、難しい食道がんの手術では、10時間を超えることもある。対する給与水準は、他の診療科と変わらない。さらに、高度な技術を身につけるため、長期間の修練を要することも避けられる理由となっている。
 大学病院も対策に乗り出している。北里大(相模原市)は、1人の患者を複数の医師で担当する。患者に緊急対応が必要になった場合、休みの医師を呼び出さず、勤務中の医師があたる。消化器外科の樋口格講師(45)は「手術が成功して前向きになる患者の姿を見るのがうれしい。若手にやりがいを伝えることも重要」と話す。
 富山大は、長時間に及ぶ手術で執刀医を3~4時間ごとに交代する仕組みや休日回診に当番制を導入。広島大は今年度、若手医師の年俸を1.3倍にする。
 診療体制の維持に向け、同学会は、地域の拠点病院に消化器外科医を集約したい考えだ。一定数の医師がいれば、休みが取りやすくなり、様々な患者を診ることで経験も積めると期待する。厚生労働省も勤務環境や医師の待遇の改善を図る医療機関に診療報酬を手厚く配分することを検討している。

食道がんの手術にあたる樋口講師(左)。終了まで11時間かかった(北里大病院で)(読売新聞)

(以上、Yahoo!ニュース、読売新聞より引用)

      ■         ■
 何科の医師になるか?は本人の自由です。
 今の若い先生たちが長時間労働や厳しい修行を敬遠しているようです。
 確かに労働時間対価を重視し、
 「割に合わない」と思うのは仕方がない面があります。
 北里大学消化器外科の樋口格先生がおっしゃるように、
 「手術が成功して前向きになる患者の姿を見るのがうれしい
 若手にやりがいを伝えることも重要」だと思います。
 2002年からの20年で2割減は大変なことです。

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医学講座

ソ連の分割占領と北海道

 今日は2025年8月17日(日)です。
 札幌美容形成外科の夏季休暇は終わり、
 今日から診療をはじめます。
 休みの間に戦後80年の終戦記念日がありました。
 北海道新聞の復刻版がとても参考になりました。
 本間家では永久保存します。
 今日の北海道新聞、卓上四季です。
      ■         ■
 卓上四季分割占領と北海道
 ソ連が日本に宣戦布告したのは1945年(昭和20年)8月8日だった。独裁者スターリンは日本が無条件降伏した後も攻撃を続ける。そして16日には米大統領トルーマンに、満州や38度線以北の朝鮮半島、サハリンに加えて千島列島と北海道の北半分を要求した。
▼道内の境界線は釧路から留萌を結ぶ線だった。「二つの良港を定規で結んだだけだ。地理を無視しており、よく練られた案とは思えない」と麻田雅文氏は「日ソ戦争」(中公新書)で指摘する。狙いは陸地ではなく、宗谷海峡と千島列島を支配下に置くことだった。
▼ソ連軍の留萌上陸は24日午前5時と定められた。しかしトルーマンが北海道分割を拒否したため、スターリンも22日に上陸を諦めた。対米関係の悪化を恐れたためだとされるが、真相は不明である。
▼北方領土には侵攻して四島を奪った。もし北海道が分割占領されていたら、数限りない悲劇に見舞われたに違いない。朝鮮半島の過酷な現実にも改めて思いが至る。
▼いまロシアは力ずくでウクライナの領土を奪おうとしている。ところが米大統領は当初、領土割譲を容認するような姿勢も見せた。昨日の会談も強い態度では臨まなかった。
▼分割こそ免れたものの、四島が占領された私たちにとってウクライナの苦境は人ごとではない。大国の横暴に、ノーと言い続ける。


(以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 北海道で生まれて70年、
 北海道新聞の記事を読むまで知りませんでした。
 ソ連が北海道の北半分(釧路から留萌を結ぶ線から北側)を要求したことは、
 社会科でも習いませんでした。
 北海道が半分ソ連になっていたら、
 とんでもないことになっていたと思います。
 北海道新聞を購読していてよかったです。
 この企画を担当してくださった、
 北海道新聞社報道センターの伴野昭人記者、野口洸記者、菊池真理子記者に感謝いたします。

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医学講座

羅臼岳でヒグマに襲われ死亡

 今日は2025年8月16日(土)です。
 悲惨な事故が起きてしまいました。
 昨日のYahoo!ニュースです。
 友人必死の抵抗かなわず ヒグマ襲撃時素手で殴る
 北海道・知床の羅臼岳で東京都墨田区の会社員曽田圭亮さん(26)が登山中にヒグマに襲われた際、一緒にいた友人の男性は曽田さんを助けようと素手で殴って必死の抵抗をした。しかし、ヒグマは曽田さんを引きずって茂みの中へ姿を消したという。
この友人から襲撃時の状況を聞き取った道警によると、友人は別の登山者を挟んで、曽田さんの約200メートル後ろを歩いていた。「助けて」と叫んで自分の名を呼ぶ曽田さんの声に慌てて駆け寄ると、曽田さんは茂みの中に引きずり込まれていった。
 友人は「クマを素手で殴った。殴った腕が血だらけになった」と話したという。ヒグマには既に曽田さんの血がついていたとみられる。
 友人は身の危険とすぐに助けを求める必要性を感じ、登山道に戻って通報した。
 (以上、Yahoo!ニュース、共同通信より引用)

      ■         ■
 このニュースを見た時に、
 エゾシカのことを思い出しました。
 大きなシカでさえ引きずられたのに、
 人間ならどう抵抗しても無理です。
 亡くなった曽田圭亮さん(26)のご冥福をお祈りいたします。
 お父様が兵庫県宝塚市からいらして、
 山に真剣な息子だったと語られました。
 山が好きな人が安全に登山ができように、
 北海道知事にクマの頭数管理をお願いします。
 これ以上、人が亡くなるのは耐えられません。

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昔の記憶

終戦記念日と親の思い出

 今日は2025年8月15日、終戦記念日です。
 北海道新聞には1945年8月15日の紙面復刻版がついていました。
 今だったらこんな紙面になるという想定版です。
 私は1954年生まれなので、
 戦争を知りません。
 父親から仙台の空襲を聞いた程度です。
 私の父は戦争に行きたくないので薬剤師になりました
      ■         ■
 母親は女学校を卒業後に北海道農業会に就職しました。
 ものがない時代でした。
 家には弟が3人もいたので、
 母親のお給料は生活費に消えたようです。
 買いたい服を買えず、
 洋裁を習って自分で服を作っていました。
 私が小さい頃の服も母親が作っていました。
      ■         ■
 晩年の母親はネットで株価を見て
 株をやっていました。
 株の配当でお金が入ると、
 若いころに買えなかった服を買っていました。
 花井幸子さんが好きだったそうです。
 デパートで買うのを楽しみにしていたようです。
 若いころにできなかった夢を、
 晩年にかなえた母親はしあわせだったと思います。

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昔の記憶

お盆に祖母の人生を考える

 今日は2025年8月14日(木)です。
 お盆にお墓参りに行かない代わりに、
 祖母の思い出を書いてみます。
 大好きなおばあちゃんでした。
 祖母は屯田兵の子孫でした。
 旧姓は横田キヨです。
      ■         ■
 札幌市北区茨戸ばらとに住んでいました。
 横田の本家は立派だったけど、
 うちは分家だったから、、、
 (そんなに裕福ではなかった)
 …と聞いたことがありました。
 分家の実家は弟が継いで農家をしていました。
 夫が亡くなって札幌に戻ってから助けてもらいました。
      ■         ■
 32歳の時に沖電気の社員だった夫が、
 単身赴任先の旧満州の奉天で病死しました。
 夫が亡くなった時に一番下の子がお腹にいました。
 祖母は夫の転勤で東京に住んでいました。
 夫が亡くなっても、
 自分は身重だったので満州には行けず、
 中学生だった長男が遺骨を引き取りに行きました。
      ■         ■
 沖電気から退職金をもらったものの、、、
 東京から5人の子供を連れて札幌に戻ってきました。
 札幌市中央区北1条西10丁目に借家を借りて住みました。
 そこから私の母親は大通小学校に通いました。
 今は札幌地方裁判所・札幌高等裁判所の建物がある場所です。
 生活費は和裁の仕立てで稼ぎました。
 食べ物は茨戸の弟からもらったと聞きました。
      ■         ■
 夫婦2人でも5人の子供を育てるのは大変なのに、
 上が中学生、下は乳飲み子の子供を連れて、
 どうやって東京から引っ越してきて、
 どうやって生活していたのだろう?
 …と70歳になった私は思っています。
 すぐ近くに市立札幌病院がありました。
 女手一つで働いて子育てをした明治の人でした。
      ■         ■
 どうやって学資を稼いだのかわかりません。
 長男は札幌一中→北大工学部に進学し卒業しました。
 私の母親は2番目でした。
 大通小学校から庁立札幌高等女学校に進学しました。
 母親も上の学校に行きたかったようですが、
 下に弟が3人もいたので、
 当時の北海道農業会、今のJA北海道厚生連に就職しました。
 そこで薬剤師の父親と知り合ったそうです。
      ■         ■
 私は祖母から『一人で子育てをして大変だった』とか、
 『夫が死んでしまって大変な人生だった』とか、
 そんなことは一度も聞いたことがありませんでした
 私の母親はよく『お父さんが生きていたら
 …と言ってました。
 きっと上の学校に行きたかったのだと思います。
 祖母は夫が亡くなったことをこぼすこともなく、
 いつも笑顔のやさしいばあちゃんでした。
 きっとつらいことがたくさんあったと思います。
 すごい明治の女性です。

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昔の記憶

お盆にばあちゃんの記憶

 今日は2025年8月13日(水)です。
 お盆ですがお墓参りには行きません。
 先祖のことを思い出しています。
 私が一番好きだったのが、
 母方の祖母太田キヨです。
 一番かわいがってもらいました。
      ■         ■
 祖母にしかられた記憶はありません。
 とっても優しいおばあちゃんでした。
 祖母は32歳で夫を亡くし…
 女手一つで…
 和裁で内職をして…
 5人の子どもを育てました。
 よくできたなぁ~と70歳の私は思っています。
      ■         ■
 孫の私にはやさしいおばあちゃんでしたが、
 自分の子供にはきびしかったそうです。
 亡くなった叔父から、
 『母さんは厳しくて…』
 『和裁に使う竹の長いものさしでひっぱたかれた』
 『玄関で立たされた』
 『よく叱られた』

 …という話しを聞きました
      ■         ■
 私が親に叱られた時に、
 いつも助けてくれたのが祖母の太田キヨでした。
 家内が私の家にはじめて来た時にも、
 真っ先に祖母に紹介しました。
 祖母のお墓は、
 東京の谷中にあります。
 日蓮宗の妙圓寺みょうえんじという、
 お寺の境内に古いお墓があります。

祖母に産湯に入れてもらっている私です

左端が祖母の太田キヨ、私26歳、家内24歳でした

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昔の記憶

今年もお盆なのにお墓参りなしです

 今日は2025年8月12日(火)です。
 お盆なのに、
 今年もお墓参りなしです。
 本間家は無宗教で不信心です。
 罰あたりな家です。
 盆も正月も仕事…
 …というのは口実です。
 今年は休みなのに混雑して交通規制もあるので、
 霊園には行きません。
      ■         ■
 そもそも本間家には、
 先祖を供養するという習慣がありません。
 法事に参列したのは家内の実家だけです。
 家内の父親_片寄茂八かたよせもはちは、
 平成5年1993年に、
 兵庫県三田市さんだしのゴルフ場で、
 急性心筋梗塞で亡くなりました。
 64歳でした。
      ■         ■
 亡くなる前日に会社近くの診療所に行き、
 風邪の診断でした。
 今だったら循環器内科でステントを入れていただき、
 元気に暮らせていたかなぁ~?
 …と思っています。
 家内の母親は札幌で暮らしています。
 91歳になりました。
 マンションで一人暮らしです。
      ■         ■
 91歳でも私のズボンや、
 手術用被布を直してくれます。
 島根県で洋裁学校に通い、
 洋裁の技術を身につけました。
 結婚後は内職で洋裁をしました。
 コシノヒロコさんの仕立てをするほどの
 技術力になりました。
 お盆にお墓参りはしませんが、
 亡くなった先祖を思い出しています。

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院長の休日

山の日2025

 今日は2025年8月11日、山の日です。
 2016年から7月の第3月曜日が海の日
 8月11日が山の日になりました

 自分で調べて書いたのに忘れていました。
 私は山が好きです。
 ほんとうは旭岳登山に行きたいです。
 奥さんには断られています。
      ■         ■
 山が好きなのは、
 小さい頃によく父親に裏山に連れて行ってもらったからです。
 山から石狩湾がきれいに見えました
 晴れた日には増毛ましけの山まできれいに見えました。
 そんな幼少時の経験が、
 私を山好きにしました。
 中学生の頃は大夕張の山道を、
 自転車で走ってました
      ■         ■
 昔は手稲金山でも、
 大夕張の山道でも、
 クマに遭遇することはありませんでした
 今は札幌市内の住宅地でもクマがいます。
 山に安心して行けるように、
 クマの頭数を減らしてほしいです。
 せっかくの山の日ですが、
 クマのことを考えると山には行けません。
 山好きの私には残念なことです。

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医学講座

どうなる物価高2025

 今日は2025年8月10日(日)です。
 札幌は猛暑がうそのように涼しくなりました。
 朝の気温は22℃でした。
 最高気温も28℃です。
 さくらんぼさんの山形も気温が下がり、
 雨も降っているようです。
 まだまだ油断はできませんがひとまずよかったです。
      ■         ■
 困っているのが物価高です。
 物価高と円安2025
 2025年7月6日の院長日記です。
 エビデンスがない本間仮説です。
 私は円安の影響が大きいと考えています。
 34年ぶり安値_1ドル=151円94銭になったのが2024年3月でした。
 あれよあれよと円安が進み、
 1ドル=158円台の円安が、
 2024年4月でした。
 今は1ドル=147円台です。
      ■         ■
 トランプ関税で米国で物価高になります。
 安くて性能がいい日本車は値上がりします。
 他のものも関税が高くなった分だけ値上がりします。
 米国は今でもモノが高いです。
 ニトリの似鳥昭雄会長が言われるように、
 米国の景気がトランプ関税で悪くなります。
 そうすると円高になります。
 似鳥会長の読みは130円台です。
      ■         ■
 円安になってモノが上がりました。
 輸入に頼る
 ガソリン、
 軽油、
 灯油などが上がりました。
 輸入小麦も、
 輸入飼料も輸入肥料も上がりました。
 1ドル130くらいになってくれるといいと考えています。
 エビデンスはありません。

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