医学講座
あっかんベーの修正手術
2018年5月16日と5月17日に品川プリンスホテルで開催された、
第106回日本美容外科学会(JSAS)
私が一番感動して勉強になったのが、
ヤスミクリニック(美容外科)
木村知史先生のご発表です。
あっかんべーの修正手術
…と私が勝手にタイトルをつけました。
■ ■
2018年5月17日
一般演題③9:00-10:20
術後の下眼瞼縁外反・下垂過大に対して早期に行える簡便で有効な修正法
木村知史
Tomofumi Kimura
ヤスミクリニック(美容外科)
術後の下眼瞼縁外反に対する治療法は、切開・剥離して眼輪筋を外側に牽引し目尻側の骨膜に固定、もしくは瞼板軟骨を外側に引き同様に固定などが行われている。
いずれも再手術なので、術後早期に行えず待機期間として3 ヶ月以上経っての手術となるケースが多い。
しかし社会復帰上、早々に治療を希望する患者は多い。 当施設ではメスで切開など行わず、早期に拘縮もしくは皮膚の足りない部分を伸ばした上で外側に牽引し目尻側に固定する治療法を行っている。
また近年の下瞼縁下垂手術(タレ目形成、グラマラスライン形成)では、患者は術前の希望と異なり、術後に少し戻して自然な感じにしたいなどということも時折ある。
そのような場合も早期にメスを使わない修正治療を行っている。
いずれも有効な結果を出しており、これらについて症例供覧・報告を行う。
■ ■
素晴らしい手術法です。
美容外科では、
下眼瞼のしわ取り手術、
タレ目形成、グラマラスライン形成手術
形成外科では、
下眼瞼切開による、
眼窩底骨折や頬骨骨折手術、
下まぶたが、
あっかんべーになることがあります。
■ ■
アッカンベーの手術
まぶたのトラブル症例2017
下眼瞼変形の原因②(美容外科手術の失敗)
下まぶたの修正手術2014
私の院長日記の中だけでも、
これだけアッカンベーが出てきます。
■ ■
あっかんべーになった患者さんはお気の毒ですが、
手術をした術者にもストレスです。
木村知史先生の手術法は、
私が今までに見た手術法の中で、
一番効果的で侵襲が少ない手術です。
手術後のあっかんべーで困っている患者さんは、
巣鴨のヤスミクリニックです。
信頼できる優しい先生です。
A simple method for the correction of lower eyelid retraction
Tomofumi Kimura
Yasumi clinic
医学講座
第106回日本美容外科学会(JSAS)東京③
品川プリンスホテルで開催されている、
第106回日本美容外科学会(JSAS)は勉強になります。
美容外科医の本音が聞けます。
シンポジウム2テーマ:鼻
10:20-11:40
座長:保志名 勝
SY-5
吸収性プレートを利⽤した⽿介軟⾻L 型フレームによる⿐尖形成術と⿐翼縮小+挙上術による効果の検討
田中真輔
城本クリニック新宿院
SY-6
側貌を改善させるための⿐中隔延⻑術時の付加⼿術
村松英俊
湘南美容外科大阪梅田院
SY-7
外⿐(nasal envelope)の整⿐術
室 孝明
ビスポーククリニック
SY-8
⿐背のspindle 切除で、正⾯の丸みは改善できるのか
大橋菜都子
ヴェリテクリニック
■ ■
どの先生の発表も素晴らしかったです。
でも鼻のシンポジウムを聞いて、
つくづく鼻は難しいなぁ~
…と思いました。
私はプロテーゼを使った隆鼻術しかしません。
私のは控えめなI型プロテーゼです。
それでも、
元に戻してくださいという人がマレにいます。
■ ■
シンポジウムをお聞きして、
L型プロテーゼが気に入らないので、
鼻中隔延長術の手術をしたものの、
やっぱり元のプロテーゼがよかった
…という患者さんいると、
会場の有名な先生が発言されました。
L型プロテーゼを抜くのはできますが、
鼻中隔延長術は、
元に戻すのが困難です。
私は鼻の手術はしませんが、
ベテランでも難しい手術だと感じました。
美容外科医は大変です。
医学講座
第106回日本美容外科学会(JSAS)東京②
今日の東京は晴れのいいお天気です。
品川プリンスホテルで開催されている日本美容外科学会に参加しています。
今日は元厚生労働大臣の塩崎恭久衆議院議員の特別講演をお聞きしました。
日本美容外科学会(JSAS)は有意義な学会で、
活発に討論もされています。
私は午前中の眼瞼のシンポジウムを興味深く聞きました。
■ ■
シンポジウム1
テーマ:眼瞼 9:00-10:20
SY-1 清水雄介
琉球大学大学院医学研究科形成外科学講座_教授
SY-2 池田欣生
東京皮膚科・形成外科銀座院_院長
お二人の先生が、
切らない眼瞼下垂症手術
…について詳しく動画で解説してくださいました。
■ ■
2013年の日本美容外科学会で、
慶應大学形成外科の清水雄介先生が、
Non incisional blepharoptosis correction
切らない眼瞼下垂の修正
…として発表されました。
清水先生の発表には動画もありました。
きれいで丁寧な手術でした。
■ ■
この切らない眼瞼下垂症手術は、
まぶたの裏側から、
まぶたを上げる筋肉、
ミューラー筋と眼瞼挙筋をいっしょに短縮する手術です。
2013年の清水先生のご発表で、
高齢で持病があって…
『切る手術』が難しい患者さんが、
目が開いて見えるようになっていました。
■ ■
切らない眼瞼下垂症手術
…という言葉を美容外科のHPで見ることがあります。
私がはじめて切らない眼瞼下垂症手術をお聞きしたのは、
真崎医院の真崎信行先生です。
真崎先生は共立美容外科創立者のお一人です。
脂肪吸引で使う、
KBシースの考案者です。
■ ■
手術法の詳細は、
若返り美容医療の実際という成書に書かれています。
永井書店、
ISBN4-8159-1701-9
平成16年10月1日に出版された本です。
切らない眼瞼下垂症手術は、
美容外科医の間では有名な術式です。
池田欣生(いけだよしお)先生がよく発表されていました。
■ ■
今日は会場に真崎信行先生もいらしてました。
清水先生は慶応大学から琉球大学形成外科の教授に就任されました。
清水教授の手術はとてもきれいで、
手術後1年でも目がしっかり開いていました。
今日の学会では、
本家本元の真崎信行先生から質問がありました。
とてもいい手術法だと思います。
清水教授からは、
後戻りが少なくなる方法を教えていただきました。
形成外科でも広まるとよい手術法だと思います。
医学講座
第106回日本美容外科学会(JSAS)東京①
明日から、
第105回日本美容外科学会(JSAS)が開催されます。
学会長は、
品川美容外科・医療法人社団翔友会理事長の、
綿引一先生です。
会場は、
品川プリンスホテル、プリンスホールです。
■ ■
私は毎年日本美容外科学会(JSAS)に参加しています。
学会のレベルが格段に向上しました。
今年も楽しみな内容が含まれています。
シンポジウム1
テーマ:眼瞼 9:00-10:20
SY-1 清水 雄介
琉球大学大学院医学研究科形成外科学講座
SY-2 池田 欣生
東京皮膚科・形成外科銀座院
SY-3 水谷 和則
銀座みゆき通り美容外科
SY-4 境 隆博
六本木境クリニック
■ ■
5月は学会シーズンです。
今週は、
2018年5月16日(水)~5月17日(木)の2日間、
第105回日本美容外科学会(JSAS)が品川プリンスホテルであり、
第44回日本熱傷学会が、
2018年5月17日(木)~5月18日(金)の2日間、
ステーションコンファレンス東京であります。
明日から金曜日まで休診させていただきます。
医学講座
さようならコンタクトオフビル
昨日、駅前通りを通ったら、
コンタクトオフビルの解体工事が進んでいました。
無くなる前に、
もう一度見ようと、
今朝の出勤前に寄ってきました。
ちょうど、
札幌美容形成外科の手術室が見えました。
■ ■
手術室の横に大きな穴があいていて、
そこから手術室内部が見えました。
なんと!
無影灯が残っていました。
無影灯の架台もしっかり天井についていました。
うちの奥さんは、
つらい
悲しい
…と言います。
■ ■
私には、
不思議と涙が出るような感情はなく、
移転が間に合ってよかった
(無影灯を)頑丈に固定してくれてよかった
…という思いしかありません。
今週は学会出張なので、
おそらく来週にはもう解体されていると思います。
13年間ありがとうございました。
頑丈に無影灯をつけてくださって、
ありがとうございました。
院長の休日
5億円「相続より若者に。お金が生きる」 印刷業の創業者、九州大に奨学金
平成30年5月13日、朝日新聞朝刊の記事です。
5億円「相続より若者に。お金が生きる」 印刷業の創業者、九州大に奨学金
学生の支援に役立ててもらおうと、福岡市の男性が九州大学に5億1600万円の寄付をした。「財産を残すより若い方に渡した方が、お金が生きる」と考えた。九大はこれを元に奨学金制度をつくり、学生の留学や修学を支援する。
男性は中本博雄さん(80)=福岡市城南区。11日、久保千春・九大総長に寄付金の目録を手渡した。
中本さんは小倉西高校在学中、恩師に九大進学を強く勧められた。だが家庭が貧しく、泣く泣くあきらめた。「先生が家に5回も来てくれたが、おやじは返事をしてくれなかった」
勉強したいという思いは消えず、働きながら独学。1972年ごろ、静電気を使ったコピー機関連の特許を米国で取ったという。「情熱が執念に変わるまで勉強すれば道は開ける」。1987年に福岡市で印刷会社「青陽社」を創業。財産を築いた。
子どもも孫もいるが、「相続しすぎると独立心が育たない」と考え、かつて進学を目指していた大学への寄付を決めた。高校の恩師も、22年前に脳梗塞(こうそく)で入院した際の担当医も、九大卒という縁もあった。妻の稔恵さん(74)も二つ返事で賛成してくれた。
「死んで財産を残すよりも若い方に渡した方が、お金が生きる。そこから新しい発明や発見が出て、日本が栄えていけばいい。あの世に行ったときは財産ゼロという死に方をしたい」
九大によると、奨学金名目の寄付では過去最高額。文部科学省によると、全国でもまれな金額だという。
九大は「中本博雄賞」を創設し、来年度から20年間、学生の留学や海外渡航費を毎年35人に、給付型奨学金を毎年30人に支給する予定。
(渡辺純子)
中本博雄さん
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
朝日新聞の朝刊を読んでいて、
すごいなぁ~
…と思いました。
私には絶対に無理です。
医学界でも聞いたことはありません。
すばらしいことだと思います。
さすが九州男児です。
これだけでも驚きでした。
■ ■
院長日記を書くためにネットで調べて、
もっと驚きました。
ふつうの印刷会社ではありませんでした。
青陽社のHPを見ると、
情報入力
・CAD入出力
・各種アプリケーション入出力
•Microsoft Word®
•Microsoft Excel®
•Microsoft PowerPoint®
•Microsoft Access®
•Adobe Illustrator®
•Adobe Photoshop®
•ソフト開発
・電子ファイリング
■ ■
私たちがして欲しいことが、
すべて掲載されています。
コピプリ
…という会社を運営していることもわかりました。
福岡市・北九州市・佐賀市・鹿児島市の印刷会社が運営している高品質で格安なコピー・プリントサービスです。
さすが、
働きながら独学。
1972年ごろ、
静電気を使ったコピー機関連の特許を米国で取った
…という社長さんは違います。
病院の紙カルテを電子化するのも、
この会社なら何とかしてくれるのでは?
…と思いました。
■ ■
九州大学の、
「中本博雄賞」で、
2019年度から20年間、
学生の留学や海外渡航費を毎年35人に、
給付型奨学金を毎年30人に支給
きっと素晴らしい研究成果が出ることと思います。
日曜日の朝に、
とても気分がいい記事をありがとうございました。
医学講座
はしか、「排除」したはずがなぜ流行?
平成30年5月11日、朝日新聞朝刊の記事です。
昨日の朝刊ですが、大切なことなので引用します。
(ニュースQ3)はしか、「排除」したはずがなぜ流行?
沖縄で流行しているはしかが、愛知や神奈川、東京にも飛び火し、4都県で患者数が100人を超えた。日本は2015年にはしかの国内流行を抑え込む「排除」を達成したが、なぜ感染が広がっているのか。その予防法は?
■すでに感染100人超
沖縄で最初に感染者が確認されたのは3月20日。台湾からやって来た30代男性で、発症した状態で商業施設や飲食店を観光で巡り、従業員やその家族らへと感染が広がっていった。
愛知では、沖縄に旅行した10代男性の感染が4月11日に判明した。男性は診断までに、名古屋市内の病院など県内の三つの医療機関を受診。医療機関の職員や患者を中心に感染が拡大した。
川崎市や東京都町田市でも5月8日までに、沖縄からやってきた20代女性などの感染を確認。同日時点で、沖縄に端を発したはしかの患者数は、公表分だけで沖縄92人、愛知16人、神奈川・東京2人の計110人に上っている。
はしかはウイルス性の感染症で空気中のウイルスを吸い込むだけでもうつる。約10日の潜伏期間後、熱や発疹が出る。特効薬はない。肺炎や脳炎などとの合併症が起こることもあり、約1千人に1人は命を落とすと言われている。
かつては日本も年間約20万人の患者がいたとされる。2008年には、子どもを中心に患者が1万人を超え、休校が相次いだ。しかし、予防接種の普及で、2015年に患者が年35人まで減少。世界保健機関(WHO)は「地域性流行が1年以上ない状態」など、日本がはしかの「排除」を達成したと認定した。
■帰国者らから拡大
ただし、その後も、毎年100人台の患者が出ている。主な原因は、タイやインドネシアなどはしかが排除されていない国からの帰国者や訪日客が感染源となる「輸入はしか」だ。
昨年は、インドネシアから帰国した20代男性から、山形県を中心に7都県の約60人に感染が広がった。今回の流行の感染源となった台湾の男性も、沖縄への旅行前にタイに行っており、そこで感染したとみられる。
感染症に詳しい、川崎市健康安全研究所の岡部信彦所長は「大流行を大火事とすると、今回はまだぼや程度。ワクチン接種が2回の世代が増えて大流行の可能性は低いが、食い止める努力が大切だ」と話す。1年以上感染が続けば、WHOからはしか「排除」の認定を取り消される可能性もある。
■まずワクチン接種
対策のポイントは二つだ。まずはワクチン接種。はしかのワクチンは1978年から定期接種が始まり、2006年から回数が2回に増えた。2回接種していれば、多くは予防できるとされる。
今回の感染者も接種歴「無し」「1回」「不明」がほとんどだ。岡部所長は「子どもは定期接種を必ず受け、大人は母子手帳を確認し、はしかにかかっておらず接種歴が0回の人は任意接種を」と呼びかける。ただし、妊婦などはワクチンを打てない。その場合、家族など周囲の人がワクチンを打って、感染を防ぐことが大切だ。
二つ目は、医療機関の受診方法だ。愛知や東京では、医療機関で感染が広がった。発熱や発疹などはしかと似た症状が出たら医療機関に事前に連絡する。受診方法を確認し、ほかの来院者や医療従事者に感染を広げないようにすることが重要だ。
(水戸部六美)
はしかの患者数の推移/沖縄からのはしかの感染拡大の推移
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
私は子どもの時にはしか麻疹にかかりました。
うちの奥さんによると、
私の息子もはしかになったそうです。
受診した小児科で移ったそうです。
(私は育児を奥さんに丸投げだったので記憶がありません)
娘は予防注射を一回受けたので、
息子のはしかは移らなかったそうです。
■ ■
私は30歳の時に、
風疹で入院しました
当時勤務していた、
形成外科メモリアル病院で、
子どもの患者さんからうつりました
39℃の高熱が出て、
とてもつらかった記憶があります。
■ ■
朝日新聞に書いてあるように、
■まずワクチン接種です。
気になったので、
昨日、薬問屋さんに問い合わせました。
全国的な流行で、
麻疹風疹のワクチンが品薄だそうです。
はしかにかかりたくなければ、
外出を避けることです。
でも、困ったなぁ~
来週は学会で上京しなくてはなりません。
私は子どもの時にはしかに罹患したので、
おそらく大丈夫だと思います。
気をつけましょう!
昔の記憶
大浦武彦先生87歳のお誕生日
今日5月11日は、
恩師、
大浦武彦先生のお誕生日です。
先生は、
1931年5月11日(昭和6年5月11日)に台湾でお生まれです。
87歳の今でも、
現役の医師であり、
現役の研究者です。
日本下肢救済・足病学会の理事長です。
■ ■
最愛の奥様、
大浦憲子様がお亡くなりになったのが、
2013年11月19日(平成25年11月19日)です。
大浦先生は、
札幌駅近くのマンションで、
お元気で生活されています。
…ここまでは昨年と同じ記載です。
毎年、このお誕生日の記録を更新したいです。
■ ■
FBを見ると、
今は教授のお誕生日を、
医局員が教室でお祝いするところもあるようです。
私の記憶では、
大浦武彦先生のお誕生日のお祝いをしたのは、
還暦の時だけだったと思います。
大浦先生、申し訳ございません。
■ ■
下の写真は、
平成16年12月11日に開催された、
北大形成外科忘年会の集合写真です。
大浦武彦先生の右上に私が写っています。
今から14年前です。
ちょうど札幌美容形成外科を開業した年です。
私は49歳で、
大浦武彦先生は73歳です。
いつまでもお元気でご活躍していただきたいです。
わきが
わき汗は自分のせいではない
わきに汗染みができました
63歳の私ですら、
シャツの脇が黄色くなるとショックです。
私の耳垢は乾いていて、
ワキガ体質ではありません。
それでも、
汗をたくさんかくと、
シャツのわきの部分が黄色くなります。
■ ■
札幌美容形成外科の院長、
わきがくさい
…なんて思われると、
嫌です。
ですから、
毎日お風呂に入って、
下着も取り替えて、
術衣も取り替えて、
気をつけています。
■ ■
不潔にして汗臭いのは本人の責任ですが、
自分には何の責任もないのに!
悪いことをしたのでもないのに!
脇から大量の汗が出る人がいます。
私は自分が汗で困っているので、
困っている人の気持ちがわかります。
私は脇から出た汗が、
へその横くらいまで流れることもあります。
■ ■
毎年5月と6月は、
脇汗ボトックス注射にいらっしゃる方が多い月です。
患者さんから、
ここが無くならなくてよかった
…と言っていただいています。
汗のにおいを、
ワキガだと誤解している人もいます。
脇汗で困っている方はどうぞいらしてください。
ご予約をお待ちしております。
医学講座
独学で覚えた医療事務とオンライン請求
昨日の院長日記、
移転とオンライン請求2018に、
さくらんぼさんからコメントをいただきました。
私がニチイさんで資格を取った時は電卓に薬価本でした。
うちの奥さんも、
ニチイ学館で医療事務の資格を取りました。
電卓と薬価本でした。
■ ■
今はPCで料金計算をして、
オンライン請求です。
札幌美容形成外科を開業した14年前は、
紙カルテで、
紙のレセプトに手書きでした
毎月、月はじめに、
日本医療事務センターから2~3人の方にいらしていただき、
手書きでレセプトを作成していただきました。
■ ■
傷病名という病名も、
ゴム印で押してました。
今から考えると隔世の感があります。
札幌美容形成外科を開業した時は、
領収書もレシートだけでした。
2005年から
ORCAオルカ
…と呼ばれる。
日本医師会が作った料金計算のシステムを入れて、
手書きレセプトから、
印刷したレセプトにしました。
領収書も印刷して出せるようになりました。
■ ■
その次、
2009年に導入したのが、
電子カルテです。
アイレックスという札幌の会社の電子カルテです。
その前に使っていた、
ORCAオルカというシステムを使える電子カルテです。
今でも使っています。
私は、
それぞれのシステムを、
会社の担当者から教えていただき、
あとは独学で覚えました。
オンライン請求は知り合いの先生が、
『僕は自分でやってます』
『(本間)先生もできますょ』
…というお言葉に励まされてやりました。
やればできるものです。