医学講座

深澤信博先生の文章

 メディカルトリビューンという
 お医者さん向けの情報誌があります。
 2009年3月19日号に、
 掲載された文章をご紹介いたします。
 国立高崎病院小児科の深澤信博先生です。
 リレーエッセイ547
 続・時間の風景
 50歳台後半
 ―小児科医の決意
 国立病院機構高崎病院救急外来部長(小児科)深澤信博
 私は,自治医科大学の1期生です。自治医科大学の1期生には,WHO西太平洋事務局事務局長の尾身茂氏を始め,自治医科大学,札幌医科大学,信州大学の医学部教授,日本家族計画所の所長,日本ヘルスプロモーターセンターのI氏など全国版の著名かつ才能豊かな先生方が存在します。しかし私のような1期生もいるのです。
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 そもそも自治医科大学は,日本の僻地医療の解消と地域医療の充実を目的に1972(昭和47)年に開設されました。授業料の全額と生活費の一部が貸与され,大学在学年数の1.5倍の期間,出身県の指定する医療機関に勤めれば返済の義務はなくなるという契約を交わす大学です。
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 昭和46年に高等学校を卒業し現役では医学部に入学できず浪人の身になりました。どこで自治医科大学の開校を知ったのか記憶にないのですが,受験大学が1校増えたことはうれしく(1浪していましたので国公立しか受ける余裕はありませんでした),試験に臨みました。
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 試験の結果は不合格でした。そのため,すでに合格していた工学部建築学科に入学する手続きをしましたが,補欠合格の知らせが入り,自治医科大学に入学することができました。現在の受験制度では補欠合格は存在しないとのことですが,正規の合格者に辞退が出たために入学資格が回ってきた訳です。
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 補欠入学者を誰に決めるかは内中書の内容,試験の点数,面接の状況などを総合して大学の理念にどれだけ合っているかを数授会や事務幹部の会議などで多くの時間をかけて検討したものと思います。ですから,補欠合格した自分は正規入学者よりもかえって大学から選ばれ望まれて採用されたのだと(勝手に)思い込んでいます。
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 この大学への恩(報恩)と感謝のため,“名医にはなれないが良医にはなろう,公的病院の勤務医として働こう”と心に決めました。卒業当時,すでに内科系は臓器別に専門が分かれ,また患者さんの全体を診るよう指導されていたため,小児科を選び,群馬大学小児科学教室に入局しました。
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 1年目は大学勤務,2年目から6年目までは関連病院の小児科勤務。7年目,8年目は僻地勤務で国保診療所勤務。診療所は職住一致で,妻はこの頃の生活が(出産もあり)一番思い出深いようです。その後,自治医科大学に戻り,昭和61年から平成1年の約3年間,消化器内科,循環器内科,呼吸器内科の3科をそれぞれ1年間ずつシニアレジデントの身分で研修させてもらいました。3年間の内科研修後は,また群馬に戻り小児科医として働くつもりでしたが,人事の時期ではなかったため,なかなか職場が決まりませんでした。
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 知人から,新しく小児科を開設したいと希望している病院があることを知らされ,妻と2人で面接に行きました。公的医療機関ではありませんでしたが,仮契約をしました。その帰る途中で,現在勤務している高崎病院(当時・国立高崎病院)のそばを通り,“こんな病院に勤められればいいね”と妻と話し合ったのを覚えています。その翌年の正月,実家に帰っていた私の元へ群馬大学小児科の医局長から“高崎病院勤務者が開業のため2月いっぱいでやめる。その後に勤めないか”との連絡がありました。公的医療機関の勤務を希望していましたのですぐに決めさせて頂き,その後現在まで20年にわたって勤めることとなりました。
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 私は医者となって今年で31年目になりますが,研究歴も専門性もない一般小児科医です。作家の見川鯛山氏が著書『医者ともあろう者が』でご自身のことを“日本でもめずらしい博士号のない医者”と述べていますが私もその一人です。しかし診療に関しては迅速さと患児やその家族に対しての誠実さを心がけ,地域医師会とも良好な関係を保つよう心がけています。
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 最近は小児の時間外医療についての様々な意見がありますが,家族の心配さを思えば“コンビニ化”もいたし方ないと考えています。体力が続く限りは診療依頼を拒まないつもりです。
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 オバマ大統領は就任演説の中で,“我々が直面している新しい試練に立ち向かうためには新しい道具が必要かもしれないが,成功するかどうかは労働と誠実さ,勇気,フェアプレー,忍耐,好奇心,忠誠心や愛国心などにかかっている。古くから言われていることだ。だが真実だ”と述べています。医療に関しても同様で,“迅速さや誠実さ”が大事なものと思います。
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 1年浪人したことが自治医科大学の開校と一致した,補欠合格が良医と地域医療を心がけるきっかけとなった,公的病院勤務の希望が突然かなったなど,私はまだ50歳代の後半ですが“人生は何が幸いするかわからない,努力+αがあるかもしれない”と思っています。
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 “現在の結果はその過去に原因がある。未来の結果は現在が原因する”と言う言葉があります。過去は変えられないが,未来は現在の生き方で変えられるというものです。幸せは他人に尽くせること,そしてその人の喜びと感謝の気持ちに共感できることと思います。これからの人生に向け,迅速性はだんだん落ちてきましたが,誠実さは失わないで診療に励むつもりです。
 (以上、メディカルトリビューンより引用)
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 私は補欠合格で医学部へ入学し、
 素晴らしい医師になられた先生を、
 何人も知っています。
 合否の分かれ目が、
 ほんの一点差であることは、
 現在の大学入試制度では珍しくありません。
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 北海道でも多数の自治医大卒業生が、
 活躍なさっていらっしゃいます。
 町立厚岸病院でご活躍の
 佐々木暢彦先生も、
 自治医大の卒業生です。
 これから医学部を目指す学生さん、
 医学生のみなさんに読んでいただきたいと思い、
 長文の記事を引用しました。

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