院長の休日
こいのぼり
私が小さい頃、家に鯉のぼりはありませんでした。
家内もお雛様を持っていなかったそうです。
今から23年前に、長男が生まれました。
家内の両親が、こいのぼりを贈ってくれました。
当時、私は北大形成外科のチーフレジデントをしていました。
以前にも書いたように…
長男が生まれた時刻に、
私は北大病院で、患者様の病理解剖に立ち会っていました。
■ ■
当時住んでいたのは、札幌市北区新琴似のマンションの1階でした。
3LDKで、家賃が管理費込みで6万円でした。
北大病院のお給料では、マンションを購入する余裕はありませんでした。
転勤も多かったので、賃貸マンションをお借りして住んでいました。
JR新琴似駅からすぐで、
近くにフレッティーというスーパーもあり便利なところでした。
私はこのマンションが気に入っていました。
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家内の両親が贈ってくれた鯉のぼり。
マンションの1階だったので、ベランダ外側の、
敷地内に立てました。
今でしたら、管理規約でダメと言われるかも知れません。
そこのマンションでは、特にお咎め(オトガメ)もなく、
鯉のぼりを黙認してくれました。
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鯉のぼりを上げるのは、家内の役目でした。
雨の日は上げられません。
朝、上げて…
夜、しまいます。
私は休日程度しか、上げませんでした。
鯉のぼりは、この上げ下げが結構面倒だと知りました。
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新琴似から、釧路労災病院へ転勤しました。
釧路労災病院でも官舎の敷地内に立てた記憶があります。
ただ、釧路の5月は寒くて、霧も出ました。
あまり、鯉のぼりの出番がなかった記憶があります。
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釧路の次は、函館中央病院に一年間勤務しました。
函館の住宅は、五稜郭公園のお堀の前でした。
自宅の窓から、
五稜郭公園の桜が見える最高の場所でした。
ただ、そこは3階建のアパートだったので、
鯉のぼりを立てる場所がありませんでした。
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札幌へ帰って来たのが、平成元年でした。
私が35歳。
長男が4歳でした。
まだ、鯉のぼりを喜ぶ年齢だったので、
西区山の手に新築した自宅で、
久しぶりに鯉のぼりを立てました。
住宅ローンで、家計は火の車でしたが、
久々に空を泳いで、鯉のぼりも楽しそうでした。
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ただ、山の手の家は川のそばにあり…
風が強い場所でした。
家内いわく、鯉のぼりを上げても…
ポールに絡まって(カラマッテ)しまい…
鯉が上手に泳がない。
山の手には、
平成元年から平成6年まで住んで、
帯広厚生病院に転勤となりました。
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帯広で、鯉のぼりを上げたかどうか…?
記憶が定かではありません。
帯広では、西帯広の住宅地に、
一軒家をお借りして住んでいました。
とても快適な家でした。
私の記憶では、最後に鯉のぼりを上げたのは…
子供が小学生だった、山の手の家だったと思います。
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さくらんぼさんが、
昨日の日記でコメントしてくださったように…
子供が大きくなると、
鯉のぼりより、
部活のサッカーや友人との釣りが楽しくなり、
家で鯉のぼりを上げても喜ばなくなったためでしょう。
鯉のぼりは…
男の子が生まれて喜んだ、
親と祖父母のためにあったのか?
と考える年齢になりました。