院長の休日
地雷除去機
平成20年5月31日、朝日新聞、be on Saturdayの記事です。
フロントランナー
山梨日立建機社長
雨宮 清(あめみや きよし)さん(61歳)
アフリカの地雷根絶したい
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山梨の町工場のオヤジが、世界の地雷と闘っている。
経験ゼロから奮起一番、
たたき上げの技で悪魔の兵器と渡り合う。
反感にも、爆風にも、戦禍にもめげず、
地雷除去機を手がけて15年。
今度の舞台はアフリカだ。
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-アンゴラに地雷除去機を持ち込みました。
国家地雷除去院という政府機関があって、
昨年夏に2台持ち込み、
使い方を覚えてもらいました。
世界で最も地雷に汚染された国で、
国土の3分の1にあたる約42万平方㌔が地雷原。
日本全土より広いんですよ。
2001年に来日したドスサントス大統領に誘われ、
内戦終結を待って訪ねました。
電線を守るために地雷が道路に埋められ、
往来が寸断されている。
投票すら行けないという状況です。
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-そもそも、なぜ除去機を作ったんですか。
1994年、仕事のついでに足を延ばしたカンボジアで、
幼女をおぶった老婆に出会いました。
右ひざから先がなく松葉づえをつき、
焼けただれだほおをスカーフで隠していた。
地雷で家族はみな亡くなったそうです。
「カンポジアを助けて」と訴えられ、
耳から消えなくて。
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-整備業だから、新機種の開発は初めてでした。
1号機の完成に4年半ですよ。
まず地雷の仕組みがわからない。
カナダの軍人やNGO(非政府組織)など、
いろいろな人から聞きました。
初めはショベルカーを改造していましたが、
いまは機体も含めてすべて作っています。
採算は度外視。
もう10億円は使ってるかな。
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-既に他メーカー製の機械があったのでは?
最初に見たのはカナダ製だったけど、
オレも技術屋だからね、
すぐ使えないとわかりました。
カンボジアは低木が多く、
地雷を掘る前に刈り取らなきやいけないが、
パワー不足でカッターはもろい。
現場で本当に役立つ機械を、
と開発に踏み切りました。
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-機械は壊れやすく狭い場所にも入れない、
手作業が一番だと言う人もいます。
世界80カ国以上に1億個を超える地雷が埋められています。
手作業は危険だし、
いつまでも終わりません。
操縦席にいれば蚊を防げるから、
マラリアにやられる危険も減る。
機械の押しつけにならないよう、
現地の人と同じテントに寝て、
メシを食い、
何が必要か聞いてきました。
カンポジアは雨が多く地盤が軟らかいから
機械が重いとはまっちやう。
アフガニスタンは一見砂漠だけど、
少し掘るとガチガチの岩盤。
場所ごとに機械は開発し直します。
メンテナンスにも力を注ぎ、
欧米製の機械は半分は動かなくなってるけど、
うちは1号機からすべて現役です。
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-アンゴラの状況はいかがですか。
30年近く続いた内戦が終わって間もないから、
ほとんどの地雷が生きています。
ワイヤで引っかける悪質な仕掛け地雷が多いですね。
広々としていて大型の機械も比較的入りやすいんですが、
岩がちで処理が難しい。
まだ課題は山積みです。
でも、手応えはあります。
昨年夏に一カ月滞在したんですが、
今後の担い手になる若者たちは明るくて勤勉だし、
なにより母国を良くしようと一生懸命。
自分の若い頃を思い出しました。
アフリカは、これからですよ。
文・神田大介、写真・山谷勉
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●プロフィル
1947年、山梨県山梨市生まれ。
中学を卒業後、東京の建設機械メーカーに就職。
1970年に自動車修理業として独立した。
その後、建機販売・整備へ業務を拡大。
1997年に日立グループ入り。
本社は同県南アルプス市。
従業員67人、
2006年度の売上高は17億3千万円。
(以上、朝日新聞より引用)
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世の中には、すごい人がいらっしゃるものです。
私は、この雨宮さんに、
ノーベル平和賞を差し上げたいと思いました。
日立建機を見直しました。
中学校しか出ていないというと失礼ですが、
そこが、この雨宮さんのすごいところです。
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私は、この社長さんのように、
この道一筋、何十年という人を尊敬します。
こういう立派な方たちが、
今の日本を作ってきました。
フリーターやニートの若者に、
是非、見習っていただきたいです。
私は地雷除去はできそうもないので、
将来、時間ができたら、
地雷でケガをした人を、
治すお手伝いをしようと思いました。
カッターは1千度の爆風に耐え、
地雷を残らず爆発させる。
「わが子同然」の機体に寄り添う=山梨県南アルプス市
(写真は独立した当時、自宅で妻の里子さんと)
(以上、朝日新聞より引用)