院長の休日
「ありがとう」で変わる
平成20年6月6日、朝日新聞夕刊の記事です。
「ありがとう」で変わる
語る人
京セラ名誉会長 稲盛和夫さん
心地よく、周囲も優しく、生活潤う
勝つか負けるか。
厳しい競争でぎりぎりの日常は、
「ありがとう」という言葉で変えられると、
京セラ名誉会長で僧侶の稲盛和夫さん(76)は言う。
自分以外のすべてに感謝することで、
挫折続きの人生が本当に一変したという。
(織弁優佳)
■ ■
――苦しい時に「ありがとう」なんて言えるでしょうか。
不平、不満が募る悪循環から抜け出す時が、
一番大変です。
空襲で丸焼けになった鹿児島から、
私が京都に出てきたのは1955年。
家は貧しい。
受験はことごとく失敗。
大学を出たら就職難。
やっと入った会社はつぶれそう。
これが不平を言わずにおれますか。
■ ■
同期がみんな辞めて不満を言う相手もなくなり、
仕方なく仕事に気持ちを向けた。
エレクトロニクス用の絶縁材料の開発です。
本気になると時間が惜しくなって研究室に泊まり込む。
上司が様子を見に来る。
良いデータが出れば、
「よかったね」と声がかかる。
いよいよ張り切る。
こうして新しいファインセラミックス材料の合成に成功し、
それがテレビのプラウン管部品に採用された。
逆境のままでしたが、
ここから「善の循環]が始まりました。
■ ■
――好調だと今度はおごりが出そうです。
努力の結果だとうぬぼれたい時も、
幸運には感謝できるでしょ?
いい時も悪い時も、
ウソでもいいから「ありがとう」と言ってみる。
まず自分が心地よい。
明るくなって周囲も優しくなり、
生活にうるおいが満ちてくる。
この快感は、
欲望を満たした時とは違ってさわやか。
これが心を磨くことなんです。
■ ■
人生とは一生かけて心を磨くこと。
だから死に旅立つ前に、
宗教の本を読み、
じっくり人間を勉強する静かな時間を持ちたかった。
65歳でようやく、
京都の寺で得度を果たす
(仏門に入る)と、
尊敬する老師に
「あなたは社会に出て役立つことが仏の道」
と言われた。
それで経営の一線を退き、
学術・文化を応援する財団の運営や、
家庭に恵まれない子を支える施設づくりなどに
力を入れています。
■ ■
――お金がないとできませんね。
懸命の努力で京セラが成長し、
私は「お金持ち」になりました。
たまたま手にした財産は預かり物だと思うから、
どんどん世の中に還元する。
心も磨かれる。
でも、少ない中から少し寄付しても同じことです。
■ ■
――日常に追われ、
心を思う余裕がありません。
私も現役時代は忙しく、
重圧がかかる毎日でした。
でも、
会社が急速に発展していった40代半ばから、
瞑想のまねごとをした。
毎晩寝る前に深呼吸して声に出して
「ありがとうありがとう……]と唱える。
それだけで波だった心が静まりました。
■ ■
若いころ、
来る日も来る日もセラミックの材料を
砕いて焼いて、
一生このままうだつが上がらないのかと
思い悩んだこともありました。
でも、
地味な仕事を積み上げるしかないと、
今では分かる。
こういう真理は、
経験した者が若い人にこんこんと教えるしかない。
■ ■
――思いが伝わらない相手もいると感じてしまいます。
研究が難航していた時、よそからきた上司と衝突しました。
すると仲間7人が私と一緒に退社し、
出資者を探し、
「稲盛の技術を世に問う」と会社をつくってくれた。
おりがたくて、懸命に頑張りました。
これが京セラの始まりです。
まだ20代の終わりでした。
■ ■
「自分の夢」から「従業員の生活」に
ところが創業3年目に、
若い社員たちに将来の待遇を保証しろと要求された。
全力を尽くすからついてきてくれとしか約束できない、
と説くうちに
「技術で勝負」という気負いが消え、
「自分の夢より、従業員の生活を守るのが経営者だ」
と思うようになった。
思えば、それは利己から利他への転換でした。
それからは社員に媚びなくなった。
「お前らのためにこっちは頑張ってるのに、
さぼるとは何事だ!」と言えるわけ。
■ ■
――「全力」を求めるのは、競争に勝つためですか。
努力は「負けないため」ではなく「生きるため」。
先日、道ばたの石垣で咲く小さな花を見つけ、
わずかなすき間に根を生やした命のたくましさに
胸を打たれました。
自然界は必死でないと生き残れない。
私は必死の努力で、
不可能が可能になる瞬間を味わってきた。
「強者に負けた」ようでも、
「生きる努力が足りない」から敗者になる。
敗れても人生が終わるわけじゃない。
そこで気付くことがあれば、
次は必死になり、
生きていることを実感できます。
(以上、朝日新聞から引用)
■ ■
平成18年11月15日の日記、ニトリ寄附講座で、
ニトリの似鳥昭雄社長が、
社員や奥様に声を出して、
「ありがとう」と言われると書きました。
大物の社長さんは、
しっかりと「ありがとう」と言えるのが条件のようです。
確かに、いい言葉です。
今日も、この新聞記事を手にして
家内に言われました。
『あんたは、私にありがとうと言わない!』
■ ■
娘の件で、最近、またゴタゴタしています。
家内と口論もあります。
こうも言われます。
『あんたは、病院ではいい顔ばかりしているけど…』
『家では、何も言わない。』
『機嫌が悪く、日記の中とは別人だ!』
まあ、こう言われても仕方がないところもあります。
とにかく、休みなく働いていて、
娘のことでゴタゴタしているので疲れます。
■ ■
手術をしている時は、
それなりに緊張感があり、
手術がうまくいって、
「ありがとうございました」と言われると
疲れも吹き飛びます。
職員もテキパキ働いてくれるので、
感謝して『ありがとう』と自然に言えます。
開業してからは、自然と、お客様に
『ありがとうございました。』
『お気をつけてお帰りください。』
と言えるようになりました。
■ ■
昨日の日記に、娘のことを書いたら、
たくさんのコメントをいただきました。
さくらんぼさんをはじめ、
ご心配いただき、
本当にありがとうございます。
私のガンコDNAが娘にも遺伝しているので、
簡単には回復しそうにありません。
こうして、日記に書くことで
少しでも冷静に分析・判断をしてみたいと考えています。
稲盛さんのように、
温和な顔になるには時間がかかりそうですが、
生きる努力をしてみようと思います。
いなもり・かずお
1932年生まれ。
鹿児島大工学部卒。
京セラ名誉会長、
KDDI最高顧問、
稲盛財団理事長。
京セラ本社には、
仲間7人と創業した時に掲げた
「敬天愛人」の額が今も
=京都市、伊ケ崎忍撮影
(以上、朝日新聞より引用)