昔の記憶
切断指再接着
平成20年6月21日の日記に、
北海道で最初に、
切断指再接着を成功させたのが、
薄井正道先生と書きました。
切断した指を、
世界ではじめてつないだのが、
1965年、
奈良医大整形外科の玉井先生と小松先生でした。
これは今でも、欧米の教科書に記載されています。
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北海道で最初の成功例は、
1974年、
北海道大学整形外科の薄井正道先生でした。
1974年3月(昭和49年3月)でした。
当時、私は一浪の末に、
札幌医大から合格通知をいただいていました。
ようやく試験勉強から開放され、
毎日、ぼ~っとしていました。
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当時は朝日新聞を購読していました。
夕刊の記事だったと思います。
『せっちゃん、指くっついた!』
という見出しで、
写真入りの記事が掲載されました。
何気なく、読んでいると…
その記事に載っていたのは、
私の夕張市立鹿島中学校の同級生でした。
■ ■
間違いなく、
鹿島中学3年A組で、
渡辺煕(わたなべひろし)先生のクラスで、
同級生だった、○○勢津子さんでした。
新聞記事を見た第一印象。
『キレイになったなぁ!』
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私が大夕張で同級生だったのは、
15歳の時でした。
面倒見のよい、明るい子でした。
目がパッチリと大きかった印象があります。
それから4年が経過していました。
私19歳、彼女も19歳です。
同じ班だったこともあり、
中学校ではよく話していました。
■ ■
彼女は、南大夕張の木工場で作業中、
誤って指を切断してしまいました。
南大夕張から、北大まで搬送され、
薄井正道先生に手術を受けました。
切断された、
おや指の血管と神経をつないで、
再接着術に成功しました。
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札幌医大に合格したばかりで、
私には何の医学的知識もありませんでした。
新聞に掲載されていた彼女を見て
ただただ驚きました。
笑顔で『先生ありがとう!』と言っているのは
4年前に同じクラスで勉強していた子でした。
すごいなぁ。
痛かっただろうなぁ。
そんな思いが頭をめぐりました。
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お見舞いに行こうかなぁ?
一人では行きにくいなぁ…
シャイな私は、友人に頼んで、
一緒に北大病院まで行ってもらいました。
北大病院の整形外科病棟まで行きました。
病棟の看護婦さんに、
『あのぅ~、指の○○さんのお見舞いに…』
と言ったところ、
『あっ、今、回診中だから、待ってて!』
と言われました。
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『あっ、それじゃこれ渡してください。』
と
持って行った、お菓子を置いて、
シャイな私は逃げるように帰ってきました。
看護婦さんが、
『ちょっと待っててくれればいいのに…』
『きっと残念がるゎ…』
と言われたのを覚えています。
新聞に出ていた○○さんが、
とてもキレイになっていたので、
私は会うのが恥ずかしかったのです。
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その後、35年が経過しました。
私は○○さんにお会いしたことがありません。
医師になってから、
薄井先生に、話したことがあります。
先生もよく覚えていらして、
『あぁ、せっちゃんいい子だった。』
『確か、天理市へ行かれてその後診ていない…』
というようなことを話した記憶があります。
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日記に書いた、
土田芳彦先生は薄井先生の弟子。
薄井正道先生は、
現在、釧路市の東北海道病院院長をなさっていらっしゃいます。
もし、山形で切断指や重症四肢外傷になったら、
山形大学医学部整形外科に
荻野利彦教授がいらっしゃいます。
山形大学整形外科は、
一度に多数の指の再接着に成功し、
TVや新聞で報道されたこともあります。
荻野教授も
薄井先生と同じ、北大整形外科上肢班でした。
さくらんぼさん、
北海道まで来なくても大丈夫ですょ。