医学講座
学会の準備①
今週末にソウルである、
学会の準備をしています。
学会はただ聴くだけと…
発表するのでは、
雲泥の差があります。
以前、函館の看護師さんから
ご質問があったように…
昔は、学会はすべてスライドでした。
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今は学生のうちから、
全員の前で発表する‘訓練’をする
学校や大学もあるようです。
私たちの時代(30年前)にも
級友の前で発表する程度はやりました。
当時は、OHPという手書きの資料や、
せいぜいコピー機で作った紙の資料でした。
ワープロもパソコンも高価で、
学生が手軽に買える時代ではありませんでした。
理系学生が、
高級な電卓を持っていたのが、
珍しい時代が30年前でした。
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私が医師になった頃は、
今ほど薬屋さんとの‘お付き合い’が
規制されてはいなかったので、
学会のスライド作りとか、
文献検索などをよくお願いしていました。
自分では作る時間もなかったですし、
図書館に行く時間もありませんでした。
北大は図書館の閉館時間が早く、
業務が終わった時には図書館は閉館していました。
その点は、札幌医大の方が進んでいました。
今でも、札幌医大図書館の方が…
医学部に限ると北大より立派です。
■ ■
新人の研修医が発表する時は、
何度も先輩から指導やチェックを受けます。
北大形成外科はこれが充実していました。
全国学会や国際学会でも、
恥をかいた覚えはありませんでした。
これも、大浦武彦教授をはじめとする、
先輩のご指導があったからです。
今でも感謝しています。
私のはじめての全国学会デビューは、
日本熱傷学会でした。
私の発表原稿は、
ほぼすべて…
先輩に書き換えていただきました。
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スライドの作成に時間がかかるために、
最低一週間前には、
予演会という‘練習会’がありました。
医局の先輩や教授の前で‘発表’するのです。
これが、本番の学会以上に厳しいものでした。
予想される質問を、
先輩から次々と浴びせられます。
あの文献が抜けている!
以前に○○先生がこの発表をしている!
などなど、
先輩からのご指導がなければ
わからないことだらけです。
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私の発表原稿が完成したのは…
学会へ出発する当日の朝方でした。
スライドをしっかり持って、
何度も書き直した発表原稿を持って、
フラフラしながら空港へ向かった記憶があります。
今となっては笑い話しですが、
家内の前で声を出して原稿を読んで、
チェックしてもらいました。
最初は日本語の発表でもこんな様子でした。
まさか自分が外国へ行って、
英語で発表するようになるとは…
夢にも思いませんでした。