医学講座
爪の下にできる癌
昨日の院長日記は、
女性の外性器腫瘍
人間も、
動物も、
考えもしないところに、
悪性腫瘍ができます。
専門医でも、
診断に迷うことがあります。
■ ■
私が難しいと思うのが、
爪の下にできる皮膚がんです。
爪の下にも、
皮膚がんができます。
悪性黒色腫という、
ほくろの癌が爪の下にできることがあります。
難しいのが、
黒くない悪性黒色腫です。
■ ■
黒色腫という名前なのに、
黒くないメラノーマがあります。
アメラノーティックメラノーマと言います。
無色素性悪性黒色腫と呼ばれます。
メラノーマは、
高須先生のチャッキーがかかった癌です。
人間にも動物にもできます。
■ ■
爪の下に皮膚がんができるなんて、
お医者さんでも知らない人がいます。
爪をつぶしてできた血豆だと思っていたら、
いつまでたっても治らない。
大きくなってきている…というのが心配です。
他の部位でしたら、
組織検査をして調べることもできますが、
爪の下の組織検査は厄介です。
■ ■
爪があるので、
簡単に爪をはがして組織検査ができません。
麻酔をちゃんとすれば痛くありませんが、
痛くないように麻酔をするのも、
医師の経験と技術が必要です。
一番大切なのは、
爪の下にも皮膚がんができるという知識です。
治りにくいきずを診たら、
皮膚がんを疑うのが経験を積んだ医師です。
医学講座
女性の外性器腫瘍
札幌美容形成外科で多い手術が、
小陰唇縮小手術です。
この手術を受けて、
すっきりなさる患者さんが多いです。
看護師さんで、
この手術を受ける方も多いです。
看護師さんは職業柄、他人の性器を見ます。
自分のが大きいとわかります。
■ ■
残念なことに、
小陰唇縮小手術は保険適応になりません。
保険適応は、
国が決めることです。
今の保険医療制度では、
どうやっても保険で小陰唇縮小手術はできません。
私は美容目的の手術とは思いませんが、
国が決めたことなので仕方がありません。
■ ■
保険適応になる手術に、
K849女子外性器腫瘍摘出術があります。
女性の外性器、
大陰唇や小陰唇に腫瘍ができることがあります。
子宮や腟にできた腫瘍は婦人科ですが、
大陰唇や小陰唇にできた腫瘍は、
形成外科でも手術をすることがあります。
■ ■
大陰唇や小陰唇に、
悪性腫瘍ができることがあります。
外陰癌がいいんがんと呼びます。
保険適応の手術に、
K850女子外性器悪性腫瘍手術があります。
この手術は、
1.切除
2.皮膚移植(筋皮弁使用)を行った場合
…にわかれています。
■ ■
この2.皮膚移植(筋皮弁使用)は、
形成外科医が得意とする分野です。
私は札幌医大在職時に、
婦人科の先生とたくさんこの手術をしました。
解剖学の村上教授との共同研究で、
the posteromedial thigh fasciocutaneous flapの論文を書きました。
PRSという権威ある米国形成外科学会誌に掲載されました。
■ ■
開業してから悪性腫瘍の手術はしていませんが、
女性の外性器にできた腫瘍は手術をしています。
保険適応になります。
婦人科でも手術はしていますが、
大陰唇や小陰唇にできた腫瘍は、
形成外科でも手術が受けられます。
悪性腫瘍(外陰癌)は、
市立札幌病院形成外科をご紹介しています。
二重・眼瞼下垂
眉のアートメイクは入れないでください
札幌美容形成外科で一番多い手術が、
眼瞼下垂症手術がんけんかすいしょうです。
昔は先天性眼瞼下垂症や、
80歳を過ぎた高齢の方に見られる、
加齢による眼瞼下垂症だけを手術で治していました。
私が形成外科医になった頃は、
ほぼ目が開かない方だけを手術で治していました。
■ ■
私自身を含めて、
眼瞼下垂症の手術適応が増えました。
松尾清先生と信州大学形成外科の先生による
研究が進んだおかげです。
若い方から、
中高年の方まで、
目を開きやすくする手術が増えました。
■ ■
まぶたをチョンと切って、
簡単に縫い合わせればよいというものではありません。
微妙な左右のバランスを見て、
目の開き方を見て、
眉の高さを見て、
できるだけ左右対称になるように手術をします。
それでも再手術や再々手術になることがあります。
■ ■
困るのが眉のアートメイクです。
眼瞼下垂症の方は、
ほぼ例外なく眉を上げてものを見ています。
アートメイクで作られた眉は、
本来の眉の位置より下に描かれています。
その状態で眼瞼下垂症手術をすると、
眉と睫毛の間が近すぎる目になります。
左右の目のバランスを見る時にも、
正確に眉の位置を確認できなくなります。
■ ■
二重の幅と眉の位置②
2012年1月5日の院長日記です。
眼瞼下垂で眉が上がっている人は、
眉を剃ったり描いたりしています。
一番困るのが…
アートメイクと言われる刺青です。
年配の女性に多いですが…
若い人でもたまにいらっしゃいます。
■ ■
濃いアートメイクが入っていて…
色が取れそうもない人。
黒く太いアートメイクが入っていて…
何年も前から変化がない人。
瞼の手術をすると…
必ず眉の位置が下がります。
■ ■
アートメイクは皮膚に色素を入れる行為です。
平成13年11月8日
医政医発第105号
厚生労働省医政局医事課長通達を出しています
医師免許を有しない者が業として行えば医師法第17条に違反する行為。
①用いる機器が医療用であるか否かを問わず、レーザー光線又はその他の強力なエネルギーを有する光線を毛根部分に照射し、毛乳頭、皮脂腺開口部等を破壊する行為
② 針先に色素を付けながら、皮膚の表面に墨等の色素を入れる行為
③ 酸等の化学薬品を皮膚に塗布して、しわ、しみ等に対して表皮剥離を行う行為
つまりこの通達によると、エステの脱毛、アートメイク、刺青師、ケミカルピーリングはみんな医師免許が必要になります。
眼瞼下垂症の人は、
アートメイクは入れないでください。
手術がとても難しくなります。
どうしても入れるなら消える色素を使ってください。


まぶたが下がっています
手術前です

皮膚を切除したので腫れが残っています
手術一ヵ月後です

手術3年後です
眉とまつ毛の間が狭くなっています
昔の記憶
院内がピカピカになりました2015
きれい好きの私でも、
クリニックの掃除は専門の方にお願いしています。
毎日お掃除をしてくださるのは、
東京美装北海道㈱の女性担当者の方です。
とても丁寧に掃除をしてくださいます。
几帳面な方です。
小さなゴミも見つけてくださいます。
■ ■
床のワックスがけは、
休診日にしていただいています。
手術台や顕微鏡をよけて、
麻酔器もよけて大変な作業です。
ワックスがけも、
東京美装北海道㈱にお願いしています。
当院の営業担当、
藤田憲司さんがしっかり見てくれます。
■ ■
開院して11年を過ぎましたが、
床は白くてピカピカです。
丁寧な仕事に感謝しています。
開院以来、何軒かの業者さんにお願いしましたが、
同じワックスがけでも全然ちがいます。
毎日お掃除をしてくださる方と、
ワックスの会社の方、
東京美装北海道㈱の藤田憲司さんに感謝しています。

昔の記憶
窓拭きの思い出
2015年10月13日の院長日記、
奥さんにありがとうで、
さくらんぼさんから、
お風呂掃除や
弁当洗いなどされただけでも
素晴らしいです、
…と褒めていただきました。
ありがとうございます。
■ ■
私はきれい好きです。
昔、北大病院でチーフレジデントになった時のことです。
南病棟6階の、
南東の角が形成外科カンファレンスルーム、
通称ドクタールームでした。
そこで朝から夜まで仕事をするのが、
形成外科チーフレジデントの役目でした。
半年間でしたが研修医生活で一番大変でした。
■ ■
チーフレジデントがドクタールームの主です。
私が病棟チーフになったのが、
1985年10月でした。
長男が生まれたのが、
1985年9月で、
私は31歳でした。
形成外科医になって6年目でした。
■ ■
病棟チーフの私が一番先にしたのが、
ドクタールームの大掃除でした。
お掃除の方がしてくださるのは、
床掃除程度でした。
机の上から、
棚の上まで、
しっかり掃除をしました。
窓拭きもしました。
■ ■
当時の北大病院は、
予算がなかったのか?
病棟の窓掃除は回数が少なかった記憶があります。
私の記憶では、
病院の外を作業員が窓拭きをしていた記憶はありません。
せっかく南側で景色もいいのに、
窓が汚れていました。
私の後で窓拭きをした先生がいるかどうかわかりませんが、
私は窓の外側も拭きました。
■ ■
研修医だった川嶋邦裕先生に、
おーい(私が)落ちないように、
(白衣の)ベルトを持っててくれ!
…とベルトを持ってもらって、
窓の外側を拭いた記憶があります。
川嶋先生が、
(本間)先生そんなとこまで拭くと
落ちちゃいますょ~
…と心配してくれました。
■ ■
その時に私のベルトを持ってくれた
川嶋邦裕先生は、
今は市立札幌病院形成外科部長に昇進されました。
おそらく川嶋先生も、
私がドクタールームの窓拭きをしたのを、
覚えてくれていると思います。
その年の北大形成外科忘年会で、
私が窓拭きをしているスライドが出ました。
数多くの形成外科専門医を輩出した北大形成外科でも、
ドクタールームの窓拭きをしたのは、
おそらく私だけだと思います。
いい思い出です。
昔の記憶
富田忠雄さん「偲ぶ会」のご案内
平成27年10月14日、北海道新聞朝刊おくやみ広告です。
「偲ぶ会」のご案内
有限会社ファーム富田 前代表取締役社長 富田忠雄儀
去る7月4日満84歳をもって永眠いたしました。
ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでお知らせ申しあげます。
つきましては、「偲ぶ会」を、左記の通り執り行いますのでご案内申しあげます。
記
一、日時 平成27年11月10日(火)13:30分から15:00
一、場所 アシストホールふらの
富良野市学田三区
電話 0167-22-1616
なお誠に勝手ながらご供花ご供物ご香典の儀は固くご辞退申しあげます。ご来臨の節は、ご都合のよい時に 平服にてお越しくださいますようお願い申しあげます。
※駐車場には限りがございますのでご了承ください。
平成27年10月14日
ファーム富田 富田 均
■ ■
私が大好きな、
ファーム富田の社長さんです。
残念なことに、
今年7月にご逝去されました。
ラベンダーを愛し育て、
夏の富良野を世界中に有名になさった方です。
残念ですが偲ぶ会には仕事があるので行けません。
札幌からご冥福をお祈りしています。
■ ■
富田忠雄さんはこだわりがある方でした。
ファーム富田のカレンダーの写真は、
毎年、社長が自ら選んでいらしたと聞きました。
お花畑の美しさにこだわりを感じました。
他の観光農園と違うところは、
自社製品以外は置いていません。
観光客を集めて、
ものを売ってもうけようという姿勢ではありません。
■ ■
どうぞきれいな花をみてください。
よかったらカレンダーも買ってください。
ポプリあります。
よかったら買ってください。
(買わなくても結構です)
どうぞお花を楽しんでください。
また来年もいらしてください。
そんな雰囲気を感じていました。
■ ■
札幌美容形成外科の院内待合室のカレンダーは、
毎年ファーム富田のカレンダーです。
つぶされそうだったラベンダー畑を、
ここまで成長させてくださりありがとうございました。
北海道の夏の観光に、
お花畑めぐりというページを加えてくださいました。
花人はなびと
…という称号を作ってくださいました。
私も富田忠雄様から花人の称号をいただきました。
心からご冥福をお祈りしています。
ありがとうございました。

(以上、北海道新聞より引用)

昔の記憶
奥さんにありがとう
私の恩師、大浦武彦先生の奥様がお亡くなりになって、
今年の11月19日で2年になります。
大浦武彦先生はお元気です。
札幌駅から地下鉄で通勤され、
札幌市中央区南3条西2丁目にある、
医療法人社団廣仁会褥瘡・創傷治癒研究所に通勤されています。
■ ■
ご自分で夕食を作ることもあるそうです。
炒飯がお得意と伺いました。
大丸地下一階の食品売場や、
イオン札幌桑園店にも買い物に行かれます。
84歳とは思えないお元気さです。
私も見習わなくては、、、(;^_^汗
…と思います。
■ ■
大浦先生からは、
今でもたくさんのことを教えていただきます。
先生はご自分への反省も込めて、
私たち北大形成外科の弟子に、
奥さんを大切にしなさいと言われます。
奥様粗末に扱ってませんか
…という朝日新聞への投稿を肝に銘じています。
■ ■
私は大浦先生の不肖の弟子です。
奥さんをあまり大切にしていません。
せいぜいお風呂掃除をするとか、
たまにトイレ掃除もします。
お弁当箱は毎日洗って帰ります。
でも、
奥さんに♡ありがとう♡は言ってません。
いい夫ではありません。
■ ■
奥さんに♡ありがとう♡を言うように、
私に最初に教えてくださったのは、
私が尊敬する、
ニトリの似鳥昭雄社長です。
ニトリ社長のすごいところです。
従業員にも大きな声で♡ありがとう♡を言われます。
これもニトリが大きな会社に成長した秘密の一つだと思います。
■ ■
大浦武彦先生から、
(家内は)料理を上手に作ってくれた
(あたりまえだと思って)ありがとうを言わなかった
もっと言っておけばよかった
申し訳なく思っている
…と教えていただきました。
なるほど、
もくもくと晩ご飯を食べて、
奥さんに♡ありがとう♡
♡美味しかった♡も言っていませんでした。
■ ■
大浦武彦先生から教えていただいたので、
これからは、
奥さんに♡ありがとう♡を言うようにします。
♡美味しかったありがとう♡を言うようにします。
ニトリの社長さんのように、
従業員にも♡ありがとう♡を言うようにします。
大浦先生、
いいことを教えていただきありがとうございました。
不肖の弟子もがんばります。
二重・眼瞼下垂
男性の眼瞼下垂症手術
昨日の院長日記は、
ゴリラも顔の時代
朝日新聞、天声人語で紹介されていた、
名古屋の東山動植物園、
イケメン・ゴリラ、シャバーニくん(18歳)の話題でした。
ゴリラもイケメンだと人気が出ます。
女性に人気なのは、
感じのよい男性です。
■ ■
私たち形成外科医仲間でも、
眼瞼下垂症手術を受ける先生が増えました。
有名な大学教授も受けています。
見た目も自然です。
初対面の方はわからないと思います。
私たちは昔からよく知っているので、
『あっ、(手術を)したな』とわかります。
■ ■
私たち形成外科医や美容外科医は、
他人の顔を治してご飯を食べています。
整形をなりわいとしています。
たとえちょっと腫れた目で診察をしても、
腫れた目で学会に行っても、
それほど変に思われません。
『先生もやったんですね』で終わりです。
いい職業だと思います。
■ ■
ところが、
大きな会社の社長さんとか、
有名な政治家だと大変です。
韓国の大統領ですら、
【整形した】とマスコミに騒がれました。
社長の顔が変わるのは、
会社にとって大変なことです。
株価が上がればいいですが、
株価が下がれば進退問題です。
■ ■
手術後の皮下出血も、
男性はスッピンなので、
なかなかごまかすことはできません。
年齢を重ねるとまぶたが下がるので、
ものが見えやすくする手術が当たり前になるといいです。
まだまだ整形に対する偏見があります。
私たちは眼瞼下垂症手術を受けた形成外科医です
…と同じように、
私たちは眼瞼下垂症手術を受けた社長です。
…と言えるようになるといいと思います。

こんな人が手術適応です
院長の休日
ゴリラも顔の時代
平成27年10月11日、朝日新聞朝刊、天声人語です。
甘美な名作をいくつも残した詩人ヴェルレーヌは容姿に恵まれなかった。気の毒な逸話がある。少年時代、友人の家へ遊びに行くと、その母親があとで息子に「まるで動物園から逃げ出したオランウータンのようね」と言った(アンリ・トロワイヤ著「ヴェルレーヌ伝」)
▼肖像画を見るとおでこが出っ張り、逸話もあながち誇張ではなかったかと思わせる。だれしも思春期には自分の容姿で悩むものだ。美形の友をねたみ、似た顔の親をうらむ。
▼世の男性のそんな容姿コンプレックスを呼び覚ますと話題のイケメン・ゴリラに名古屋市の東山動植物園で対面した。18歳シャバーニだ。間近で見ると、うわさにたがわぬ二枚目である。目もとが涼しい。ツイッターやフェイスブックで評判が広まり、欧米テレビ局が「流し目のハンサム」と紹介。今月初めには写真集も出た。
▼「飼育動物の美醜を公式には言いにくいのですが、春先からシャバーニ見たさの来園者が増えました」と飼育担当の伊東英樹さん。「彼の兄が東京にいます」と教えられて上野動物園を訪ねた。
▼ハオコ22歳。整った顔ではあるが、弟ほどの色気は感じられない。ヒト界とゴリラ界で美醜の基準が同じかどうかは知らないけれど、弟が主役タイプなら、兄は脇役タイプか。
▼不思議なもので、見比べて心ひかれるのは兄のほう。弟よりは地味な面立ちだが、友とするなら断然こちらだ。容姿に悩みつつも文学史に名を残したヴェルレーヌの例もある。幸多かれと祈った。
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
男も顔で選ばれる時代です。
うちの奥さんは、
小泉元首相のご子息が気に入っているようです。
TVでCMが流れると、
私に教えてくれます。
天声人語を読んで、
さっそくネットで話題のゴリラを見ました。
■ ■
私にはゴリラの顔はわかりません。
話題のイケメン・ゴリラは、
私好みではありませんでした。
私は眼瞼下垂症手術をしていただいてから、
視界が広くなりました。
車の運転も楽になりました。
学会で前の席に座ってスライドも見えるようになりました。
■ ■
HPの顔を見ても、
昔の顔より今の方がよく見えます。
2015年9月24日から新しいHPになりました。
今回もオフィスクロスロードの
須崎克之様に作っていただきました。
スマホ対応にしていただきました。
HPもリニューアル、
院長の顔はリニューアルから5年です。
ゴリラも顔で選ばれる時代です。
野党の政治家も、
人相を良くすると女性票が増えると、
(私は)思います。


昔の記憶
石炭ストーブの思い出
一年の半分以上は暖房が必要な北海道。
暖房の仕組みも変わりました。
私が子供の頃は、
石炭が暖房の主役でした。
どこの家からも、
SLのように黒い煙が出ていました。
昔の札幌は石炭を燃やした煙で、
冬にスモッグが発生していました。
■ ■
今の中国で起きている、
大気汚染と同じです。
ただでさえ日照の少ない冬に、
煙が太陽の光を遮っていました。
冬に青空はなかったのです。
石炭は重くて、
運ぶのも大変でした。
とにかく石でしたから、、、
■ ■
炭鉱に住んでいた私たちは、
石炭が無料でした。
馬車に乗ったおじさんが、
石炭を運んでくれました。
美唄でも夕張でも、
石炭は馬車が運んでくれました。
その上、炭鉱の住宅は、
電気も水道も無料でした。
■ ■
亡くなった祖母が、
石炭がただなのはいいねぇ~
…とよく言っていました。
その代わり、
ただの石炭は、
火をつけるのが難しかった記憶があります。
子どもが石炭ストーブに火をつけることはありませんでしたが、
薪を使って火をつけていました。
■ ■
うまく火がついても、
ストーブが赤々と燃えるまでに時間がかかりました。
ストーブに石炭を入れることを、
石炭をくべると言いました。
石炭をストーブに入れるシャベルを、
じゅうのうと言いました。
でれっきという金の棒もありました。
でれっきで石炭をつついて、
ストーブの中の石炭を調節していました。
■ ■
北海道の人が、
部屋の温度を暑くなるまで高くするのは、
調節が難しい石炭ストーブの影響もあると思います。
とにかく一度消してしまうと、
簡単に再点火ができませんでした。
温度調節はもっと難しかったです。
今のようにSW一つで、
24℃とかに設定できるなんて、
昔は考えられませんでした。
石炭ストーブは昭和40年代まではふつうでした。