院長の休日
苦労しています
平成20年5月から日記にコメントをいただけるようになりました。
美容の杜にいただいたコメントです。
気で気を病む者さん(平成20年5月5日)
夫婦に温度差が出来たり
背中合わせに成ってしまった時
夫婦は修復の手段として
どんな前向きな行動が安穏により近づけられるのだろうか?
■ ■
優しい言葉を選んでみたり
こうすれば喜んでくれるのではなかろうか 等
模索して早10年以上が過ぎて
辛抱と忍耐?の生活が進行形です
世間的には?離婚は留まっていますが
勿論
皆様はこんな苦労はして居ないとお察ししておりますが〔苦笑〕
■ ■
さくらんぼさん(平成20年5月6日)
何回もcommentしてすみませんm(_ _)m
先生の日記は美容形成に関しては
もちろん 親切・丁寧に説明されているのですが
私が一番好きなのは 先生の姿が 古いアルバムのように見える 内容です
(Blog内で先生の写真を拝見しただけで お会いした事も電話で声を聞いた事もありません)
■ ■
炭鉱町の様子は何か 癒されるような記述で情景が目に浮かびました。
また 遠距離恋愛で奥様を見送る姿は
遠くなる飛行機をいつまでもみている先生の姿が目に浮かび、
と、同時に若かりし頃の熱い思いが思い出され、
そんな気持ちもう 忘れてしまっていたっけ、
なんて 思いました。
ここまではセピア色の白黒写真で目に浮かびました。
■ ■
カラーで目に浮かぶ姿は
ホワイトデーの白い恋人を買いに札幌の町を歩く先生の姿です。
先生は 国文科?と間違えるほど 情景が浮かぶ記述で、
それがとても ほのぼのとしていて 大好きです。
これからも 無理しないで 楽しませてくださいね。
■ ■
私は平成20年2月4日にも書いたように、よく夫婦喧嘩をします。
喧嘩をしなかったのは、結婚してから2年間程度?
あの頃は、幸せでした…。
今、考えても人生で最良の日々だったように思います。
子供が生まれてからは、よく喧嘩になりました。
他愛もないことが原因です。
開業してからは、
医師としての診療や手術以外で困ることが多く、
よく喧嘩になります。
■ ■
この日記も苦労して書いています。
ほぼ毎日、何を書こうか構想を練っています。
新聞もよく読むようになりました。
朝、草稿をPCに下書きします。
内容に不安がある時は、時々職員にチェックしてもらいます。
(女性の目で見てどうだろうか…?など)
夜、自宅でもう一度チェックしてからUPしています。
先日のサーバートラブルのようなアクシデントがあると…
草稿の準備ができないことがあります。
■ ■
また、毎日まいにちスラスラと書けるのではありません。
途中まで書いて行き詰まることもよくあります。
そんな時に、嫁さんに横でガタガタされたり…
TVの音量が大きいと、イライラが爆発します。
『ドッカーン』と原子爆弾が落ちたようになります。
■ ■
私に八つ当たりしないでよ!
少しはオレのことも考えろよ!
そんなに言うなら、代わりに院長日記書いてよ!
院長婦人の日記なら、みんな見たがってるょ!
私にはそんなことはできません。
できないって言う前にやってみたら…
ボクだって最初から書けた訳じゃない。
最初の日記は短いよ!
■ ■
ご期待を裏切るようで…
大変申し訳ございません。
私は手術は丁寧で、診療も手を抜いたりしませんが…
決して良い夫ではありません。
気で気を病む者さんの、
温度差とか背中合わせはよくあります。
これはどこの夫婦でも同じではないでしょうか?
完璧な人間なんていませんょ!
私だって苦労して、努力して生きています。
院長の休日
こいのぼり
私が小さい頃、家に鯉のぼりはありませんでした。
家内もお雛様を持っていなかったそうです。
今から23年前に、長男が生まれました。
家内の両親が、こいのぼりを贈ってくれました。
当時、私は北大形成外科のチーフレジデントをしていました。
以前にも書いたように…
長男が生まれた時刻に、
私は北大病院で、患者様の病理解剖に立ち会っていました。
■ ■
当時住んでいたのは、札幌市北区新琴似のマンションの1階でした。
3LDKで、家賃が管理費込みで6万円でした。
北大病院のお給料では、マンションを購入する余裕はありませんでした。
転勤も多かったので、賃貸マンションをお借りして住んでいました。
JR新琴似駅からすぐで、
近くにフレッティーというスーパーもあり便利なところでした。
私はこのマンションが気に入っていました。
■ ■
家内の両親が贈ってくれた鯉のぼり。
マンションの1階だったので、ベランダ外側の、
敷地内に立てました。
今でしたら、管理規約でダメと言われるかも知れません。
そこのマンションでは、特にお咎め(オトガメ)もなく、
鯉のぼりを黙認してくれました。
■ ■
鯉のぼりを上げるのは、家内の役目でした。
雨の日は上げられません。
朝、上げて…
夜、しまいます。
私は休日程度しか、上げませんでした。
鯉のぼりは、この上げ下げが結構面倒だと知りました。
■ ■
新琴似から、釧路労災病院へ転勤しました。
釧路労災病院でも官舎の敷地内に立てた記憶があります。
ただ、釧路の5月は寒くて、霧も出ました。
あまり、鯉のぼりの出番がなかった記憶があります。
■ ■
釧路の次は、函館中央病院に一年間勤務しました。
函館の住宅は、五稜郭公園のお堀の前でした。
自宅の窓から、
五稜郭公園の桜が見える最高の場所でした。
ただ、そこは3階建のアパートだったので、
鯉のぼりを立てる場所がありませんでした。
■ ■
札幌へ帰って来たのが、平成元年でした。
私が35歳。
長男が4歳でした。
まだ、鯉のぼりを喜ぶ年齢だったので、
西区山の手に新築した自宅で、
久しぶりに鯉のぼりを立てました。
住宅ローンで、家計は火の車でしたが、
久々に空を泳いで、鯉のぼりも楽しそうでした。
■ ■
ただ、山の手の家は川のそばにあり…
風が強い場所でした。
家内いわく、鯉のぼりを上げても…
ポールに絡まって(カラマッテ)しまい…
鯉が上手に泳がない。
山の手には、
平成元年から平成6年まで住んで、
帯広厚生病院に転勤となりました。
■ ■
帯広で、鯉のぼりを上げたかどうか…?
記憶が定かではありません。
帯広では、西帯広の住宅地に、
一軒家をお借りして住んでいました。
とても快適な家でした。
私の記憶では、最後に鯉のぼりを上げたのは…
子供が小学生だった、山の手の家だったと思います。
■ ■
さくらんぼさんが、
昨日の日記でコメントしてくださったように…
子供が大きくなると、
鯉のぼりより、
部活のサッカーや友人との釣りが楽しくなり、
家で鯉のぼりを上げても喜ばなくなったためでしょう。
鯉のぼりは…
男の子が生まれて喜んだ、
親と祖父母のためにあったのか?
と考える年齢になりました。
医学講座
こどもの日
今日はこどもの日です。
わが家には、
もう、こどもと呼べるような、小さな子はいません。
こどもは交通機関の料金体系を見ても、
せいぜい小学生まででしょう。
■ ■
こどもの定義は、はっきりしていません。
小児科は従来は中学生までを診療していました。
高校生になると、小児科は卒業でした。
現在、日本小児科学会ではHPに次のように書いています。
■■小児科医は子ども達が成人するまで見守ります ■■
日本小児科学会では、小児科が診療する対象年齢を、
現在の「中学生まで」から「成人するまで」に引き上げること、
そして、その運動を全国的に展開することを、
平成18年4月に決定しました。
これまで小児科に通院していた15~20歳の方はもちろん、
これまで小児科に通院していなかった15~20歳の方も、
どうぞ、気軽に小児科医に御相談下さい。
小児科医は、積極的に診察して参ります。
■ ■
私たち形成外科医も、こどもの病気を治療します。
今は入院施設がないので、小児の手術はしていません。
私が総合病院や大学病院の形成外科医だった時は、
唇顎口蓋裂などの手術をよくしていました。
生まれつき口唇が割れている唇裂の手術は、
私が得意とする分野でした。
口唇を治すだけではなく、鼻の形を整えたり、
矯正歯科の先生と歯並びのために骨を移植したりしました。
■ ■
今でも、昔、手術をさせていただいた方をたまに診察しています。
もう、すっかり大きくなっていて、
こどもとは言っては失礼な年齢になっています。
それでも、赤ちゃんの時から診ている
○○くん、
○○ちゃん、
は自分の子供のように可愛いものです。
■ ■
私自身も市立札幌病院に勤務していた時に、
小児科を受診しました。
おたふくかぜ(正式には流行性耳下腺炎)が流行しました。
私は、おたふくかぜに罹った記憶があいまいでした。
小児科の先生に相談したところ、
ワクチンを接種した方がよいと言われました。
ワクチンは小児科にしかなく、自費だったので、
小児科のカルテをつくり、
小児科でワクチンを注射してもらいました。
■ ■
市立札幌病院では、小児科学会の決定以前から、
中学生以上の方も小児科で治療していました。
小児糖尿病や喘息など、
高校生になったからといって、
すぐに小児科を卒業できない病気もあります。
私は、こどもの時から診てくださった先生が
‘大人’になってからも診察してくれるのはよいことだと思います。
■ ■
元気なこどもさんばかりではありません。
病気で苦しんでいるこどももたくさんいます。
中には、こどもなのに亡くなってしまう、
とても可哀想な病気もあります。
立派な先生の子どもさんも、ガンで亡くなってしまいました。
こどもも親もかわいそうです。
医療者にできることには限りがあります。
医学も万能ではありません。
医学が進歩して、
不幸な病気が一日も早く根絶されることを願っています。
医学講座
階段男

平成20年5月4日、朝日新聞日曜版の記事です。
元気の秘密
常に鍛えるそれがプロ
喜劇役者
伊東四朗(いとうしろう)さん
■ ■
5階までなら、必ず階段を使うように心掛けている。
1階だけでもエレベーターに乗るのを見ると
「もったいない」と思う。
「人に見てもらう仕事をしている。
鍛えておかなければいけない。
それがプロだろう」。
そう語る厳しい表情が一転、ほほ笑みに。
■ ■
「階段男ですね」
自宅に戻ると、
都内などの街の様子が映し出されるウォーキングマシンで4~8㌔歩く。
その後、風呂に入りながら、百人一首などを声に出して覚える。
覚えるものは大リーグの全球団名だったり、全米の州名だったり。
その日によって変えている。
■ ■
5、6年前、「脳の細胞は毎日死滅している」
と聞いたことがきっかけで始めた。
「脳を休ませちゃだめだと、
時間があれば台本の脇に暗記したい数字を書き連ねることも。
「つまらないだろうと言われるけど、そんなことはない。
仕事のためにやっているんだから。せりふの入りもよくなった」
■ ■
テレビ番組の司会のほか、映画、ドラマでシリアスな役もこなす。
ただ、あくまでも自らのことは「喜劇役者」と呼ぶ。
「世の中、普通の生活の中に喜劇的なことがいっぱいある。
それを見過ごしているだけですからね。
刑事役を演じていても
『こう言ったら和むだろう』なんて、
喜劇の視点で考えたりしている」
いつでも仕事を活力にしているようだ。
文・本多昭彦 写真・安藤由華
■ ■
1937年、東京生まれ。
1962年、三波伸介、戸塚睦夫と
「てんぶくトリオ」を結成し人気に。
テレビ番組の司会やコント、
「おしん」(NHHK)など
多数のドラマ・映画の役者と、幅広い分野で活躍。
6月7日公開の
映画「築地魚河岸三代目」(松原信吾監督)で
2代目店主役を演じている。
「伊東四朗一座」を作り、舞台喜劇も続ける。
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
私も平成18年11月6日の日記に書いたように…
‘階段男’です。
きっかけは、健康診断で中性脂肪が正常値の3倍だったことでした。
内科の友人に相談し、運動をすすめられました。
当時は今よりもっと働いていました。
休日もありませんでした。
もちろんスポーツクラブに行く時間もありませんでした。
■ ■
日常生活の中で、できる運動法を探しました。
以前にも書いたように…
整形外科教授の石井清一先生が、
朝、エレベーターを使わずに…
1階から10階まで、
歩いて上がられるのを見てチャレンジしました。
■ ■
私の形成外科医局は13階にありました。
札幌医大の最上階でした。
最初は、5階まで上がっただけで…
息が切れました。
その後、8階、10階と少しずつ休まずに上がれるようになりました。
退職する頃には、
地下一階の外来から13階まで…
ヒョコヒョコ上がれるようになりました。
■ ■
大学時代には学生実習も担当していました。
臨床実習に来た学生さんに言いました。
『エレベーター来ないから、階段で上がろう!』
『先生、マジっすかぁ?』
『13階っすよ!』
勇気ある学生さんが、私に着いてきました。
全員、8~10階付近で、
『もう、ダメっす!』
■ ■
私は今でも…
毎朝、札幌美容形成外科のスノー会舘ビルの階段を上がります。
6階建ですが、屋上の7階まで階段があります。
たまに、下の雪印パーラーの店員さんと会います。
変なおじさんと思われていることだと思います。
階段のおかげで、中性脂肪は下がったままです。
これからも、階段を愛用したいと考えています。
未分類
サーバー移転と不具合
平成20年5月1日から、
札幌美容形成外科HPのサーバーを移転しました。
開院時から、NTT関連会社のサーバーを使用しています。
以前は容量の関係で、
日記のコメントも入れられませんでした。
■ ■
新しいサーバーは、容量が大幅にUPしたので、
日記のコメントも入るようになりました。
サーバーの移転は、簡単な作業ではありませんでした。
日記で使用しているプログラム。
セキュリティの設定など、
私には無理な部分がたくさんありました。
■ ■
今回も、オフィスクロスロードの須崎克之さんにお世話になりました。
4月上旬から準備をはじめました。
何回かテストをして、万全の体制で臨みました。
須崎さんに設定していただいた、プログラムは問題ありませんでした。
ところが、昨夜からメールの送受信ができなくなりました。
■ ■
NTTの関連会社は連休でお休みです。
途方に暮れて、自分でいろいろ設定を変更してみました。
それでもつながりません。
困りました。
連休中に病気になったり、ケガをして困るのと一緒です。
原因はサーバーの基幹ソフトウェアの動作異常でした。
■ ■
こちらからNTTの関連会社に連絡しようにも、
連絡はできませんでした。
インターネットは便利ですが、
サーバーに不具合があると困ります。
一番、信頼できそうな会社を選んだのですが、
それでもこの状態です。
■ ■
須崎さんには電話でも、メールでもすぐに連絡がつきました。
NTTには電話は通じません。
連休でお休みです。
HPの工事・障害情報の項に
お知らせ
メールサービス動作不安定
原因
基幹ソフトウェアの動作異常
お客さまにはご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ございませんでした。
現在は復旧しておりますので、お客さまにおかれましても動作のご確認をお願い申し上げます。
と記載されただけでした。
■ ■
こっちは、昨夜から自分のPCの不具合だと思って…
何度も、あっちをいじったり、こっちをいじったりして、
どうしてもダメで須崎さんに電話をしました。
NTTにもメールをしましたが、返信はなし。
大企業なんてこんなもんでしょうか?
札幌美容形成外科は中小企業ですが、
何かトラブルがあった時には対応できるようにしております。
でも、その根幹であるメールが使用できないと困ります。
NTTさん、もっとサービスをよくしてください!
未分類
千の風になって
平成20年5月2日、北海道新聞朝刊に掲載された、
千の風になっての特集記事から、一部を引用しました。
この記事は平成20年4月25日に七飯町文化センターで開催された、
「ななえ講演会とシンポジウム」の要旨をまとめたものです。
訳詩・作曲 新井満氏の基調講演要旨
死は命の再生 風は地球の呼吸
■ ■
なぜ七飯町大沼で暮らすようになったのか。
二十年前に芥川賞を頂き、
函館の文学サークルから講演会に招かれました。
終わって帰ろうとすると、
主催者が「いい所へ連れていく」。
車で四十分、そこが大沼でした。
■ ■
森の中の崩れそうな一軒家を紹介され、
売りに出ているから買いなさいという。
安くはない買い物です。
駒ケ岳から飛び降りるつもりで買いました。
購入を決めた第一の理由は、風景が美しいこと。
取材や講演で日本中を訪ねた経験から自信を持って言いますが、
七飯は最高です。
人工的な騒音がなく、
訪ねてくる人もいない。
来るのはキタキツネやタヌキ。
リスもエサをくれと扉をノックします。
美しい自然は表現活動を変えました。
■ ■
もう一つの理由は人情です。
自然は美しいだけでなく残酷です。
四年前の九月、
台風18号で別荘の周辺は壊滅状態になりました。
倒木で道路が寸断され、
家の外には一歩も出られません。
三日聞飲まず食わずで絶望のどん底にいると、
木を切りながら誰かが近づいてくる音がします。
地元の方がチェーンソーで避難路を切り開いてくれて、
私と妻、娘二人、犬は辛くも脱出できました。
■ ■
助けてくれたのは七飯でできた友人の画家
木村訓丈さんたち。
木村さん以外は初対面です。
自分たちも大変なのに、
私を助けてくれた。
涙があふれ、
この恩は忘れないと誓いました。
■ ■
その翌月、故郷の新潟で中越地震がありました。
救援物資はすぐに届きますが、
何もすることのない一ヵ月すぎが被災者には一番つらい。
家族会議で、今こそ花だ、
七飯特産のカーネーションを送ろうと決め、
千本を送りました。
被災者の方々は、
けなげに咲く花の姿に涙したそうです。
♪ ♪
「千の風」の話をさせてください。
故郷に弁護士の友人がいます。
奥さんと子どもが3人。
その奥さんが、
がんの転移で48歳で亡くなりました。
何と声を掛ければいいのか。
「ご愁傷さま」はしらじらしい。
「力を落とすな」は酷です。
■ ■
奥さんの追悼文集で変わった詩を目にしました。
12行、作者不詳の英文詩です。
作者は死者に違いないと思いました。
「元気でいるから泣かないで」
と死者が生者を慰めている。
不思議な力があり、
読む人の魂をぐいぐい揺さぶる。
■ ■
訳してみよう。
メロディーを付けて歌にしたら、
友人の家族を少しでも癒やせるのでは、
と思いました。
簡単だと思って訳し始めましたが、難航しました。
最後の最後、詩を叫ぶように朗読しました。
七年前の夏、
誰もいない湖畔の森の真ん中で。
目を閉じてしばらくすると、
遠くからザーッという音が聞こえました。
目を開けると、
風で森全体の木々が揺れているのを見ました。
そうか、この詩の根幹は風なんだと気付きました。
■ ■
風は至る所にあり、すぐにやむ。
しばらくすると息を吹き返す。
風は地球の呼吸なんだ。
死んだけど本当は死んでない。
人間以外の姿に生まれ変わった―。
死と再生の歌だと分かり、
スラスラと翻訳できました。
■ ■
ギターでメロディーを付け、
録音したCDを友人に送りました。
奥さんをしのぶ会で披露されて、
聴いた人が皆泣いたそうです。
既に百人以上の歌手がこの曲を歌っています。
一昨年、秋川雅史さんが紅白歌合戦で歌うと話題になり、
CDの売り上げは百万枚を突破しました。
ヒットによる心境の変化をよく聞かれます。
「すっかりいい人になりました」
と答えています。
■ ■
それまでは欲深かった。
地位、名誉、お金。
この曲を歌うようになって、
それらがばかばかしく思えるようになりました。
人間、生まれる時は無一物。
死んで風になる時、
そういったものは荷物になるだけです。
♪ ♪
七飯という町は十分に魅力的です。
では、なぜ観光客が減ったのでしょうか。
魅力的な町が全国に増えたからです。
どうすれば人の目が向くのでしょう。
観光客がお金と時間を使って旅に出る動機は「物語」です。
「千の風」は日本中が知っています。
「どうやら七飯の大沼でできたらしいぞ」
「じゃあ行ってみようか」
となる。
■ ■
大沼のモニュメントは、
日本では珍しく、
景観の邪魔にならない「マンホール型」です。
今日見てきたら、既に観光客でにぎわっていました。
「千の風」は大沼で生まれましたが、まだ赤ちゃん。
七飯の皆さんに育ててもらう必要がある。
丈夫で明るい子どもに育ててほしい。
■ ■
私の母は助産師として何千人もの赤ん坊を取り上げ、
91歳で亡くなりました。
その母は自分の中で生きている。
親から子、
孫へ命はバトンタッチされるのです。
命は不滅です。
心が苦しい時、
思い出していただきだい。
大切な人は風や星になり見守ってくれている。
だから勇気を出して生きていこう、と。
死ぬ時は誰にも来ます。
その時には風や星になって
後に残した人を見守ってあげればいいんです。
死は命の終わりではなく再生なのです。

あらい・まん 作家。
作詞・作曲のほか、写真、環境映像プロデューサーなど多彩に活動する。
1946年新潟県生まれ。
上智大法学部卒業。
1988年「尋ね人の時間」で芥川賞。
1998年の長野冬季五輪では開・閉会式のイメージ監督を務めた
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
私は、自分のお葬式に、
千の風になってを流して欲しいと家族に言っています。
函館中央病院形成外科に勤務していた時、
よく大沼に行っていました。
七飯には美味しいイチゴも売っています。
秋には、美味しいリンゴもできます。
七飯のリンゴで作ったアップルパイは最高です。
■ ■
この記事を読んで、
「千の風になって」ができた経緯がわかりました。
医者も弁護士も、
家族の死には無力です。
この「千の風になって」が、
どれだけ多くの人の心を癒してくれたことでしょうか?
歌には、医学でも法律でも解決できないことを…
魔法のように解決してくれる不思議な力があります。
医学講座
硫化水素自殺
硫化水素による自殺が各地で問題になっています。
報道すればするほど…
硫化水素による自殺者が増えているような気がします。
ネットで調べると…
今でも‘簡単に’
硫化水素の作り方を見つけられます。
私だったら、次のような報道を考えます。
■ ■
人間は誰でも、
‘死にたい’と思う瞬間があります。
私も、思ったことがあります。
ただ、本気で自殺してしまうかどうかが問題です。
私を含めて、大部分の人は…
‘死ぬよりは…’
と考え直して、
自殺を思いとどまります。
■ ■
また、‘死のう’と思っても…
簡単に死ねないのも事実です。
自殺しようと思った人でも…
苦しんで死ぬのはイヤだ。
痛い思いをして死ぬのはイヤだ。
ぶざまな格好で死ぬのはイヤだ。
汚くなって死ぬのはイヤだ。
などなど…
死ぬ間際まで、人間はワガママなものです。
■ ■
私たち医師は、さまざまな自殺者を治療してきました。
救命救急センターに搬送される患者さんの中には、
多くの自殺未遂患者がいます。
私たち形成外科医が一番多く経験したのが、
焼身自殺による自殺者です。
マスコミは、自殺の事実と、
亡くなったか?
意識不明の重体か?
という程度までしか報道しません。
■ ■
焼身自殺をして、死ねなかったらどうなるか?
想像できますか?
どのくらいの治療費がかかるか?
想像できますか?
これを報道するだけで、
焼身自殺は減ると思います。
それ位、焼身自殺は悲惨であり、
元の美しい顔が台無しになってしまいます。
■ ■
本題の硫化水素自殺に入ります。
硫化水素を検索してください。
Wikipediaにも書いてあります。
硫化水素は悪臭防止法に基づく特定悪臭物質のひとつです。
おならやウンコが臭いのは、硫化水素のためです。
下水処理場、ごみ処理場などのにおいも、
硫化水素が原因の一つです。
■ ■
つまり、硫化水素で自殺をすると…
臭くなります。
それも、おならやウンコの臭いです。
髪の毛や皮膚に臭いがつくととれません。
硫化水素で自殺をすると…
棺桶(カンオケ)の中まで臭くなります。
棺桶の蓋をして、
火葬場で焼かれるまで臭いのです。
私は、これを報道すれば、
明らかに、女性の自殺者は激減すると思います。
■ ■
どんなに死にたい人でも…
ウンコの臭いが身体に染み付いた状態で死ぬのはイヤです。
ウンコ臭いまま、棺桶に入れられ…
棺桶の蓋をする時に…
参列者が、
ハンカチで涙ではなく…
臭いをガマンできなくて鼻に当てます。
思わず言います。
『くさい』
専門家に出演していただき、
硫化水素がいかに臭いかをお話ししていただくのが効果的です。
ぜひ、ワイドショーで取り上げていただきたい話題です。
院長の休日
心地よい疲労感
美容外科・形成外科に限らず、
外科系医師になってよかったと思う瞬間は、
手術がうまく終了した時の、
心地よい疲労感です。
手術までは、緊張しています。
もちろん、手術中も緊張しています。
■ ■
手術が終了して…
トラブルもなく、うまく終了した時には、
何とも言えない、
心地よい疲労感があります。
登山で、頂上にたどり着いた時?
何か、充実感とか満足感があります。
■ ■
いつも感じるのではありませんが、
難しい手術を、上手にこなした時など、
ちょっとハイになって…
何とも言えない、満足感があります。
形成外科は作品を作る楽しみがあります。
作った作品が、キレイな女性で…
『ありがとうございました♪』といわれると、
とてもよい気分です。
他科の先生には、ない楽しみだと思います。
■ ■
私は、ビールもあまり飲みません。
家内と、350mlの缶ビールを、
半分ずつ飲みます。
飲んだらすぐに眠ってしまいます。
心地よい疲労感がある時は、
この175mlのビールが実に美味しいです。
毎日、ビールを飲むのではありません。
たまに飲むだけです。
■ ■
私が、形成外科や美容外科が好きなのは、
自分で、自分の満足が行くように…
手術ができるからです。
手術がうまくいって、キレイに仕上げるのが、
私の生きがいであり、
形成外科医としての醍醐味です。
昔の記憶
昭和の日
今日は昭和の日です。
平成元年から平成18年までは、みどりの日でした。
私が子供の頃は、天皇誕生日でした。
結婚してからは、義父の誕生日でした。
以前にも書きましたが、家内の父は国鉄マンでした。
■ ■
平成5年4月6日に、心筋梗塞で急逝してしまいました。
今でも残念に思っています。
4月29日になると、義父のことを想い出します。
私は、義父に結婚を反対されました。
『北海道は遠い』
これが理由です。
確かに、関西から北海道は遠かったです。
■ ■
私が直接言われたのではありませんが、
『お医者さんは、看護婦(看護師)さんと浮気をする』
というようなことも…
理由に入っていたとか?
聞いた覚えがあります。
これは、お医者さんに限らず…
その人によると思います。
私の友人を見てもそうです。
義父に言われたためではありませんが…
私は一度も浮気をしていないし、
すすきのにもめったに行きません。
風俗にも行きません。
■ ■
うちのお父さんは、旅行に行っても…
必ず線路を見ている。
結婚する前に家内から聞いた言葉です。
義父は、国鉄の保線マンでした。
定年退職する前は、尼崎(アマガサキ)保線区長でした。
JR西日本で、大事故があった尼崎です。
■ ■
あの事故があった時…
義父が生きていたら、
どんなに悲しんだことかと、胸が痛くなりました。
事故があった線路は、義父の管轄でした。
当時は、福知山線(フクチヤマセン)と言っていました。
保線区は、線路の除草まですると教えてくれました。
■ ■
昔は、家が貧乏だと…
立身出世のために、
国鉄に入ったものだと聞いたことがあります。
私の祖父も、国鉄に勤めていました。
義父も島根県の農家の八男でした。
尋常小学校を卒業後に、大阪に出て、国鉄に入りました。
亡くなる前も、線路の仕事をしていました。
50年間も、線路一筋のおじさんでした。
■ ■
昔は、こうして…
この道一筋の、職人みたいな人が多かった気がします。
今は、多いのがフリーターやニート。
苦労して仕事を覚えるというのが、
若い人に受けないのかも知れません。
でも、安全に電車を運行するには、
線路がしっかりしていなければなりません。
■ ■
義父から聞いた印象に残っている言葉があります。
台風や大雨が降った時の列車の運行です。
保線区長がOKを出さなければ、
たとえ特急でも停止して待たなければならない。
それほど、自分の職務に自信と責任を感じていた人でした。
もう少し、いろいろなことを相談してみたかった…
じいちゃん、何でそんなに早く死んじゃったの?
というのが、義理の息子としての本音です。
医学講座
化粧はすれども
平成20年4月27日、朝日新聞朝刊、ひとときへの投稿です。
化粧はすれども
朝、いつものように洗面所で化粧水、乳液をペタペタとつけていると、
主人がのぞきにきた。
「どうですかなぁ、少しは直りますかなぁ?」。
私が「あきまヘーん、
土台がしわしわじゃけん。
どげんもなりまっせん」
と言って、
2人で大笑いになった。
主人93歳、
私85歳。
■ ■
主人は掃除、洗濯、庭いじり。
そして自転車でスイスイお買い物。
いたって元気で、目の悪い私を支えてくれる。
私も一通りの家事には不自由しない。
介護を一切受けず、2人で何とか暮らしている。
■ ■
自分の顔が気になるようになったのは、
弟ががんで亡くなった2年前。
悲しみからか、10㌔もやせた。
玉手箱を開けた浦島太郎みたいに
髪は真っ白、
顔はシワシワの
ばあ様になった。
■ ■
母が84歳で亡くなった時の死に顔が余りにも哀れで、
悲しかったことが忘れられない。
自分はふっくらとした優しい顔で死にたいと願っていた。
それなのに、
何と生身の私の顔が母のその時とそっくりになり、
やつれ果てた顔が鏡に映っているではないか。
■ ■
ファンデーションを塗り、
紅をさして小学校や女学校の同窓生と会うと、
スタイルが良かった人は背中が曲がり、
美しかった人は顔がしわくちゃになってしまっていた。
仕方がないことだ、と納得はしているのだが……。
福岡県新宮町 山田とみえ 主婦85歳
(以上、朝日新聞から引用)
■ ■
これは、私の勝手な想像です。
この85歳のご婦人は、きっと美しい方です。
身なりも、しゃきっとしていらして…
85歳より、ずっとお若く見えると思います。
85歳になっても…
化粧水・乳液をペタペタとつけて…
ファンデーションを塗り…
紅をさして…
小学校や女学校の同窓生と会う…
というのが、推定の根拠です。
■ ■
キレイにして、お化粧をしていると…
ボケないそうです。
高齢化社会になりました。
特別養護老人ホームに勤務されている、
看護師さんにお聞きしました。
特養に限らず、
高齢者専用マンションなどに入居されているのは…
圧倒的に女性が多いそうです。
■ ■
私を含めて、男は短命で長生きできません。
どうせ長生きしているのだったら…
いくつになっても、キレイでいたいと願うのが…
女心です。
85歳のこの投稿者の女性は…
きっとキレイな方です。
■ ■
投稿に書いてありましたが、
人間は悲しみや苦しみがあると…
急にトシをとることがあります。
この女性のように、身内が急死した…
なんてことは、耐えられないことです。
玉手箱を開けた浦島太郎みたいになる
ことも実際にあることです。
■ ■
浦島太郎の時代には、美容外科はありませんでした。
現代医学は、浦島太郎も治せます。
浦島花子さん、
是非、美容外科にいらしてください。
手術が無理なら、切らない治療もできます。
手術ができる方でしたら…
保険適応になる眼瞼下垂症手術もあります。
■ ■
私は何人も、
浦島花子さんを治療した経験があります。
悲しい事実は、覆す(クツガエス)ことはできません。
ただ、悲しくて…
シワシワになってしまった顔を治すと、
元気になります。
内科や精神神経科ではできない治療です。
■ ■
今日は家内の誕生日です。
私は、朝日新聞の投稿者のご主人のように
93歳までは生きられません。
元気でいられる自信もありません。
私が亡くなったら…
どこかの美容形成外科へ行って…
治してもらってください。
いつまでも、若く美しくいることは、
ボケ防止にも役立ち、いいことだと思います。