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白井幸吉さん

 私が尊敬する親しい方が、
 お亡くなりになりました。
 享年65歳でした。
 身内や親しい人の死は、
 言葉では表現できないほど辛いものです。
 その方は、
 私の人生の先輩であり、よき相談相手でした。
 医師ではありませんが、
 会社を経営されていました。
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 今日は、帯広で、お通夜に参列しました。
 美容外科学会へは、
 明日、朝の飛行機で行くことに変更しました。
 親しい人の死はとても辛いものです。
 私の親しい方は、
 白井幸吉(しらいこうきち)さんです。
 帯広市の方です。
 私が帯広厚生病院形成外科に勤務していた時に
 知り合いました。
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 白井さんご自身も、
 ご家族も、
 懸命に病魔と闘いました。
 残念なことに、
 お亡くなりになってしまいました。
 私は白井さんに、
 経営のこと、
 自分自身のことなどを相談していました。
 白井さんからは、
 医療について、
 ご自身の病気について相談を受けました。
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 白井さんの病気は肺ガンでした。
 昨年、見つかり、
 相談を受けた私は、
 私が信頼する先生にお願いし、
 その先生から、
 主治医となられた、
 黒沼幸治先生をご紹介いただきました。
 考えられる最高の治療をしていただきました。
 そのおかげで、
 昨年の発症から、
 奇跡的とも言える回復をなさいました。
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 白井さんは、先生に、
 『私は事業をしています』
 『他人に迷惑をかけることは、できません』
 『私は自分があとどれだけ生きられるか、
 できるだけ正確に知りたいのです』
 こう言われると、
 医師としても、
 できるだけ正確に話さないわけにはいきません。
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 白井さんは、
 担当の先生と治療法について話し、
 自分でも医師以上に勉強をして、
 情報を集めて、治療を受けられました。
 医療者として、
 ほんとうにすごいことだと思いました。
 治療の効果が出て、
 肺ガンの陰が消える程度まで回復され、
 その間に、
 ご自分の事業の後継者を見つけられました。
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 これから残された時間を、
 奥様と過ごそうと考えられていた時に、
 ガンが再発しました。
 9月には私と食事をするほどお元気だったのに、
 わずか2週間余りで容態が急変し、
 一昨日、旅立たれてしまいました。
 私は平成20年2月6日に書いた、
 北大第一内科准教授でいらした、
 山崎浩一先生のことを思い出しました。
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 山崎先生と同じように、
 白井さんも最後の1%まで望みを捨てずに、
 担当の先生を信じて治療を続けられました。
 入院先のNTT東日本札幌病院呼吸器内科
 黒沼幸治先生と看護師の皆様には、
 大変お世話になりました。
 最期までよくしていただきました。
 白井さんもお幸せだったと思います。
 心からご冥福をお祈りいたします。

“白井幸吉さん”へのコメント

  1. 函館の看護師さん より:

    まずは、白井さんのご冥福をお祈りいたします。

    自分にとって近しい人の死は本当につらいものですよね。
    私もここ3年間祖父、母、伯父、義祖母と毎年続いております。
    私は、母が亡くなったことを未だに引きずっています。
    母とは絶縁状態となり結婚して5年間1度しか会いませんでした。
    その間母が病魔が悪化し、ヘルパーの手を借りなければならないほど
    悪くなっていたようです。
    母は膠原病で私が子供のころからずっと病気と闘っていました。
    最期は、心臓のカテーテルの検査中に亡くなりました。

    大切な人の死は生きている私たちにもかなりの精神的ダメージがあります。
    でも、生きていかなければなりません。
    辛いとは思いますが、明日気をつけて学会へ行って来てください。

    つたないコメントですみません。

  2. さくらんぼ より:

    心からご冥福をお祈りいたします。 私自身もここ数年
    身内や同級生の不幸がありました。昨年末は大変お世話になっていた方が 60歳で溺死されました。前の日にお茶をごちそうになったばかりなのに、先月は従姉妹がまだ30代で 自殺しました。いつも さくらんぼねえちゃんと呼んでくれていた かわいい 従姉妹でした。先生も大変 お辛いと思います。何ともよいcommentがみつからずごめんない。 明日は気をつけてお出かけください。

  3. 愛読者 より:

    白井様の
    ご冥福を心からお祈り申し上げます。
    本間先生どうかお力落しのないょうに。
    私事ですが本日主治医と最後の診察でした。
    医師としてリタイアは未練が残る事でしょう。
    院内には[〇〇先生は定年退職のため〇〇日で診察を終了させて頂きます]とお知らせが貼ってありました。
    7月に見た時は涙が止まりませんでした。
    60歳で定年は建前です。
    看護師長の(先生には大きな夢がお有りでスペインに行かれるそうです)
    建前と知りつつ 私は最後の診察室の患者に成りました。
    今日が最後だね。なんでも聞いてくださいね
    もう
    ないかい?今日が最後だねもし不安になったりしたら
    信頼関係が在れば
    大丈夫なことが多いからね
    私はその診察室のDoctorに真に頭を5秒以上お辞儀をしました。
    終末期をスペインで過ごす事は知っていました。
    患者さん一人一人に握手をしてさようならと言ってくれた。
    いなくなる人は何と向き合っているのだろうか。
    主治医が遺してくれた言葉に[生きている人は 生きている自分と向き合ってください]
    これは今生きている私の最後のおまじないです。
    ギャラリーの皆様にもあげたい大切な“おまじない“です。

  4. 函館の看護師さん より:

    愛読者さんからのコメントを見て看護学校でならった本を思い出しました。
    キューブラロスという博士が書いた本だったとおもいますが、最期を迎えるまでの5つの心の変化という話を授業で習ったなあと・・・
    終末期を迎える方(たとえば癌で余命を宣告された方など)は死期を目の前に、否認・怒り・取引(神に対して)・抑うつ・受容の段階で心の変化があり、死期を迎えるという話です。
    明日さっそく図書館に行って本を読んでみようと思います。

    あと「生きている人は生きているいる自分と向き合ってください」という言葉は看護師ではない一人の人間として自分の心に響きます。
    最近ブログを読んでいて生と死についてとても考えた私でした。

  5. 愛読者 より:

    函館の看護師さんへ
    感謝いたします。

    こんな日は眠れないで
    いました。
    外も 雨です。

  6. さくらんぼ より:

    愛読者さんや 函館の看護師さんのcommentを読んで 涙がでました。函館にいた伯父は青函連絡船がなくなってから 神奈川に関連会社に行き 東北のM県に老後のために家を建てていました。奥さんと 最初で最後の退職後 初めて大好きな船旅に 行ってすぐ病魔と戦いが始まり 新しい家にほとんど住む事もなく他界しました。お世話になってたYさんは 「やっと年金手続きしてきたよ。米を作りながら 勤めて厚生年金かけ続けたし、やっとのんびりした生活ができるよ。家族と旅行もしたいなあ」そんな 矢先でした 。その方の奥さんも葬式後骨折され 整形に通院していましたが、「先月 主治医がね。交通事故で死んでしまったの」わかっている死も突然の死も辛いです。前に話した M先生は産婦人科の名医でした。多くの癌・病気の方を助けました。私の子宮の手術の時は 立ち会いを 申し出てくださいましたが、山大で手術ではなかったので 。。 脊髄腫瘍の時も大変心配して下さっていましたが自分の癌に気付くのが遅れたのです。私には亡くなるまで 教えてはくださいませんでした。 最後の電話は「体の調子は?無理しないで!家の前のブドウが 鳥に食べられちゃうんだけど、どうしたらいいかなあ?」でした。 変な電話だと思いましたが それから二か月後 亡くなりました。 ・・

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