未分類
緒形拳さん
平成20年10月10日、朝日新聞の天声人語です。
歌舞伎役者のように虚空をにらんで、
緒形拳さんは静かに息を引き取ったそうだ。
臨終に立ち会った津川雅彦さんは、
その時を
「おれもあんな死に方をしたいと思うほど
格好いい最期だった」とまとめた
▼危篤と聞いて病院に駆けつけると、
71歳の名優は一度ベッドに座り直したという。
ひとしきり仕事の話をし、
「治ったらウナギ食いに行こうな。
白焼きをな」。
この誘い、
津川さんの激励ではなく、
緒形さんの言葉というから驚く。
淡いユーモアがにじむ、
骨太の幕である
▼照れ、愁い、狂気。
どれも一流だったが、
影をまとうほど輝きは増した。
「楢山節考」で背負われ、
山に捨てられる老母を演じた坂本スミ子さんは
「演技でこなさず、役になりきるすごみを感じた。
心では今も親子のままです」と語る
▼肝臓がんのことは、家族限りとしていた。
遺作のテレビドラマ「風のガーデン」の撮影では、
玄米食で半年の長丁場を耐えた。
倉本聰さんの脚本は命を正面から描く。
訪問医役の緒形さんには
死を語る台詞(せりふ)も多い。
万感を込めたであろう仕事を結び、
制作発表の5日後に逝った
▼あったかい味の書をたしなんだ。
絵手紙を交わした
東京都狛江市の小池邦夫さん(67)のもとには、
「でくのぼう」と朱書きした賀状がある。
別の一葉には
「牛はのろのろとあるく」
▼そんな墨跡の通り、
武骨に、ゆっくりと大きく、
役者道を全うした。
坂本さんの感慨に寄り添えば、
演じた役のすべてが本物の緒形拳である。
最後はあの白髪で、
優しげな背中で、
秋の夕景の一部になりきった。
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
フジテレビの風のガーデンで、
拳さんが演じる、
白鳥貞三先生の台詞(せりふ)があります。
『生きているものは必ず死にます。』
『死ぬ…ってことはね、』
『生きているものの必ず通る道です。』
白髪の老先生が、
静かに話す言葉に重みがあります。
■ ■
名優でも、
医師でも、
お金持ちでも、
勝てない病気があります。
私たちは、いつかは死にます。
自分が死んだ後で、
お金とか財産ではなく…
何かを遺(のこ)したいと、
50台も半ばになって考えるようになりました。
偉大な俳優、
緒形拳さんのご冥福をお祈りします。
人間は必ず死を迎えます。それが早いか遅いかは誰にも自分にもわかりません。
患者さんが死をむかえたとき自分の無力さを感じます。
医師でもどんな薬でも治らない病があったり不慮の事故だったり。
何かを遺す・・・
その一言で私ならなにを遺せるのだろう・・・と今考えています。
答えは出そうにないですが、私なんかが何かを遺せる?のか・・・とは思います。
ただ、悔いのないくらいに一生懸命生きれば自分の死んだあと何か残るのかも知れないとは思います。
お金や財産を残すより誰かの心に何かを遺すことができるほうが私はいいと思います。
あまりに死期というものの深さを感じ今日もつたないコメントしか書けません。
何かを生きた証しとして残したい・・先生のBLOG みたいです。今日は”チーム・バチスタの栄光” 手術中の患者が立て続けに変死した事件の謎を 心療内科医と変わり者官僚コンビが追う。 木曜日は九時から小児救命 十時から風のガーデン 医療ドラマが たくさん放映されていますね。 月曜日には コード・ブルー-ドクターヘリ緊急救命のスペシャル編があったようです。 私が 子供の時からの M先生も末期のすい臓癌でした。同級生ののりちゃんも46歳ですい臓癌でなくなりました。 父の兄は 肝炎から肝硬変〜肝臓癌になり 今も一か月に一度入院して 治療を続けています。 そんな中 -ウィルスを使わず万能細胞- 癌化リスク軽減 世界初 マウスで成功 京大・山中教授らのチーム・ 難病の方にとっても嬉しい 新聞記事がありました。 これからの医学の進歩に期待いたします。先生のBLOGを見るようになり 政治経済は選択教科で選ばなかったくらい嫌いな私でしたが、 占いや お悔やみの欄だけでなく 一面記事にも目を通すようになったさくらんぼです。(笑)
緒方拳さんいい俳優さんでした。息子さん二人が父の偉大さをテレビで語ってました。 私も何かを残せるか・・ただ 死ぬ時 いい人生だった。ありがとうと 言って死ねるようなりたいと思います。主人からも、お前のためにいい一生を送れたと言ってもらえるような人間でいたいと思います。緒方拳さん安らかにお眠りください。ご冥福をお祈りいたします。