昔の記憶
赤ちゃんが生まれたら…
私は26歳の時、
1981年(昭和56年)に結婚しました。
形成外科の同期3人の中では、
一番早く結婚しました。
家内は24歳でした。
結婚したのは、研修医2年目の時でした。
まだ、何もできない若者でした。
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『本間君、結婚してもね…』
『2年間くらいは、奥さんと二人だけがいいょ』
『二人で、いろいろなところへいったり…』
『二人だけの時間を楽しんだらいいょ…』
『子どもができると、大変だからね…』
北大形成外科の先輩のあたたかいお言葉です。
私はとても恵まれていました。
2DKの家賃4万2千円の公団住宅で、
幸せな新婚生活を送っていました。
■ ■
子どもが生まれたのは、
先輩のご指導通り、
結婚して2年後の、
1983年(昭和58年)でした。
当時、私は函館中央病院形成外科に勤務していました。
とても素晴らしい病院でした。
函館中央病院に勤務して、
そこで積んだ経験は私の財産となっています。
子どもも函館中央病院で生まれました。
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函館中央病院形成外科はとても忙しい病院でした。
当時は土曜日も診療があり、
日曜日も交替で回診をしていました。
私の両親は札幌。
家内の両親は兵庫県西宮市に住んでいました。
私は、子どもが生まれてから、
家内の両親に頼んで、
家内の母親に函館まで来てもらいました。
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函館で住んでいたのが、
病院が借りてくれた、
キャッスル富岡という賃貸マンションでした。
エレベーターなしの3階だったと思います。
赤ちゃんが生まれて、
生活は一変しました。
すべてが赤ちゃん中心の生活です。
楽しい反面、
いろいろと大変だったことも事実です。
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私の担当は主として、
風呂入れでした。
早く帰ってきた日は、
私がお風呂に入れていました。
私の方が手が大きいので、
片手で楽に子どもを持って、
身体を洗ったり、頭を洗ったりできました。
でも、それ以外は何もせず…
家内は一人で子育てをしていました。
■ ■
函館では、
家内の母親は産後約1ヵ月いてくれました。
10月の紅葉がキレイなころに、
家内の父親が迎えに来てくれて、
そのまま関西に帰りました。
その後も、
引越しや2人目の子どもの誕生など、
何かある度に、
家内の母親に来てもらいました。
ほんとうにお世話になりました。
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医師という職業は、
急患や当直もあり…
私自身が、
育児休業とか育児休暇なんて…
考えたこともありませんでした。
家内の母親は、
今は札幌に住んでいます。
本間家の子育ては、
家内の母親のサポートではじまりました。