昔の記憶
忘れられない患者さん
私が医師になったのが、28年前でした。
昭和55年、1980年です。
私は札幌医大を卒業して、
北大形成外科へ入局しました。
実は…
北大形成外科をよく知らずに…
北大へ来てしまいました。
■ ■
私は、形成外科というのは、
事故のキズをキレイに治したり、
顔や体の表面を治す外科だと思っていました。
それは、間違ってはいませんでした。
私の予想外だったのは、
皮膚ガンの診断と治療でした。
北大形成外科は、
もともと皮膚科から独立したので、
皮膚ガンの診断、治療(手術や抗癌剤治療)も
形成外科でしていました。
■ ■
悪性黒色腫(あくせいこくしょくしゅ)
通称:メラノーマ
というホクロのガンがあります。
今でも難しいガンの一つです。
皮膚ガンの中では、
もっとも怖いガンの一つです。
足の裏のホクロが
突然黒く大きくなってきたら要注意です。
リンパ節や肺に転移して、
亡くなってしまう方もいらっしゃいます。
■ ■
私が、免許取立ての新米医師の時に、
このホクロのガンができて、
北大形成外科にいらした患者さんが
いらっしゃいました。
残念なことに、
その方は外来にいらした時に、
ガンがかなり大きくなっていました。
その上、リンパ節にまで転移していました。
■ ■
本人はガンだと知っていましたが、
まさかそんなに重体とは思っていませんでした。
混んでいた北大病院でも、
大至急手術が必要なので、
最優先で入院待ちとなりました。
入院前に、全身の検査をします。
もちろん会社も休まなくてはなりません。
本人には、
『○○さん、大至急入院して手術が必要です。』
『会社も3ヵ月以上休まなくてはなりません。』
外来チーフの先生が説明しています。
■ ■
『冗談じゃない、こんなおできで3ヵ月も入院できません。』
『私は8月に大事な国家試験がある、そのためにずっと勉強してきました。』
本人は黒いおできができたので、
それを切ってもらえば治ると思っています。
本人への説明の後で、
奥さんへの説明がありました。
『悪性のガンです。』
『手術をしても、リンパ節に転移があるので、
進行が早い方もいらっしゃいます。』
『早い方は、6ヵ月程度で…』
と上の先生が説明しています。
■ ■
新米医者の私は…
まだお若いのに、ガンになって死んでしまう…???
とてもやり切れない気持ちになりました。
その方は、北大形成外科へ入院して手術を受けました。
リンパ節郭清(かくせい)の手術もしたので、
手術の後はパンパンに腫れていました。
その上、抗癌剤治療も受けていました。
ふつうの人でしたら、手術だけで音をあげます。
■ ■
驚いたことに、
その患者さんは、
手術後にパンパンに腫れて、
しかも吐き気がすごい抗癌剤治療まで受けながら、
病室で毎日消灯まで、
国家試験の受験勉強をしていました。
私は、
こんなに勉強しても…
余命6ヵ月とか言われていたのに…
と思いながら、
上の先生に指示された抗癌剤の点滴をしていました。
■ ■
病理検査の結果も悪性黒色腫で、
リンパ節にも複数の転移が見つかりました。
今でも救命が難しいケースだと思います。
ところが、
その患者さんは見事に国家試験に合格。
そのパワーに驚かされたのか?
ガンも再発せず、
私が知っているだけで、
その後15年はお元気でした。
■ ■
私は30年近くたった今でも、
その患者さんのことが忘れられません。
人の命は、はかないものですが、
医学でも説明できない奇跡も起こります。
1%でも可能性があるのなら、
最後まで望みを捨てないというのは、
とても大切なことのように思います。
私が同じ立場だったら、
病室で勉強ができるかどうか?は
わかりませんが、
主治医を信じて治療を受けると思います。
私だったら国家試験の勉強などできないと思います。脊髄腫瘍ですとはっきり 初めての診察日に告知されてから そのことで頭がいっぱいになり 医学書を読んだりネットで調べたり この手の腫瘍はほぼ良性ですが 何パーセントかは悪性があり それは開けてみないとわかりませんと言われ どんなふうに腫瘍が出ているかも何通りか説明があり この手が何パーセントとはっきり教えてくださったと思います。でも もし 悪性だったらとか 脊髄だからすぐ体中に転移して 死ぬかもしれないなんて 不安な時もありました。でも 主治医の先生の力強い言葉に励まされ前向きに考えることができたのです。二度目の頸椎の手術は 先生を信頼して 何の不安もなく手術を受けることができました。前に本間先生がおっしゃったように 医療は医師と患者の信頼関係で成り立つと本当に思いました。大学病院には県内外からたくさんの患者さんがいました。廊下をいつも歩いていたTさんは別の病院の皮膚科で背中にできたほくろをみてもらったら 悪性で 山大に移され えぐりとってもらったんだけどと背中のガーゼから血をにじませながら いつも もっと早く 診てもらえばよかったと溜め息をついていたお父さん・・ 脊髄腫瘍でも さくらんぼさんは良性だからよかったね、俺悪性だったよと笑って 部屋に顔を出してくれたTさん いろんな方と知り合え勇気をいただきました。HPの脊髄腫瘍の情報交換には 管理人さんから手術前は 手術が終わったあとの自分のご褒美は何がいいか (旅行とか・・)考えて過ごすと楽だと教えていただきました。でも 私は 執刀してくださる先生を信頼し命を預けるつもりで手術を受けました。 私の母方の伯父や伯母はみんな癌でなくなり 抗癌剤の副作用の苦しみや 家族の苦しみも何度と見てきましたが 本間先生の忘れられない患者さんのように 奇跡を起こした人もいませんでしたが、病気と戦うという強い意志と 主治医との信頼関係があれば 奇跡も夢ではないかもしれません。
私もあと二年再発がなければ 卒業できる予定です。
悪性の皮膚癌のお父さんは 中まで えぐりとるためか 皮膚科ではなく整形外科に入院していました。今思えば 山形大学に 形成外科があったら そのお父さんは あちこちの皮膚科に行くこともなく 早期発見できて 転移もなかったのではないかとおもいます。あれから三年経ちますが 奇跡が起きて その方が治癒されていることを願っております。 患者がどの科を受診したらよいか迷わなくてよいようにぜひ早期に 形成外科を作って 多くの患者を助けていただきたく思います。
治療しても完全に完治する病・・・癌や難病などたくさんありますよね。手術しても治らなかったり、どんなに医学が進歩してもまだまだ治らない病気はたくさんあって・・・
ただ、手術や治療などで薬などでは、改善されない症状などがあるのに患者さんの自然の力で余命○か月とか言われていても、今日先生が日記に書かれたように症状が一時改善されたりすることがあることは多いようです。
患者さんの気持ちが、病気に立ち向かうことをやめたとき急激に悪化してしまうことも実際経験しました。
私はここ数年ターミナルケア(終末期)のご老人とかかわるいわゆる老人ホームに勤務していました。
それまでは、最後までいろいろな薬品を使って、人工呼吸器をつけたり、たくさんの管につながれて最期をむかえた方をたくさん見てきました。
でも、自然な形での最期・・・こんな形もあるのだと知ることもできました。
もちろん本人、家族、年齢、病状などいろいろな条件のもといろんな形があることも知りました。
その施設では当時99歳の女性の方が、もう息子に鮭を送れないんだ・・・と
私たち職員に言いました。その方の家族は地方に住んでいたので毎年年末に鮭を送ってあげるのがその方の楽しみでした。状況から見てどう見ても1~2日で・・・というほどの状況でしたが、その時、今年鮭を送らなければと思ったそうです。その方は、100歳を過ぎ現在もご健在。
きっと、それは誰も説明できないその方のパワーだったんだと思います。
主治医との信頼関係はとても大きいと思います。私も何年も治療していた病院に通院することを最近やめました。病院スタッフの顔ぶれも変わり、主治医との信頼関係が切れた瞬間があったからです。函館にはその治療をできる病院が少ないので今後どうしようか?悩んでいますが、患者さんも、医師や看護師を信頼できなければ良い結果も得られないと私は考えます。
今のところ私には、信頼できるその病院は見つかりそうにありません。