医学講座

離婚率が全国最低の富山県…

 今日は2025年8月24日(日)です。
 今日も暑いです。
 さくらんぼさんの山形は最高気温34℃、
 東京は最高気温37℃、
 札幌も最高気温29℃です。
 この暑さを何とかしてほしいです。
 異常気象はもうたくさんです。
      ■         ■
 今日のYahoo!ニュースです。
 離婚率が全国最低の富山県理由はよいことばかりではなかった
 厚生労働省が発表した2024年の人口動態統計(概数)によると、富山県の人口1000人あたりの離婚件数「離婚率」は1.13で3年連続全国最低だった。一見すると離婚が少ないのはよいことにも感じるが、その理由は――。専門家に取材すると、若者の転出超過や女性の就労環境に関係する事情も見えてきた。(川尻岳宏)
 3年連続最低
 同統計によると、2024年の全国の離婚率は1.55。最高は沖縄県(2.24)で福岡県と大阪府(いずれも1.79)、北海道(1.76)なども高かった。
 北陸3県では石川県(1.26)が全国5番目、福井県(1.27)が6番目に低かった。これらの県は低い地域の常連だが、富山は特に低く、過去5年で全国最低が3回。2020、2021年も2番目の低さだった。
 「円満な夫婦が多い」とも推測できるが、ニッセイ基礎研究所人口動態シニアリサーチャーの天野馨南子(かなこ)さんは「高齢化が進んでいる地域で離婚率が低いのは当然」と指摘する。厚労省統計の離婚率は、人口あたりの離婚件数の割合を示している。若い夫婦よりも離婚に至る可能性が少ない高齢夫婦が多ければ、離婚率も下がるというわけだ。
 30年でほぼ半減
 天野さんが提唱するのは婚姻数を分母にして離婚数の割合を示す「離婚化指数」だ。夫婦がどれだけ減っているかを可視化しやすい。2024年の離婚、婚姻数で計算すると、富山の指数は全国2番目の低さ(0.33)となる。
 天野さんは富山が離婚率だけでなく、指数も低い理由を「結婚も離婚も減っているからだ」と説明する。
 天野さんによると、同指数が低い地域には①婚姻が多く、離婚が少ない②婚姻も離婚も少ない――の2パターンがあり、①は首都圏や愛知といった都市部、②には北陸3県が該当する。 実際、富山県内の婚姻数は減少し、約30年で半数近い3324件(2024年)になり、減少幅は全国平均より大きい。離婚数も全国より速いペースで減り1096件(同)だった。
 若い女性が県外へ
 婚姻や離婚の減り方が大きいのはなぜだろうか。富山では就職期の女性の県外転出が男性より多い。2024年の総務省の住民基本台帳人口移動報告によると、富山県の20~24歳女性の転出超過は806人で、同年代男性の1.97倍だ。
 天野さんは「職場や家庭での母の姿をみた若い世代が『富山に残りたい』と思わないのでは」と指摘。「世間体を気にして離婚に踏み切れない女性を見た若い世代が県外に出ている可能性もある。『離婚したくてもできない』人が多いだけではないか」と推測した。
 女性の雇用環境整わず
 「肌感覚では、夫婦関係が悪くなっても離婚しない人の割合は増えている」と語るのは、県家庭問題相談センター(富山市)の斉藤好一理事。センターでは夫婦関係や離婚後の子どもとの面会、相続などの相談を受けている。昨年度の相談件数は計183件で夫婦関係に関するものは56件(30.6%)に上った。
 センターには「別れたいが、経済的な理由でできない」という相談が女性から多い。出産を機に正社員を辞め、専業主婦や非正規雇用となった場合、DV(家庭内暴力)や不倫があっても、経済的に自立できるめどが立たないという。
 斉藤理事は出産.育児後も正規雇用を続け、柔軟な働き方を選択できる雇用環境が整っていない可能性を指摘する。「女性への就労制約や障壁が残る社会が変わらなければ、『離婚率が低いから幸せ』とは言えないのではないか」と語った。

※厚生労働省の2024年の人口動態統計(概数)より作成(読売新聞)
(以上、Yahoo!ニュース、読売新聞より引用)

      ■         ■
 山形県は離婚率が1.18と低いです。
 全国3番目の低さです。
 離婚化指数も高くないようです。
 沖縄と北海道は離婚率が高いです。
 本間家にも離婚の危機がありました。
 富山県の若い女性が県外に、、、
 …はちょっと残念です。

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門脇繁先生の本_シカバン札幌〈映画〉生活史

 今日は2025年8月23日(土)です。
 8月下旬なのに蒸し暑いです。
 札幌の最高気温30℃、
 さくらんぼさんの山形は最高気温35℃です。
 山形では熱中症で亡くなった方がいらしたそうです。
 ご冥福をお祈りいたします。
 お身体に気をつけてください。
      ■         ■
 私が尊敬する口腔外科医の門脇繁先生が本を出版されました。
 二期会歯科クリニックの
 門脇繁先生です。
 専門は口腔外科こうくうげかです。
 特に顎関節症がご専門です。
 信頼できるいい先生です。
 私の母親が心臓の手術前に歯を治していただきました
      ■         ■
 2025年8月10日の北海道新聞に記事が載っています。
 <ほっかいどうの本>「シカバン 札幌<映画>生活史 1975ー2024」
 銀幕見つめた 圧巻の半生紀
 世に映画ファンは多い。ただ、年に100回以上、少ないときでも50回前後は映画館に通い、テレビでも年に数十日は映画を視聴する生活を、50年間続けてきたとなれば一般的なファンのレベルを超える。愛すべき「映画バカ」とでもいえばいいだろうか。本書はそんな映画漬けの毎日を途切れることなく送っている札幌在住の歯科医師による驚きの半生記だ。
 本書は2編で構成される。前半の第1幕は「【歯科版】映画生活」。勤務するクリニックのホームページに著者が執筆してきた映画エッセー18編をまとめたもの。後半の第2幕は「【私家版】ベスト映画 ワースト映画」である。書名に「シカバン」とあるのは、この構成内容から理解してもらえるだろう。
 その中でやはり注目したいのは後半の「ベスト映画 ワースト映画」の内容だ。著者が映画に目覚めたのは中学生時代。3年生になった1975年以降、1年間に見た封切り映画のベスト10(77年からはベスト20)を選定しノートに記録するようになったという。82年からは期待外れのワースト部門も加えている。本書に収録しているのはその間の膨大な選定データである。
 著者が記録してきたデータをもう少し補足すると、ベスト・ワーストに選定した映画には、それぞれ邦題、原題、監督、配給会社、作品を見た映画館が記されている。さらにベスト・ワーストとは別に、その年の監督賞、主演男優賞・女優賞、助演同賞、劇音楽賞、歌曲賞、特別賞、テレビ放映映画ベストなども選ぶという念の入りようでこだわりが分かる。ただ、選定対象の基本は洋画。邦画はほぼ除かれているのを残念に思う映画好きはいるかもしれない。
 とはいえ、その年がどんな1年だったかが分かる文章とともに、一挙に収録された50年間に及ぶ膨大なデータは圧巻。懐かしさやその映画を見た時代などの思い出とともに、心動く読者も少なくないのではないか。(中舘寛隆・編集者)
 (以上、北海道新聞電子版2025年8月10日より引用)


      ■         ■
 映画音痴の私は、
 映画のことよりも門脇先生ご自身の生活史を読ませていただきました。
 北大口腔外科学第二講座に入局され、
 きびしい修行を積まれました。
 二期会歯科クリニックで理事長を歴任されました。
 門脇先生に患者さんをご紹介すると、
 いつも丁寧なお手紙をくださいます。
 1975ー2024は私自身の歴史とも重なっています。
 機会があればぜひ読んでいただきたい本です。

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塩谷信幸先生の悪徳美容外科医から身を守る方法2025

 今日は2025年8月22日(金)です。
 さくらんぼさんの山形は今日も最高気温33℃です。
 猛暑が続いています。
 鹿児島に大雨を降らせた、
 台風12号は温帯低気圧になりました。
 異常気象には困ったことです。
 台風の被害は今も昔も変わりません。
      ■         ■
 昨日の院長日記、71歳_黄金期に、
 さくらんぼさんからコメントをいただきました。
 ニュースでも美容外科の落とし穴とかの番組ばかりです
 悪徳美容外科も今も昔も変わりません。
 先日ご逝去された塩谷信幸先生の悪徳美容外科医から身を守る方法が参考になります。
 広告の方法が変わったのと、
 チェーン店上がりの美容外科医が増えているのが2025年の特徴です。
      ■         ■
 2013年8月26日の院長日記です。
 『悪徳美容外科医から身を守る方法
 僕がアメリカ留学を終え、
 形成外科医として日本に戻ってきたとき、
 直面したのは跳梁跋扈する悪徳美容外科医の群れだった。
 その頃まともな形成外科医は十指にも満たず、必死に形成外科の確立に努力している彼らの足を引っ張っているのが、いわゆる“美容整形医”のでたらめな手術とその被害者の存在であった。
 この図式は今もまだあまり変わりはない。
 ちょうどその頃、豊胸術による死亡が話題となった。ある福島の女性が、日比谷の某クリニックで豊胸のためにパラフィンの注入を受け、それが静脈に間違って入り、肺に飛んで呼吸困難で死亡したのである。
 今問題になっている下肢の静脈血栓が肺を詰まらせる、エコノミー症候群と同じ現象である。
 その頃注入物質としてシリコンが使われ始め、すでにそのトラブルが問題視されていたとき、それよりはるかに劣悪なパラフィンを人体に注入すること自体犯罪行為であった。
 その後、鼻の美容整形と称して、大切な鼻の軟骨を皆抜かれ、救いようのないつぶれた鼻に泣く女性。
 下眼瞼の皺をとりすぎて生じたアカンベー。更には誇大宣伝で有名な某クリニックでは、脂肪吸引と称して腹部の 内臓に穴を開けて、患者を死なせてしまう。
 まさに魑魅魍魎の世界である。
 何故このようなことが許されるのか。
 まず、法律的には医師免許さえあれば、誰でも今日からでも何科を開業してもかまわない。たとえば僕が明日から産婦人科を名乗っても一向に構わない、ただ、僕にその勇気がないのと、どうせ患者も来ないことも確かである。
 今の保険で締め付けられた日本の医療の中で、美容外科は唯一保険の効かない、自由診療の分野である。つまり、安い報酬と過酷な労働を強いられる保険制度に嫌気がさした医師にとって、言い方は悪いが唯一“うまみのある分野”である。そしてみな、メスを手にしたことのない医師まで、美容外科にシフトして行く。
 反面、医師の広告規制は厳しく、つい最近まで、自分が専門医であることすら広告できなかった。これは美容外科に関しては今も変わらない。
 更に美容外科の世界では、お忍びで手術を受けるがるため、患者の“口コミ”が期待できない。
 したがって唯一の判断基準として、“テレビの露出度”が高いほどいい医者と、一般の人は信じ込む。
 もちろん正しい啓蒙番組なら大歓迎だが、マスコミのスタンスは、イヤー美容はイカガワシイのでちょっとまだ、としり込みするくせに、その同じ局でワイドショウ的に、またお笑い番組で美容外科を面白おかしく取り上げ、そのイカガワシサをあおっている。
 では安心して手術をまかせられる美容外科医の選択基準は?
形成外科の専門医であること(これは必要最低条件と考えて欲しい)
②その上で美容外科のトレーニングを積んでいること
誇大宣伝に走らないこと。テレビのモニター手術など言語道断である。美容外科も立派な医療の一つ。お笑いの対象にすべきものではない。
④悩みをよく聞いて、説明を十分にし、手術を受けるかどうかの決定は患者にゆだね、決して手術を売り込まない
⑤そしてもちろん腕が確かなこと
 だが、この条件を満たす医師は数が少ないんですな。
 今は金と宣伝で“悪貨が良貨を駆逐せん”としている。
 じゃどうすればいいの?
 具体的に良貨の名前を提示する以外にないですかな、考えて見ましょう。

(以上、塩谷先生のアンチエイジングブログ!より引用)

      ■         ■
 昔は女性週刊誌の広告でした。
 今はインスタやLINEで流れてくるそうです。
 信じてはいけない女性の先生もいます。
 脱毛でお金を取られたお気の毒な方もいらっしゃいます。
 私は手術の相談に行く前に、
 先生の経歴をよく調べてみるのがいいと思います。
 大手美容外科の在職経験だけでは信用できません。

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医学講座

71歳_黄金期

 今日は2025年8月21日(木)です。
 札幌は最高気温27℃、
 過ごしやすくなりました。
 さくらんぼさんの山形は、
 最高気温32℃、
 まだまだ猛暑です。
 お身体に気をつけてください。
      ■         ■
 昨日の院長日記、お悔みの日記2025に、
 えりーさんからコメントをいただきました。
 71歳は長年の人生経験から得た知恵を他者と分かち合うための黄金期に入る時期
 とてもありがたいお言葉をいただきました。
 私のような者でも、
 他の人のお役に立てるようにがんばります。
      ■         ■
 美容外科業界を見ると、
 直美の先生が増えて
 埋没マシーンとか、
 糸リフトマシーン
の先生が増えているようです。
 残念なことに、
 これが今の日本です。
 厚生労働省は医療費削減に追われて、
 美容外科をよくしようという政策はないように見えます。
      ■         ■
 私はSNSで集客して、
 若い先生たちと競争するつもりはありません。
 そんなことをしても疲れるだけで、
 寿命が縮まります。
 私にしかできないことを、
 細々と続けるつもりです。
 病気にならないように気をつけてがんばります。
 ご声援ありがとうございます。

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医学講座

お悔みの日記2025

 今日は2025年8月20日(水)です。
 昨日の【訃報】青柳俊先生に、
 さくらんぼさんからコメントをいただきました。
 お悔みの日記が増えましたね
 私は気づいていませんでした。
 確かに増えました。
 自分ももうすぐ71歳です。
 あと何年生きられるのかなぁ~?と考えることがあります。
      ■         ■
 2025年8月19日【訃報】青柳俊先生_82歳。
 2025年7月25日 塩谷信幸先生ご逝去_94歳。
 2025年6月24日 秋野豊明先生ご逝去_89歳。
 2025年6月4日 長嶋茂雄さんご逝去_89歳。
 2025年1月29日 森永卓郎先生ご逝去_67歳。
 ほんとうに増えていました。
      ■         ■
 自分より若い方がお亡くなりなったり、
 自分と同年代の方がお亡くなりになるのがつらいです。
 誰にでも寿命があります。
 私は患者さんが亡くなるのがつらいので、
 なるべく人の死に直面しない形成外科を選びました。
 整形外科も亡くなる患者さんが少ないです。
 残り少ない私の人生を悔いのないように生きます。
 あと3週間で71歳になります

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昔の記憶

【訃報】青柳俊先生

 今日は2025年8月19日(火)です。
 今朝は小雨でした。
 自転車で来たので少し濡れました。
 北海道新聞のおくやみ広告に青柳俊先生が載っていました。
 とても残念です。
 信頼できる素敵な先生でした。
 皮膚病理で何度もお世話になりました。
      ■         ■
 ご 挨 拶
 医療法人社団 青柳皮膚科医院名誉院長
 父 青柳 俊 儀、八月二日に八十二歳で膵臓癌のため永眠いたしました。
 ここに生前ひとかたならぬご厚誼に深謝し謹んでご通知申しあげます。
 癌の発覚から約三ヶ月、自宅で家族に囲まれての安らかな最期でした。最期までご尽力いただいた「巡る診療所」の皆様には深く感謝申しあげます。
 なお誠に勝手ながら故人の遺志により葬儀は近親者にて相済ませました。つきましては、ご弔問お香典などの儀はお心だけを頂戴し伏してご辞退申しあげます。
 令和七年八月十九日
 小樽市稲穂二丁目十三番十五号
 医療法人社団 青柳皮膚科医院
 理事長・院長 青柳 哲
 遺族一同


      ■         ■
 青柳俊あおやぎたかし先生は、
 北大医学部42期、
 教授候補と言われた優秀な先生でした。
 青柳先生を慕って皮膚科に入局した先生もたくさんいました。
 杉原平樹すぎはらつねき先生
 薄井正道先生
 …と同期です。
 82歳はまだお若いです。
      ■         ■
 1986年に小樽に青柳皮膚科医院を開院されました。
 開業医になられてからも皮膚病理をみてくださいました。
 今はご子息の青柳 哲あおやぎさとる先生が継承されています。
 青柳俊先生は開業医になられてから、
 日本医師会副会長を歴任されました。
 何度か講演会をお聞きしたことがありました。
 いつも精力的に仕事をなさる先生でした。
 ほんとうに残念です。
 心からご冥福をお祈りいたします。

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医学講座

消化器外科医の不足深刻

 今日は2025年8月18日(月)です。
 お盆明けなのに暑いです。
 札幌の最高気温29℃、
 山形の最高気温31℃です。
 さくらんぼさん
 暑いのでお身体に気をつけてください。
 今日のYahoo!ニュースです。
      ■         ■
 消化器外科医の不足深刻厳しい勤務で若手敬遠、「胃や腸のがん患者の命に関わる学会に危機感
 胃や腸などの手術にあたる消化器外科の医師不足が深刻だ。医師数は20年前より2割減った。長時間の手術や休日夜間の救急対応といった厳しい勤務状況を、若手医師が敬遠するためだ。人材確保に向け、大学病院では、業務負担の軽減や給与の増額などに取り組んでいる。厚生労働省も外科医の待遇改善策について、今年度から本格的な検討を始めた。
 日本消化器外科学会によると、医療機関に勤務する消化器・一般外科の医師は2022年時点で約1万9000人と、2002年からの20年で2割減った。麻酔科が7割増、内科が2割増と他の診療科が軒並み増えているのとは対照的だ。
 同学会理事長の調(しらべ)憲・群馬大教授は「執刀医が確保できず、夜間の救急診療が難しくなった病院もある。このままでは手術の待機期間が延びて、胃や大腸のがん患者の命にも関わる」と窮状を訴える。
 減少の背景には、若手医師が労働時間や対価を重視し、「割に合わない」と避けることがある。休日夜間に緊急手術の呼び出しがあるうえ、難しい食道がんの手術では、10時間を超えることもある。対する給与水準は、他の診療科と変わらない。さらに、高度な技術を身につけるため、長期間の修練を要することも避けられる理由となっている。
 大学病院も対策に乗り出している。北里大(相模原市)は、1人の患者を複数の医師で担当する。患者に緊急対応が必要になった場合、休みの医師を呼び出さず、勤務中の医師があたる。消化器外科の樋口格講師(45)は「手術が成功して前向きになる患者の姿を見るのがうれしい。若手にやりがいを伝えることも重要」と話す。
 富山大は、長時間に及ぶ手術で執刀医を3~4時間ごとに交代する仕組みや休日回診に当番制を導入。広島大は今年度、若手医師の年俸を1.3倍にする。
 診療体制の維持に向け、同学会は、地域の拠点病院に消化器外科医を集約したい考えだ。一定数の医師がいれば、休みが取りやすくなり、様々な患者を診ることで経験も積めると期待する。厚生労働省も勤務環境や医師の待遇の改善を図る医療機関に診療報酬を手厚く配分することを検討している。

食道がんの手術にあたる樋口講師(左)。終了まで11時間かかった(北里大病院で)(読売新聞)

(以上、Yahoo!ニュース、読売新聞より引用)

      ■         ■
 何科の医師になるか?は本人の自由です。
 今の若い先生たちが長時間労働や厳しい修行を敬遠しているようです。
 確かに労働時間対価を重視し、
 「割に合わない」と思うのは仕方がない面があります。
 北里大学消化器外科の樋口格先生がおっしゃるように、
 「手術が成功して前向きになる患者の姿を見るのがうれしい
 若手にやりがいを伝えることも重要」だと思います。
 2002年からの20年で2割減は大変なことです。

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ソ連の分割占領と北海道

 今日は2025年8月17日(日)です。
 札幌美容形成外科の夏季休暇は終わり、
 今日から診療をはじめます。
 休みの間に戦後80年の終戦記念日がありました。
 北海道新聞の復刻版がとても参考になりました。
 本間家では永久保存します。
 今日の北海道新聞、卓上四季です。
      ■         ■
 卓上四季分割占領と北海道
 ソ連が日本に宣戦布告したのは1945年(昭和20年)8月8日だった。独裁者スターリンは日本が無条件降伏した後も攻撃を続ける。そして16日には米大統領トルーマンに、満州や38度線以北の朝鮮半島、サハリンに加えて千島列島と北海道の北半分を要求した。
▼道内の境界線は釧路から留萌を結ぶ線だった。「二つの良港を定規で結んだだけだ。地理を無視しており、よく練られた案とは思えない」と麻田雅文氏は「日ソ戦争」(中公新書)で指摘する。狙いは陸地ではなく、宗谷海峡と千島列島を支配下に置くことだった。
▼ソ連軍の留萌上陸は24日午前5時と定められた。しかしトルーマンが北海道分割を拒否したため、スターリンも22日に上陸を諦めた。対米関係の悪化を恐れたためだとされるが、真相は不明である。
▼北方領土には侵攻して四島を奪った。もし北海道が分割占領されていたら、数限りない悲劇に見舞われたに違いない。朝鮮半島の過酷な現実にも改めて思いが至る。
▼いまロシアは力ずくでウクライナの領土を奪おうとしている。ところが米大統領は当初、領土割譲を容認するような姿勢も見せた。昨日の会談も強い態度では臨まなかった。
▼分割こそ免れたものの、四島が占領された私たちにとってウクライナの苦境は人ごとではない。大国の横暴に、ノーと言い続ける。


(以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 北海道で生まれて70年、
 北海道新聞の記事を読むまで知りませんでした。
 ソ連が北海道の北半分(釧路から留萌を結ぶ線から北側)を要求したことは、
 社会科でも習いませんでした。
 北海道が半分ソ連になっていたら、
 とんでもないことになっていたと思います。
 北海道新聞を購読していてよかったです。
 この企画を担当してくださった、
 北海道新聞社報道センターの伴野昭人記者、野口洸記者、菊池真理子記者に感謝いたします。

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羅臼岳でヒグマに襲われ死亡

 今日は2025年8月16日(土)です。
 悲惨な事故が起きてしまいました。
 昨日のYahoo!ニュースです。
 友人必死の抵抗かなわず ヒグマ襲撃時素手で殴る
 北海道・知床の羅臼岳で東京都墨田区の会社員曽田圭亮さん(26)が登山中にヒグマに襲われた際、一緒にいた友人の男性は曽田さんを助けようと素手で殴って必死の抵抗をした。しかし、ヒグマは曽田さんを引きずって茂みの中へ姿を消したという。
この友人から襲撃時の状況を聞き取った道警によると、友人は別の登山者を挟んで、曽田さんの約200メートル後ろを歩いていた。「助けて」と叫んで自分の名を呼ぶ曽田さんの声に慌てて駆け寄ると、曽田さんは茂みの中に引きずり込まれていった。
 友人は「クマを素手で殴った。殴った腕が血だらけになった」と話したという。ヒグマには既に曽田さんの血がついていたとみられる。
 友人は身の危険とすぐに助けを求める必要性を感じ、登山道に戻って通報した。
 (以上、Yahoo!ニュース、共同通信より引用)

      ■         ■
 このニュースを見た時に、
 エゾシカのことを思い出しました。
 大きなシカでさえ引きずられたのに、
 人間ならどう抵抗しても無理です。
 亡くなった曽田圭亮さん(26)のご冥福をお祈りいたします。
 お父様が兵庫県宝塚市からいらして、
 山に真剣な息子だったと語られました。
 山が好きな人が安全に登山ができように、
 北海道知事にクマの頭数管理をお願いします。
 これ以上、人が亡くなるのは耐えられません。

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終戦記念日と親の思い出

 今日は2025年8月15日、終戦記念日です。
 北海道新聞には1945年8月15日の紙面復刻版がついていました。
 今だったらこんな紙面になるという想定版です。
 私は1954年生まれなので、
 戦争を知りません。
 父親から仙台の空襲を聞いた程度です。
 私の父は戦争に行きたくないので薬剤師になりました
      ■         ■
 母親は女学校を卒業後に北海道農業会に就職しました。
 ものがない時代でした。
 家には弟が3人もいたので、
 母親のお給料は生活費に消えたようです。
 買いたい服を買えず、
 洋裁を習って自分で服を作っていました。
 私が小さい頃の服も母親が作っていました。
      ■         ■
 晩年の母親はネットで株価を見て
 株をやっていました。
 株の配当でお金が入ると、
 若いころに買えなかった服を買っていました。
 花井幸子さんが好きだったそうです。
 デパートで買うのを楽しみにしていたようです。
 若いころにできなかった夢を、
 晩年にかなえた母親はしあわせだったと思います。

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