昔の記憶
親父の宝物
休診日に親父の部屋を掃除しました。
15年分のほこりを掃除機で吸いました。
机の引き出しから、
親父の宝物を見つけました。
母親いわく、
よほどうれしかったんだねぇ~
これを大事に永久保存って書いてある。
■ ■
1983年9月30日の朝日新聞です。
大韓航空機撃墜事件の記事が載っていました。
当時は、
個人情報の法律もなかった時代でした。
赤ちゃんが誕生すると、
北海道では新聞に掲載されました。
下の記事は朝日新聞北海道版の、
ぴいぷる北海道という欄です。
■ ■
本間ゆかりちゃん=賢一さん長女、
富岡町2-51(20日)
私の娘が生まれたことが、
朝日新聞に載っています。
当時、私は函館中央病院形成外科に勤務していました。
娘は1983年9月20日に函館中央病院で生まれました。
親父と母親、母方の祖母が、
札幌から函館まで赤ちゃんを見に来ました。
■ ■
初孫の誕生が掲載された、
朝日新聞を永久保存版として、
机の引き出しに大事にしまってありました。
親父の90年の人生で、
やっぱり初孫の誕生がうれしかったのだなぁ~
…と妙に納得しました。
■ ■
親父の葬式は、
戒名もないし、
お坊さんの読経もないし、
牧師さんのお祈りもないし、
賛美歌もありませんでした。
孫4人がおじいちゃんにお別れの言葉を述べました。
いいお別れの会ができたと思っています。
“親父の宝物”へのコメント
コメントをどうぞ
貴重な物が出てきましたね。
お父様の宝物だったのでしょう。
新聞記事も初孫ゆかりさんも。
以前にこのお写真が掲載された時
どちらが上のお子さんか
わからなかったのですが
お姉さんと弟さんだったのですね。
ご両親が美男美女なので
お子様もとても可愛いです(*^^*)
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。母親いわく初孫のゆかりは特別かわいかったようです。親父は孫のお別れの言葉で喜んでいたと思います。
やはりはじめての孫さんは 嬉しいのですね。今の息子たちの年齢では私たち夫婦はもう子供が二人いました。 昔は私たちの市報で赤ちゃん誕生が紹介されました。今は個人情報で掲載されなくなりました。 お父さんお孫さんたちからの言葉 は お経より嬉しかったでしょうね。 先生の一番大事な物はなんですか?
長生きして欲しいですが、先生がもし先だったら、ラベンダーの花束でも持って伺いたいとおもいます。 主人いわく 死んでから花あげられても嬉しくないし 生きてるうちに してあげたらいいのになあ。と言ってます。孫ともっと遊べばよかった、妻にもっと優しくすればよかったなどなど、、、 死んでからでは死人は喜びません。
お父さん ゆっくりお休みください。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。私の宝物は何ですかね?さくらんぼさんに助けていただき親父も喜んでいました。親父は無宗教でいいと言ってましたが、孫のお別れの言葉はよかったです。亡くなった後もいろいろ大変ですね。