昔の記憶
息子の袖を針仕事
平成28年4月24日、朝日新聞朝刊、男のひといきです。
息子の袖を針仕事
長男が中学生になった。
私が中学生になったときには、両親は「どうせ大きくなるのだから」と、かなり大きめの制服をあつらえた。そのため私は、ぶかぶかのカッターシャツをまくり上げ、結構不便な生活を強いられた。手を洗えば袖先がぬれる。冬になれば寒い。
今回、長男にも同様に、一回り大きな制服を準備した。だぶだぶの上着姿は初々しくていい。しかし、手のひらを超えるほど袖が長いカッターシャツはいかがなものか。妻は「めくればいいでしょ」と言うが、そういうものではない。経験者の私が一番よくわかる。だから入学前に、袖丈を詰めてやった。袖を数センチつまみ、慣れない針運びでチクチク縫い合わせたのだ。
晴れて入学後、長男は「とてもいい。袖が長い友だちにお父さんに直してもらったと言ったら、『いいなあ。そんなお父さん。うらやましい』って言われた」と、かなり満足の様子。
少しばかり手間だったが、子どもの言葉で元気が倍増。機嫌良く洗濯を干していたら、今度は次男がリコーダー袋をほしがっている。「それも俺の仕事?」と思いつつ、次男の喜ぶ顔を想像する自分がいる。さあ、どんな布で作ってやろうか。
(京都市 谷垣寛明 公務員 46歳)
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
私が毎週楽しみにしている、
朝日新聞の男のひといきです。
女性のひとときも楽しみですが、
日曜日は必ず男のひといきを読みます。
京都市の
谷垣寛明様、
公務員 46歳
すごいです。
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長男は
「とてもいい。袖が長い友だちにお父さんに直してもらったと言ったら、
『いいなあ。そんなお父さん。うらやましい』
って言われた」と、
かなり満足の様子。
素敵なお父様です。
機嫌良く洗濯を干していたら
洗濯物を干すのもお父様がなさるようです。
ますますすごいです。
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私はキズを縫うのは得意ですが、
縫い物は家内です。
家内ができないものは、
家内の母親がしてくれます。
プロ以上のプロの腕です。
内職で鍛えたそうです。
とても上手です。
コシノヒロコさんの仕立てをしていたそうです。
私がはじめて家内の実家に行った時に、
工業用ミシンがあったのを覚えています。
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袖の長い制服は大変です。
私にも経験があります。
手を洗えば袖先がぬれる。
厄介なものです。
私が入学した中学校は、
美唄市立茶志内中学校(ちゃしない中学校)でした。
同級生の荒木田和生くんと、
長靴で田んぼの中を通いました。
いい思い出です。
谷垣寛明さま、心温まる投稿をありがとうございました。
向かって左は、荒木田和生くんです
“息子の袖を針仕事”へのコメント
コメントをどうぞ
谷垣様の針仕事は
多分初めてではないのでしょうね。
袖を縫うのは私には結構難しかったです。
それに次はお子様からのリコーダーの袋のリクエスト。
縫うのも楽しくなるでしょうね。
私が入学した際に大きなサイズを着用してたのか
全然覚えてません。
でも中学入学時に153センチだった身長が
高校卒業時に163センチになっていたので
きっと大きな制服を着用してたんでしょうね。
私の思い出はランドセルです。
入学の時にとても重かったです。
お母様はコシノヒロコさんデザインの服を
縫われてたんですか。
一流デザイナーですもんね、凄いですね。
とても驚きました。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。洗濯物まで干すお父様はすごいですね。義母の洋裁の腕はすごいです。職員の制服も直してもらっています。
本間先生なら綺麗に縫えると思いますよ。コシノヒロコさんのブランドを縫っておられた奥様のお母さんは凄いですね。主人はもちろん私も縫い物が不得意で学生の頃は家政科の妹に縫ってもらっていました。癌で入院中も脱毛した頭に被る帽子を何個も縫っていました。 母は小学校しか出ていませんが、裁縫の学校に通っていたので、息子たちの裾上げは母がしてくれていました。年をとり手が痛くなりできなくなり、白衣の裾上げなど は近くのクリーニング店に『裾上げ、スカートなどのサイズ直し賜ります』と貼り紙があったのでいつもそこに頼んでいます。プロなんで綺麗で安いです。先生にプロが付いていらして羨ましいです。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。私は体育はダメでしたが家庭科は5でした。縫うのも好きだったと思います。手をつかうことは好きでしたから形成外科に向いていたのかも?ですね。義母も学校は出てませんが洋裁学校に通ったそうです。ほんとうに上手だと思います。仕事はとても丁寧です。