昔の記憶

おばが亡くなりました

 私のおば(太田昌子)が亡くなりました。
 1937年9月生まれ、80歳でした。
 私の母の弟(太田和男)の奥さんです。
 私が小さい頃から、
 けんちゃんケンちゃんとかわいがってくれました。
 叔父とは大学時代に知り合い、
 当時は珍しかった、
 ♡恋愛結婚♡だと聞いていました。
      ■         ■
 子供の私には、
 ♡れんあいけっこん♡が何を意味するかもわかりませんでした。
 小さい頃に、
 はじめておじさんの家に行った時に、
 水洗トイレでした。
 見るのも使うのもはじめてでした。
 おじさんの家は公団住宅でしたが、
 ハイカラでした。
      ■         ■
 おじとおばは、
 昔の北海道学芸大学(今の北海道教育大学)で、
 音楽を学び、
 音楽の先生になりました。
 おじが東京で音楽の勉強を、
 もっとしたいと、
 札幌から関東に引越しました。
 関東学院中学高校で、
 長い間ハンドベルを指導していました。
      ■         ■
 奥さんが亡くなってしまい、
 おじは一人になりました。
 今朝電話がありました。
 教え子たちが、
 みんなやってくれて、
 ぼくはだまってすわっているだけなんだ。

 おじ夫婦には子供がいません。
 おばもハンドベルをしていました。
      ■         ■
 関東学院の卒業生の方たちが、
 おばのことを
 ママ、ままって呼んでくれ、
 最期まで面倒をみてくださり、
 葬儀もしてくださるそうです。
 ほんとうにありがとうございます。
 私は葬儀には参列できませんが、
 札幌から冥福を祈っています。
      ■         ■
 横浜のタウンニュース
 2016年9月1日号に掲載された、
 私の叔父の記事です。
 金沢区・磯子区版
 2016年8月13日、ファイナルコンサートを開いた「クレシェンド」を21年指導した指揮者
 太田和男さん
 並木在住 82歳
 独自に創ったベルの響き
○…「こんなに楽しく棒を振ったことはない」。ミューザ川崎シンフォニーホールで開かれた最後の舞台に涙はなかった。「キレイに響くベルの音が最高で、ウキウキだった」と笑う。客席には教え子や教員仲間、札幌から駆け付けた兄弟、車いす姿の難病の妻ら。アンコールが終わると列ができ、懐かしい顔が見送ってくれた。「舞台を一番楽しんだのは僕だったね」
○…声楽を学び関東学院中学高校の音楽教師に。そんな折、ある演奏会で初めてハンドベルの音色を聞いた。「えもいえない美しい音。『これだ!』と思った」と振り返る。校長にかけあい、何とか40万円近くする3オクターブのハンドベルを米国の会社から購入。だが、肝心の音が響かない。「大変なものを買ってしまった」という思いで必死になった。教本も楽譜もなく指導者もいない中、音を響かせる試行錯誤が始まった。
○…苦難の末、手に入れた大きな音を響かせる関東学院の演奏は、当時の日本のハンドベル界では異端だった。1976年に初の全国大会が開かれるも、柔らかで優雅な音をスピーカーで流す他校から「関東は乱暴だ」と陰口を叩かれた。それでも「生の音で演奏するのが本来のベル」という哲学は曲げられない。生徒たちも「これが関東学院の音」と背中を押した。そんな中、当時の米国ハンドベル連盟の理事長と意気投合。ジョイントコンサートをやろうという話から、世界大会の構想が生まれた。1982年に渡米し理事会で世界大会開催を提唱、その2年後に実現する。海外での評価が高まるにつれ、国内でも認められるようになった。
○…教員時代に始め、21年間活動を続けたクレシェンドのメンバーには関東学院の卒業生も多い。「3年ぐらいしか続かないと思っていたけど」とほほ笑む。このたび、目を悪くするなどの理由で、指揮棒を置く決意をした。「迷惑をかける前にやめないと。最後は大事だから」

太田和男
(以上、タウンニュースより引用)

“おばが亡くなりました”へのコメント

  1. なっちゅん より:

    お子さんがいらっしゃらなくても
    卒業生の方々が色々して下さり
    日頃の叔父様、叔母様のお人柄が伺われますね。

    80歳、この世を去るのには
    まだ少し早いです。

    心からご冥福をお祈り致します。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。優しいおばでした。音楽の先生で声がきれいな方でした。まだおばの声を覚えています。今日は教会でお通夜にあたる前夜式です。一人になったおじのことが心配です。仲良し夫婦でした。

  2. えりー より:

    関東学院の生徒さん達が
    お二人にとってのお子様だったの
    でしょうね。血縁だけではない
    人の縁も大切だと思いました。
    ご葬儀が終わったあとも、
    叔父様と卒業生の方たちとの
    交流が続きますように。

    おばさまのご冥福をお祈りいたします。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。子供がいないおじ夫婦には卒業生が子供以上の存在だと思います。教員という仕事とハンドベルという音楽のおかげです。ありがたく思っています。

  3. さくらんぼ より:

    おば様のご冥福を心よりお祈りいたします。 私の母よりお若いのに、大學まで行かれたとは優秀で裕福だったのですね。我が家の両親は高等小学校だけです。 空から先生を見守っていて下さいますよ。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。おばの家のことはよく知りませんが、おじは父親が40歳くらで早逝したの自分で学費を稼いでアルバイトで大学を卒業したらしいです。亡くなった祖母は和裁の内職で5人の子供を育てたそうです。私が63歳になって思うのはどうやって育てたんだろう?という疑問だけです。子供がいないけれど自分の教え子たちが子供以上に世話をしてくれているようです。親戚の一人としてとてもありがたいことと感謝しています。

  4. ラズベリー より:

    おば様のご冥福を心よりお祈り致します。親族が亡くなるとやっぱり辛いですよね。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。子供がいなくても教え子たちが子供以上にお世話をしてくださったそうです。教師という職業とハンドベルの音を通じたつながりのおかげです。ありがたく思っています。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

TEL 011-231-6666ご相談ご予約このページのトップへ