昔の記憶
石炭ストーブ
今年の冬は、灯油の値上がりで大変でした。
灯油のような生活必需品は、
国が価格をある程度コントロールして欲しいと思いました。
私が子供の頃は、石炭ストーブでした。
以前にも書きましたが、
炭鉱は、石炭も、電気も、水道も、浴場もすべてタダでした。
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従業員には、無料で石炭が配られました。
もっとも、従業員に配られた石炭は、
市販される石炭より質の悪い部分でした。
石炭は、石の大きさにより、
①塊炭(カイタン)、手拳大より大きな石炭。
②中塊炭(チュウカイ)、少し小さめの石炭。
③粉炭(フンタン)、砂よりは大きいが、小さい砂利状の石炭。
④豆炭(マメタン)、石炭を洗浄した水を沈殿させ、その粉末を固めた石炭。
と分けられました。
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価格は①→④となるほど安く、
石炭のカロリー数や、
石炭を燃やした後に残る灰(アクとも呼びました)
の量によっても優劣が決まりました。
ちょうど、トロが
大トロ→中トロ→赤身と
価格が異なるのと同じです。
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炭鉱会社から、従業員に配られるのは、一番質の悪い粉炭です。
粉炭の中に、中塊(チュウカイ)が混じっているので、
その少し大きめの石炭を拾って集めておきます。
石炭は、石油と違ってすぐに火がつかないので、
石炭ストーブに、古新聞と薪(マキ)と
中塊(チュウカイ)を入れておいて火をつけます。
火力がついたところに、
追加の石炭をそっと入れるのがコツでした。
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石炭は、家の外にある炭小屋(タンゴヤ)に入れてありました。
粉炭は、固まってしまうので、
固まった粉炭をつるはしでたたいて割るのが仕事でした。
小学校高学年になると、子供もこの作業を手伝いました。
‘石炭出し’と呼んでいました。
炭小屋で、つるはしを振るうと、
石炭の粉が舞って、鼻の中が真っ黒になったものです。
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石炭は、炭鉱会社から、馬車で運んでくれました。
馬追のおじさんが、
『バイキ、バイキ』と馬に指示して、馬車をバックさせて
炭小屋の前に、どさっと石炭を降ろしてくれました。
それを炭小屋に入れるのも一苦労だった記憶があります。
50年も前の家には、断熱材も、サッシもありませんでした。
夜は、ほんとうに寒かったものです。
夕張では、夜間もストーブをつけていた記憶がありますが、
ストーブは家の居間に一箇所だけでした。
凍らせたくないものは、‘凍らない’冷蔵庫にしまいます。
つまり、台所より、冷蔵庫内の温度が高かったのです。
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家の中でも物が凍るのは当たり前。
夜、寝る前には、必ず‘水落とし’といって、
水道の止水栓をひねって、水を落として寝るのが日課でした。
もし、この‘水落とし’を忘れると、翌朝は水が出ません。
水道管が破裂して、水浸しになることもあります。
とにかく、寒さとの戦いが北海道の冬でした。
冬でも暖かな室内で、
24時間お湯が使える生活なんて…
想像もできませんでした。
世の中は、便利で暖かくなったものです。
小学校卒業の頃
右奥に見えるのが石炭小屋