昔の記憶

私の交通事故

 私は帯広厚生病院に勤務していた時に、交通事故に遭いました。
 病院からの帰り道で、右後方から右折して来た、
 1ナンバーのランドクルーザーに轢かれました。
 ちょうど、帯広厚生病院の裏にあった、JRの高架工事をしていました。
 ただでさえ、見通しが悪い交差点なのに、
 高架工事で、ますます見通しが悪くなっていました。
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 私も注意して交差点を横断していました。
 気づくと、自分のすぐ左後方にランクルがいました。
 とっさに、身をかわしましたが、
 左足が残りました。
 私の左足の上を、ランクルの右前輪が通り過ぎました。
 一瞬のことで、どのくらいの痛みがあったかは覚えていません。
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 私はすぐに、買ったばかりの携帯電話を取り出しました。
 110番通報をしました。
 私:もしもし、もしもし、車に轢かれました。
 110番:場所はどこですか?
 私:厚生病院の裏の交差点です。
 110番:どちらの厚生病院ですか?
 私:はぁ…?、厚生病院は帯広に一箇所しかありませんょ。
 110番:こちらは釧路警察署です。
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 その当時は、帯広から携帯で110番をすると、
 なんと釧路に繋がりました。
 今は、最新型FOMAから110番をすると、
 GPSのデーター?を送り、自分の位置まで教えてくれるようです。
 私は、自分がいる場所を正確には言えませんでした。
 帯広厚生病院の住所は、
 帯広市西6条南8丁目でした。
 私が轢かれた場所は、おそらく西6条南9丁目付近だったと思います。
 釧路警察署の110番は、帯広警察署に連絡をしてくれ、
 まもなくパトカーが来てくれました。
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 私を轢いたランクルは、若い運転手さんでした。
 『すみません。大丈夫ですか?』
 轢いた方も驚いています。
 『病院へ行きますか?』
 私:私はそこの厚生病院の医者です。
 轢いた運転手さんは、二度びっくりしていました。
 そこへ、パトカーが来ました。
 警察官:大丈夫ですか?救急車を呼びますか?
 私:大丈夫じゃないけど、救急車は呼ばなくてもいいです。
 私は厚生病院の医者なので、病院まで送ってください。
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 私はパトカーに乗せてもらい、
 すぐそこに見えている、帯広厚生病院へ戻りました。
 救急外来の当直の看護婦さんがいました。
 『あら、先生、どうしたの?』
 私:そこで轢かれました。
 『大丈夫ですか?』
 私:左足の中足骨(チュウソクコツ)から先が折れているかもしれません。
 レントゲン当直の方を呼んでくれますか?
 看護婦さんは、私を車椅子に乗せてレントゲン室へ運んでくれました。
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 当直のレントゲン技師さんは、すぐに来てくれました。
 先生どうなさったのですか?
 いやぁ、そこで轢かれました。
 私の左足は、パンパンに腫れており、ずきずきと痛みます。
 1ナンバーのランクルが乗っかったのですから、
 折れているに違いありません。
 レントゲンは、すぐにできました。
 不思議なことに、私が見ても骨折線は見えません。
 ランクルが乗っかったのに、骨は折れませんでした。
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 次に、私の頭をよぎったのは、仕事のことです。
 当時は、私の他に2名の形成外科医が勤務していました。
 合計3名でも、毎日忙しく働いていました。
 約3ヵ月先まで、手術予定が入っていました。
 もちろん、翌日にも手術が入っていました。
 困ったなぁ…。
 骨が折れていないのなら、仕事はできるかなぁ…?
 あの手術は、自分でなければできないしなぁ…などなど。
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 左足がパンパンに腫れたまま、
 私は翌日からも仕事をすることにしました。
 普通の人でしたら、最低一週間は休むところです。
 ここが、医師のつらいところです。
 私は、足を引きずりながら、翌日からも仕事をしました。
 一番大変だったのが、会う人ごとに、
 交通事故でケガをしたと説明しなければならなかったことでした。
 首から、説明文をぶら下げようかと思ったほどでした。

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