医学講座

母が語る無念

 平成29年1月21日、朝日新聞電子版の記事です。
 朝刊では、
 トランプ大統領就任記事の陰になって目立ちませんでしたが、
 読んでいて涙が出ました。
 電通という会社が、
 ほんとうに変わってほしいです。
 心から高橋まつりさんのご冥福をお祈りしています。
      ■         ■
 自殺した娘の電通入社「誇りに思えない」母が語る無念
 「電通と合意に至りましたが、娘が帰ってこないことには変わりありません。『娘に報告できたら』『どこかで生きてて見ててくれたらいいのに』と思う気持ち。ただ、それだけです」
 電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24)が過労自殺してから1年余。母親の幸美さんは1月20日、再発防止策や慰謝料の支払いについて、電通との合意書に調印した。この日開いた会見で語ったのは、安堵(あんど)というよりむしろ、無念の心の内だった。
 幸美さんによると、まつりさんは残業が多い電通の労働環境を理解したうえで、「ブラックなのは知っている。会社を変えたい」と入社を決めたという。
 入社後はネット広告を扱うデジタル部門に配属された。7部門から選ぶ配属希望で、もっとも希望しない7番目に選んだ部署だった。それでも、電通に入ったことに誇りを持っていたという。
 「でも、(私は)今は誇りに思えない。悔しい」。
 幸美さんは会見で、言葉を詰まらせながら、電通への思いを語った。今回の合意文書で「和解」という言葉をいっさい使わなかったのも、電通のすべてを許したと受け止められたくなかったからだ。
 「私たちの人生には、失敗という文字はない。いくらでもやり直しができます」。まつりさんは高校の入学式で、新入生の代表として、そうあいさつしたという。
 しかし、試用期間が終わり、本採用となった昨年10月以降、連日の残業で身体は疲れ切っていた。仕事で強いプレッシャーも受けるなか、うつ病を発症した。
 「人生はやり直せる」。そう考えることができないほど、心理的に追い込まれていたのかもしれない。
 娘と同世代で、長時間労働に苦しむ若者に伝えたいことは――。記者にそう問われ、幸美さんはこう答えた。
 「若い人は努力して入社して、成果を求められ、(それに)こたえようとして頑張っていると思いますが、頑張りすぎないで。どこかにSOSを出して欲しいし、逃げて欲しい」
 そして、娘の言葉を繰り返した。
 「やり直しはできるんです」(大内奏)
20170121

涙ながらにコメントを読み上げる、高橋まつりさんの母親の幸美さん=20日午後5時21分、東京・霞が関の厚労省、遠藤啓生撮影

 電通が解決金支払いを約束 高橋さん遺族側と合意書
 広告大手、電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24)が2015年12月に過労自殺した問題で、高橋さんの遺族と電通は1月20日、再発防止策や慰謝料などの支払いに関する合意書に調印した。電通は今後、再発防止策の実施状況について年1回、遺族側に報告することを約束した。
 まつりさんの母、幸美(ゆきみ)さん(54)と代理人の川人博弁護士らがこの日、記者会見して明らかにした。合意書の調印には、23日に引責辞任する電通の石井直社長が出席。「会社における働き方を根本から改善したい。遺族との合意事項を着実に実行することを誓う」と述べたという。
 合意の主な内容は、電通がまつりさんの自殺について深く謝罪する
▽18項目の再発防止策を講ずることを明確にし、遺族側に実施状況を毎年12月に報告する
▽「慰謝料等解決金」を支払う――など。再発防止に向け、電通が川人氏を講師とする管理職向けの研修を3カ月以内に開き、幸美さんが発言する時間を設けることも盛り込んだ。
 再発防止策には電通がすでに打ち出した内容も含まれるが、川人氏は「遺族側が毎年報告を受けることについて約束した。本当に再発防止策が実施されるのか懸念されたので、報告をきちっとするよう強く要求した」と合意の意義を強調した。幸美さんは、合意に踏み切った理由として、電通がサービス残業をなくすこと、パワハラの防止に全力を尽くすと約束したことなどを挙げ、「強い決意を持って改革を実行していただきたい」と強く求めた。
 電通はこの日、「改めて高橋まつりさんのご冥福を深くお祈りするとともに、ご遺族に心よりおわびする。二度と同じような出来事が起こらないようにするため、すべての社員が心身ともに健康に働ける労働環境を実現するべく、全力で改革を進めていく」とのコメントを出した。

高橋まつりさんの母・幸美さんが配布した文書(全文)
 本日、合意しましたが、娘は二度と生きて帰ってこないし、抱きしめることはできません。
娘が死ぬほど辛かった、死の原因となった連続の深夜残業・休日出勤。これらの業務が私的情報収集・自己啓発などの名目で業務として認められていなかったこと。
 このことが原因で、娘の残業申告時間は月70時間に収まっていました。
 そのため、娘は産業医との面談も受診もしていませんでした。
 これらが業務として認められていたら、残業時間を正確に申告することが許されていたら、娘はどこかで誰かに救われていたかもしれません。
 娘は死なずにすんだかもしれません。
 「ハラスメントや長時間勤務に関する相談が本人からなかった。」といわれていますが、彼女のメールには、くり返し「会社に行くのが恐い。」「上司が恐い」「先輩が恐い」「相談したことがわかったら恐い」とありました。
 電通における社風「体育会系レベルではない異常な上下関係」「年次の壁は海より深い」と娘が言っていた社風であるのに、新入社員が相談できる相手は年のごく近い先輩だけしかいなかったのです。
 人事に相談しても有効ではなかった。
 12月には特別条項まで出されていました。
 11月に勇気を出して、人事や上司に相談していたのに、誰も娘を助けてくれなかったのです。
 娘が生きていたら、誰かが娘を助けてくれていたら、娘は今でも電通のために働いていたでしょう。
 娘の希望どおりに英語や中国語を活かして仕事をしていたかもしれません。
 そして、娘の描いていた夢のとおり、将来は母と弟を招いてハワイで結婚式を挙げ、子どもを産み、母を東京に呼んで一緒に住んでいたかもしれません。私は、娘と一緒に孫を育てていたでしょう。
 日本の発展に貢献するために教育を受けてきた娘は、それを実現することができたでしょう。
 私は今でも娘を抱きしめることができたでしょう。
 みなさんは、このことをしっかりと心に刻んで下さい。
 彼女の配属希望では、デジタル部門は7部門中一番希望しない7番目でしたが、娘は電通の仲間として迎えられたことを誇りに思っていました。
 世間では、彼女は電通に入社しなければよかったのにと言われています。
 こう言われていることを返上できるよう、ひとり残らずすべての社員が幸せにいられる会社に変えてください。
 (以上、朝日新聞電子版より引用)

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 娘は二度と生きて帰ってこないし、
 抱きしめることはできません
 将来は母と弟を招いてハワイで結婚式を挙げ、
 子どもを産み、
 母を東京に呼んで一緒に住んでいたかもしれません。
 私は、
 娘と一緒に孫を育てていたでしょう。

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 自慢の娘さんだったのに、
 ほんとうにお母様の無念さがよくわかります。
 産業医との面談があれば、
 誰か一人でも、
 ちょっとまつりちゃんどうしたの?
 …と声をかけてあげていたら?
 ほんとうに残念です。
 心からご冥福をお祈りしています。

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