医学講座

読者の皆様に最後のごあいさつ_日野原重明

 平成29年7月29日、朝日新聞朝刊 Beの記事です。
 (105歳 私の証・あるがまま行く)
 読者の皆様に最後のごあいさつ 日野原重明
 私が「あるがまゝ行く」を書き始めたのは、2002年10月5日、私が91歳になった時でした。聖路加国際病院の理事長時代の2000年に「新老人の会」を発足させ、翌2001年には『生きかた上手』を出版、120万部ものベストセラーになりました。当時は、私の発案した「新老人」とはどういうものか、世の中の人にわかってもらうために、そのモデルであるべく毎日、全力投球していた頃です。老いてからの私の人生をますます豊かで実りあるものにしようと、アクセルを踏みこんだのです。
 私のエッセーは、私の全力疾走の様子を読者の皆様に報告する形で、今日まで続いてきました。こんなにも長く連載できたのは、私と一緒に走って下さった読者の方々の応援があってのことです。ここに感謝とともに皆様に最後のお別れをしたいと思います。今まで本当にありがとうございました。
 この人生で国内外を飛び回ってきた私ですが、心の故郷はやはり聖路加国際病院です。主治医の新沼先生が私の似顔絵をプリントしたTシャツ姿で東京マラソンを見事に完走し、聖路加に戻って来られたように、私にとっても心の帰る場所です。整形外科の黒田先生は、私の腰にベルトを巻き、大きな声で私を鼓舞し、何とか立ち上がることができるようにと励まして下さいました。度々往診して下さる一般内科の有岡先生、山内先生ご夫妻、水野先生、古川先生、訪問看護のスタッフの方たち、そして私の意思を受け継いで聖路加を率いて下さっている福井院長。最後までありがとうございました。
 自宅の庭には、妻の遺骨がほんの少しばかりまかれています。亡き妻はここに静かに眠っていると思います。私の名を付けた深紅の薔薇(ばら)「スカーレットヒノハラ」と、妻の名を付けた淡いクリーム色の「スマイルシズコ」も今頃、長野県中野市の一本木公園で花を咲かせていることでしょう。これからの季節は、紫陽花(あじさい)が美しく咲くと思います。紫陽花は丸く、ボールのような形なので、私はボールフラワーとニックネームを付けました。まだ緑色のつぼみが日に日に膨らんでいくのを眺め、ボールのような花がきれいに色づくのを楽しみにしています。これで、私からのメッセージを終わりにしたいと思います。(2017年5月下旬に口述筆記)

絵・小田桐昭
(以上、朝日新聞より引用)

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 2017年7月18日に満105歳で亡くなられた
 日野原重明先生の最後のエッセーです。
 先生の、
 心の故郷はやはり聖路加国際病院です
 …という文章に、
 先生の想いが全部詰まっているようです。
 聖路加国際病院は素敵な病院です
      ■         ■
 病院に入ると、 
 たくさんの絵があります。
 私はたった1泊しか入院しませんでしたが、
 とてもいい病院でした。
 7月に亡くなることを予想して、
 5月下旬に口述筆記されたようです。
 素敵な人生です。
 心からご冥福をお祈りいたします。
 

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