二重・眼瞼下垂
手術後の腫れとかぶれ
同じような内容の院長日記を、
手術後の腫れとアレルギー
2016年10月17日の院長日記に書いています。
眼瞼下垂症手術の後で、
腫れが長く続く人がいます。
手術直後より、
抜糸後に腫れが強くなる人がいます。
■ ■
そんな時は、
かぶれを疑います。
もともとつけていた化粧品でも、
手術後につけるとかぶれることがあります。
手術後に処方した、
腫れを取るための薬で、
かぶれることがあります。
人間の身体はやっかいです。
■ ■
札幌美容形成外科では、
眼瞼下垂症手術の時に、
手術中にも、
手術後にも、
帰宅時にも、
何度も確認しています。
痛みや出血、
腫れの状態も確認しています。
■ ■
抜糸までは順調だったのに、
抜糸後の経過が悪いこともあります。
抜糸=傷が治ったのではありません。
手術後の傷が安定するまで、
3ヶ月以上かかります。
しばらくは違和感もあります。
炎症がある間に、
ちょっとした刺激で腫れが持続することがあります。
■ ■
100人のうち一人しか出ないアレルギーでも、
出た人は大変です。
先生、腫れが取れない!
…という人が必ずいます。
食物アレルギーと同じで、
手術に使う消毒剤や麻酔薬でも、
アレルギーになる人がいます。
患者さんから怒られても、
冷静に原因を考えて、
しっかりと治療を続けます。
昔の記憶
仕送りはがき
平成28年12月17日、朝日新聞朝刊、
ひとときへの投稿です。
仕送りはがき
今月も、20歳の息子からはがきが来る頃だ。
息子は京都で大学生活を送る。我が家には子ども部屋がなく、息子は高校3年と浪人時代の2年間、同じマンションに住む「バコちゃん」のお宅で、ほぼ毎日、勉強させてもらった。
バコちゃんは88歳の女性で、一人暮らし。血のつながりはなく、このご時世にご近所というよしみだけで、息子が小さい頃からかわいがってもらった。
おかげで息子は志望校に合格。恩人であるバコちゃんにお礼をせねばバチがあたる。そこで息子が下宿する際、「バコちゃんにはがきを書くこと。そうすれば仕送りをする。ついでに富山の両方の祖父母にも書く。そして入金後に父親にお礼を書く」と条件を出した。
それ以来、息子は毎月、近況を書いたはがきを送ってくる。皆、はがきの到着を「もうそろそろだ」と心待ちにし、何度も読み返して頂いているよう。息子には小学生レベルの文章力を向上させる訓練にもなる。夫は、面と向かって言ってもらえない感謝の言葉を聞ける。
恩人・祖父母・息子・私たち夫婦、すべてに良し! の仕送りはがき。息子の動向を把握できて、私もにんまりだ。
(東京都杉並区 武隈真紀子 主婦 49歳)
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
私の子供2人は、
自宅から通える学校だったので、
仕送りはありませんでした。
私の弟だけ、
札幌から東京の私大に進学しました。
親が仕送りをしていました。
大変だといつも言ってました。
■ ■
私の子供は自宅から通学しましたが、
それでも在学中は大変でした。
私の同級生も、
みな同じように、
子供の教育費が大変だと言ってました。
自分自身を振り返っても、
親は教育にお金をかけてくれました。
■ ■
仕送りはがき
とてもいい制度だと思います。
はがきに字を書いて、
投函するということを、
知らない人が多いです。
若者の間では、
年賀状すらやり取りしないようです。
メールという便利な手段があります。
■ ■
同じマンションの、
♡バコちゃん♡が素敵です。
きっと、
自分の孫のようにかわいがっていらしたと思います。
♡皆、はがきの到着を「もうそろそろだ」と心待ち♡
…が目に浮かぶようです。
20歳のご子息、
毎月はがきを書くと、
必ず将来役に立ちます。
就職試験でも有利です。
がんばってはがきを書いてください。
札幌から応援しています。
医学講座
医局人事
昨日の院長日記、
帯広と札幌の往復に書きました。
私:40歳から43歳まで
家内:38歳から41歳まで
長女:11歳から14歳(小5~中2)まで
長男:9歳から12歳(小3~小6)まで
私の移動は、
平成7年(1995年)1月1日からでした。
■ ■
平成8年(1996年)3月31日が、
恩師、大浦武彦先生の定年退官日でした。
大浦先生としては、
自分の在任中に、
人事を決めておきたかったのだと思います。
私を含めて4人の形成外科医の移動が、
平成8年(1996年)1月1日付でした。
■ ■
私はある程度の覚悟ができていました。
私の人事異動、
最初はJA旭川厚生病院と噂されていました。
突然、平成8年(1996年)1月1日に、
市立札幌病院、
JA旭川厚生病院形成外科、
JA帯広厚生病院形成外科、
日鋼記念病院形成外科、
北海道の4箇所の病院で形成外科のトップが代わりました。
■ ■
大変だったのが子供たちです。
1月から帯広
家内と大喧嘩になりました。
家内:単身赴任で行って
私:嫌だ
家内:子供たちの学校が、、、
私:転校すればいい
■ ■
せめて3月まで同じ小学校に通わせてやりたい、
…という気持ちもありました。
でも、
まだ小3と小5でした。
子供たちは、
意外とすんなり受け入れてくれたと記憶しています。
家内と平成6年(1994年)12月10日の猛吹雪の日に、
朝5時に出発して帯広まで家を探しに行きました。
■ ■
大変だったのが、
ペット可の貸家でした。
チェリーという犬がいました。
大切な家族の一員だったので、
犬を飼ってもいいという家を見つけられるか?
20年前に一番心配だったことでした。
幸いなことに、
大家さんのおかげで、
チェリーを飼ってもいいことになりました。
■ ■
今の若い先生は、
大学の医局に所属しないで、
自分で勤務先を見つける人も多いと聞きます。
形成外科のことしか知りませんが、
北海道内の大きな病院は、
大学からの医局人事で医師が勤務しています。
函館中央病院形成外科の、
木村中先生が書いていらっしゃるように、
先生達は一年ほどで交代です。
こうした医局人事で大きな病院の医師が動いています。


1998年3月JA帯広厚生病院
昔の記憶
帯広と札幌の往復
私は
平成7年(1995年)1月から、
平成10年(1998年)3月まで、
JA帯広厚生病院形成外科に勤務しました。
40歳から43歳まででした。
もう20年も前です。
帯広はいいところでした。
■ ■
十勝晴とかちばれと呼ばれる、
スカイブルー
ほんとうにきれいな青空が十勝の特徴です。
私:40歳から43歳まで
家内:38歳から41歳まで
長女:11歳から14歳(小5~中2)まで
長男:9歳から12歳(小3~小6)まで
■ ■
家族で札幌に来る時は、
車で移動しました。
平成4年8月にローンで購入した、
エスティマが活躍しました。
一家4人とチェリーという犬が、
札幌⇔帯広を往復しました。
■ ■
当時は高速道路はなく、
日勝峠にっしょうとうげという難所を通って、
夕張の山中を通って、
札幌まで来ました。
4時間以上かかりました。
私は車の中で、
NHKの英語会話を聴いて、
家族から大ブーイングが起こりました。
■ ■
4時間の運転は疲れるので、
途中で家内に交代してもらいました。
日勝峠の山道は私の担当。
峠を降りて平坦になったところで、
家内と交代しました。
エスティマは4WDで、
安定がいい車でした。
燃費はよくありませんでしたが、
安心して乗っていました。
■ ■
真冬だったか?
初冬だったか忘れました。
家内に運転を交代して、
しばらくして、
車がスリップしました。
橋の上でした。
路面が凍結していたようです。
■ ■
子供たちの、
お母さん運転しないで
…という悲痛な叫びで、
私が運転を交代しました。
それ以来、
家内も冬道恐怖症になりました。
今となってはなつかしい思い出です。
JR石勝線は12月22日に開通しますが、
日勝峠の開通は2017年秋の見込みです。
日高町でお世話になったコンビニや道の駅が心配です。
早く道路が開通してほしいです。

昔の記憶
特急スーパーおおぞら・とかち12月22日再開
平成28年12月14日、北海道新聞朝刊の記事です。
特急スーパーおおぞら・とかち22日再開_JR北海道
JR北海道は、一連の台風被害で8月下旬から不通が続く石勝線・根室線のトマム―芽室間について22日に復旧する方針を固めた。特急スーパーおおぞら(札幌―釧路)と特急スーパーとかち(札幌―帯広)などが運行を再開し、道央と道東を結ぶ主要路線が約4カ月ぶりに復活する。
12月14日にも正式発表する。トマム―芽室間は一連の台風に伴い、下新得川橋(十勝管内新得町)をはじめ複数の橋が流失するなど甚大な被害が発生した。年末年始に多くの帰省客らが利用できるよう、JRは年内の復旧を目指し、遅くとも29日までに運行を再開させる方針だった。復旧作業が順調に進んだため、需要が見込めるクリスマスを含む3連休(23~25日)に間に合った。
石勝線・根室線は旅客に加え、道東の農産品なども運ぶ大動脈。JRが代行バスや臨時列車を運行し、航空各社が臨時便を出すなど対応に追われた。不通区間をトラックで代替輸送などを行ってきた JR貨物 も、貨物列車の運行を再開させる見通し。

(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
私はJA帯広厚生病院に勤務していた時、
このJRの特急列車をよく利用していました。
4ヵ月もの間不通だったのは、
私の記憶にはありません。
台風で鉄橋が流されるなんて、
考えてもみませんでした。
■ ■
関係者のご尽力により、
復旧できてよかったです。
札幌美容形成外科には、
帯広や釧路からも患者さんがいらしてくださいます。
帯広からは、
JRか都市間バスです。
バスは先日のような大雪だと、
通常4時間のところが6時間もかかります。
■ ■
JR北海道は赤字です。
同じ北海道新聞に、
JR北海道の冬のボーナスが、
少なかったと報道されていました。
一生懸命働いていらっしゃるのに、
お気の毒だと思いました。
日本全国のJRは、
もうかる路線と、
赤字路線があります。
JR北海道へ国からの支援をお願いしたいです。
医学講座
ちゅう先生のすごいところ
木村中(きむらちゅう)先生
2016年12月12日の院長日記です。
私が最も信頼する形成外科医の一人、
函館中央病院はこちゅう形成外科の、
木村中ちゅう先生。
はこちゅうのちゅう先生です。
技術も、
人柄も、
勉強する姿勢も、
100点満点の形成外科医です。
■ ■
木村先生のすごいところは、
私以外の先生達は1年ほどで交代していくため、
気心が知れて仕事がやりやすくなリ
何でも任せられるようになると
交代してしまうことが続いている。
…のに
近年では形成外科に入局したての
若い先生に手技を教えて、
その先生が形成外科の魅力を感じて
育っていってくれることにやりがいを感じている。
■ ■
とてもご立派です。
恥ずかしながら、
私は、
自分以外の先生が、
毎年変わってしまうことに耐えられず、
開業への道を考えました。
主任部長の苦悩
2016年1月3日の院長日記に書いてあります。
■ ■
私は
平成7年(1995年)1月から、
平成10年(1998年)3月まで、
JA帯広厚生病院形成外科に勤務しました。
40歳から43歳まででした。
今から考えても、
私は優秀な先生や看護師さんと働けて、
とても充実した3年間でした。
■ ■
子供たちの進学時期と重なったことも、
JA帯広厚生病院を辞めた一つの理由です。
人生の転機が、
43歳の時でした。
それから、
いろいろなことがあって、
49歳で札幌美容形成外科を開業しました。
私の40代は波乱に富んでいました。
■ ■
全国どこの病院でも、
指導医の苦労があります。
若い先生たちを指導するのは、
想像以上に大変なことです。
もし、
下の先生が失敗したら、
自分が責任を持って、
失敗した手術を、
やり直す技術と度量が必要です。
■ ■
若い研修医は、
○○病院に行ったら、
手術をやらせてもらえる、
○○病院は、
症例がなくて、
手術もやらせてもらえない、
…と評価します。
下の先生に手術を任せるのは、
かなりの技量と度量がなければできません。
■ ■
木村中先生が育てた、
北大形成外科の専門医は、
各地で活躍しています。
形成外科専門医取得に必要な10症例は、
函館中央病院形成外科で経験した先生が多いです。
それだけ手術結果がいい証拠です。
形成外科専門医ならわかります。
木村中先生がこれからも、
ますますお元気でご活躍されることをお祈りしています。
医学講座
木村中(きむらちゅう)先生
今日の札幌はまだ大雪です。
12月上旬でこの雪の量はすごいです。
早く雪がやむことを祈っています。
大雪の2016年12月10日土曜日に行われた、
第33回北大形成外科アカデミー
一番印象に残ったのが、
今日ご紹介する木村中(きむらちゅう)先生の発表です。
私たち北大形成外科同門の間では、
親しみをこめて中ちゅうさんと呼んでいます。
■ ■
北大形成外科アカデミーの抄録です。
特別セミナー
形成外科キャリアシンポジウム、
『医療人としてのロールモデル』
一般病院での形成外科治療の臨床研究
函館中央病院形成外科診療部長木村中先生
私は、北大形成外科の先輩達に形成外科のイロハを教えていただいた後に、日本形成外科学会専門医(取得当時は認定医)を取得後、一ヵ所の地方一般病院で形成外科診療を27年間続けている。
私の形成外科医としての人生を振り返って報告したい。
私は、昭和59年に北海道大学を山本有平教授の同期として卒業後一緒に北大形成外科に入局し、6年後の平成元年末に認定医審査の書類を提出し、平成2年3月付の認定証をいただいた。平成元年末に函館中央病院形成外科の部長であった浜本淳二先生がお辞めになったために、認定施設を維持する必要があリ私が次の施設長として派遣された。平成2年2月から現在まで26年間、留学することもなく、研究に従事することもなく、ただただ、ごく普通の診療を続けている。
私の他には北大形成外科教室から二人ないし三人の形成外科医師を派遣してもらってきた。はじめの頃は、月に2~3回ほど北大から先輩が出張に来て下さって難しい手術をこなしていた。私以外の先生達は1年ほどで交代していくため、気心が知れて仕事がやりやすくなリ何でも任せられるようになると交代してしまうことが続いている。近年では形成外科に入局したての若い先生に手技を教えて、その先生が形成外科の魅力を感じて育っていってくれることにやりがいを感じている。北大形成外科教室のぼとんどの専門医の先生が私と一緒に仕事をした仲間である。
田舎暮らしの平凡な形成外科医ではあるが、日本熱傷学会の評議員にさせていただいた後、本学会の他、日本褥瘡学会、日本下肢救済・足病学会の評議員にも就任し、日本臨床皮膚外科学会、日本フットケア学会の理事をさせていただいている。2010年からは日本褥瘡学会北海道地方会の代表世話人を1期3年務めさせていただき、2014年には第32回日本臨床皮膚外科学会の会長を務めた。
特に突出した業績があるわけでもない自分ではあるが、ほんの少しは北大形成外科にとって役に立っているかも知れないと、恥ずかしながら感じている。
《本講演は新専門医制度の形成外科領域講習です。》

(北大形成外科アカデミーのプログラムより引用)
■ ■
実にいい講演でした。
木村 中先生は、
私が最も信頼する形成外科医の一人です。
とてもいい先生です。
北大形成外科研修医の間で、
函館中央病院形成外科は、
人気ナンバーワンの研修病院です。
函館中央病院(研修医の間でははこちゅうと呼ばれています)の
ちゅう先生がすごいです。
■ ■
飾らない、
気さくな、
スポーツマンです。
北大医学部の学生時代は、
ハンドボール部で活躍されました。
講演で木村先生が述べられていました。
全国の形成外科医の間では、
木村先生は函館の出身?
…と思われているようです。
■ ■
木村中先生が講演で言われたように、
ふなっしーで有名な、
千葉県船橋市、
県立船橋高校のご卒業です。
函館出身は、
北大の山本有平教授です。
同期のお二人はとても仲良しです。
■ ■
木村中先生のお言葉、
近年では形成外科に入局したての
若い先生に手技を教えて、
その先生が形成外科の魅力を感じて
育っていってくれることにやりがいを感じている。
北大形成外科教室のほとんどの専門医の先生が
私と一緒に仕事をした仲間である。
■ ■
木村先生に指導を受けた専門医は、
ちゅう先生の
ちゅうスピリットをいただき、
患者さんに優しく
手術が上手で
仕事が丁寧です
木村中先生は形成外科医として、
とてもいい生き方だと思います。
木村中先生ありがとうございました。
医学講座
第33回北大形成外科アカデミー
昨日も今日も大雪の札幌です。
札幌の積雪は一夜にして63センチになりました。
飛行機は欠航、
JRは遅延、
道路は大渋滞です。
北国の宿命とはいえ、
大雪は大変です。
■ ■
そんな大雪の昨日、
2016年12月10日土曜日、
第31回北大形成外科アカデミーと忘年会がありました。
年末の北大形成外科アカデミーには毎年出席しています。
昨日は関連病院からの教育研修施設リポート
市立札幌病院形成外科、川嶋邦裕先生、
斗南病院形成外科、佐々木 了先生、
大学院生の発表、
特別セミナーがありました。
■ ■
特別セミナー
形成外科キャリアシンポジウム、
『医療人としてのロールモデル』
①東北医科薬科大学医学部生理学教室教授に就任された、
河合佳子先生の、
形成外科と生理学をつなぐもの、
②函館中央病院形成外科
木村中(きむらちゅう)先生の、
一般病院での形成外科治療の臨床研究、
2つの講演がありました。
■ ■
どれも勉強になりました。
今日は、
教育研修施設リポートで、
市立札幌病院形成外科の
川嶋邦裕部長からお聞きした、
形成外科における血行再建の話しを書きます。
患者さんはかなり高齢で、
足のゆびが壊死になってしまった方でした。
■ ■
足のゆびが壊死になる理由は、
血管が詰まってしまって、
血流が途絶えるのが原因です。
植物が枯れるのと同じです。
植物は水が葉に届かないと、
枯れてしまいます。
枯れた葉っぱは取らないと腐ります。
■ ■
私たち形成外科医は、
枯れた枝や、
枯れた葉を、
丁寧に取るのが仕事でした。
葉に水が届くようにする、
根をなおしたり、
幹をなおしたりするのは、
形成外科ではあまりやっていませんでした。
■ ■
昨日の市立札幌病院形成外科、
川嶋邦裕先生のお話しをお聞きして、
とても驚きました。
最近は、
循環器内科で血管内治療をして、
それでダメな時は、
形成外科で静脈移植をして、
下肢の血行再建をするのだそうです。
■ ■
私の時代には、
静脈移植による血行再建は、
心臓血管外科の仕事でした。
静脈移植は、
一度静脈を取り出して、
それを上と下を逆にして、
動脈につないで、
血行再建をしていました。
■ ■
昨日お聞きしたお話しでは、
今は形成外科で手術をするそうです。
しかも、
静脈は取り出さずに、
in situ(いんさいちゅう)
…という方法で血行再建をします。
そうすると、
傷が少なくて済みます。
■ ■
静脈には、
静脈弁という弁があります。
カテーテル治療で静脈弁を処理して、
ちゃんと血液が流れるようにします。
昨日見せていただいた患者さんは、
足のゆびが壊死になっていたのに、
血行再建後にはピンク色の足になっていました。
壊死になっていた足趾は切除しましたが、
ちゃんと歩けるようになっていました。
すごいことです。
■ ■
今日の内容は少し専門的すぎますが、
下肢の血行再建も、
形成外科でやる時代になったのだなぁ~
…と、
とても感慨深くお聞きしました。
これからも、
低侵襲で、
傷が治る治療の開発が続くといいです。
足のゆびが壊死になったら、
市立札幌病院形成外科です。
形成外科が枯れた葉を取るだけの治療から、
根や幹の治療までする時代になり、
感慨深いものがありました。
昔の記憶
ドカ雪襲来_札幌で積雪54センチ
平成28年12月10日、北海道新聞電子版の記事です。
ドカ雪襲来 札幌で積雪54センチ
空と陸の交通に乱れ
発達した低気圧の影響で道内は12月10日午前、石狩や後志管内で大雪になった。札幌管区気象台によると、午前10時現在の札幌市中央区の積雪は54センチと今季最高を更新。同市中心部では除雪が追いつかず、 路面電車 (市電)が朝から運行できなくなった。道央を中心に空の便やJRなどにも影響が出た。
気象台によると、道内では9日夜から道央で断続的に雪が降った。12月上旬(1~10日)に札幌市中央区の積雪が50センチを超えたのは2001年以来。10日午前10時までの 24時間降雪量 は札幌市中央区で44センチ、小樽市で42センチなど。
札幌市交通局によると、市電の軌道を除雪する「ササラ電車」は10日明け方から、全4両が出動した。しかし、午前10時40分現在、除雪が追いつかず市電は始発から全線で運休している。交通局の担当者は「湿ったドカ雪で、ササラでうまく雪をはね飛ばせなかった」と話す。
すすきの、 狸小路 、西4丁目の3停留場では、駅員が運休を説明した。札幌市中央区の会社員上野未来(みく)さん(24)は「これから職場に行こうとしていたので困りますね。遅刻しそう」と戸惑った表情。札幌市東区の会社員の女性(21)は「かなり降っているので仕方ないです」と話していた。
JR北海道によると、10日午前5時半ごろ、 小樽駅 構内で普通列車のパンタグラフが湿った雪の重みで上がらなくなる不具合があった。この影響で函館線や千歳線で快速エアポートなど50本が運休。札幌市内では路線バスも渋滞で遅れが出た。
新千歳空港 では中部や仙台、女満別、稚内などと結ぶ20便以上が欠航、または欠航を決めている。
道警交通管制センターによると、10日午前10時現在、高速道路は道央道奈井江砂川―滝川間14キロが乗用車の単独事故のため、道道は小樽市 朝里川温泉 1(ループ橋ゲート)―朝里峠トンネル間10キロが積雪のため、それぞれ通行止めとなっている。
札幌管区気象台は、11日午前6時までの24時間降雪量が石狩管内中部や後志管内北部で60センチになると予想。根室管内北部では10日夕方から夜遅くにかけ、暴風雪の恐れがあるとして交通障害に警戒を呼び掛けている。

大雪で路面電車が運休し、停留場で戸惑う市民ら。ササラ電車(右後方)も立ち往生した=10日午前8時55分、札幌市中央区南6西15(浅利文哉撮影)
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
今朝起きたら、
外は真っ白です。
昨夜22:00頃に帰宅した時には、
まだ雪は降っていませんでした。
深夜から降り出したようです。
路面電車が止まっています。
私の家の近くを通るJRも、
遅れが出ているようです。
■ ■
今日は京王プラザホテル札幌で、
北大形成外科の勉強会、
北大形成外科アカデミーと、
北大形成外科同門会総会、
北大形成外科忘年会があります。
地方からいらっしゃる先生は大変です。
■ ■
12月の第2週目の土曜日は、
北大や札幌医大の医局同門会が多い日です。
以前は、
札幌医大麻酔科や、
札幌医大第2内科の忘年会と、
同じホテルになったことがありました。
北海道各地から来る先生が多いので、
ドカ雪は困ります。
■ ■
私が北大形成外科で修行中は、
忘年会の前に医局総会がありました。
その医局総会で、
大浦武彦教授から、
次年度の人事異動発表がありました。
12月に
翌年4月からの人事が発表になりました。
家で奥さんが心配して待ってました。
■ ■
私が医師になった1980年、
北大形成外科には、
旭川厚生病院
美唄労災病院
釧路労災病院
の3つの関連病院しかありませんでした。
今は美唄労災病院には形成外科はありません。
時代は変わりました。
■ ■
釧路労災病院には、
認定医を取得して、
すぐに勤務しました。
私と下の先生と2人でした。
今の私に言わせると、
私はなんちゃって認定医でした。
北大から上の先生にいらしていただき、
手術を教えていただきました。
事故を起こさなくてよかったと思っています。
教えてくださった先輩に感謝しています。
二重・眼瞼下垂
手術6年後です
毎年12月1日は、
私の手術記念日です。
今年は大同生命との裁判で、
手術記念日に写真を公開できませんでした。
2010年12月1日に、
聖路加国際病院形成外科で、
大竹尚之先生に手術をしていただきました。
■ ■
まさか、
6年後に裁判所に行くとは?
さすがの本間先生も、
夢にも考えていませんでした。
下の写真を見ると、
厳しい顔つきをしています。
昨年の5年後は、
少し笑っているのに、、、
62年も生きているといろいろなことがあります。
■ ■
ある日突然大家さんが代わって、
新しい大家の大同です。
ごあいさつに伺いたいと電話があり、
マンションを建てることになりました。
今年の秋までに退去してください。
遅くとも年内には出てください。
…と言われたら、
お父さんどうしよう、、、
子供の学校もあるし、、、
そんな状況です。
一家のあるじは困ります。
■ ■
私は自分の専門とする形成外科で、
患者さんの生活を快適にするのが仕事です。
札幌駅前地下歩行空間
1番出口のまん前という、
格好の立地条件が現在の札幌美容形成外科です。
1万人を超える患者さんがいます。
診療の継続
従業員の雇用
これが一番の条件です。
手術7年後の来年はどうなっていることやら、、、
あきらめずにがんばるだけです。
手術前です
デザインです
手術直後
24時間後です
48時間後です
7日後です
4週間後です
2年後です
3年後です

4年後です

5年後です

6年後です