医学講座
カンニングで仕事を覚える
今日から4月です。
新年度のはじまりです。
今日は土曜日なので、
来週月曜日、
2017年4月3日から仕事の人が多いと思います。
私が医師免許を取得した、
1980年は4月に医師国家試験がありました。
4月1日はまだ最後の勉強をしていました。
■ ■
医師として認められたのは、
1980年5月26日です。
医籍いせきという、
お医者さんの戸籍のようなところに登録され、
登録番号が通知されて、
はじめて医師としての仕事が可能になります。
免許証をいただいたのは、
保健所を通して申請するので、
さらにその後でした。
■ ■
どの職種でも同じです。
受験勉強は、
予備校の先生が親切丁寧に教えてくれます。
社会人の新人教育も、
一応オリエンテーションはありますが、
実際に現場に出て、
先輩の仕事を見て覚えます。
■ ■
今までは絶対にしてはいけなかった、
カンニングで仕事を覚えます。
先輩の仕事を見て、
どうやったら早く正確にできるか、
カンニングするのです。
職場によってやり方が違います。
電子カルテもシステムが違うと、
オーダーの入れ方も違います。
■ ■
医師2年目
2011年5月13日の院長日記です。
卒後2年目の私は、
医師としては…
何もできませんでした。
救急搬送された患者さんを診ても…
ただおろおろするような…
ひよっこ医師でした。
■ ■
形成外科医とは名ばかりで、
大学病院の業務は、
検査の伝票を書いたり
(昔の検査オーダーは手書きでした)、
処方箋を書いたり
(処方箋も手書きでした)、
患者さんの写真を撮ったり
(これだけは自信がありました)、
医師とは関係のない業務でした。
■ ■
手術室では、
メスは持てませんから、
術野の消毒をしたり、
被布(おいふ)という布をかけたりするのが、
新米医師の仕事でした。
カンファレンスの資料を揃えたり、
患者さんのスライド整理も、
重要な仕事でした。
■ ■
上の先生が手術した患者さんの、
ガーゼ交換をしたり、
軟膏処置をしたりするのが、
新米形成外科医の仕事です。
最初から、
切ったり縫ったりはできません。
今から考えると、
こうした時間があってよかったと思います。
■ ■
先輩が手術をしても、
経過が良い患者さんばかりではありません。
困った時にどうする?
どう対処する?
…という…
教科書に書いていないことを、
身をもって体験できるのは、
こんな時しかありません。
■ ■
北大形成外科は、
大浦武彦先生を頂点として、
優秀な先輩がたくさんいらっしゃいました。
卒後2年目の私が得意だったことは、
やけどの患者さんの風呂入れでした。
熱傷浴室という日記に書いてあります。
若い女性の顔にメスをいれるなんて…
とても考えられませんでした。
■ ■
専門医を取得後も、
できる手術は限られていました。
手術後の経過がよくない患者さんもいました。
毎日必死で仕事をしていました。
30代前半が一番大変でした。
釧路労災病院手術室
2011年8月17日の院長日記に書いてあります。
2017年4月から新人になった方への助言です。
頭で考えるのではなく、
身体で覚えてください。
反射的に仕事ができるようになります。
上手にカンニングで仕事を覚えてください。
昔の記憶
2017年3月31日
今日で3月も終わりです。
あっという間に3ヵ月が過ぎました。
去年の3月31日は何をしていたかなぁ~
すぐに思い出せませんでした。
院長日記を見ました。
セピア色の写真2016-2
そうだ、
親父の葬儀で火葬場に行ってたんだ。
■ ■
すぐに思い出せないところが、
年齢としなのかなぁ~?と思います。
でも、
命日は覚えていても、
火葬場に行った日は?
思い出せないものです。
一年前は晴れのいい天気でした。
昨夜の札幌はたくさん雪が降りました。
■ ■
札幌市には2つの火葬場があります。
札幌市HPによると、
亡くなられた方の住所または葬儀場の住所が
豊平川の
東側(白石区、豊平区、厚別区、清田区、南区)の場合は「里塚斎場」を、
西側(中央区、北区、東区、西区、手稲区)の場合は「山口斎場」を
ご利用いただきますようご協力をお願いいたします。
…と書いてありました。
■ ■
豊平川で分けているとは知りませんでした。
私は豊平川の西側なので、
山口斎場です。
斎場から、
手稲の山がきれいに見えました。
親父は薬剤師という仕事が好きだったんだと、
息子の私は思います。
薬のことはよく知っていました。
■ ■
昨年1月に市立札幌病院に入院させていただいた時に、
看護師さんから、
今日の治療薬という本をお借りして、
病室で読んでいたのには驚きました。
眼鏡なしで、
小さな字を読んでいました。
私は形成外科が好きです。
いくつまでできるかわかりませんが、
親父を見習って、
70歳くらいまでは、
元気で診療を続けたいと思います。
医学講座
一番優しいヘルパーに
平成29年3月30日、朝日新聞朝刊、ひとときへの投稿です。
一番優しいヘルパーに
夫は現在82歳。71歳の時にアルツハイマー型認知症と宣告された。
「負けてたまるか」「勝ってやる」が彼の口癖になり、進行を遅らせることができるならと小学生のドリルを始めたが、それが2人のストレスになりすべてのドリルを捨てた。2人寄り添う生活をすればいいと思うと気持ちが楽になった。
それから11年、週5回のデイサービスと月2回のショートステイが入る生活。家では私もヘルパーだ。だったら、一番優しいヘルパーでいたいと思う。
在宅介護できるのは介護サービスがあるから。デイのスタッフさんに支えられていることを感謝したい。
老老介護の末に殺傷、というニュース。私も同じような思いをすることがある。怒りと情けなさで暴言を吐く、今まで知らない自分に出会う。そんな私を夫は理解できず、嫌な感情のみ彼の心に残すが、暴言のことは忘れてくれる。
人にはいくつかの人格があり、環境や理性でコントロールされていると思う。夫が病気を背負うことがなければ、私は「もう1人の私」に出会うことがなかったかもしれない。結婚50年がたった今、明日も柔らかな日差しの中で過ごそう。
(相模原市 中村順子 主婦 76歳)
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
私の親は、
子供の前で、
よく夫婦喧嘩をしていました。
小さい頃から、
親の夫婦喧嘩を見ていた私は、
将来結婚するなら、
絶対に喧嘩しない女性ひとと結婚しよう!
…と高校生の頃から思っていました。
■ ■
そう思って結婚しましたが、
私の♡夢♡は、
子供が誕生した頃から崩れました。
人生で最良の時は、
25歳の研修医時代に、
家内と2DKの公団住宅で
新婚生活をはじめた頃だったような気がします。
■ ■
本間家では、
よく夫婦喧嘩をします。
私も言いますが、
奥さんもすごいです。
喧嘩になると、
暴言も出ます。
奥さんは、
関西弁になります。
迫力があります。
■ ■
投稿者の、
相模原市の中村順子様はすごいです。
ご主人が
71歳の時にアルツハイマー型認知症と宣告され、
それから11年、
週5回のデイサービスと
月2回のショートステイが入る生活。
家では私もヘルパーだ。
だったら、
一番優しいヘルパーでいたいと思う。
■ ■
私は今年63歳、
家内は61歳です。
毎日、喧嘩しながら、
札幌美容形成外科で働いています。
もし、
奥さんが
アルツハイマー型認知症になったら、
一番優しい主治医でいたいと思います。
でも、できるかどうかわかりません。
自信もありません。
私がアルツハイマー型認知症になったら、
奥さんは、
一番優しいヘルパー
…になってくれるかなぁ~?
昔の記憶
本間寛一周忌
今日は親父の命日です。
ちょうど一年前
平成28年3月29日(火)午後0:49に亡くなりました。
満90歳でした。
いい人生だったと思います。
昔、自分が勤務していた病院で亡くなりました。
私もできることなら、
想い出深い病院で死にたいです。
■ ■
本間家は無宗教なので、
一周忌の法事はありません。
私の父方の祖父母の法事は、
一度もありませんでした。
父方の祖父母はクリスチャンでした。
お葬式は教会でした。
私の父は無宗教でした。
私も無宗教です。
■ ■
法事はありませんが、
お墓参りには3月20日のお彼岸に行きました。
札幌市の平岸霊園は、
深い雪の中でした。
私がようやくお墓までたどり着きました。
88歳の母親は、
とても無理なので、
車の中で待っていてもらいました。
■ ■
お墓から、
FaceTimeで、
群馬県の弟にもお参りしてもらいました。
雪が多くて驚いていました。
お墓からでも、
ちゃんとTV電話がつながりました。
便利な世の中です。
雪がとけたら、
チューリップが咲きます。
今年も供養のために、
草取りに来ます。
本間家流の供養だと思っています。
院長の休日
稀勢の里、若き日の猛稽古見た
平成29年3月28日、朝日新聞朝刊、『声』の欄への投稿です。
稀勢の里、若き日の猛稽古見た
無職 山岸貢(千葉県 81)
こんな記憶がある。13年前の正月、私は相撲好きの母を連れて、近くにあった当時の鳴戸部屋を訪ね、力士たちの稽古を見せてもらった。事前に連絡もしなかったのに、健在だった元横綱隆の里の鳴戸親方が自ら座布団や座椅子を勧めてくれたのには感激した。
稽古場では、兄弟子が弟弟子たちに盛んに稽古をつけていた。熱心な者は稽古をつけてもらおうと、競って手を挙げ、順番取りをする。その中で、何回も挙手を繰り返し、兄弟子にぶつかっていっては土俵にたたきつけられていた若者がいた。
まげも結えなかったその若者は「萩原」と呼ばれていた。
いま、萩原は稀勢の里となり、天賦の恵まれた体に強靱(きょうじん)な精神力が宿り、大輪の花を咲かせた。
今場所、13日目に横綱日馬富士に敗れたときには、休場してしまうと思った。ところが、自らを支えてきてくれた人を落胆させたくないと強行出場。千秋楽で逆転優勝してみせた。
とても人間業とは思えない。このすごさは、どこからきたのか。やはり、鳴戸親方の指導と若き日からの猛稽古のたまものではないだろうか。
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
横綱稀勢の里のことをよく知らなかった私は、
山岸貢様の投稿を読んで、
なるほどと思いました。
元横綱隆の里の鳴戸親方も、
自ら座布団や座椅子を勧めてくれた
…と書いてありました。
さすが、立派な親方が、
立派に育てられた横綱稀勢の里です。
■ ■
天賦の恵まれた体に
強靱(きょうじん)な精神力が宿り、
大輪の花を咲かせた。
これが、
千秋楽の逆転優勝につながりました。
私は努力して、
稽古に稽古を重ねて、
優勝した横綱を誇りに思います。
ますます活躍されることを祈っています。
院長の休日
稀勢の里、逆転優勝
平成29年3月27日、朝日新聞朝刊の記事です。
稀勢の里、逆転優勝 大相撲
大相撲春場所は26日、大阪市浪速区のエディオンアリーナ大阪で千秋楽を迎え、新横綱稀勢の里(30)=本名萩原寛(ゆたか)、茨城県出身、田子ノ浦部屋=が、単独首位に立っていた大関照ノ富士を本割、優勝決定戦ともに下し、劇的な逆転で2場所連続2度目の優勝を飾った。新横綱場所での優勝は1995年初場所の貴乃花以来の快挙。
13日目に左肩付近を負傷し、テーピング姿の稀勢の里は優勝後の支度部屋で涙を流した。優勝インタビューでは「苦しかった分、うれしいですね」と喜びをかみしめた。

涙を浮かべながら賜杯(しはい)を受け取る稀勢の里=26日、大阪市、伊藤進之介撮影
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
感動しました。
私はTV中継は見れなかったのですが、
ニュースで見ました。
左上腕の出血斑を見て、
あれは痛いだろうなぁ~と思います。
休場しないで出て、
しかも優勝です。
ほんとうにえらいです。
■ ■
優勝インタビューでは
「苦しかった分、うれしいですね」
その通りです。
新横綱は、
私の好きな言葉、
最後まであきらめないを、
ご自分の身で見せてくれました。
ますます活躍されることを祈っています。
優勝おめでとうございます。
医学講座
精子提供で人工授精、施設減少_ネットでは個人やりとり
平成29年3月26日、朝日新聞朝刊の記事です。
精子提供で人工授精、施設減少 ネットでは個人やりとり
夫が不妊症の夫婦を対象に、他人の精子を使った人工授精(AID)に取り組む医療施設が、この14年で26カ所から7カ所に減ったことが朝日新聞の取材でわかった。一方、ネットを介して、個人が精子を提供する動きが出ている。規制もなく、トラブルや子どもへの影響を懸念する声もある。
AIDは、提供精子を器具を使って人工授精する。国内では1940年代から始まったとされる。日本産科婦人科学会(日産婦)が1997年に営利目的の精子提供を禁じて、対象を婚姻した夫婦に限るルールをつくり、実施施設を登録制にした。登録施設は、2003年に26カ所あったが、2016年には14カ所に減少。朝日新聞の取材では、このうち現在も実施している施設は7カ所だけだった。
減少の背景には、子どもに精子提供者の情報を知らせる「出自を知る権利」が世界的に認められつつあり、将来のトラブルを心配して提供者が減っていることなどがある。感染症検査で一時凍結した精子を使うため、妊娠率が数%という低さも敬遠される一因だ。2012年に中止した施設は「出自を知る権利が認められたら対応できない」と説明。実施中の複数の施設も「提供者が集まりにくい」と回答した。
施設が減る中、国内でAIDを最も多く手がけている慶応大学病院は、1年以上先まで予約で埋まっている。
自民党は2013年、AIDで生まれた子の父親は夫と明確化し、精子や卵子の提供のあっせんなどを規制する法案の検討を始めた。しかし、議論が深まらないまま、今の法案では具体的な規制は削除。取りまとめ役の古川俊治・参院議員は「まずは親子関係を最優先したい」としているが、法案提出のめどはたっていない。
◇
〈AIDに詳しい吉村泰典・慶応大学名誉教授の話〉 精子の提供は倫理的な問題を伴い、学会という民間団体が決めたルールしかない現状は普通ではない。生まれた子の父親が誰かという基本的なことすら法的に不明確なままだ。生まれてくる子のためにも制度化の議論を進めるべきだ。
自称「精子バンク」、60サイト以上 性交渉も選択肢
他人の精子を使った人工授精を手がける医療機関が減る一方、ネット上には「精子バンク」などと称して精子の提供を掲げるサイトが、活動休止中も含めて60以上存在する。多くは「無償」や「ボランティア」とし、個人で運営している。精液を入れた市販の注射筒を渡して、女性が自分で注入する方法のみのサイトがある一方、性交渉を選択肢とするところもある。
都内に住む20代後半の女性は「無償の精子バンク」を運営する男性の提供で、長女(1)を生んだ。胸に抱いた長女を見つめて「そっくりでしょ」と笑う。スマホには、長女によく似たまゆ毛の男性の写真が映っていた。「男性への恐怖心や嫌悪感」で結婚はしたくなかったが、子どもは欲しかった。医療施設ではAIDを受けられないため、ネットで提供者を探した。
複数のサイト運営者と面会し、4人目の男性に「こちらの気持ちをくみとってくれている」と感じた。1年近くにわたり月1、2回、注射筒をもらって、自分で人工授精を十数回繰り返した。うまくいかず、妊娠の確率を上げようと性交渉した結果、妊娠したという。「後悔は何もない。この子の質問には答えていきたい」と話す。
提供した男性は関東地方の40代の既婚者だ。「子どもがなかなかできず、別の形で子どもを残したい」と、妻に秘密で7年前から始めた。これまでに28人に提供したという。子どもが生まれると、誕生日に毎年メールを送る。「以前は最後の最後にたどり着く感じだったが、割と早い段階で連絡してくる人が増えた。子どもが望めば、名前や住所が特定されない範囲で会いたい」と話す。
ただ、医療施設を介さない提供は、感染症の厳格な検査やカウンセリングがなく、提供者とのトラブルや経緯を知った子どもへの影響も心配される。AIDの相談活動をする清水清美・城西国際大学教授は「医療施設が提供に応えられない中、個人的な提供に安易に流れないか」と懸念する。
慶応大学病院でAIDを受けて、長女を授かった沖縄県の男性(35)は「どういう経緯で生まれたのかを親自身が堂々と言えることが大事だと思う。医療機関が実施することは大きな意味がある」と語る。
都内の女性に精子を提供した男性は「提供する側も受ける側も、互いに素性が知れず、自己責任でやっていて、リスクを感じる。そこまでして欲しい人がいるのだから、公的な管理の下でやる方が良いという議論が起こってしかるべきだと思う」と話す。

(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
難しい問題だと思います。
私はネットで見つけるのは?
どうか?
…と思います。
リラ冷えの街2014
2014年5月17日の院長日記です。
この院長日記で、
自分の父親を探している人のことを書きました。
■ ■
「リラ冷えの街」という、渡辺淳一さんの小説があります。
昭和45年に北海道新聞日曜版に連載された小説です。
当時、本間家では…
朝日新聞しか購読していなかったので、
私はこの連載は読んでいません。
私が札幌西高校1年生の時です。
札幌オリンピックが昭和47年でした。
オリンピックを目指して札幌の街づくりが盛んでした。
■ ■
医学生と人工授精が関係する小説です。
私が学生の頃から、
札幌医大産婦人科では不妊治療をしていました。
人工授精に使われる精子は、
医学生が提供すると言われていました。
数人分を混ぜて…
誰のかわからないようにすると言われていました。
■ ■
医学生のアルバイト?があったかどうかわかりません。
少なくとも私自身や私の友人に、
精子提供者はいませんでした。
あまりおおっぴらにできないので、
おそらく医局との個人的なつながりで?
契約していたのかも?
…と想像します。
■ ■
最近になって、
人工授精で生まれたと知った人が、
自分の遺伝上の父を探して、
大学医学部に情報開示を請求したという記事を読みました。
お気持ちはよく理解できます。
でもおそらく資料は残っていないと思います。
昭和40年代~50年代は、
将来情報開示請求があるとは考えていなかったと思います。
■ ■
もし私が遺伝上の父を見つけるとしたら、
大学医学部の卒業記念アルバムを探します。
学会で知り合った先生を通じて、
先輩や後輩を紹介してもらいます。
同級生だったら、
『○○先生の若い頃にそっくりだ』
…とわかると思います。
DNAを調べるより早いと思います。
遺伝上の父は難しい問題です。
■ ■
不妊治療は必要だと思います。
精子提供も選択肢の一つだと思います。
私は、
しっかりと法整備をして、
医療機関が、
営利を目的としないで、
他人の精子を使った人工授精(AID)ができるのがいいと考えます。
子供には父親を知る権利があると思います。
医学講座
第60回日本形成外科学会プログラム
平成29年4月12日(水)~14日(金)まで、
大阪国際会議場で開催される、
第60回日本形成外科学会のプログラムが先日届きました。
毎年学会までに、
自分が聞きたい演題をチェックしておきます。
今年は第60回です。
形成外科の還暦を祭ると書いてあります。
還暦を過ぎた62歳の私には感慨深いものがあります。
■ ■
学会長は、
日本形成外科学会理事長の、
大阪大学形成外科の細川瓦ほそかわこう教授です。
私と同年代で、
昭和29年9月生まれの先生です。
細川瓦教授にとっても、
第60回会長と形成外科学会理事長をなさるのは、
感慨深いものがあると思います。
■ ■
プログラムの表紙は赤です。
うちの奥さんが見て、
大阪らしいと言ってました。
昔のプログラムと比べると、
かなり厚くなりました。
抄録の字は小さくなりました。
暗い会場で読むのはつらいです。
昨年から形成外科のプログラムが、
携帯で読めるようになりました。
■ ■
これがとても便利です。
第59回日本形成外科学会(福岡)②
今回の日本形成外科学会で一番驚いたのは、
スマホアプリです。
iPhoneでプログラムが読めます。
AppleStoreでjsprs59を検索すると、
黄色い画面の第59回日本形成外科学会が出てきます。
これをダウンロードするだけです。
実によくできています。
■ ■
今年はiPhoneとAndroidがあります。
AppleStoreでjsprs60を検索すると、
赤い画面の第60回日本形成外科学会が出てきます。
これをダウンロードするだけです。
ちょっと時間があると、
学会プログラムが読めます。
抄録を読むには、
パスワードが必要です。
プログラムだけでしたらどなたでも読めます。
下の画面がアプリです。

医学講座
薬疹の経験
私は幼稚園の時に、
ペルテスという病気になりました。
大腿骨の骨頭が壊死になる病気です。
北大整形外科で診断をしていただき、
愛育病院に約1ヵ月入院しました。
手術はしませんでした。
ベッドの上で脚を牽引していました。
トイレにも行けませんでした。
■ ■
一番嫌だったのが、
ベッドの上でうんこをすることでした。
子供でも、
うんこはくさいです。
けんちゃんくさい
…と言われたかどうか忘れました。
自分自身が一番嫌でした。
11月に入院しましたが、
うんこの時は窓を開けてもらいました。
■ ■
他にもたくさん病気をしていました。
よく学校を休んでいました。
私の父親が薬剤師だったので、
私の薬は父親が病院から持ってきてくれました。
小学校1年生だったと思います。
風邪で学校を休んだ時に、
父親が持ってきてくれた薬で、
口唇が腫れました。
■ ■
たらこのようになりました。
腫れて痛いのと、
口唇の粘膜が白くがさがさになりました。
父親の話しによると、
ピリンか
サルファ剤が原因だろうとのことでした。
私も自分の息子に処方した軟膏で、
息子がかぶれたことがあります。
■ ■
私はあまり薬をのみません。
必要のない薬も出しません。
できるだけ、
安全・安心
…な薬を選んでいます。
私が他の先生より、
薬に対して慎重なのは、
小さい頃に自分の口唇が、
かさかさになった経験からだと思います。

医学講座
フィブラストスプレーの注射2017
私の院長日記を読んで、
全国から相談メールが届きます。
困るのが、
成長因子
プレミアムPRP
PRPF
などの名前で呼ばれている、
フィブラストスプレーの注射です。
■ ■
美容外科のPRP療法2013
2013年11月6日の院長日記です。
将来有望なPRP療法、
さっそくネットで【PRP】を検索すると…
たくさんのクリニックがヒットします。
日本美容外科学会でも話題になります。
残念ですが…
札幌美容形成外科では導入していません。
理由は…
未知の部分が多いからです。
■ ■
日本の美容外科ではじめてPRPを発表したのは、
2006年4月9日(日)に、
六本木ヒルズで開催された、
第90回日本美容外科学会JSAS(ルネ・デュ・クロー会長)で
久保田潤一郎先生と
松田秀則先生でした。
■ ■
札幌美容形成外科でもすぐに導入しようと思いました。
学会から帰ってきて、
奥さんに報告…
自分の血を採って
目の下に注射すると…
しわが取れるって!
奥さんはすぐにでもやりたい雰囲気でした。
■ ■
東京で研究会があるというので申し込んだところ、
直前になってキャンセルになりました。
血液から血小板を取り出すキットが高価でした。
高いキットを買って…
PRP注射をはじめた先生がたくさんいました。
施術料金も高価でした。
■ ■
残念なことですが…
費用対効果を見ると…
PRPによる若返りはあまり効果がありませんでした。
PRPでお客さんを失ったという先生がいました。
札幌美容形成外科でやらなくてよかったと思いました。
自分の血だけでは効果がなかったので、
フィブラストスプレーという液を混ぜた先生がいました。
■ ■
最初は適切な濃度がわからなかったので…
試行錯誤ではじめたと思います。
薄い濃度のフィブラストスプレーを混ぜると…
劇的な効果が出ます。
今、PRPで検索してヒットする美容外科で、
満足度98%なんて広告を出しているのは、
このフィブラストスプレー入りです。
■ ■
細胞成長因子添加
プレミアム…
…とうのがフィブラストスプレー入りの可能性があります。
何度も院長日記でご紹介しているように、
フィブラストスプレーを注射で使うことは、
メーカーが禁止しています。
国の承認も得られていません。
添付文書には発癌の危険性が書かれています。
■ ■
私は癌になることはないと思いますが、
現実にフィブラストスプレー入PRPで健康被害が出ています。
【金】売上第一【儲】のチェーン店ではなく、
しっかりとした個人のクリニックで受けてください。
私は勉強は続けますが、
学会としての指針が出るまでは実施しません。
美容整形で不幸にしてしまっては困るからです。
■ ■
2017年3月23日現在では、
カメイクリニックの亀井康二先生を中心として、
一般の美容外科医の間でも治療が広まっています。
第122回日本美容外科学会(東京)④
2015年1月14日の院長日記です。
カメイクリニックの亀井康二先生は、
第33回日本美容外科学会(京都)の会長です。
形成外科出身の立派な先生です。
私より5歳年上です。
2013年7月の、
第117回日本美容外科学会(大阪)⑤でも、
b-FGFを入れたPRPの注射で、
下まぶたの『たるみ取り手術』が不要になったと教えていただきました。
■ ■
b-FGF(べーしっく・えふじーえふ)というのは、
大手美容外科で定番のプレミアムPRPと宣伝している注射です。
フィブラストスプレーの注射です。
顔にしこりができたという人を診た。
しこりを取るのは難しい
…というのが、
私のようにこの治療に超慎重になる医師の共通した意見です。
もう一つの理由が、
もし副作用が出ても、
メーカーからも国からも補償は受けられないことです。
■ ■
私はこの薬で動物実験をしたことがあります。
もちろん倫理委員会を通った正式な実験です。
札幌医大を追い出されてしまったので、
論文にはできませんでしたが、
強力な血管新生作用があります。
濃度設定が難しい薬です。
正しく使うと素晴らしい薬です。
■ ■
おそらく、
亀井先生がなさっていらっしゃるのだからと、
この注射が広まると思います。
正しい使い方をすると、
切らなくても下まぶたの『たるみ』が取れる
夢の薬なのです。
超慎重派の私は、
日本美容外科学会としての指針が出るまではしないつもりです。
早くメーカーや国が、
正しい使い方を広めることを希望します。
製薬メーカーの株価を上げることができる、
画期的な治療法なのです。
2017年には国として、
厚生労働省から何らかの指針が出ることを期待します。