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                            声_どう思いますか?「後期高齢者」を別の呼称にして                                                    
    
                         平成28年10月12日、朝日新聞朝刊、声の欄です。
 (声どう思いますか)8月27日付掲載の投稿『「後期高齢者」を別の呼称にして』
■「後期高齢者」を別の呼称にして
 主婦 延島晶子 (東京都 77)
 体のあちこちに不具合はあるものの、一応自分のことは自分でできることに感謝しています。ただ、「後期高齢者」の呼称に違和感を抱き続けています。「そろそろこの世を去るべきですよ」というメッセージが含まれている気がするのは私のひがみでしょうか。
 少子高齢化社会になり、若い世代に負担をかけていることは申し訳なく思います。でも、健康で生活を楽しんでいる80代、90代の方も大勢いらっしゃいます。一方、「要介護」「要支援」の方もいらっしゃいます。どちらも戦中戦後を苦労して生き抜き、日本が貧しい時代に国の礎を築いてきた方たちばかりです。
 その人たちがつらい思いをしないように、例えば65歳以上を「シルバー・エイジ」、75歳以上を「ゴールデン・エイジ」というように、呼称を変えていただけないでしょうか。この国の発展に寄与してきた老人も身を縮めることなく、少し明るい気持ちになれると思うのですが。
 (8月27日付掲載の投稿〈要旨〉)
      ■         ■
 国家公務員 田添京子(長崎県 65)
 前期高齢者になった私は、たまにこの言葉を使うが、半ば自虐としての範疇(はんちゅう)であり、納得しているわけではない。
 老いの入り口にいるのは確かで、身の動きなど日常の様々な事象に、人生の黄昏(たそがれ)時にある自分を意識する。でも、それを認めたくない自分もいる。若い人が座席を譲るなど優しくしてくれると、かえって気持ちがへこむことだってある。
 誰でも年老いるが、その複雑な心情はなってみないとわからない。気持ちを奮い立たせながら生きている。
 ある老人施設では、90歳以上を高齢者と決め、敬老の日を祝うという。他の方はお祝いする側に回り、90歳になるのを楽しみに待つそうだ。何と、老いの心に寄り添った心配りだろう。
 ご提案の「シルバー・エイジ」「ゴールデン・エイジ」。何だかすてき。たかが呼称、されど呼称だと思う。
      ■         ■
 ◆焦らず、怒らず、諦めず
 プロデューサーの石井ふく子さん(90)
「後期高齢者」といった呼称は、いかにもお役所言葉。気にしなくていい。人は年代ではくくれません。元気な90歳もいる。なのに「後期」「高齢者」などと呼ばれると、消極的になりがちです。
 そうではなく、「まだ出来る」という気持ちが大事。以前、女優の杉村春子先生に「お元気ですか」とお聞きしたら、「元気じゃいけないの?」と叱られたことがあります。今は先生のお気持ちがわかります。私は「九十歳になりましたね」と言われたら、数字を逆にして「いえ、十九です」と答えます。高齢者は生きているだけで尊いのです。自信を持ちましょう。
 また、目標や張り合いがあるといいですね。私は良い作品づくりが使命と考え、「焦らず 怒らず 諦めず」の精神で過ごしています。
(以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 私はこの後期高齢者医療制度ができた時から、
 だれがつけたんだ、
 こんな名前と怒っていました。
 私は後期高齢者という名前が嫌いです。
 62歳の私は、
 あと3年で前期高齢者です。
 男でも
 あ~ぁ、
 前期高齢者か
 …と思います。
      ■         ■
 石井ふく子さんはさすがです。
 「後期高齢者」といった呼称は、
 いかにもお役所言葉。
 気にしなくていい。
 その通りです。
 医者仲間の先輩でも、
 保険証が後期高齢者に変わったとなげいています。
      ■         ■
 医療機関にとって、
 前期高齢者も、
 後期高齢者も関係ないんです。
 自己負担割合が何割かわかれば、
 医療費の計算はできます。
 将来は紙の受給者証ではなく、
 ICチップにたくさんの情報が入ったカードがいいです。
      ■         ■
 指紋認証や、
 顔認証で、
 ICカードからお薬や病気の情報が入手できるといいです。
 役所ともオンラインでつながって、
 クレジットカードのように認証ができると便利です。
 今の健康保険証では、
 たとえ他人が使ってもわかりません。
 後期高齢者受給者証ではなく、
 医療カードでいいです。
 「後期高齢者」といった呼称は、
 いかにもお役所言葉。
 大嫌いです
                        
                        
                     
                                    
                                                昔の記憶
                        
                            本間くんだった頃                                                    
    
                         すみれさんからコメントをいただくようになり、
 昔のことをなつかしく思い出しています。
 私は夕張市の山奥、大夕張から
 15歳の時に札幌に来ました。
 私が生まれたのは昭和29年(1954年)です。
 洞爺丸台風が来た年に、
 市立札幌病院で生まれました。
 62年前です。
      ■         ■
 小学校2年生までは、
 札幌郡手稲町字金山栄町に住んでいました。
 父親が手稲療養所という、
 三菱鉱業の結核療養所に勤めていました。
 父親は、
 満90歳で、
 今年3月29日に自分が昔勤めていた場所で亡くなりました。
 イムス札幌内科リハビリテーション病院という病院になっています。
      ■         ■
 小学校3年生から中学校1年生の5月まで、
 美唄市茶志内(びばいしちゃしない)に住みました。
 茶志内炭鉱(ちゃしないたんこう)という炭鉱の町でした。
 茶志内炭鉱が閉山したため、
 中学校1年生の5月に、
 大夕張に引越して、
 鹿島中学校に転校しました。
      ■         ■
 高校から札幌に出ました。
 夕張の高校から大学に入るのは大変という親の考えでした。
 私もそう思っていました。
 62歳になって振り返ってみると、
 地元に残って夕張東高校に入学した同期生が、
 北大に現役合格しました。
 札幌医大に入学してお医者さんになった人もいます。
 人生はわからないものです。
      ■         ■
 札幌に出てきたけんいち少年は、
 勉強ができなくて苦労しました。
 英語が赤点でした。
 医学部なんて絶対に合格できない成績でした。
 私が医師になれたのは、
 予備校で教えてくださった
 矢野雋輔やのしゅんすけ先生のおかげです。
 今でも感謝しています。
      ■         ■
 よく風邪をひいて、
 大きなマスクをして、
 青白い顔をしていました。
 保健室にもよくお世話になりました。
 美容形成外科の医者になるなんて、、、
 夢にも考えていませんでした。
 人生とは不思議なものです。
      ■         ■
 すみれさんから同期のことを教えてもらいました。
 東京に行かれた女子が、
 その後どうしていらっしゃるのか?
 私はまったく知りません。
 北海道にいる方でもわかりません。
 本間くんだった頃は、
 62歳になってみるととてもなつかしいです。
 11月23日にクラス会をします。
                        
                        
                     
                                    
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                            斗南病院新築移転                                                    
    
                         札幌の斗南病院が2016年10月11日に新築移転します。
 私の通勤路に、
 新しい斗南病院があります。
 道庁の北西側にあります。
 北大植物園の近くです。
 ポールスター札幌というホテルの、
 道路をはさんで西側です。
      ■         ■
 昔、JA札幌厚生病院があった場所です。
 JA札幌厚生病院が移転してからは、
 青空駐車場になっていました。
 私は、
 青空駐車場の時から、
 毎日横を歩いて通っていました。
 今朝も横を通ってきました。
      ■         ■
 斗南病院には形成外科があります。
 形成外科科長は、
 元北大形成外科准教授の、
 佐々木 了(ささき さとる)先生です。
 日本血管腫血管奇形学会理事長です。
 日本全国から患者さんが集まっています。
 朝日新聞で紹介されたことがある先生です。
      ■         ■
 斗南病院には、
 札幌美容形成外科からも患者さんをご紹介しています。
 紹介状がなくても診てもらえますが、
 初診時特定療養費が3,000円(+消費税)がかかります。
 形成外科専門医も複数在籍しています。
 とてもいい病院です。
 今朝の北海道新聞には全面広告が出ていました。
 斗南病院のご発展を祈念しています。


                        
                        
                     
                                    
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                            社内の飲み会の準備は仕事?                                                    
    
                         昨日の院長日記、
 2016年10月8日、朝日新聞の記事、
 「死んでしまいたい」
 電通の女性新入社員自殺の続きです。
 電通では、
 社内の飲み会の準備をする幹事業務も
 新入社員に担当させており、
 「接待やプレゼンテーションの
 企画・立案・実行を実践する重要な訓練の場」
 と位置づけている。
 飲み会の後には「反省会」が開かれ、
 深夜まで先輩社員から細かい指導を受けていた。
      ■         ■
 酒が飲めない私は、
 病院の宴会や飲み会が苦手でした。
 特に毎年12月は、
 連日忘年会がありました。
 一次会だけならまだしも、
 二次会→三次会は過酷でした。
 あっ
 先生また寝てる
 …とよく言われました。
      ■         ■
 大学の忘年会幹事は、
 優秀な同期にお任せして、
 私はもっぱら写真係りをしていました。
 写真係りは飲まなくてもいいし、
 どうせ本間は飲めないからで許されました。
 いい医局でした。
 今でもだいたい一次会で帰ります。
      ■         ■
 電通の新入社員、
 高橋まつりさん(当時24)は2015年12月25日、
 住んでいた都内の電通の女子寮で自殺。
 高橋まつりさんも、
 私と同じで宴会が苦手だったのかも?
 そんなことを思ってしまいました。
 担当部署の人数が14人から6人に減り、
 新入社員に宴会の幹事までさせるのは過酷です。
 接待やプレゼンテーションの
 企画・立案・実行を実践する重要な訓練の場とは思いません。 
 心からご冥福をお祈りしています。

高橋まつりさんの遺影を掲げて記者会見する母親の幸美さん
=東京・霞が関の厚生労働省(以上、朝日新聞より引用)
                        
                        
                     
                                    
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                            「死んでしまいたい」 電通の女性新入社員自殺                                                    
    
                         平成28年10月8日、朝日新聞朝刊の記事です。
 亡くなられた高橋まつりさんのご冥福をお祈りいたします。
 「死んでしまいたい」過労自殺の電通社員、悲痛な叫び
 広告大手、電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24)が、過労自殺だったとして労災認定された。母親の幸美さん(53)は10月7日、厚生労働省で記者会見し、「労災認定されても娘は戻ってこない。いのちより大切な仕事はありません。過労死を繰り返さないで」と訴えた。
 遺族側の代理人弁護士によると、高橋さんが配属されたのはインターネット広告を担当する部署だった。自動車保険などの広告を担当し、クライアント企業の広告データの集計・分析、リポートの作成などが主な業務だったという。
 業務が大幅に増えたのは、試用期間が終わり、本採用になった昨年10月以降。部署の人数が14人から6人に減ったうえ、担当する企業が増えた。月100時間を超える時間外労働をこなしたこともあり、高橋さんは精神障害による労災認定の基準の一つを超えたと判断された。
 電通では、社内の飲み会の準備をする幹事業務も新入社員に担当させており、「接待やプレゼンテーションの企画・立案・実行を実践する重要な訓練の場」と位置づけている。飲み会の後には「反省会」が開かれ、深夜まで先輩社員から細かい指導を受けていた。上司から「君の残業時間は会社にとって無駄」「髪がボサボサ、目が充血したまま出勤するな」「女子力がない」などと注意もされていたという。
 「本気で死んでしまいたい」「寝たい以外の感情を失った」「こんなストレスフルな毎日を乗り越えた先に何が残るんだろうか」。高橋さんはSNSなどで友人や母親に、仕事のつらさを打ち明けていた。
 心配した幸美さんが電話すると、まつりさんは「転職するか休職するか、自分で決断する」と答えた。11月には上司に仕事を減らしてもらうよう頼んでいた。幸美さんは「自分で解決してくれる」と娘を信じた。
 昨年12月25日朝、まつりさんから幸美さんに「今までありがとう」とメールが来た。幸美さんが電話で「死んではだめ」と呼びかけると、まつりさんは「うん」と答えた。それが、最後のやりとりになった。
■電通、再発防止を誓うも…
 電通では1991年にも入社2年目の社員(当時24)が自殺。電通は当時、会社としての責任を認めなかったが、2000年3月の最高裁判決は「会社は過労で社員が心身の健康を損なわないようにする責任がある」と認定。過労自殺で会社の責任を認める司法判断の流れをつくった。電通はその後、遺族と和解。責任を認めて再発防止を誓った。
 この裁判を担当したのが、高橋さん側の代理人を務めている川人博弁護士だ。川人氏は7日の会見で、労働時間の把握がずさんだったり、上司の安全配慮に対する意識が十分でなかったりした可能性を指摘。「企業責任は重大。抜本的な企業体質の改善が必要だ」と強調した。
 「過労死・過労自殺のない社会をつくりたい」という遺族の願いから生まれた過労死等防止対策推進法が2年前に施行され、7日には初の「過労死等防止対策白書」が閣議決定された。
 しかし、過労死・過労自殺は後を絶たない。最近は高橋さんのような若い世代が、心の病で自ら命を絶つケースが目立つ。
 2008年6月にはワタミグループの居酒屋で働く新入社員が自殺。月141時間の時間外労働があったとして、労災認定された。遺族が会社の法的責任を追及して提訴し、2015年12月には会社や創業者の渡辺美樹氏(現自民党参院議員)が法的責任を認めている。
 川人氏は「防止法の成立後も、職場の深刻な実態が続いている。国と企業が過労死防止に全力で取り組むよう心より訴えたい」と話した。(千葉卓朗、編集委員・沢路毅彦)

高橋まつりさんの遺影を掲げて記者会見する母親の幸美さん=東京・霞が関の厚生労働省
 電通の女性新入社員自殺、労災と認定 残業月105時間
 広告大手の電通に勤務していた女性新入社員(当時24)が昨年末に自殺したのは、長時間の過重労働が原因だったとして労災が認められた。遺族と代理人弁護士が7日、記者会見して明らかにした。電通では1991年にも入社2年目の男性社員が長時間労働が原因で自殺し、遺族が起こした裁判で最高裁が会社側の責任を認定。過労自殺で会社の責任を認める司法判断の流れをつくった。その電通で、若手社員の過労自殺が繰り返された。
 亡くなったのは、入社1年目だった高橋まつりさん。三田労働基準監督署(東京)が労災認定した。認定は2016年9月30日付。
 高橋さんは東大文学部を卒業後、昨年4月に電通に入社。インターネット広告を担当するデジタル・アカウント部に配属された。代理人弁護士によると、10月以降に業務が大幅に増え、労基署が認定した高橋さんの1カ月(10月9日~11月7日)の時間外労働は約105時間にのぼった。
 高橋さんは昨年12月25日、住んでいた都内の電通の女子寮で自殺。その前から、SNSで「死にたい」などのメッセージを同僚・友人らに送っていた。三田労基署は「仕事量が著しく増加し、時間外労働も大幅に増える状況になった」と認定し、心理的負荷による精神障害で過労自殺に至ったと結論づけた。
 電通は先月、インターネット広告業務で不正な取引があり、広告主に代金の過大請求を繰り返していたと発表した。担当部署が恒常的な人手不足に陥っていたと説明し、「現場を理解して人員配置すべきだった」として経営に責任があるとしていた。高橋さんが所属していたのも、ネット広告業務を扱う部署だった。
 電通は2000年の最高裁判決以降、社員の出退勤時間の管理を徹底するなどとしていたが、過労自殺の再発を防げなかった。代理人弁護士によると、電通は労基署に届け出た時間外労働の上限を超えないように、「勤務状況報告書」を作成するよう社員に指導していたという。電通は「社員の自殺については厳粛に受け止めている。労災認定については内容を把握していないので、コメントは差し控える」としている。(千葉卓朗)
(以上、朝日新聞より引用)
      ■         ■
 大切に育てたお嬢さんが、
 過労死
 なんてむごいこと。
 新聞を読んでいて、
 涙が出ました。
 学生時代には、
 楽しそうにしている写真が載っていました。
 ほんとうに残念です。
      ■         ■
 上司に腹が立ちます。
 髪がボサボサで、
 目が充血したまま出勤するのは、
 あんたのせいだょ
 あんたが、
 新入社員に過酷な労働を示指したから、
 髪がぼさぼさで出勤しなきゃいけなかったんだょ!
      ■         ■
 過酷な労働現場でも、
 だれか相談にのってくれる人がいたら、
 自殺は防げたかも?と考えます。
 電通だけの問題ではないと思います。
 公務員も疲れています。
 経費削減という名の人員削減です。
 困ったら、
 だれかに相談しましょう。
 私には飯田和典先生という先輩がいて、
 北大形成外科の過酷な勤務に耐えられました。
 高橋まつりさんのご冥福を心からお祈りいたします。
                        
                        
                     
                                    
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                            今日から暖房を入れました2016                                                    
    
                         札幌は寒くなりました。
 私の家で一番寒いのは、
 おそらく玄関近くのトイレです。
 今朝トイレで温度計を見ると、
 18.8℃でした。
 冬はトイレにも暖房を入れます。
 10月はトイレの暖房は入れません。
      ■         ■
 札幌美容形成外科は、
 今日から暖房を入れました。
 エアコンのSWを、
 モードボタンを押して、
 【暖房】にするだけです。
 ありがたいことです。
 すぐに暖かくなります。
      ■         ■
 毎年、本間家では、
 奥さんと暖房をめぐっての闘いがあります。
 もう一枚着たら
 2014年10月5日の院長日記です。
 寒がりの私は、
 寒い寒いを連発。
 暖房を入れたいなぁ~
 …と思いながら、
 奥さんの目を恐れて入れられません。
      ■         ■
 関西生まれの奥さんと、
 私の体感温度が違います。
 職場でも、
 体感温度が違う人と同じ部屋だと、
 いろいろ大変なことが多いです。
 私は暑がりで、
 寒がりです。
      ■         ■
 2014年は大変な年でした。
 電気料金値上げと
 リッター100円以上する灯油
 …のために、
 家では寒くてもがまんの生活でした。
 奥さんには、
 (寒いんだったら)
 もう一枚着たら?
 …と言われます。
 もう一枚着ても寒いので、
 2014年はもう2枚着ることにしました。 
      ■         ■
 北海道は灯油価格で景気が変わります。
 リッター100円以上する灯油では、
 どうしても財布のひもはかたくなります。
 灯油がないと冬が越せません。
 ちょっとくらい具合が悪くても病院へは行きません。
 外食も減らします。
 スーパーでも一円でも安いものを買います。
 当然、美容形成外科なんて行けません。
      ■         ■
 札幌美容形成外科は2014年11月が、
 開院以来一番売上が少ない月でした。
 私は電気と灯油のせいだと思っています。
 幸いなことに、
 今年の灯油価格はふつうです。
 お客さんの数もふつうです。
 年末の予約はかなり混んできています。
 老朽化したビルでも、
 暖かい暖房と、
 ♡温かいスタッフ♡がお待ちしています。
                        
                        
                     
                                    
                                                昔の記憶
                        
                            藤枝正道先生の3年7組                                                    
    
                         昨日の院長日記で、
 私の同級生すみれさんからのコメントをご紹介させていただきました。
 62歳になっても、
 本間くんと呼ばれた時代はなつかしいものです。
 3年7組はいい学級でした。
 下の写真は当時の藤枝正道先生です。
       ■         ■
 藤枝先生は、
 2017年1月1日に満80歳になられます。
 傘寿さんじゅ
 …というそうです。
 私が18歳だった頃は、
 今から44年前です。
 藤枝先生は35歳だったことになります。
      ■         ■
 藤枝先生は日本史の先生です。
 札幌西高校で、
 女子生徒に
 ♡圧倒的人気♡
 …だったそうです。
 今だっらよくわかります。
 先生はかっこいいです。
      ■         ■
 藤枝先生♡大好き♡で、
 日本史が♡大好き♡になった女の子がいると聞きました。
 西高祭という学校祭で、
 すみれさんが主演をなさって、
 見事に優勝した記憶があります。
 西高には、
 運動会や、
 行燈行列という行事もありました。
 来年傘寿をお迎えになる先生をお祝いするため、
 平成28年11月23日にクラス会を企画しています。
 私が幹事です。

藤枝正道先生1977年
                        
                        
                     
                                    
                                                昔の記憶
                        
                            すみれさんからのコメント                                                    
    
                         大手美容外科の先生
 2016年10月3日の院長日記に、
 すみれさんからコメントをいただきました。
 はじめまして、すみれです。今日から仲間入りさせていただきます。先日からこのブログを読んでいます。実は本間さんと高校の同級生です。この前クラス会の連絡をいただきブログを知りました。人生には何があるかわからないもので55歳に難病になり今は外は歩けず、書くことも、会話する事も出来ません。月末にはショートステイに行きますので、コメントできませんが、よろしくお願いします。本間さんは、高校時代から優秀でした。立派な先生になられたのですね。
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 コメントをいただき感慨深いものがあります。
 すみれさんは、
 札幌西高校でアイドルような存在でした。
 西高祭という学校祭で主演をなさり、
 3年7組が優勝しました。
 脚本を書いた男子生徒は、
 その後、北海道放送に勤務しました。
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 私は青白い顔をした、
 不健康そうな男子でした。
 いつも風邪をひいていました。
 熱を出して学校を休んだこともよくありました。
 一浪して受けた自治医大の面接で、
 きみは高校をよく欠席しているが、
 そんなに身体が弱くて僻地の医師になれるのか?
 …と面接官から質問されたくらいでした。
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 私たち札幌西高校23期は、
 1970年4月(昭和45年4月)入学
 1973年3月(昭和48年3月)卒業です。
 私は夕張市の山奥、
 大夕張の鹿島中学校から、
 札幌西高校に入学しました。
 札幌の高校に入学したものの、
 山奥から出てきたけんいち少年は、
 勉強ができませんでした。
 英語のテストは赤点でした。
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 当時の札幌西高校は一学年450人でした。
 45人のクラスが10組ありました。
 おおよそ男子300人、女子150人程度で、
 圧倒的に女子が少ない学校でした。
 北海道の高校ランキングでは、
 ①札幌南
 ②札幌北
 ③札幌西
 …という順位でした。
 自由な校風が特徴でした。
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 3年7組が私たちのクラスでした。
 下の写真は2007年9月8日に開催された男子ばかりのクラス会です。
 残念なことに、
 写真に写っている2人が故人となってしまいました。
 健康不良児だった私がまだ働いているのは、
 何か不思議な気がします。
 すみれさんに応援していただき、
 少しでも長く続けたいと思います。
 コメントをいただきありがとうございました。

                        
                        
                     
                                    
                                                医学講座
                        
                            大手美容外科のその後                                                    
    
                         昨日の院長日記、
 大手美容外科の先生に、
 私が48歳で失業した時のことを書きました。
 私は2002年7月に札幌医科大学を退職しました。退職というと聞こえはいいですが、事実上は医学部長に追い出されました。
 私を札幌医科大学へ招いてくれたのも、追い出してくれたのも同じ人でした。
 48歳の時でした。子供はようやく大学に入ったばかりと、高校生の2人でした。2人とも私立で、お金がかかる時期なのに困りました。
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 その前から、嫌な予感がしていたので退職しようと考えていましたが、突然、解雇通告を受けたようなものでした。
 開業を考えましたが、資金も準備期間もありませんでした。
 その4年前に、美容外科医になろうと思っていました。
 解雇通告を受けてから、紹介していただいたり、自分で応募して、ほとんどの大手美容外科に面接に行きました。
 たくさん募集広告が出ていたので、簡単に就職できるだろうと安易に考えていました。結果は、不合格やら条件が合わないなどで、惨憺さんたんたるものでした。
      ■         ■
 技術的に問題があるとか、大学をクビになったからとかの理由ではありませんでした。
 私のように、大学の形成外科講師になってしまった人間は、チェーン店ではとても使いづらいのです。
 経営者の言う通りに、なんでもハイハイと手術を引き受ける先生でなければ、チェーン店の美容外科医としては失格なのです。
      ■         ■
 チェーン店の美容外科は医師が経営しているところと、医師以外が経営しているところがあります。
 医師が経営しているチェーン店は、全て私よりも若い先生が経営者でした。
 自分より年長の、うるさそうな形成外科医を採用しても、うまく仕事をしてくれそうもない。今なら、よく理解できます。
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 大学は追い出されるは、次の就職先は見つからないは、開業するにも資金はないは、で本当に困りました。
 その時に助けていただいたのが、親しくしていた医療機器メーカーの社長さんでした。
 JMECの故森下純一社長さんが、中央クリニックの社長さんを紹介してくださいました。
 ようやく、私の就職先が見つかりました。
 今でも、紹介してくださった森下純一社長さんと、採用してくださった中央クリニックの社長さんに心から感謝しています。
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 当時の私は形成外科医として十分な経験と知識があり、札幌の老舗美容外科で副院長も経験していました。
 ところが、チェーン店の美容外科は、手術件数の桁が違いました。
 普通、市立札幌病院などの総合病院では、手術日が決まっています。
 形成外科の手術日は多くて、週に3日、少ないところでは2日です。
 年間の手術件数も、数人の形成外科医がいて、多くても1,000件程度でした。
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 中央クリニック札幌院に私が在籍していた時は、一人でそれまでの数倍の手術をしました。
 毎日、朝から夜まで手術をしていました。
 医師になってはじめて、手術のしすぎで手に豆ができました。
 形成外科医の時は、手術する相手は患者さんでしたが、美容外科ではお客様でした。
 スタッフも美人の若い女性ばかりでした。私の生活はそれまでと一変しました。
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 今になって思うと、大学を辞めてよかったと、私を追い出してくれた医学部長にも感謝しているくらいです。
 人生には、予期できないことがたくさんあります。自分が正しいと思ってしていたことでも、他人からは悪く思われ、職を失うこともありました。
 医師免許は、簡単に手に入れられるものではありませんが、医師免許があるからといって安泰ではありません。
 自分を助けてくれる人、自分を陥れるおとしいれる人。さまざまな人がいます。
 どんなことがあっても、しっかりと自分の考えを持ち、信念を貫くことが大切だと私は考えています。
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 2002年に私が面接に行った美容外科の中には、
 倒産してしまったところもあります。
 2010年5月にネットに掲載されていた記事です。
 レーシック「神奈川クリニック眼科」など運営医療法人社団博美会破産手続き開始決定受ける負債68億円
 「東京」医療法人社団博美会(資産総額2億9851万1987円、新宿区西新宿6-5-1、理事長山子大助氏<やまご・だいすけ>)は、2010年5月6日に東京地裁へ自己破産を申請し、破産手続き開始決定を受けた。
 申請代理人は尾崎純理弁護士(東京都千代田区二番町9-8)。
 1982年(昭和57年)1月創業、96年(平成8年)8月に法人改組。神奈川クリニックグループの中核法人で、美容外科「神奈川クリニック」を中心に事業を拡大、その後、「神奈川クリニック眼科」を東京、大阪、名古屋で開院、医療用レーザーによる視力回復手術「レーシック」事業に参入したことで業容を順調に拡大させ、2008年7月期には年収入高約116億7100万円を計上していた。
 その一方で、レーシック事業への先行投資が負担となり、2005年7月期には債務超過に転落、その後2008年7月期には債務超過を解消したものの、美容整形部門における競争激化などから2009年7月期までにクリニックの閉鎖を進め、2009年4月時点のクリニック数は14ヵ所にまで縮小していた。その後、美容外科クリニックに関しては別法人に事業譲渡し、直近では眼科事業のみでの営業となっていた。
 その間、2009年2月に「銀座眼科」(東京都中央区)でレーシック手術を受けた患者639人の約1割に当たる67人が感染性角膜炎などを発症していたことが発覚、同手術の安全性が注目された。加えて、8月にはレーシック業界最大手の「品川クリニック」とともに、公正取引委員会より料金表示について景品表示法の規定に違反する恐れがあるとして、誤認するような表示を行わないよう警告を受けるなど、経営環境が悪化していた。
 また、2009年7月にはクリニックの広告宣伝を手がけていたグループ会社の(株)サザンウインド・インターナショナル(資本金1000万円、同所、代表藤井眞美子氏)に対して、広告関係の業者によってドメイン名の仮差押がなされるなど、取引業者との支払に関するトラブルが表面化していた。
 なお、眼科事業に関しては医療法人社団稜歩会(兵庫県神戸市)に譲渡する予定としている。負債は約68億円。
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 当時は毎日TVでCMを流していました。
 ♡♪かーながわクーリニック♪♡
 今でもそのフレーズを覚えています。
 神奈川クリニックには優秀な形成外科医も勤務していました。
 元神奈クリの医師で、
 今はご自分で開業して繁盛している先生が、
 何人もいらっしゃいます。
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 神奈川クリニックは技術的に問題があるとかではなく、
 美容外科の低価格競争と、
 その後にレーシック事業を拡大したのが、
 倒産の一つの原因だと(私は)思っています。
 大手美容外科だから♡安心♡はありません。
 私は美容外科にかかるなら、
 地味でも、
 お医者さんが一人でこつこつやっているクリニックをすすめます。
 TVで宣伝しているのは、
 美容整形も弁護士もすすめません。
                        
                        
                     
                                    
                                                医学講座
                        
                            大手美容外科の先生                                                    
    
                         最近、他院で診察や手術を受けた後で、
 困ってメール相談をいただくことがあります。
 私は根が正直で真面目です
 困っている人には、
 なるべく♡親切♡に返信を書いています。
 62歳の役割だと思っています。
 あと何年続けられるかわかりませんが、
 がんばれるだけ続けます。
      ■         ■
 大手美容外科にはたくさんの先生がいます。
 初期研修終了後のお兄ちゃんみたいな先生、
 お化粧が上手なお姉ちゃん先生もいます。
 お化粧は上手でも、
 患者さんがショックになったとか、
 心配停止になった時に、
 おろおろするだけの先生もいます。
 こわいことです。
      ■         ■
 若くて開業した先生の中には、
 業者さんにすすめられるままに、
 外国から個人輸入で最新の機器を買って、
 患者さんのほっぺにぱしぱし打って、
 Ⅱ度熱傷を起こしてしまった先生もいます。
 先生を選ばないと、
 大変なことになります。
      ■         ■
 大手美容外科には、
 自分がチェーン店の美容外科に勤務した後で、
 若くして開業した先生もいれば、
 医師ではない方が経営しているところもあります。
 私は48歳で失業しました。
 札幌医大を追い出されました。
 下の子はまだ高校生でした。
 ほんとうに困りました。
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 当時の大手美容外科チェーン店には、
 ほぼすべて面接に行きました。
 たくさん医師募集広告が出ていたので、
 簡単に就職できるだろうと安易に考えていました。
 結果は不合格やら条件が合わないなどで、
 惨憺さんたんたるものでした。
 後になって考えてみると、
 不採用の理由は簡単でした。
      ■         ■
 技術的に問題があるとか、
 大学をクビになったからとかの理由ではありませんでした。
 私のように大学の形成外科講師になってしまった人間は、
 チェーン店ではとても使いづらいのです。
 経営者の言う通りに、
 なんでもハイハイと手術を引き受ける先生でなければ、
 チェーン店の美容外科医としては失格なのです。
      ■         ■
 医師が経営しているチェーン店は、
 全て私よりも若い先生が経営者でした。
 自分より年長のうるさそうな形成外科医を採用しても、
 うまく仕事をしてくれそうもない。
 大切な腕のいい受付さんともうまくできそうにない。
 今なら、よく理解できます。
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 大学は追い出されるは、
 次の就職先は見つからないは、
 開業するにも資金はないはで本当に困りました。
 その時に助けていただいたのが、
 親しくしていた医療機器メーカーの社長さんでした。
 JMECの故森下純一社長さんが、
 中央クリニックの社長さんを紹介してくださいました。
 残念なことに
 森下社長は2009年に60歳でお亡くなりになってしまいました。
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 森下社長のおかげで、
 ようやく私の就職先が見つかりました。
 ご恩は一生忘れません。
 採用してくださった中央クリニックの社長さんにも、
 心から感謝しています。
 中央クリニックの社長さんは、
 医療のことには一切示指はされません。
 これは今でも同じです。
      ■         ■
 2016年10月現在、
 日本にはたくさんの美容外科があります。
 私の推測では、
 およそ数百人の医師が働いています。
 大手美容外科チェーン店には、
 お兄ちゃん先生
 お姉ちゃん先生
 腕のいい形成外科専門医の先生もたまにいます。
      ■         ■
 残念なことですが、
 腕のいい形成外科専門医の先生でも、
 若い経営者の先生が決めた通りに、
 ♡あんしん麻酔♡や、
 つけなくてもいいオプションをつける先生もいます。
 それは売上のためです。
 自分の身内だったら絶対にしない手術でも、
 引き受けなければならないチェーン店もあります。
 クリニックや先生はくれぐれも慎重に選んでください。
 練習台のモニター患者では受けないでください。
 私からの忠告です。
