医学講座
第26回日本眼瞼義眼床手術学会(札幌)②
昨日の学会は実にいい学会でした。
はじめて参加しました。
眼科医と形成外科医が、
自由に活発に討論をしていました。
厳しい質問もありました。
切磋琢磨せっさたくまという言葉がぴったりでした。
■ ■
1990年に関西医大形成外科の小川豊先生が、
難しい義眼床の患者さんを、
どうしたら上手に治せるか?
眼科医、
義眼師に呼びかけて、
義眼床手術研究会の名称で発足しました。
■ ■
昨日の学会で、
これまでの25年と本日の討論を振り返って
…という座談会が最後にありました。
司会進行:辻 英貴 先生、土井秀明先生
中村泰久先生、小川豊先生、冨士森良輔先生、田邊吉彦先生、の4人が、
壇上でお話しをされました。
■ ■
創設者の小川先生が、
自分はラグビーが好きで、
試合の間は真剣に闘った相手と、
試合後にノーサイドで仲良くする
学会後の懇親会で、
形成外科と眼科、義眼師が仲良く討論できる学会。
さすが小川先生の発想が素晴らしいと感じました。
■ ■
昨日の発表では、
最初の義眼床に限らず、
眼瞼や眼窩(がんか)の疾患について、
活発な討論が交わされました。
眼科の先生の意見もお聞きすることができ、
とても勉強になりました。
■ ■
学会の歴代会長です。
来年も学会に参加したいと思いました。
小川先生、楠本先生、土井先生、
関西医大形成外科の皆様、
足もとが悪い札幌にいらしていだき、
ありがとうございました。
(第1回~第17回までは義眼床手術研究会)
第1回(平成2年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第2回(平成3年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第3回(平成4年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第4回(平成5年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第5回(平成6年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第6回(平成7年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第7回(平成8年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第8回(平成9年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第9回(平成10年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第10回(平成11年) 大阪 関西医科大学形成外科 小川 豊
第11回(平成12年) 大阪 神戸中央市民病院形成外科 澤田正樹
第12回(平成13年) 名古屋中部労災病院形成外科 田邊吉彦
第13回(平成14年) 大阪 大阪市立大学形成外科 村岡道徳
第14回(平成15年) 大阪 市立伊丹病院眼科 萩原正博
第15回(平成16年) 岸和田 岸和田市民病院形成外科 久徳茂雄
第16回(平成17年) 浜松 聖隷浜松病院眼形成眼窩外科 中村泰久
第17回(平成18年) 神戸 神戸大学形成外科 田原真也
(第18回~第24回までは眼瞼・義眼床手術研究会)
第18回(平成19年) 京都 京都府立医科大学眼科 木下 茂
第19回(平成20年) 京都 京都大学形成外科 鈴木茂彦
第20回(平成21年) 岡山 岡山医療センター眼科 大島浩一
第21回(平成22年) 大阪 関西医科大学形成外科 楠本 健司
第22回(平成23年) 東京 がん研有明病院眼科 辻 英貴
第23回(平成24年) 東京 昭和大学藤が丘病院形成外科 角谷 徳芳
第24回(平成25年) 広島 広島大学眼科 山田貴之
(第25回~日本眼瞼義眼床手術学会)
第25回(平成26年) 名古屋 愛知医科大学形成外科 横尾和久
第26回(平成27年) 北海道 北海道大学眼科 野田実香
第27回(平成28年) 神奈川 横浜市立大学形成外科 前川二郎
医学講座
第26回日本眼瞼義眼床手術学会(札幌)①
今日は第26回日本眼瞼義眼床手術学会が、
北大で開催されます。
会長は北大眼科の野田実香先生です。
この学会に参加するのははじめてです。
学会HPからの引用です。
■ ■
1990(平成2)年に代表世話人小川豊(現関西医科大学形成外科名誉教授)が形成外科医、眼科医、義眼師に呼びかけて「義眼床手術研究会」の名称で発足しました。
年に1回の会を重ね、第11回以降は形成外科、眼科が交互に会長を担当し、2013(平成25)年に第24回の研究会を開催しました。
研究会は当初より、治療や手術について形成外科医、眼科医、義眼師が自由に充分の討議ができることを主眼にしています。また、2006(平成18)年2月に討議内容の実情にあわせ会の名称を「眼瞼・義眼床手術研究会」に改め、義眼床に限らず、眼瞼、眼窩の種々の病態の治療を検討対象にしています。
2014(平成26)年2月15日より本研究会は、第25回より「日本眼瞼義眼床手術学会」と改称し、スタートしました。
■ ■
第26回日本眼瞼義眼床手術学会のご案内
期日:2015年3月14日(土)
場所:北海道大学医学部学友会館「フラテ」(札幌市)
会長:野田実香 先生(北海道大学 眼科)
*特別プログラム
特別講演/ランチョンセミナー(共催:(株)参天製薬)
講師 野平久仁彦 院長(蘇春堂形成外科)
第1回眼窩手術手技フォーラム(共催:(株)メディカルユーアンドエイ)
司会 京都府立医科大学 眼科 渡辺彰英 先生
演者 群馬大学 眼科 鹿嶋友敬 先生
北海道大学 形成外科 小山明彦 先生
兵庫医科大学 形成外科 藤原敏宏 先生
■ ■
学会の内容については、
明日以降の院長日記でご報告いたします。
今日は日本褥瘡学会北海道地方会と重なってしまったため、
北大と札幌コンベンションセンターを往復して、
忙しい一日でした。
先ほど学会懇親会から帰宅しました。
実に充実した学会でした。
とても勉強になりました。
野田実香先生ありがとうございました。
医学講座
前向きにがんばって生きる
昨日の院長日記、
動けぬ母に最後の言葉
2015年3月11日、
東京都千代田区の国立劇場で行われた
東日本大震災政府主催の追悼式
宮城県代表、菅原彩加(さやか)さん(19)のスピーチです。
■ ■
この中にあった、
失ったものは戻ってこない、
悲しみが消えることもない
でも前向きにがんばって生きる
実に大切なことだと思います。
受験でも、
病気でも同じです。
■ ■
よくお医者さんや弁護士さんは、
♡いい仕事♡
♡生活に困らない♡
…と思われがちです。
実際、私も小さい頃や、
学生の頃にはそう思っていました。
■ ■
でも実際に医師として30年以上仕事をしていると、
とても
♡楽で♡
♡もうかる♡
仕事ではありません。
ストレスが多い職種です。
■ ■
美容形成外科は別としても、
私たち医師の仕事は、
突然病気になったとか、
事故でけがをしたという、
困っている人たちを助ける仕事です。
困っている人たちから、
お金をいただいいて生計を立てています。
■ ■
お金がなくて、
病院に行けない人もいます。
手遅れになることもあります。
弁護士さんも、
困っている人を助ける仕事です。
お金がない人でも助ける仕事です。
■ ■
医師として真面目に仕事をすればするほど、
助けられない人に出合うことがあります。
そんな時でも、
前向きにがんばって生きることを、
サポートするのが医療従事者の仕事です。
癌になって手術をして、
失ったものは戻ってきません。
癌になった悲しみが消えることもありません。
■ ■
たとえ癌になっても
前向きにがんばって生きることが大切です。
新しい治療法が見つかることもあります。
私たち形成外科の仕事には、
再建外科も含まれます。
癌で失った組織を、
前向きにがんばって再建する仕事です。
最後まであきらめないことです。
院長の休日
動けぬ母に最後の言葉
今日は平成27年3月12日
東日本大震災から4年、
今朝の朝日新聞一面のトップ記事です。
祈る、大好きな人へ
動けぬ母に最後の言葉
東日本大震災4年
東日本大震災から11日で4年を迎えた。死者1万5891人、行方不明者2584人。避難生活を送る人はいまも約22万9千人にのぼり、避難先は福島・宮城・岩手を中心に47都道府県のすべてに及ぶ。地震の起きた午後2時46分、各地で犠牲者へ祈りが捧げられた。
政府主催の追悼式が11日午後、東京都千代田区の国立劇場であった。天皇、皇后両陛下や安倍晋三首相ら約1120人が参列。被災3県の遺族代表が追悼のことばを述べた。
宮城県代表は、母(当時35)と祖母(同64)、曽祖母(同83)の3人を津波に奪われた菅原彩加(さやか)さん(19)。《15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました》。祭壇に向かい、読み上げた。
石巻市大川地区の自宅で大きな揺れに襲われた。家族は、買ったばかりのテレビが倒れることを心配していた。その矢先。濁流にのまれた。気づくとがれきの山の上だった。足元から低い声が聞こえた。「さやー」。母の理子(りこ)さんだった。
《釘や木が刺さり、足は折れ、変わり果てた母の姿がありました。がれきをよけようと頑張りましたが、私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここにいたら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に、私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました》。声をふるわせた。
高校入学後、60回近く体験を語ってきた。でも可哀想と思ってほしくないという。あの時の判断を問われると「仕方がなかった」と答えてきた。
仮設暮らしの祖父、秀幸さん(64)は、ふびんに思って声をかけた時の答えが忘れられない。「自分は不幸じゃない」。彩加さんは泣いて抗議したという。明るい性格の孫が理不尽な境遇を懸命に生きているように、秀幸さんには見えた。
それでも彩加さんには、母を思って涙がこみ上げることがある。片付けをせずに怒られたこと、一緒に洋服を選んだこと。浮かぶのは「あの日」ではなく、家族が一緒だった日常だ。
《失ったものは、もう戻ってくることはありません。悲しみが消えることもないと思います。しかし前向きに頑張って生きていくことが、亡くなった家族への恩返しだと思い、生きていきたい》
春からは神奈川県の大学に進み、防災学をまなぶ。
(中林加南子、吉浜織恵)
菅原彩加(さやか)さん
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
今朝のTVで菅原彩加(さやか)さんを見ました。
19歳とは思えない、
立派なスピーチでした。
見ていて、
思わず涙が出ました。
神奈川県の大学に進学され、
防災学を勉強される。
なんてすばらしいことでしょうか。
■ ■
震災の恐怖は、
実際に体験した人でなければわからず、
大切な人を失った悲しみは、
どんなにつらいものでしょうか。
失ったものは、
もう戻ってくることはありません。
悲しみが消えることもないと思います。
しかし前向きに頑張って生きていくことが、
亡くなった家族への恩返しだと思い、
生きていきたい。
この言葉を忘れないようにしようと思いました。
菅原彩加(さやか)さんのご活躍をお祈りしています。
天国のお母さんも喜んでいらっしゃると思います。
院長の休日
福島の心も診る_札幌の峯廻先生奮闘
今日は2015年3月11日です。
東日本大震災から4年です。
今日の北海道新聞朝刊に、心を打つ記事が掲載されていました。
深刻な医師不足
「残リの人生を復興のために」
福島の心も診る
札幌の峯廻さん奮闘
東京電力福島第1原発事故 により全町避難が続く福島県浪江町。隣接する二本松市内の仮設診療所で、札幌西円山病院名誉院長の峯廻攻守(みねまわりよしもり)医師(70)が常勤医として診察に当たっている。専門の内科だけでなく、 仮設住宅 で生活する被災者に寄り添い、悩みや苦しみの吐露に耳を傾ける。11日で東日本大震災から4年。峯廻さんは「福島の人たちは震災、原発事故、偏見の三重苦で今も大変な思いをしている。残された人生を復興支援にささげたい」と思いを新たにしている。
震災前まではグラウンドだった二本松・安達運動場には240戸ほどの仮設住宅が並ぶ。その一角に峯廻さんが勤めるプレハブの「浪江町国保仮設津島診療所」がある。診察室は、札幌の院長室より格段に狭い。
滝川市出身。札幌医大を卒業後、道内各地で勤務し、札幌西円山病院では2014年3月まで17年間、院長を務めた。
2012年春、妻の雪枝さん(57)と福島、宮城を訪れ、前年の震災で大きな被害が出た沿岸部を見て衝撃を受けた。「がれきで通れない道路もある。1年たってもこんなにひどいのか…」。1993年の 北海道南西沖地震 、1995年の 阪神大震災 の時は被災地で活動したいと思いながらも勤務医の立場上、実現できなかった。「今度こそ」。周囲は反対したが、夫婦で福島への移住を決意。2014年10月から常勤医となった。
診察時間の半分以上は被災者である患者の話を聞く。震災時の苦労や将来への不安、身内を失った悲しみ…。1時間を超えるときもある。峯廻さんは「福島県内の医師から『あんたたちが避難してきたおかげで仕事が増えた』と言われた患者もいる。県内でさえ差別や偏見が増幅している」と感じる。
浪江町は2カ所に仮設診療所を設置しているが、常勤医は関根俊二医師(72)だけだった。外科が専門の関根医師は「循環器内科が専門の峯廻先生が来て、負担が非常に減った。できるだけ長くいてほしい」。月2回、峯廻さんの診察を受ける仮設住宅の女性(76)は「親身に話を聞いてくれるので、診察の後は心が楽になる」と感謝する。
原発事故後、県内では医師不足が深刻化している。「小さな子どもを持つ医師が放射線の影響を気にして県外避難するのは仕方ない。私たちの世代が全国から集まって、福島を応援するべきだ」。峯廻さんはその先頭に立ち、町民の一部でも自宅で暮らせるようになるまで、福島を支える覚悟でいる。(東京報道 阿部浩二)
プレハブの仮設診療所で看護師と談笑する峯廻先生
■ ■
峯廻先生は札幌医大の先輩です。
直接お会いしたことはありませんが、
私の祖母、太田キヨがお世話になりました。
循環器内科がご専門です。
札幌医大第2内科同門の先生です。
手稲渓仁会病院にもいらっしゃいました。
立派な先生です。
■ ■
祖母がお世話になった時も、
とってもいい先生と、
感謝していました。
札幌から福島へ赴任され、
骨を埋めるつもりには、
ほんとうに頭が下がる思いです。
奥様のご英断にも感謝します。
■ ■
周囲は反対したが、
夫婦で福島への移住を決意。
ほんとうにご立派なご夫妻です。
札幌医大の後輩として、
偉大な先輩に脱帽です。
私も70歳を超えて元気だったら、
福島へ行けるか?
自信がありません。
役に立つどころか迷惑をかけそうな気もします。
福島で眼瞼下垂症の手術をするわけにもいかず、
何かできることはないか考えます。
峯廻先生のご健康とご活躍をお祈りしています。
医学講座
正しい性器の知識
私が文部科学大臣だったら、
中学校の保健体育で、
正しい性器の知識を教えます。
保健体育の教科書に、
男女とも正確な図を載せます。
残念なことですが、
正しい性器の知識がわからない人が多いです。
■ ■
昔は今のようにネットもなく、
毛が写った写真だけで大騒ぎでした。
今の中学校の保健体育の教科書は知りませんが、
医学部で使う解剖の教科書ですら、
性器のことについては、
それほど詳しく書かれていません。
■ ■
包茎
仮性包茎
真性包茎
嵌頓包茎
どう違うのか?
ネットのいんちき広告がたよりです。
■ ■
札幌美容形成外科HPの包茎の解説です。
仮性包茎
一般的に多いのがこのタイプ。勃起時はむけるが、通常時は亀頭部に包皮がかぶる方。また、通常時容易にむくことができたり、亀頭のカリの部分で包皮をとめておける方もこのタイプです。
嵌頓(かんとん)包茎
包皮にくびれができてむくと痛みのある方。包皮自体に締付感のある方はこちらのタイプです。
真性包茎
通常時、勃起時共にまったくむけない方はこのタイプです。
■ ■
大きな病院の泌尿器科で保険適応になるのは、
真性包茎です。
私たち哺乳動物には、
おすとめすがいます。
卵から発生して、
お母さんの子宮の中で大きくなります。
おすもめすも、
同じ卵からできます。
■ ■
卵の構造は男女とも同じです。
意外に思うかも知れませんが、
女性にも真性包茎の方がいます。
陰核(クリトリス)と陰核包皮(クリトリスを覆う皮膚)が、
完全にくっついている女性です。
ご自分では気づいていない人が大部分です。
男性と同じように、
完全にくっついていると垢がたまります。
■ ■
小陰唇縮小手術2014に書いてあります。
陰核包茎(クリトリス包茎)はふつうです。
ただ男性の真性包茎と同じように、
包皮と陰核亀頭が癒着していて、
中に直径0.5㎜程度の小さな白い粒が、
たくさんできている人がいます。
女性にも男性にも真性包茎があります。
角化物という垢がたまります。
男性にも女性にも、
正しい性器の知識が必要だと思います。
医学講座
間違いだらけの包茎手術選び
昨日の間違いだらけのわきが診断に続いて、
間違いだらけシリーズ第二弾です。
ネットで、
包茎手術
包茎手術+札幌
包茎+札幌
…と検索すると、
たくさんのサイトがヒットします。
■ ■
残念なことですが、
私なら絶対に行かないクリニックばかりヒットします。
失敗しないクリニック選びとか書いてあります。
そこに書かれているクリニックに行くと、
まず100%失敗します。
HPに書かれている料金より高く取られます。
ネットの医療情報、過信するな以上に【要注意】です。
■ ■
高いクリニックへ誘導する、
明らかな広告サイトです。
泌尿器科で手術をしたけれど、
仕上がりが不満なので再度、
包茎専門クリニックで手術をやり直すというケースも多いです。
…と書かれていますが、
そんなことはありません。
■ ■
包茎専門クリニックの多くは、
常勤医がいません。
手術の時だけアルバイト医を雇うとか、
東京から日帰りで来て手術をして、
手術が終わったらそのまま帰ります。
抜糸がないと楽に思えますが、
何かあっても対応してもらえません。
■ ■
広告サイトに書かれている病院へ、
平日行ってみるといいです。
重い扉が閉まっていて、
中には誰もいません。
電話は東京などで一括して受電しています。
泌尿器科で手術をしたけど不満もうそです。
泌尿器科の先生も上手です。
■ ■
医師向けの求人広告で、
包茎専門クリニックのアルバイト情報を見ることがあります。
知り合いの泌尿器科医は、
包茎専門クリニックの料金の高さに驚いていました。
包茎手術の価格
2008年1月7日の院長日記を読んでください。
スポーツ新聞には包茎手術の広告が掲載されています。
包茎手術○万円~
※軽微な仮性包茎に限ると小さな字で書かれています
この○万円~の『~』が問題です。
ネット検索にはくれぐれも注意してください。
わきが
間違いだらけのわきが診断
美容形成外科を開業して10年が過ぎました。
難しいと思うのが、
わきが手術です。
世間一般に思われているより、
わきが治療はずっと難しいです。
全国のいろいろなHPを見て、
さすがと思うのは東京の稲葉クリニックです。
■ ■
先代の稲葉益巳(いなばますみ)先生が開発した、
皮下組織削除器(ひかそしきさくじょき)による方法です。
昭和54年11月1日に、
当時の武見太郎_日本医師会長から
日本医師会最高優功賞を授与されています。
米国形成外科学会誌PRSにも掲載されています。
ご子息の稲葉義方先生が、
現在も東京で開業されています。
■ ■
稲葉義方先生のHPに書かれた、
次の文章が正しいワキガ診断です。
腋臭症/ワキガ/わきが診断のチェックリスト
ワキガの自己診断としてよく雑誌などに載っていますね。
●衣類が黄ばむとワキガである。
●耳垢が湿っているとワキガである。
●親にワキガがあると子供もワキガである。
●汗が多いとワキガである。
●腋毛が濃いとワキガである。
●手術を受けても治らないのは重症のワキガである。
これらは本当に正しいのでしょうか? 実はすべて間違っているのです。
正しくは
●ワキガであると衣類が黄ばむことが多い。(ワキガ以外でも衣類が黄ばむことも多い)
●ワキガであると耳垢が湿っている。(=耳垢が乾いている人はワキガではない)
●親にワキガがあると子供にワキガが遺伝することがある。(耳垢が湿っている体質が遺伝する)
●汗が多いこととワキガであることは関係ない。
●腋毛が濃いこととワキガであることは関係ない。
●手術を受けても治らないのはワキガでない可能性がある。(ワキガでないのに手術を受けた)
稲葉クリニックHPより引用
■ ■
大手有名美容外科のチェックポイントも間違いです。
米国製の高価な機器で治療しても、
汗もにおいも残る人がいます。
実際に札幌美容形成外科に、
汗が止まらなかったと、
ボトックス注射を打ちに来院される方がいます。
広告もブログもうそつきです。
■ ■
私が特に共感するのは、
稲葉義方先生の次の表現です。
⑤自己臭妄想の問題点:他人の言動によってわきがと自己判断している状態で、周囲の人の咳払いや視線に敏感になる。しかし患者がひとりで居る時にはあまり気にならないことが多い。このような患者は腋臭が確認されないため医療機関を転々と渡り歩くこととなってしまう。わきがと安易な診断や治療は悩みが大きくなるきっかけを作ってしまうこともある。
稲葉クリニックHPより引用
ワキガ手術は一生に一回です。
正しい診断と的確な治療を受けてください。
昔の記憶
私はできの悪い子でした
今日、2015年3月7日は、
北海道大学前期日程の合格発表です。
私は頭が悪くて、
北大(医)は無理でした。
なんとか合格圏内だった、
札幌医大に一浪で入学しました。
昭和49年(1974年)です。
■ ■
一浪して合格した年ですら、
合格できるかどうか?
最後まで不安でした。
私は自己採点をしませんでした。
今のように解答は公表されませんでしたし、
記入ミスがあれば不合格です。
■ ■
一浪して合格した時、
一番喜んでくれたのは両親だったと記憶しています。
私は育てにくい子だったそうです。
赤ちゃんの時にはおっぱいを飲まず、
しかもでべそでした。
ようやく幼稚園に行ったら、
ペルテスという骨の病気になりました。
保険が効かない装具(コルセット)が、
高価だったと聞かされ、
子どもでしたが心に残っています。
■ ■
小学校に入学すると、
担任の先生と合わず、
学校から帰されました。
親がびっくりして、
小学校に行った記憶もあります。
勉強もできませんでした。
絵も苦手でした。
■ ■
私が学校好きになって、
成績が伸びたのは先生のおかげです。
小学校2年生の担任だった、
加藤先生。
この先生のおかげで、
私の成績が伸びました。
字が上手な先生でした。
よく家庭訪問に来てくれました。
■ ■
今こうやって医師になれたのは、
たくさんの先生に教えていただいたからです。
予備校で生物を教えてくださった、
矢野雋輔先生。
国語を得意科目にしてくださった、
NHKの小田島哲哉先生。
今でも毎日放送を聴いている、
NHKビジネス英語の杉田敏先生。
できが悪い子でも、
医師免許が取得できたのは、
たくさんの先生のおかげです。
昔の記憶
小田島哲哉先生
私が一番の不得意科目だった国語。
今こうして院長日記を書けるのも、
国語好きになれたからです。
国語の恩人は、
小田島哲哉先生です。
NHKラジオ_中学生の勉強室です。
私はこの番組を聴かなければ、
高校入試も大学受験もだめでした。
■ ■
東京都立八潮高等学校の
小田島哲哉先生が国語の担当でした。
小田島先生の語り口が穏やかだったのと、
何て上手な読み方だろう…
テキスト本文の朗読がありました。
朗読は東京放送劇団などに所属する、
プロの方が担当されていました。
■ ■
北海道夕張市の山奥(大夕張おおゆうばり)で、
けんいち少年は、
耳をそばだてて聴きました。
私はこの中学生の勉強室で、
国語が好きになり…
得意科目になりました。
■ ■
私が中学生の勉強室を聴いたのは、
今から45年以上前です。
ありがたいことに、
この院長日記のおかげで、
小田島先生とお話しすることができました。
先生の知り合いの方が、
私のことを伝えてくださいました。
■ ■
小田島哲哉先生は、
今年4月に満88歳の米寿をお迎えになります。
半世紀近く前に、
私を国語好きにしてくださった小田島先生。
電話でお聞きした声は、
NHKと同じ優しい声でした。
小田島先生に感謝して、
これからも院長日記を続けます。
■ ■
小田島哲哉先生からいただいたお手紙です
全国放送でしたら、沢山の教え子が日本中にいて、時々声をかけられました。
同じ番組を担当した最長記録で、NHKから記念品を贈られました。
小田島先生へのメッセージをご希望の方は、下のコメント欄にご記入ください。
私から先生へお知らせいたします。
叙勲旭日章