医学講座

豊かさを追って_ニトリの挑戦④

 今日は北海道新聞の連載が載ってました。
 まだ暗いうちに新聞を取りに行って、
 一番先に読みました。
 今日もニトリ成功の秘密が書いてありました。
 私は流通業とは無縁ですが、
 似鳥昭雄社長の大ファンです
 すごい人物だと尊敬します。
 平成27年12月12日土曜日、北海道新聞朝刊の記事です。
 若い人にも北海道新聞を購読していただきたいです。
      ■         ■
 豊かさを追って_ニトリの挑戦>4
 低コスト運営 自前で運んで成長加速
 11万平方メートルの敷地に5棟の倉庫が並び、何台もの大型トラックが出入りする。中国・上海の郊外にある大規模な物流加工センター。倉庫の中では作業員が指示書をもとに、さまざまな商品を一つの段ボールに詰めていく。スリッパ、タオル、トイレマット…。荷の行き先は家具・インテリア製造販売日本最大手ニトリホールディングス(HD、札幌)が日本とアジアで展開する400余りの店舗だ。

 センターの運営は同社の物流子会社、ホームロジスティクス(札幌)が担い、現地採用した中国人約130人が働く。センターの名称に「物流」だけでなく「加工」と付いているのは、商品の仕分け作業も手がけているからだ。

 2008年に本格稼働して以降、中国の工場で委託生産された繊維製品などを集めて一時的に保管し、各店舗が必要とする商品を必要な量だけ送り出している。取扱商品の種類はおよそ1万に及ぶ。

 センターができる以前、中国で作られたニトリHDの商品は各工場から直接、日本へ送られていた。だが、距離が遠いだけに、ばらばらに運ぶと余計な費用がかかる。しかも各工場で作られた商品がコンテナで大量に届くため、日本に着いてから店舗向けに仕分けなければならない。ならば「人件費の安い中国で作業した方が効率が良い」(同社幹部)のは明らかだ。

 工場でつくった商品を店で売る。その間には必ず、商品を運ぶ作業が必要になる。これが「物流」である。倉庫、トラック、船など多くの業者が介在し、一時保管や貿易の通関といったノウハウも求められる。物流はかつて、その複雑さゆえにコスト削減が難しい「暗黒大陸」と呼ばれた。

 だがそれは、工夫・省力化の余地が大きいことも意味する。米 アマゾン・コム が独自の物流体制をテコに、インターネット通販世界最大手へと上り詰めた。「アマゾンに続け」と、流通企業はこぞって物流に熱い視線を注いでいる。

 ニトリHDが物流に本格参入したのは、まだ札幌にしか店がなかった1980年。6階建ての倉庫を札幌・手稲区に建設したのが始まりだった。家具の出し入れを機械で行う、国内初の家具専用自動倉庫。似鳥昭雄社長が自動車大手、日産自動車の工場を見学した際、巧みに機械化された倉庫を見て思いついたという。

 大量の商品を自ら保管する体制をつくれば、1回当たりの仕入れを増やせる分、価格交渉も有利になる。この発想が、後のニトリHDの成長を支えていく。

 安く大量に仕入れ、効率的に保管し、多店舗で売りさばく。事業の形は固めたが、実際の運用は一筋縄ではいかなかった。

 10年ほど前、船のチャーターに関する不正取引の情報が舞い込んだ。調べると、仲介業者と交渉する社員が内規に反する接待を受け、チャーター料を高止まりさせていた。社内に「暗黒大陸」があったわけだ。船の費用は年に30億~40億円もかかる。これを機に仲介会社と関係を絶ち、船会社との直接契約に切り替えたところ、年間5億~6億円の経費が浮いた。

 在庫管理にも悩みはある。海外工場へ発注し、実際に商品が届くまでには3~4カ月かかる。数カ月先を見据えて在庫を管理しなければいけないが、売れ行きを見誤ると、たちまち倉庫に売れ残り品の山ができる。現金を生み出さず、保管コストもかさんで経営を圧迫する「不良在庫」である。数年分の不良在庫を抱え、やむなく焼却処分することは今もあるという。

 ホームロジスティクス社は日本国内でも10万平方メートル級の物流センターを4カ所、3千平方メートル級を80カ所に構える。ニトリ各店に商品を運ぶだけでなく、店から顧客宅までの配達や、家具の設置も手がけ、売り上げ増を図る。

 今や国内の人口カバー率98%、年間配達件数500万件。大型荷物の取り扱いでは、最大手ヤマトHDなどと国内トップグループを形成するまでになった。

 苦心の末に築いた自前の物流体制。これもニトリHDの快進撃を後押ししている。

物流拠点、多店舗網の要
 札幌の家具店から始まったニトリホールディングス(HD、札幌)が物流まで手がけるようになったのは、小売りチェーンの展開と物流が切っても切れない関係にあるためだ。

 限られた面積で多くの商品を陳列する店舗には、保管スペースがほとんどない。だから、売れる商品を、必要な時に必要な量だけ配送する必要がある。ただ、別々のトラックが少量の商品を何度も運ぶのは効率が悪い。物流センターでさまざまな商品を1台のトラックに載せ、一度に店へ運べば無駄がない。店舗数が増えるほどコスト削減効果は大きくなる。

 近年、流通大手は軒並み、自社専用の物流センターを構えるようになった。しかし、運営方法は企業ごとに異なる。 セブン&アイ・ホールディングス はセブン―イレブン店舗用のセンターを自前で持たず、物流企業に専用センターの建設を含めた業務を委託している。一方、イオンは物流会社を傘下に抱え、グループ内でセンターを運用している。

 自前で運営して効率化を目指すか。「餅は餅屋」と、専門業者に委託するか。どちらを選ぶかに「その企業の経営哲学が表れる」(流通アナリスト)。

 その点、ニトリHDは徹底した自前主義をとる。物流へと守備範囲を広げることで、企業として「効率化のための工夫の余地が大きくなり、社員の技能を高める最良の現場教育になる」(同社幹部)からだ。

 仮にある企業が店舗運営しか手がけないとする。その場合、商品を安く販売するための効率化努力も店舗内部に限られる。ニトリHDは、商品の生産から物流まで一手に行うことで企業の器をぐっと大きくする道を選んだ。

 それにより、ビジネスのあらゆる段階でコスト削減の工夫を積み重ねることも可能になった。

高度な管理システム 物流専門誌「月刊マテリアルフロー」の菊田一郎編集長の話
 日本から離れたアジアで多くの商品を生産するニトリHDは、コンテナ数で国内最多の輸入量を誇る企業でもあります。物流を担う子会社ホームロジスティクスは、ほかの物流企業に引けを取らない物流センターや、配車を管理する高度なIT(情報技術)システムを持っています。

 国内では大型荷物を扱う業者が減っています。家具のような荷物を運ぶ作業は大変なので、働き手が集まらないのです。ホームロジスティクスは物流センターやトラックの空きスペースを他社と共有し、物流効率を高めています。社会的にも意義のある戦略ですね。
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スリッパやトイレマットなど複数の商品を、一つの店舗で必要とする分だけ箱詰めする作業員=上海郊外にあるニトリグループの物流加工センター

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(以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 私は1980年にできた、
 札幌市手稲区にある6階建ての倉庫を知っています。
 あんなところに、
 ニトリさんができた?
 …と思っていたら倉庫でした。
 家具屋さんは配達が命です。
 新品の家具に、
 ちょっとでも傷がつくとキズ物です。
      ■         ■
 ニトリさんの配達は早いです。
 AMAZONより荷物が大きいので、
 さすがに翌日配達はありませんが、
 大型家具でも早いです。
 似鳥昭雄社長が、
 日産自動車の工場を見て、
 巧みに機械化された倉庫を見て思いついた

 …というのがすごいです。
 医療の世界ではなかなか難しいですが、
 似鳥昭雄社長を見習って、
 他業種でもいいところはどんどん真似をしたいです。

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昔の記憶

お金では買えないもの

 今日も早起きをして、
 北海道新聞朝刊を取りに行って、
 さっそくニトリさんの記事を読もうと思ったら、
 今日は連載がお休みでした。
 残念に思って、
 朝日新聞朝刊を読むと、
 いいお話しが載っていました。
      ■         ■
 平成27年12月11日(金)朝日新聞朝刊、
 ひとときへの投稿です。
 お金では買えないもの
 先日、長男と娘の最後の授業料を払い終えた。来春2人とも大学を卒業し、就職する予定だ。
 まだ大学2年生の次男がいるが、大学生3人が重なったこの2年間は正直、経済的に苦しかった。
 5年前、夫は自分の余命がわずかとわかり、何か私が欲しいものを買ってくれると言ってくれた。しかし、いくら考えても買って欲しいものはなかった。強いて言うなら洗濯物干しが壊れていたのでそれを買って欲しいと伝えると、「そんなものか。指輪でもバッグでもないのか」と意外な顔をした。
 そのとき私にはものすごく欲しいものがあった。それは、浪人していた長男と中3だった次男の志望校合格、そして夫の寿命。あのとき本当に欲しいものはお金では買えないということがわかった。夫は余命宣告より少しだけ長く生きて、長男と次男の合格を見届けて逝った。悲しかったが願いがかなった。
 今は夫の残してくれた貯金を切り崩しながら子どもたちに仕送りしている。将来子どもたちが独立し、経済的に楽になったとしても、欲しいものは家族の健康と平穏な暮らしだ。やはり、お金では買えない。
 (北海道旭川市 上西紀子 看護師 55歳)
 (以上、朝日新聞より引用)

      ■         ■
 看護師さんは激務です
 働きながら3人の子供さんを育てるのは、
 とても大変なことです。
 朝5時前に起きて、
 掃除洗濯をして、
 朝食を作って、
 お弁当も作っていた看護師さんを知っています。
      ■         ■
 3人の子供さんを残して、
 病気で亡くなってしまったご主人も無念だったと思います。
 5年前、夫は自分の余命がわずかとわかり、
 何か私が欲しいものを買ってくれると言ってくれた。
 いくら考えても買って欲しいものはなかった。
 強いて言うなら洗濯物干しが壊れていたので
 それを買って欲しいと伝えると、
 「そんなものか。指輪でもバッグでもないのか」と意外な顔をした。
      ■         ■
 そのとき私にはものすごく欲しいものがあった。
 それは、浪人していた長男と
 中3だった次男の志望校合格
 そして夫の寿命
 あのとき本当に欲しいものは
 お金では買えないということがわかった。

      ■         ■
 私の知っている看護師さんのご主人が癌で亡くなりました。
 看護師さんは、
 私がそばにいたのに、
 (早期に)見つけてあげられなかった、、、

 …ととても残念そうに話していました。
 専門医ですら、
 自分が専門の病気を見つけられないことがあります。
 早期発見ができなかったのは、
 (看護師の)奥さんのせいではありません。
      ■         ■
 私が亡くなったご主人だったら、
 俺が先に逝ってしまったのに、
 無事に大学を卒業させてくれて、

 ありがとう
 ご苦労様でした
 …と言いたいと思います。
 旭川市の看護師、上西紀子さん、
 ご主人は天国で感謝しています。
      ■         ■
 来春は卒業式が2回ですね。
 春からは社会人が2人です。
 看護職は激務ですが、
 お金で買えない看護という、
 優しい心を提供できます。
 後輩の指導も大変だと思いますが、
 医療従事者としてがんばりましょう。
 ご主人を亡くされても、
 一生懸命学資を稼いだことは、
 きっといい想い出になると思います。
 朝からいいお話しをありがとうございました。

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医学講座

豊かさを追って_ニトリの挑戦③

 この連載が楽しみです。
 早起きして新聞を取りに行き、
 まだ暗いのに電気を点けて読みます。
 日経の私の履歴書は、
 たまに読む程度でした。
 北海道新聞東京報道センターの幸坂浩さんの連載記事は、
 今までに書かれていない視点から、
 ニトリ成功の秘訣を書かれています。
 若い人にもよく読んでいただきたいです。
      ■         ■
豊かさを追って ニトリの挑戦>3
 効率生産、海外で極める
 大勢の従業員が色とりどりの帽子をかぶり、整然と働いている。ピンクは班長、水色は作業員、赤は品質検査係の目印だ。工場内で責任と権限を明確にして、仕事の無駄やむらを排している。

 ここは家具・インテリア製造販売日本最大手ニトリホールディングス(HD、札幌)がベトナムに構える基幹工場だ。家具製造子会社のニトリファニチャー(東京)が運営する。

 二人乗りや三人乗りのスクーターでごった返す首都ハノイから車で約50分。工業団地にある札幌ドーム3個分、約16万平方メートルの敷地に巨大な建屋が2棟並ぶ。生産品目はベッドやタンス、ソファなど。

 2004年に建設を始め、2005年に稼働した。赤字を出したのはその2年間だけ。3年目には黒字転換し、当初の損失もすぐに埋めた。その秘訣(ひけつ)は、綿密な従業員教育に裏打ちされた効率的な生産体制にある。働く約3500人の9割以上は女性だ。「勤勉な人物を採用した結果」(ニトリファニチャー)だという。

 こうした運営手法はトヨタ自動車グループの目にもとまる。トヨタと言えば、効率的な自動車生産方式を編み出し、世界の製造業のお手本となっている存在だ。トヨタの現地法人ベトナムトヨタは近年、幹部をニトリファニチャーへ視察に送り込んでいる。「お互いが工程を改善するヒントに」との狙いがあるという。

 傘下に大規模工場まで有するニトリHDは、大手流通企業の中でも特異な存在だ。家具世界大手のイケアでさえグループ内に工場は持たず、生産はすべて外部委託している。

 アジア製の家具はもともと、欧米向けの仕様・サイズで作られたものが多く、そのままでは日本市場になじまない。精巧なタンスといった日本独自の家具をニトリHDが調達するには、アジアの企業に生産委託するだけでなく自前の工場を持つ必要があった。

 ベトナムの工場とインドネシアにある1号工場とを合わせ、ニトリHDは販売する家具の1割強をグループ内で作っている計算だ。

 順調に見える海外生産事業も当初は苦労の連続だった。インドネシア西部のメダンに1号工場を建設したのは1994年。思った以上に労務管理にてこずった上、治安も悪い。何度も泥棒が入るので工場の壁を高くすると、今度はトンネルを掘って侵入された。雇っていたガードマンが窃盗団とつながっていたことまで判明する始末だった。

 だがリスクが高い分、競合他社は進出してこない。しかも人件費をはじめとするコストは安い。「だったらリスクをとろう」(ニトリファニチャーの松倉重仁(しげひと)社長)。この決断がその後の躍進につながる。「いち早く問題点を把握し対処する」といったインドネシアの教訓が糧になった。

 「外部の血」が果たした役割も大きい。ニトリHDは、多くの技術者をさまざまな業種から招いて現在の生産体制を築き上げた。自動車大手ホンダに長く勤めた杉山清氏(73)は、その代表格である。

 杉山氏は2015年春までニトリHD専務を務め、その間、いずれも発展途上国での勤務経験がある複数のホンダOBを呼び寄せた。そして「怒らず、慌てず、あてにせず」という自身のモットーをニトリ社内に行き渡らせた。「根気よく向き合わなければ、アジア事業はうまくいかない」(杉山氏)との信念が根底にある。

 電機大手ソニーや衛生陶器最大手TOTOなども表彰されたことがある経済産業省の製品安全対策優良企業表彰。ニトリHDは2014年度、「製造・輸入」部門で最高賞に次ぐ審議官賞を受けた。アジアで質の高い製品を作る体制が評価されてのことだ。同社は「小売り販売」部門で既に表彰を3度受けており、製造と小売りの両方で表彰された初の例となった。

 製造から販売まで一貫して手がけるニトリHDの事業は、いずれも日本屈指の水準に達している。

無駄なくし低価格守る
 日本と比べれば安いアジアの人件費も、年々上昇している。

 日本貿易振興機構(ジェトロ)がまとめた「アジア・オセアニア主要都市・地域の投資関連コスト比較」。それによると、工場などで働く一般工の月額賃金は、2014年度までの10年間でおおむね倍増した。現在、ベトナム(ハノイ)の人件費は月2万円ほど。社会主義国という事情もあり、毎年、国主導で確実に引き上げられていく。

 家具・インテリア製造販売日本最大手ニトリホールディングス(HD、札幌)の家具製造子会社ニトリファニチャーによると、同社がベトナムに構える工場では、新設された工業団地に進出した10年前と比べて賃金がざっと4倍になったという。前年比で28%の 賃上げ を求められた年もある。

 人件費が上がり続ける中でメーカーが利益を上げ続けるには、生産性を絶え間なく向上させるとともに、販売拡大で売り上げを増やすことが欠かせない。

 一般に、家具メーカーが材料の木材を製品に活用できる比率は7割ほどとされる。残り3割は捨ててしまうわけだ。ニトリファニチャーは加工に工夫することで無駄をなくし、活用比率を9割まで高めた。

 部品調達も商社まかせにしない。ベッドのマットレスやソファのばねといった原料を自前で仕入れて一から自社生産するなど努力を重ねている。

 今後は韓国などニトリHDが店舗展開していない国でも、現地の家具店などへの卸販売を広げる考え。また、2017年にはベトナム南部のホーチミン郊外にも、敷地面積40万平方メートルの新たな大規模工場を建設する計画だ。

 稼働後は家具だけでなく、繊維製品といった「ホームファッション商品」と呼ぶ製品も手がける基幹工場にしていく予定だ。

 いずれも「ニトリらしい手頃な価格を守るための努力」(ニトリファニチャーの松倉重仁(しげひと)社長)である。

ホンダOB招へい奏功 製品安全対策優良企業表彰の審査員を務める高杉和徳(かずのり)・製品安全コンサルタントの話

 ニトリHDが製造業としても評価されているのは、似鳥昭雄社長がホンダOBの杉山清さんを招き商品の質を高めたからだと思います。

 一般に製品安全対策は成果が見えにくく、担当者が社内で冷遇される場合もある。ニトリHDの場合、杉山さんを専務に据えるなど安全対策に力を入れたことが成功につながりました。

 杉山さんは似鳥社長の第一印象を「(ホンダ創業者の)本田宗一郎(そういちろう)のようだった」と言っていました。気さくな性格。壮大な経営目標を掲げる姿。経営者にそうした魅力があるからこそニトリHDは成長しているのでしょう。
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ニトリのハノイ工場で家具を作るベトナム人女性。例えば「赤は品質検査係」のように、帽子の色で担当を分けている

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(以上、北海道新聞より引用)


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 私はニトリ寄附講座で、
 杉山清さんの講義をお聞きしました。
 今考えてみると、
 ニトリ成功の秘訣の原因となった、
 たくさんの方の講義を聴くことができました。
 私の人生にとって、
 北海学園大学経営学部のニトリ講座
 実に重要なものでした。
      ■         ■
 北海道新聞に掲載されている、
 杉山さんのお言葉、
 杉山さんは似鳥社長の第一印象を
 「(ホンダ創業者の)本田宗一郎(そういちろう)のようだった」
 と言っていました。
 気さくな性格
 壮大な経営目標を掲げる姿。
 経営者にそうした魅力があるからこそニトリHDは成長しているのでしょう。

 病院経営で実行できないこともありますが、
 似鳥昭雄社長の実行力はすごいです。

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医学講座

豊かさを追って_ニトリの挑戦②

 昨日からはじまった北海道新聞朝刊の連載、
 ニトリの挑戦です
 今朝は早起きをして読みました。
 日経にも書いてなかったことが、
 道新に書いてあります。
 いい記事です。
 若い人にもぜひ読んでいただきたいです
      ■         ■
 豊かさを追って ニトリの挑戦>2 
 商品開発力、苦境で培う 為替読み損失抑える
 食器、クッション、カーペット…。家具・インテリア製造販売日本最大手ニトリホールディングス(HD、札幌)が国内で展開する約370の店舗には、家具だけでなく、家庭で使うほとんどの商品が並ぶ。

 商品の箱やタグ(付け札)を見ると、「ニトリ」の社名に加え「MADE(メード) IN(イン) CHINA(チャイナ)」(中国製)と書かれたものが多い。同社が企画・開発し、中国の工場に生産を委託した商品だ。

 手ごろな値段で商品を売るにはどうすればよいか―。似鳥昭雄社長が1980年代に出した結論は「アジアでの調達」だった。当時、アジアには人件費が日本の100分の1ほどの地域が多かった。同じ製品をつくるなら日本国内より圧倒的に有利だったのだ。

 1985年。ニトリHDの針路を決定づける出来事が起きた。日米を含む先進5カ国が、過度なドル高の是正で一致した プラザ合意 だ。歴史的合意を受けた各国のドル安誘導政策により、同年前半に1ドル=250円台だった円相場は翌年に160円を突破するほど急激に円高が進んだ。

 円高で円の価値が他国のお金より高まると、輸入品は安くなる。これを生かさない手はない。似鳥社長は1986年、欧米向け家具の生産が盛んだった台湾へ乗り込む。まだ道内に12店があるだけで、現在4500億円規模の売上高が78億円ほどにすぎなかったころだ。電話帳を頼りにメーカーを探し、農村地帯にある家具工場を、家畜の強烈な臭いで目まいがするのをこらえながら一軒ずつ訪ね歩いた。

 何とか輸入にこぎつけ、店で売り始めたはよいが「壊れやすい」などの苦情が相次ぎ、返品の山ができた。座ったいすがバラバラに壊れ頭をぶつけた顧客もいた。「社の評判が落ちます」。輸入をやめるよう懇願する社員が大多数だったが、社長は諦めなかった。

 いすを調べると、台湾より湿度が低い道内では、木材から水分が抜けて脚が細くなり、部品が外れやすくなっていた。乾燥させた木材を使えば問題ないが、取引先の工場には乾燥機がない。コスト上昇は覚悟の上で、数カ月かけて天日干しするよう工場に頼んだ。

 不具合の原因を分析し、改善を図るうちに、後の多彩な商品開発につながる企画力が培われていった。生産委託先の企業は現在、中国やベトナム、 マレーシア などに約700社ある。

 イオンや衣料品量販のしまむらといった日本を代表する流通企業も、手ごろで売れ筋のプライベートブランド(PB=自主企画)商品をアジアで委託生産している。もはやアジア生産抜きに流通業は成り立たないと言っても過言ではない。

 企業にとって、生産の拡大は「不良品との闘い」でもある。ニトリHDも生産委託先が増えるにつれ、品質や安全性をどう管理するかが大きな課題となる。

 2007年には販売する中国製の土鍋から鉛が溶け出していたことが発覚、1万個以上を自主回収した。「抜本策が必要だ」と判断した同社は自動車大手ホンダから複数のOBを技術スタッフとして招き、品質管理体制を強化した。

 ドスン、ドスン、ドスン。専用の機械を使い、いすの上に90キロの重りを5万回落とす。ニトリHD東京本部にある技術開発室では、いすを含む多くの商品を対象に、こんな耐久試験が繰り返されている。名付けて「意地悪テスト」。合格しない商品は発売できない。

 現在は担当者が製造段階からアジアの工場へ行き、ホンダ仕込みのノウハウを教え込む。ホンダOBで「品質管理の神様」の異名を取った杉山清・ニトリHD特別技術顧問(73)は「家具にも溶接があり組み立てがある。基本は自動車と変わらない」と話す。

 品質管理を強化した結果、経営の質も高まった。ニトリHDの商品で苦情が発生する率は、かつて3%以上だったが現在は0.7%台まで改善。苦情による返品・回収が減ってコストダウンが一段と進んだのだ。

 「お、ねだん以上。ニトリ」。値段を超える品質を実現したいというキャッチフレーズの裏で、こうした努力が続いている。


 1985年のプラザ合意以降、円高が長く続いた。それを追い風に、家具インテリア製造販売日本最大手ニトリホールディングス(HD、札幌)は海外生産した家具を安く輸入して成長してきた。だが、為替変動は味方にも脅威にもなる。

 大きく円安に振れた今もニトリHDは利益を伸ばし続けている。それは為替予約に成功しているからだ。為替予約とは、円を貿易決済用のドルに両替する相場をあらかじめ金融機関と取り決めておく手法である。

 円相場は2011年に1ドル=75円32銭の戦後最高値まで円高が進んだが、2012年末の安倍政権発足に伴い流れが一変。現在は1ドル=120円台で推移する。この結果、海外で商品を調達する多くの企業が仕入れコスト増という苦境に陥った。

 衣料品店「ユニクロ」などを世界に約3千店展開し、年商1兆6800億円を誇る ファーストリテイリング でさえ2014、15年と2年連続で商品を値上げして急場をしのいでいる。為替予約はしていたが、円安は同社の想定を超えて進んだ。スーパーなどの加工食品が軒並み値上がりしているのも円安が大きな要因だ。

 ニトリHDも何もしなければ円安が1円進むごとに利益が15億円押し下げられる。ところがこの4年間、値上げは一切していない。その秘密が徹底したコスト削減に加え、的確な為替予約だ。同社は今期(2016年2月期)、1ドル=約102円ですべての為替取引を予約済み。実勢より1ドル当たり20円ほども有利な相場だ。この4年で免れた為替差損は計1千億円にも上る。

 輸入企業は軒並み為替予約をしているのに、なぜニトリHDが飛び抜けて成功しているのか。同社の為替予約は似鳥昭雄社長自身が決めている。「アナリストや金融機関も予想を間違うことがあるので、話は聞かない。先入観を捨て、欧米やアジアの経済情勢をみて判断する」と似鳥社長。経営者としての独自の嗅覚が成長を後押ししているというべきか。

相場利用、商品より安く みずほ証券の鈴木健吾チーフFXストラテジストの話

 輸出入を手がける企業は大なり小なり為替予約をしていますが、ニトリHDのように現状の相場と大きく離れた(自社に有利な)水準で100%予約している企業は珍しい。

 相場変動を利用して稼ぐのではなく、(ニトリHDのように)良い商品をより安く顧客に提供するのは、適切な経営戦略です。ニトリHDなど輸入企業にとって、コスト増になる円安が進んでいるうちは予約を固めることにメリットがあります。

 ただ、もし予約した後に相場がコスト減になる円高に転じると、コストを高く固定してしまう危険性もありますね。
(以上、北海道新聞より引用)

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ニトリの店頭に並ぶ座いす。箱には社名と「MADE IN CHINA」(中国製)の文字が見える=東京都北区のニトリ赤羽店

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(以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 私が以前から不思議に思っていたことです。
 安倍政権になってから、
 円安が進みました。
 海外にものを売る企業には朗報ですが、
 海外からものを仕入れて売る、
 ニトリさんは、
 どうやっているのだろう?
 …と考えていました。
      ■         ■
 医療関連メーカーも輸入する業者が多く、
 私が知っている多くの社長さんは、
 円安で困っています。
 今日の道新を読んでわかりました。
 ニトリHDも何もしなければ円安が1円進むごとに利益が15億円押し下げられる。
 ところがこの4年間、値上げは一切していない。
 その秘密が徹底したコスト削減に加え、的確な為替予約だ。
 同社は今期(2016年2月期)、 
 1ドル=約102円ですべての為替取引を予約済み。
 実勢より1ドル当たり20円ほども有利な相場だ。
 この4年で免れた為替差損は計1千億円にも上る。

      ■         ■
 わかりました、
 しかも、
 為替予約は似鳥昭雄社長自身が決めている。
 「アナリストや金融機関も予想を間違うことがあるので、話は聞かない。
 先入観を捨て、欧米やアジアの経済情勢をみて判断する」と似鳥社長。
 経営者としての独自の嗅覚が成長を後押ししているというべきか。

 ニトリの似鳥昭雄社長の鼻です。
 すごい嗅覚です。
 やっぱり札幌が生んだ世界のニトリです。

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医学講座

豊かさを追って_ニトリの挑戦①

 今日からはじまった北海道新聞朝刊の連載です。
 私が尊敬する、
 ニトリの似鳥昭雄社長が掲載されています。
 少し長いですが、新聞の一面と二面に掲載された、
 記事の全文を引用します。
 北海道が生んだ経営者です。
 ぜひ、若い人にも読んでいただきたいです。
 北海道新聞を購読してください。
      ■         ■
 豊かさを追って ニトリの挑戦>1 
 製造から販売まで 市場成長捉え業績拡大
 「これは当社にない商品です。ぜひ扱いましょう」「私に工場の開拓から担当させてください」
 2015年10月下旬、まだ蒸し暑い中国・広州。ここはアジア最大級の展示商談会「広州交易会」の会場だ。118万平方メートルの広大な会場に中国内外の2万4700社が集まる。雑貨やインテリアなど多くの見本品が並ぶ一角で日本語が飛び交う。声の主は、家具・インテリア製造販売日本最大手ニトリホールディングス(HD、札幌)の商品開発担当者たち。耳を傾けるのは似鳥昭雄(にとりあきお)社長(71)である。

 同社は毎年の春と秋、新商品のタネを見つけるため商品開発担当者を100人規模でこの交易会に送り込む。ただ、担当者が目を付けた商品があっても、そのまま仕入れはしない。形を工夫して使いやすくできないか。材質を変えてコストを下げられないか―。出展企業と交渉を繰り返し、似鳥社長に採用を提案する。

 「よし。いいじゃないですか」。社長のゴーサインが出ると開発担当者の顔がほころぶ。社員の提案を受ける間も、出展企業のブースで展示品の売れ行きを尋ねたり値段をチェックしたりと似鳥社長は忙しい。

 日本とアジアを中心に400店余りを展開し、毎年50店以上のペースで店を増やすニトリHD。いまや単なる家具・インテリア販売業者ではない。強さの秘密は商品の製造から運搬、販売まで1社で手がける、世界でも珍しい事業モデルにある。それを彼らは「製造物流小売り」と呼ぶ。

 本年度の売上高は4500億円に達する勢い。その商品のほとんどはアジア製だ。インドネシアとベトナムに自前の家具工場があるほか、「ホームファッション商品」と呼ぶ繊維製品や雑貨の多くは中国、 マレーシア 、 タイ などの工場に生産を委託している。

 ニトリの店舗で売ることを前提にした価格・デザインで必要な量だけ発注する。プライベートブランド(PB=自主企画)と呼ばれる商品の調達方法だ。

 ニトリHDが扱う商品の実に9割がPB。PBは品質・価格をコントロールしやすく、利幅も大きい。PBを多く持っていることが、同社の競争力の源泉である。冒頭の広州交易会は、こうした商品調達のきっかけをつかむ重要な場となっている。

 中国で生産された商品は、上海や恵州の巨大な物流センターに集められ、船で日本各地へ送られる。ニトリHDは物流センターの運営から船の手配まで、すべて自社で行っている。

 いずれも、できる限りコストを下げ、手頃な値段で売るための工夫だ。

 「世界の工場」と呼ばれるアジアは近年、市場としての魅力も高めている。訪日客による「爆買い」に象徴されるように、庶民の懐が豊かになったからだ。ニトリHDは台湾と中国本土に店を構えはじめており、アジアの成長と歩調を合わせて業績を伸ばそうとしている。それは、トヨタ自動車や「ユニクロ」を展開する ファーストリテイリング といった日本を代表する有力企業の多くがたどった道でもある。

 「29期連続の増収増益でいけると思います」。2015年9月に東京都内で開かれたニトリHDの中間決算発表会。報道陣らを前に説明する似鳥社長は誇らしげだった。

 増収増益とは売上高も利益も増えること。企業が成長している証しである。ニトリHDは本年度、売上高と本業のもうけを示す営業利益の両方が29年続けて前年度を上回る見込みだ。

 2008年に起きた金融危機の後には、日立製作所やパナソニックといった名だたる有力企業でさえ赤字に転落した。その中でニトリHDは、上場企業における連続増収増益の日本記録を塗り替え続けている。

事業モデル、米国に原点

 アジアを舞台に成長を続けるニトリホールディングス(HD)。その原点は米国にあった。

 日本とは比べものにならないほど洗練された家具・インテリア商品。しかも値段は日本の3分の1―。

 1972年に似鳥昭雄社長が米国の家具・インテリア店で見た光景が、その後のニトリHDの歩みを決めた。当時、同社は札幌に2店を構えるだけで、経営は火の車。最先端の流通手法を学ぼうと、借金までして渡米した似鳥社長に決意が芽生えた。「米国の豊かさを日本でも実現したい」

 米国で目に焼き付けた商品を、日本でも同じほどの値段で売りたい。それには、メーカーがつくり、問屋が卸し、物流会社が運ぶという日本の事業慣行を変えなければならない。ニトリHDの挑戦が始まった。

 日本の住環境を豊かにするという大志を抱いたはよいが、ノウハウも人材もない。手頃な値段で商品を売るには、店を増やして安く大量に仕入れる必要がある。だが、頼りになるのは勘と勢いだけ。1970年代には、海外で商品を低コスト生産できるほど経営規模が大きくもなかった。

 精いっぱいの「企業努力」は、夜中にこっそり国内メーカーを訪ねて回り、問屋を通さず家具を仕入れることだった。それもすぐ問屋に知られ、そのメーカーとは取引できなくなる。その繰り返し。「そうは問屋が卸さない」のことわざ通り、当時はメーカーや家具店に比べ問屋の力がずばぬけて強かったのだ。

 国内で取引できるメーカーはみるみる減り、切羽詰まった似鳥社長は目を海外へ向ける。安くて質の良い商品を求め、ニトリHDが1980年代にアジアへ飛び出していった背景にはこんな事情があった。
近代流通理論と共に
 ダイエー、 イトーヨーカ堂 、ジャスコ(現イオン)。日本流通史を彩るこれらの企業には、ニトリホールディングス(HD)と共通点がある。2010年に83歳で亡くなった経営コンサルタントの渥美俊一(あつみしゅんいち)氏を師と仰いだ点だ。渥美氏は1962年にチェーンストア研究団体「ペガサスクラブ」を設立し、流通業の近代化に尽力した人物として知られる。

 チェーンストア(チェーン店)とは同じ看板、同じ外観、同じサービス内容で多くの店舗を管理・運営する経営のあり方をいう。

 店を増やして有利な条件で仕入れを行う。集中出店して配送コストを下げる。消費者が買いたくなるようなプライベートブランド(PB=自主企画)商品を委託生産する―。いまやチェーン店展開の常識となった理論を、渥美氏は高度経済成長期の若き流通経営者にたたき込んでいった。

 ニトリHDが同クラブに加入したのはまだ札幌の家具店だった1978年のこと。だが、すぐ経営が軌道に乗ったわけではない。

 渥美氏が初めて札幌にニトリ店舗を訪ねたのは1980年。視察した渥美氏は、商品の質や陳列の仕方から始まり、社員教育や売り場の床色の果てまで否定し、「教える価値がない」と烈火のごとく怒ったという。おそれをなした似鳥社長は同クラブから約2年も足が遠のいたほどだった。

 ただ、その間にほかの経営手法をいくら勉強しても、効率的な出店や運営コスト削減は実現できない。「やはり渥美先生しかない」と気付いた時からニトリHDの成長が始まった。

 「運が良かった」。似鳥社長は自身の半生をそう振り返ることが多い。だが、その成功の裏には、日本の流通を変えたペガサスクラブという理論的な支柱があった。

高いPB比率、見習いたい 調剤薬局国内最大手アインホールディングス(札幌)の大谷喜一社長の話

 似鳥昭雄さんは私が目標としている経営者です。ニトリHDが売っているのは、9割が利幅の大きいPB商品。当社が展開するドラッグストア「アインズ&トルペ」では、化粧品や薬のPB商品がまだ数パーセントしかありません。似鳥さんを見習って、PB比率を50%に引き上げたいと思っています。

 似鳥さんの持ち味は、ペガサスクラブの経営理論を社内で徹底し、実行に移す強力なリーダーシップを持っていること。これほどの経営者は、もう北海道から出ないでしょう。

 40年前は札幌の小さな家具店にすぎなかったニトリHDは、アジア展開に大成功した道内企業の一つだ。「日本に豊かな生活を」と商売を志した似鳥社長はどうやって独自の手法を編み出し、ニトリHDを国内屈指の有力企業に育てたのか。「つながるアジア」第3部ではその秘密に迫る。
(東京報道センターの幸坂浩が担当し、5回連載します)
(以上、北海道新聞より引用)
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広州交易会で食器の品定めをする似鳥社長(中央)。商品開発担当者に次々と指示を出していく=10月25日(幸坂浩撮影)

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(以上、北海道新聞より引用)

      ■         ■
 私は北海学園大学経営学部のニトリ寄附講座
 直接、似鳥昭雄社長から講義をお聞きしました。
 私の経営に対する原点です。
 似鳥社長は、
 いつも笑顔
 社員にも、
 奥様にも
 ありがとう
 なかなか真似はできません。
 おねだん以上は、
 札幌美容形成外科も真似しています
 私の好きな言葉です

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昔の記憶

12月という月2015

 私が眼瞼下垂症手術を受けたのは、
 2010年12月1日です
 12月上旬は、
 一年で一番ひまだからです。
 12月下旬の約一週間は、
 逆に一年で一番忙しい時期です。
 この差が激しいです。
      ■         ■
 うちの奥さんは、
 美容外科は水商売だと言います。
 私もそう思います。
 繁忙期と閑散期の差が、
 これほどある診療科目も珍しいと思います。
 ふつうの人がお休みの時期が混みます。
 お腹が痛くてかかる病院と違うところです。
      ■         ■
 うちの奥さんが結婚前にしていた仕事は、
 水商売ではありませんが、
 やはり繁忙期と閑散期がある仕事でした。
 シフト勤務で、
 年中無休の業種です。
 やはり12月上旬はひまだったようです。
 北海道にスキーに来たことがありました。
 ニセコに来たそうです。
      ■         ■
 12月上旬にニセコにスキーに来たものの、、、
 大阪空港を出る時点ではスキー場に雪がなく、
 北海道まで来ても、
 スキーができないかも?と思っていたそうです。
 北海道に着いた夜に大雪が降り、
 ニセコのスキー場は、
 一夜にして銀世界。
 翌朝は晴れて、
 新雪のパウダースノーだったと、
 35年たってもよろこんで言ってました。
      ■         ■
 私も昔はスキーに行きましたが、
 もう年なので行ってません。
 家内も同じです。
 下の写真は35年以上前です。
 この頃は夫婦喧嘩もせず
 仲良くスキーに行っていたのになぁ~とため息です。
 確か37年前のニセコアンヌプリです。 
ski-niseko

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二重・眼瞼下垂

お母さんの眼瞼下垂症手術

 まだまだ偏見が強い美容整形
 でも、
 誰だって、
 美しくなりたいという希望はあります。
 私から言うと、
 いくつになっても、
 美しくいたいという方がいいです。
      ■         ■
 眼瞼下垂症手術をすると、
 目の開きが良くなります。
 若く見えます
 若い人は、
 毎日糊をつけていた生活とさよならして、
 快適な生活になります。
 私はいいことだと思います。
      ■         ■
 チェーン店の美容外科で
 3回も埋没法を受けたのに
 治らなかった眠そうな目が、
 眼瞼下垂症手術で治ることがあります。
 見た目もよくなります。
 ど派手な二重はつくりませんが、
 自然な目になります
      ■         ■
 若い人の眼瞼下垂症手術は、
 切開する長さも短く、
 手術時間もせいぜい2時間です。
 腫れは一週間でかなり落ち着きます。
 娘さんが眼瞼下垂症手術をうけて、
 かわいい目になったので、
 それじゃ私も受けようかしら?
 …とお母さんがいらしてくださることもあります。
      ■         ■
 残念ですが、
 娘さんが一週間でよくなっても、
 お母さんは一週間では無理です
 切る長さがちがいます。
 目尻側の余分な皮膚も切除すると、
 腫れが長く続きます。
 目が変わると困るというお母さんもいます。
 手術をすると目が変わります。
      ■         ■
 眼瞼下垂症手術は、
 命にかかわることはありません。
 十分に時間的な余裕がある時に、
 しっかり計画を立てて受けてください。
 手術から一週間は、
 家事も、
 買物も、
 雪かきもできません。
 年中無休のお母さんの手術は、
 意外と難しいのです。
 成功の秘訣は手術後にじっとしていることです
 そうすると傷がきれいに治ります

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医療問題

30万円のアートメークは無理

 アートメークに国家資格を2015
 2015年11月28日の院長日記です。
 医師不足の国にっぽんで、
 アートメイクを医師に限定するのは不合理です
 昨日の北海道新聞夕刊には、
 札幌市内で合法的に医師が施術するアートメイクが、
 30万円と記載されていました。
      ■         ■
 アートメイクは時間がかかります。
 二重まぶた埋没法より、
 ずっと時間も手間もかかります。
 医師が施術すると、
 30万円も仕方がないと思います。
 暴利ではなく、
 適切な価格だと私は思います。
      ■         ■
 眉毛に刺青をしてもらうのに、
 30万円も払える人が、
 北海道に何人いらっしゃるのでしょうか?
 せめて、
 医師の監督下に、
 看護師が施術すると、
 もっと安くできると思います。
      ■         ■
 同じように針を刺す医療行為は、
 医師の監督下に看護師には認められています。
 植毛を専門とするクリニックでは、
 複数の看護師が毛を植えています。
 そうしないと、
 何千本も植えられません。
 厚生労働省も、
 医師の監督下に
 アートメイクを看護師が施術するのを、
 通達で認めていただきたいです
      ■         ■
 適切にアートメークを行うことは、
 私は悪いことではないと思います。
 時間とともに薄くなる色素を使うことです。
 眉の位置が変わることもあります。
 アートメークを取り締まることばかり考えずに、
 国民の利益になる政策を実行すべきです。
 アートメイクの国家資格を実現すべきです

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院長の休日

87歳アマゾンで炊飯器のつづき

 87歳アマゾンで炊飯器を買う
 2015年11月29日の院長日記です。
 87歳の私の母親が、
 アマゾンで炊飯器を買いました。
 すごいばあさんだと感心しました。
 ちょっと気になったので、
 昨日の休診日に電話をしてみました。
      ■         ■
 私:アマゾンの来た?
 母親:あぁ、釜…、まだ来てない。
 私:時間かかるね。
 母親:品切れで連絡が来て、一つ上のランクにした。
 私:はぁ。
 母親:アマゾンプライムにしなかったから時間がかかる。
 私:アマゾンプライム知ってるの?
      ■         ■
 87歳のばあさんが、
 アマゾンプライムをご存知とは、
 私も驚きました。
 私もアマゾンプライムにはしていません。
 ふつうのアマゾンです。
 それにしても、
 欠品の連絡がメールで来て、
 それから選んで注文したんだから、
 あっぱれのばあさんです。
      ■         ■
 そういえば、
 80歳を超えた私の叔母とも
 メールでやり取りをしているし、
 写真をメールで送ったりもしています。
 18歳の私の姪とは、
 LINEで連絡をして、
 たまに自宅でごはんをごちそうしているようです。
 姪が札幌に来てから、
 ばあさんはかなり元気になりました。
      ■         ■
 87歳のばあさんは、
 老人専用の施設に入ろうとか、
 ○○さんが入ったところ、
 経営者が変わってごはんの質が落ちたって、
 そんなことばかり言ってました。
 大学生の孫のおかげで、
 87歳のばあさんが元気になりました。
 私も姪に感謝しています。
 ばあさんの家で好きなものを食べさせてもらって、
 ばあさんを元気にしてください。

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医療問題

医療事故の相談窓口2015

 昨日の院長日記、
 美容医療事故が公表されない特殊理由に、
 うちのかあちゃん、
 美容整形で死んだ

 って知られたくないから
 …と書きました。
 うちの娘、
 美容整形で失明した
も、
 他人に知られたくないです。
 未婚だったらなおさらです。
      ■         ■
 もう一つ、
 どこに相談したらよいのかわからないのです
 私はごくふつうの教育を受けた日本国民です。
 自分が弁護士さんのお世話になるまで、
 難しい司法試験を通って弁護士になった先生
 みんないい先生だと信じていました。
 自分が依頼してみて、
 はじめて信じてはいけない弁護士がいると気付きました
      ■         ■
 弁護士さんの選び方
 2010年2月25日の院長日記です。
 ここに患者さんのコメントが載っています。
 私が弁護士に依頼しても
 弁護士費用で、結局私には何も残らない
 弁護士相談で言われたりと、
 どうしたものかと、
 やられ損」とはこのことなんだと、
 思いは巡り・・・
 あちこち、当たってはいますが、
 頼むにしてもどの弁護士さんが
 勝てる人なのかの情報もなく、
 困っています。
      ■         ■
 私のおすすめは、
 医療事故情報センターです
 何度も院長日記で取り上げています。
 心電図自動解析に注意
 美容外科での死亡事故2014
 品川美容外科の「糸によるフェイスリフト術」問題
 正中頚嚢胞と異所性甲状腺
 医療事故情報センター
 〒461-0001
 名古屋市東区泉1丁目1-35ハイエスト久屋6階
 電話:052-951-1731
 FAX:052-951-1732

      ■         ■
 ここのHPに
 各地相談窓口が載っています。
 TVで宣伝はしていませんが、
 ここの弁護士さんは信頼できると思います。
 札幌でしたら、
 高橋智先生です。
 うちのかあちゃん、
 美容整形で死んだ

 うちの娘、
 美容整形で失明した

 一番苦しいのは本人ですが、ご両親の苦悩もわかります。
 いい弁護士さんに相談なさってください
 TVで宣伝しているところはおすすめしません

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