昔の記憶
人生で一番勉強した時期
今日は2016年9月23日です。
札幌は半袖だと寒くて無理です。
長袖でも寒くなりました。
今日は長袖の上から上着を着てきました。
今日の予想最高気温は18℃です。
10月に入ると、
そろそろ暖房の準備です。
一年はあっという間です。
■ ■
札幌美容形成外科には、
たくさんの方から相談メールをいただきます。
私が一番応援したくなるのは、
受験生です。
現役ではなく浪人生です。
私が人生で一番勉強したのは、
ごめんなさい、
札幌医大ではありません。
札幌予備学院(今の河合塾札幌校)です。
■ ■
札幌西高校を卒業した年に受けたのは、
旧一期校→札幌医大→不合格
旧二期校→弘前大学医学部→不合格
開学が遅れた→旭川医大→不合格
受験した医学部はすべて落ちました。
浪人して予備校に通って、
毎日勉強だけしていました。
■ ■
毎年秋になると、
予備校時代に矢野雋輔先生が言われた、
受験生は人生で一番ロマンチックな時期
という言葉を想い出します。
私が札幌医大に合格できたのは、
矢野先生のおかげです。
形成外科医になれたのは、
恩師の大浦武彦先生のおかげです。
ご恩は一生忘れません。
■ ■
必死で勉強していて、
彼女もいない不遇な青春時代でした。
こんなに辛いのに、
どうしてロマンチックなのだろう…?
と不思議に思っていました。
どんなに勉強しても、
成績はそれほどUPしないし。
来年、合格できるという保証もない。
自分の周囲を見回すと…
偏差値75で落ちた人がいる。
■ ■
勉強をして、
自分の実力を知れば知るほど…
不安になっていたものでした。
自分の実力がわからない時は、
偏差値60ちょっとでも合格した人もいるから、
自分もひょっとしたら…?
合格できるかも…?
なんて考えたこともありました。
■ ■
62歳という年齢になり、
自分が生きてきた年月より、
残された年月が少なくなりました。
矢野先生も…
もうこの世にいらっしゃいません。
この年齢になって想うことは、
やはり…
矢野先生のお言葉は正解で、
自分が努力して目標に向かっている時が、
人生で一番ロマンチックな時期だということです。
■ ■
受験生から相談メールをいただくと、
私は自分が受験生だった頃を思い出します。
若者には無限の可能性があるという言葉も好きです。
新成人へ贈る言葉2013-②
という2013年1月14日の院長日記や、
数学と医学
という2007年12月25日の院長日記に書いてあります。
■ ■
私は、
決して頭の良い子どもではありませんでした。
学校で一番になったことはありません。
地域で一番優秀な高校でもありませんでした。
クラスでもトップになったことはありません、
どちらかというと…
青白い顔をした
神経質そうな少年でした。
■ ■
私の好きな言葉が無限の可能性です。
若者には…
無限の可能性がある。
決して…
あきらめてはいけない。
昔、旺文社の大学受験ラジオ講座で、
勝浦捨造先生が、
くりかえし述べられたお言葉です。
■ ■
勝浦先生の担当は数Ⅰ(すういち)。
数学の基礎です。
先生の関西なまりのあるお言葉、
今でも覚えています。
一度や二度の失敗で、
くよくよするんでない!
と北海道弁で言います。
■ ■
受験は自分との闘いです。
人生も自分との闘いがよくあります。
センター試験前の時期は…
誰でも弱気になります。
『もうだめだ…』
『また、来年もかぁ…』
…と考える時期です。
私自身がそうでした。
■ ■
私は、毎年、必ず矢野先生のことを想い出します。
矢野雋輔(やのしゅんすけ)先生は、
藤女子大学の教授でした。
私が通った、
桑園予備校(現在はありません)
札幌予備学院(現、河合塾札幌校)で、
生物の講義を担当してくださいました。
苦手だった…
生物の分類を
『お経(きょう)のように覚える』記憶法
…を教えてくださいました。
■ ■
単調になりがちな…
生物の講義を、
楽しく、興味深く教えてくださいました。
矢野先生がいらっしゃらなかったら…
私は医学部へ合格できなかったと思います。
もちろん医師にはなれませんでした。
■ ■
高校~予備校の
受験生の頃…
見たいTVもがまんして…
彼女がいた友人を…
横目で羨ましく思いながら…
毎日、必死で勉強していました。
■ ■
あぁ~~!
今日もまた寝ちゃった!
ここまでやろうと思ったのに…
あぁ~~!
また同じ問題を間違った!
これで3回目だ。
あぁ~~!
また同じ単語の意味を忘れた!
前回、辞書を引いたのは、
つい一週間前だ。
(私は辞書の単語に日付をつけて、
何回、同じ単語を引いたか記録していました)
■ ■
こうして苦労して勉強していました。
合格発表の日まで、
自分が合格する自信はありませんでした。
私の生き方は…
この受験生時代に築かれたようにも思います。
後輩の先生が、
私のことを…
ストイックだと言ったことがありました。
良い意味なのか…?
悪い意味なのか…?
わかりません。
■ ■
決して諦めるな!
若者には無限の可能性がある!
この言葉を…
私と同じように…
努力している若者に贈ります。
がんばれ!
いつかきっといいことがあるょ。
来年は合格できるょ。
二重・眼瞼下垂
眉の上を剃っているのは眼瞼下垂?
眼瞼下垂症がんけんかすいしょうは難しい病名です。
中学校や高校の保健体育では習いません。
医学部でも少ししか教えません。
看護学部や看護学校でもあまり教えません。
もちろん、
医師国家試験や看護師国家試験にもめったに出ません。
医療関係者でも知らない人がたくさんいます。
養護教員の先生でも知らない方がいます。
■ ■
日本形成外科学会や、
日本美容外科学会では、
たくさんの発表があります。
形成外科や、
美容外科では、
たくさんの手術をしています。
保険適応になるのを知らない人がいます。
■ ■
生命保険の手術給付金をもらえることも、
知らない人がいます。
生命保険会社の診査医でも、
眼瞼下垂症を見落とす先生がいると思います。
同じ手術でも、
形成外科と眼科では手術のやり方が違うことがあります。
簡単な手術ではありません。
なんちゃっての先生にはできないこともあります。
■ ■
眼瞼下垂症の人は、
黒目が隠れてしまいます。
まぶたを開く力が弱いからです。
典型的な方は、
下の漫画のような目になります。
まぶたを開こうとして、
眉を無意識に上げます。
そうしないと見えないからです。
■ ■
眉の上を剃っている
眉の上の毛を抜いている
そんな方は、
眼瞼下垂症の可能性があります。
片方だけ開く力が弱いと、
片方だけ眉が上がります。
左右をそろえるために、
片方だけ眉を剃って、
両方の眉をそろえる人もいます。
■ ■
私たち形成外科医は、
よく患者さんの顔を見ます。
手術中にも確認します。
眉の上を剃っている方を見ると、
眼瞼下垂症の疑いでみます。
眉の形は、
まぶたを開く力で変わります。
目を開く力が強いと、
眉毛とまつ毛の間がせまくなります。


手術前

手術直後

一週間後

三週間後

医学講座
最近の迷惑メール2016
最近の迷惑メールは巧妙です。
次のようなメールが来ます。
From: imamura@jasmine.ocn.ne.jp
Sent: Tuesday, September 20, 2016 4:19 AM
To: >
Subject: 注文書
社内出荷でお願いします。
住所は、先日会社宛にメールもらってるのでそちらに記載されていると思います。
が来ましたので添付します。
iPhoneから送信
■ ■
あて先が空欄になっています。
一見、まともなアドレスから来たように見えます。
imamura@jasmine.ocn.ne.jp
社内出荷なんて、
札幌美容形成外科にはありません。
添付ファイルがついています。
絶対に開けません。
注意が必要です。
ヤマト運輸からのお知らせを装ったメールも来ました。
■ ■
札幌美容形成外科へのメールは、
相談は相談フォームから、
予約は予約フォームからお願いします。
自動返信メールが届きます。
返信できないメルアドもあります。
お手数でも、
毎回、必ずHPのフォームから送信してください。
札幌美容形成外科ではセキュリティを強化しているので、
直接送られると届かないことがあります。
■ ■
実は、
札幌美容形成外科では個人情報を保護するため「SSL」に対応しています。
SSL通信では、
入力された
お名前
ご住所
電話番号
相談内容
などの個人情報は自動的に暗号化されて送受信されます。
ですからもしも、送信データが第三者に傍受された場合でも、
入力された内容が盗み見られる心配はありません。
■ ■
このSSLというのが、
とてもお金がかかります。
守っていただいているので、
仕方がないことだと思っています。
相談フォームや、
予約フォームの、
https://s-bi.com/
このsが一つ入っただけで年間10万円以上の維持費がかかります。
安全に対する費用はお金がかかります。
医学講座
若い先生にはできない手術
昨日の院長日記、
敬老の日2016に書きました。
私は62歳になりました。
65歳から前期高齢者なので、
あと3年で敬老の日を祝ってもらう番です。
ありがたいことに、
62歳になっても仕事をしています。
開業医には定年がありません。
なんちゃって先生にはできない手術をしています。
■ ■
私は80歳で手術までは考えていませんが、
まだまだ元気です。
たばこは吸わないし、
酒はも飲みません。
血圧も低いくらいです。
メタボでもありません。
最近は、
他の先生が手術をした後の目の手術とか、
他の美容外科ではできないと言われた目の手術をしています。
■ ■
一番の喜びは、
患者さんに喜んでいただくことです。
これが私の生きがいになっています。
開業医に定年はありませんが、
なかなか大変な職業です。
私が美容外科を教わった、
札幌中央形成外科の武藤靖夫先生は、
(10年後の責任は持てないから)豊胸手術はしません
…と私がお世話になっていた頃は、
豊胸手術はなさいませんでした。
■ ■
武藤靖夫先生といえば、
美容外科の教科書まで執筆した先生です。
図説整容外科学は、
アジアの美容整形の名著と言われています。
もちろん数多くの豊胸手術を執刀されました。
私が札幌医大に赴任してからは、
昔、武藤靖夫先生が豊胸手術をした患者さんを、
何人かご紹介していただきました。
■ ■
乳腺外科の先生とMRIなどで検査しながら、
豊胸手術に使ったシリコンを摘出したこともありました。
その時にお世話になったのが、
札幌乳腺外科クリニックの岡崎亮先生です。
患者さんは素敵なご婦人でした。
バッグを摘出しても、
それほど大きな変化はありませんでした。
乳癌が見つかった患者さんもいらっしゃいませんでした。
■ ■
若い先生が開業する時は、
ほぼ例外なく借金をします。
この借金が重荷になります。
医療機器のリースも借金と同じです。
過大な設備投資は倒産につながります。
先生、
看護師さんにレーザーぱしぱししてもらうだけです。
○○先生は2台目を買いましたょ。
こんなレーザー屋さんの言葉にだまされる先生もいます。
■ ■
やったことのない手術をして、
とんでもない結果になることもあります。
教科書に書いてある通りにしても、
手術はうまくできません。
初期研修を終わって4ヵ月目で、
いきなり二重埋没法をしても、
きれいな結果にはなりません。
若くてイケメンの先生だから
…というだけでモニター患者になると、
とんでもない結果になることがあります。
■ ■
私の仕事は、
そんな困っている患者さんの手術をすることです。
二重まぶたの手術をしたいと思って、
ネットで検索していたら、
眼瞼下垂症という見たこともない病気を見つけて、
遠くから相談メールをいただくこともあります。
62歳ですが、
まだまだがんばっています。
得意技は丁寧な手術です。
院長の休日
敬老の日2016
今日は敬老の日です。
はじめて院長日記に敬老の日を書いたのが、
2008年9月15日でした。
今日は敬老の日です。
私の父、本間寛(ほんまゆたか)82歳。
私の母、本間瑞子(ほんまみずこ)80歳、
家内の母、片寄登喜子(かたよせときこ)74歳。
この3人が私の近くの高齢者です。
■ ■
あたりまえのことですが、
8年前は若いです。
私の父、本間寛(ほんまゆたか)82歳です。
2016年3月29日に満90歳で亡くなりました。
幸せな最期でした。
昔、自分が働いていた、
旧手稲療養所で亡くなりました。
優しい先生と看護師さん、
介護職員さんにお世話になりました。
■ ■
8年前は54歳だった私は、
62歳になりました。
65歳から前期高齢者なので、
あと3年で敬老の日を祝ってもらう番です。
ありがたいことに、
62歳になっても仕事をしています。
開業医には定年がありません。
若いなんちゃって先生にはできない手術をしています。
■ ■
形成外科の先輩を見ると、
70代で手術をしている先生もたくさんいます。
私がJA帯広厚生病院を退職して、
医療法人社団札幌中央形成外科の、
武藤靖夫先生の副院長にしていただいたのが、
平成10年4月でした。
1998年4月です。
当時1926年5月生まれの武藤靖夫先生は72歳でした。
■ ■
72歳の武藤靖夫先生から、
フェイスリフトの手術を教えていただきました。
目の手術は、
神業のように、
あっという間に二重ができて、
形成外科しか知らなかった私は、
毎日驚きの連続でした。
武藤靖夫先生は2009年1月16日にお亡くなりになりました。
満82歳でした。
■ ■
私の恩師、大浦武彦先生は、
満85歳で学会発表を精力的になさっています。
80歳を超えて手術をしている先生もいます。
私は80歳で手術までは考えていませんが、
まだまだ元気です。
たばこは吸わないし、
酒はも飲みません。
血圧も低いくらいです。
メタボでもありません。
■ ■
米国大統領候補の、
民主党ヒラリー・クリントン前国務長官は68歳です。
対する
共和党ドナルド・トランプ氏は70歳です。
自民党の安倍晋三首相は、
1954年9月21日生で、
明後日には私と同じ62歳です。
裁判原告の大同生命には申し訳ありませんが、
私はまだまだ元気で働きます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
医学講座
豊胸手術で感じない胸
昨日の院長日記、
第25回日本形成外科基礎学術集会(大阪)③に、
なっちゅんさんからコメントをいただきました。
眼瞼下垂の手術で上睫毛の感覚が
無くなることがあるのですね。
驚きました。
■ ■
手術後に感覚がにぶくなることはあります。
多くは一時的なものですが、
感覚が戻らないこともあります。
なんちゃって美容外科医がやる、
一番大きな失敗は、
豊胸術後の知覚障害です。
胸に触っても感じなくなります。
■ ■
豊胸術の多くは、
腋窩えきかから豊胸用のバッグを入れます。
小さな胸に、
大きなバッグを入れようとして、
無理にポケットを作ると、
乳首の感覚がなくなります。
乳首に行く神経を、
手術操作で損傷するからです。
■ ■
せっかく立派なおっぱいができたのに、
感覚のない胸はお気の毒です。
残念ですが、
手術から一年以上経過しても、
乳首の感覚がない場合は、
もう感覚は戻らないと思います。
もしそんな患者さんがいらしたら、
弁護士さんに相談することをおすすめします。
北海道でしたら、
札幌の高橋智法律事務所です。
■ ■
全国の他の地域でしたら、
私のおすすめは、
医療事故情報センターです。
〒461-0001
名古屋市東区泉1丁目1-35ハイエスト久屋6階
電話:052-951-1731
FAX:052-951-1732
優秀な形成外科医が、
乳癌の術後に再建手術をしても、
豊胸した胸が冷たく感じることがあります。
■ ■
美容目的で胸を大きくしたのに、
乳首や胸全体の感覚が無くなるのは、
神経を損傷してしまったからです。
美容外科医の中にはとんでもない人がいます。
豊胸手術で亡くなった患者さんもいます。
先生を選ばないと、
ほんとうに命にかかわります。
もし被害にあわれたら、
いい弁護士さんに相談してください。
TVで宣伝しているところはおすすめしません。
医学講座
第25回日本形成外科基礎学術集会(大阪)③
昨夜、大阪から札幌に戻りました。
充実した2日間でした。
日本形成外科基礎学術集会には、
過去に数回出席しています。
基礎学術集会なので、
私が聞いてもちんぷんかんぷんで、
さっぱりわからない内容の演題もあります。
はっきり言って、
分子生物学は苦手です。
■ ■
今回の第25回日本形成外科基礎学術集会(大阪)は、
今までの基礎学術集会と比べて、
参加者が圧倒的に多かったように感じます。
主催者側の発表では、
初日に1400人を超え、
私の推測では、
2日間で1500人を超えていると思います。
美容外科の先生のお顔も見ました。
■ ■
理由は新しい専門医制度です。
講習を受けて、
受講証をいただかないと、
新専門医制度では専門医の更新ができません。
ですから、
全国から多数の形成外科専門医が出席しています。
講習会の時は、
3会場に同時中継をしていました。
一度に1000人以上が聴講できます。
時代は変わりました。
■ ■
今回の第25回日本形成外科基礎学術集会で、
私が一番聞きたかった発表です。
残念なことに、
一番最後の方で発表があったため、
広い会場にいたのは、
わずか数十人でした。
貴重な発表なのに残念でした。
抄録集に載っていた抄録を引用します。
■ ■
O-36
上眼瞼における感覚神経の走行形態に関する解剖学的分析
1)東京医科歯科大学大学院 形成・再建外科学分野、
2)国立がん研究センター東病院 形成外科、
3)東京医科歯科大学 統合教育機構、
4)東京医科歯科大学大学院 臨床解剖学分野
東野琢也ひがしのたくや1,2)岡崎睦1)、森 弘樹1)、山口久美子3)秋田恵一4)
【目的】上眼瞼の感覚神経の分布は眼窩上神経からの分枝が主とするいくつかの記述がみられるが、その詳細は明らかでない。上眼瞼の局所麻酔手術の際に上眼瞼の感覚神経の分布を知っていることは重要であるため、今回、その分布様式について分析したので報告する。
【方法】東京医科歯科大学の解剖実習体の上眼瞼16側[男性5側(右4側、左1側)、女性11側(右7側、左4側)、平均年齢88.7歳]について、眼窩上神経、滑車上神経、滑車下神経、涙腺神経を顕微鏡下に解剖し、眼瞼の神経分布について検討した。
【結果】眼窩縁から眼輪筋下に出た眼窩上神経、滑車上神経、滑車下神経は細い分枝に分かれて眼輪筋下を瞼板の方向へ走行し、所々で眼輪筋を貫いて眼輪筋上へ向かう枝を出しながら瞼板に到達していた。眼輪筋上へ出た細枝は眼輪筋上を尾側に向かって走行しながら皮膚にむかうと考えられた。上眼瞼に分布する神経の枝の数は、滑車下神経由来が1.6±1.2本、滑車上神経由来が3.2±1.5本、眼窩上神経由来が2.6±1.4本、涙腺神経由来が1.8±0.9本だった。また、眼窩上神経由来で瞼板の方向に向かわず外側方向に走行する外側枝が1.3±0.4本みられた。神経分布を検討したところ、滑車下神経は上眼瞼内側に、滑車上神経は上眼瞼内側から中央部に、眼窩上神経は眉毛外尾側を含む上眼瞼外側に、涙腺神経の皮枝は外眼角部頭側に分布していた。
【考察】上眼瞼の感覚神経は主に眼輪筋下を走行しながら瞼板に到達し、その途中で皮膚へ向かう枝を分枝していた。眼窩上神経由来の分枝より滑車上神経由来の分枝の数が多い傾向にあり、上眼瞼に広く分布していた。上眼瞼の局所麻酔では、麻酔薬を注入する深さや位置によって麻酔の効き方をコントロールできる可能性が示唆された。
(第25回日本形成外科基礎学術集会抄録集より引用)
■ ■
私は解剖学教室で研究をしたのでわかります。
発表者の東野琢也先生は、
診療が終わってから、
夜にだれもいない解剖学実習室に行かれて、
ご遺体を顕微鏡で丹念に観察したのです。
発表で示された写真は、
きれいに神経を剖出ぼうしゅつされていました。
きっと手術も丁寧な先生です。
■ ■
眼瞼下垂症手術をする時に、
必ず目頭側に知覚神経があります。
この神経を損傷すると、
眼瞼下垂症手術の術後に、
上睫毛内側の感覚がにぶくなくなります。
数ヵ月で戻りますが、
『先生、マスカラを塗っても感覚がない』
…と言われることがあります。
■ ■
東野琢也先生のご研究で、
この神経が滑車上神経の枝だとわかりました。
私はこの神経を丁寧に残しますが、
切ってしまう先生もいます。
東野先生も残すそうです。
まぶたの解剖一つにしても、
まだまだ研究されていない分野がたくさんあります。
私は分子生物学を否定するわけではありませんが、
手術が上手になるためには、
地味な解剖学の研究が役立ちます。
これからも研究を継続していただきたいです。
すばらしいご発表をありがとうございました。
医学講座
第25回日本形成外科基礎学術集会(大阪)②
大阪の人はすごいです。
大きなビルの地下2階に、
学会専用のスペースを、
学会運営専門の会社が作りました。
大きな学会は無理ですが、
日本形成外科基礎学術集会程度の学会には、
ちょうどいい広さと規模の学会場です。
充実した一日でした。
■ ■
私が初日の学会で感動した発表です。
恩師、大浦武彦先生が、
ランチョンセミナーで30分の講演をなさいました。
私が記憶している限り、
失礼ながら、
日本形成外科学会で最高齢、
30分のご発表です。
昔と変わらぬすごさでした。
■ ■
ランチョンセミナー1
9月15日(木)【第1日】11:50~12:50 第1会場
下肢血流の評価
座長:川上 重彦(金沢医科大学 形成外科)
1)レーザースペックルのメカニズム
2)レーザースベックルは血流を反映するか?
日本下肢救済・足病学会 大浦武彦
北大形成外科の時代に研究開発した機器を、
最新版に改良して活用されています。
25年も前に素晴らしい発想があったのか?と、
改めて驚きました。
■ ■
もう一つ、最高に感動したご発表です。
会場が誰一人として居眠りもせず、
終わると大きな拍手が会場からありました。
教育講演1
9月15日(木)【第1日】13:00~14:00 第1会場
座長:細川 亙(大阪大学医学部 形成外科)
形成外科医のキャリア形成:
女性形成外科指導医のフロンティア
藤田保健衛生大学吉村陽子
■ ■
吉村陽子先生は、
慶応大学医学部5年生の時に、
同級生と学生結婚。
♡大恋愛♡だったそうです。
ご主人は産婦人科医に、
奥様は形成外科医に、
ご夫婦そろって教授職です。
奥様は名古屋の藤田学園、
ご主人は慶応大学医学部、
医師としてこれ以上の出世はない最高位です。
■ ■
お嬢様が一人いらして、
当時は育児休業制度もなかったため、
産後8週の産休明けから、
フルタイムで働かれました。
ご自身のお母様や、
ご主人のお母様、
たくさんの人に助けていただき、
お嬢様を育てられました。
すごいことです。
■ ■
吉村先生のご発表で、
働く女性が子供を産めないと、
日本は少子化で滅びることがわかりました。
働きながら子育てをするのが、
いかに大変なのかわかりました。
保育士さんに助けていただいたことや、
ご主人の協力がいかに大切かわかりました。
吉村先生の講演は、
形成外科指導医の認定に必要な講習です。
イクメンも大切ですが、
イクボス育児に協力的なボスが必要だと教えていただきました。
実に内容が充実したとてもいい教育講演でした。
医学講座
第25回日本形成外科基礎学術集会(大阪)①
第25回日本形成外科基礎学術集会に参加するために、
昨夜、神戸空港経由で大阪に来ました。
私が尊敬する、
関西医大形成外科の楠本健司教授が学会長です。
楠本教授は私と同年代です。
PRP研究会や、
日本眼瞼義眼床手術学会などの運営を積極的になさっています。
■ ■
学会は、
大阪駅近くにできた、
グランフロント大阪という巨大な施設の、
地下2階にある、
ナレッジキャピタル コングレコンベンションセンター
…という施設で開催されます。
昔、うちの奥さんと結婚する前に、
はじめて大阪に来たのが40年前です。
大阪は大きく変わりました。
■ ■
大阪駅に着いて、
あたりを見回しても、
40年前の面影がある施設は、
大きなビルの陰にひっそりとあるだけです。
大阪駅近くの、
ヨドバシカメラマルチメディア梅田があるところは、
確か昔は大阪鉄道管理局だったと記憶しています。
■ ■
平成5年に亡くなった義父は、
ここで働いていました。
今回学会が開催される
グランフロント大阪という施設のあたりは、
昔とはまったく違った街並みになっています。
今回の学会のテーマは、
基礎から臨床への橋渡しです。
ためになることを勉強して帰ります。

医学講座
第1回弁論準備手続記録(札幌地裁)
第1回弁論準備手続
事件番号 平成28年(ワ)第816号
建物明渡請求事件
原告 大同生命保険株式会社
被告 医療法人札幌美容形成外科
期日 平成28年9月13日(火)午後4時40分~午後5時10分
場所 ラウンド法廷(3階304)
■ ■
昨日の第1回弁論準備手続のご報告です。
通常の法廷ではなく、
3階にある会議室のような部屋でした。
ふつうの会議室と違うのは、
入口から2mくらいのところに、
法廷にあるような柵がありました。
その柵の手前に、
病院の待合室のような長いすがあります。
■ ■
傍聴はできませんが、
裁判長に許可をいただいて、
うちの家内が柵の外で聞いていました。
相手方弁護士は、
ラウンド法廷から電話をかけて、
東京で話す予定と、
裁判所書記官から伺っていましたが、
昨日は札幌まで2人がいらっしゃいました。
■ ■
虎門中央法律事務所の、
板垣幾久雄弁護士
柴田征範弁護士のお二人です。
円卓を囲んで裁判長と相手方の2人の弁護士、
こちらの高橋智先生と私が同じテーブルに着きました。
裁判官は法廷では黒の法衣ですが昨日はネクタイでした。
裁判長とご挨拶ができました。
とてもおだやかで素敵な方です。
■ ■
私は自分が裁判で被告になるまで、
裁判の進め方をよく知りませんでした。
TV番組のように、
裁判長!○○
…というような激しいやり取りはありません。
静かに書類を取り交わすだけです。
私が理解したことは、
裁判で重要なのは、
法廷で交わされる言葉ではなく、
法廷に行くまでに取り交わされる、
準備書面という書類です。
■ ■
準備書面を裁判所にFAXで送ったり、
相手方弁護士事務所にFAXで送ります。
メールでも、
ネットでもなく、
今でもFAXです。
FAXが大活躍しています。
相手方から届いた準備書面に、
こちら側も反論をします。
これの繰り返しを裁判所で確認します。
■ ■
札幌美容形成外科の担当は、
札幌地裁民事第5部4係
根本宜之裁判官です。
昨日の第1回弁論準備手続では、
裁判官から、
原告と被告の双方へ個別に、
今後の裁判の進め方について質問がありました。
法律を守る裁判官として、
紛争を早く解決してあげたい
…という熱意が感じられました。
■ ■
大同生命は、
私が平成28年1月6日午後3時半に、
電話で話したこが高圧的で語気鋭く詰問であり、
その後に院長日記で書いたことを第一の問題としています。
それで店子として不適格なので、
【賃貸契約の継続は不可能】と主張しています。
私が日本初のブログ裁判と
2016年7月24日の院長日記で書いた通りです。
■ ■
こちら側としては、
高圧的で語気鋭く詰問したつもりはないので、
新証拠として、
平成28年1月6日に大同生命から電話があった際の
札幌美容形成外科の防犯ビデオの録画ファイルを提出しました。
相手方に対して、
どこが高圧的で語気鋭く詰問で、
店子として不適格なのかを、
何時何分(ビデオに時計が入っています)の部分が詰問なのか?
明示していただきたいと高橋智弁護士から要望しました。
■ ■
ラウンド法廷は、
ふつうの法廷以上にゆっくりとお話しができました。
私はこのラウンド法廷が気に入りました。
裁判長ともお話しができますし、
私も発言することができます。
裁判所は17:00までなのに、
10分くらい超過してしまいました。
書記官には申し訳ないことをしました。
次回は11月4日(金)16:00から第2回弁論準備手続です。
手続きのきは入れないのだそうです。

